はてなキーワード: バリバリとは
ピケティなんてバリバリ英語が出来る人なんだから、英訳本に問題があれば本人の手直しが入るわけで、
英訳本の質は担保されているよね。だったらそれを基に日本語訳することに問題はないでしょ。
しかも、ピケティのようなガチ経済学者の、一般向けに噛み砕いたとはいえ論文を下敷きにした学術書の場合、
単純に仏語が堪能なだけの人が日本語訳しても前提知識不足が出てしまう。むしろ、経済系の翻訳に
手慣れた山形氏のような人こそがやるべきもの。翻訳文化とかふんわりしたものでお気持ち表明されても
ずれているとしか。文学だったらもっと適任がいただろうし、仏語と英訳本でのニュアンスの違い
みたいなのが生まれて作品の質が変わることもあるんだろうけど、科学書はそんなニュアンスよりも、
過去のしがらみがずっとのこっているだけでなく、参加する人を過去の人に変えてしまう。
ママ世代でも最近は髪色が青やピンクや鮮やかな人たちもいれば、バンギャみたいなママもいる。ギャルみたいななママもいる。
一方で落ち着いているママもいる。これは個人個人の好みで歳に応じたファッションに変化したんだろう。そこに差はない。
ティーンのころは2000年初頭というママが多いからか、多様性のあるファッションが許されていた世代だ。
ところが、PTAの役員とかになると、「あの髪の色はどうかー」みたいな同調圧力が強くなりがち。うちの地域だけかもしれないけど
なお、バリバリバンギャみたいなママはあまり言われていなかった。トゲトゲが良い威圧感を出していたのかもしれない。
昭和感を持っている人がPTAで発言力をもっているのか、PTAに染まれば昭和にタイムスリップするのか。
鬼滅の刃が流行ったとき、「あのような暴力的なー」みたいな話が出たし、
「ゲームをすると暴力がー」みたいな話もしていた。暴力ゲームを主題にしたわけではなく、ゲーム全体を暴力としてとりあつかっていた。
創価学会はなんだかんだ言って、時代とともに変化しているという。昔は暴力宗教と新聞でも叩かれまくってきたけど、暴力宗教の座は顕正会に譲ったらしいし、献金にしても会員数が多ければ無理をしなくていいから問題にもなってない(紀藤弁護士の発言)らしい。いわゆる言論事件というものがあったけど池田大作はその時に頭をさげたとのこと。反省するのはいいことじゃん。
ところが日本共産党は全くと行っていいほど変化がない(うちのバリバリの共産党員の父云くそれがいいところ、だと)。相変わらずスキャンダルで政権を揺るがそうとしてるし、市民団体とかNPOとか日本共産党が関わっているように見えない団体を裏から動かしている。そして何よりも、絶対に間違いを認めない。間違ったことをおして謝らないのはどうなのか? そしてそして、数人の幹部ですべてを取り仕切る体質も変化がない。今は暴力は引っ込めているけど、必要になったら「暴力革命」も認めるだろう、と父は偉そうに言っている。なんじゃそりゃ
グループ全体でのかなり大規模なやつで、しかもネット経由だから完全に匿名でやれるっぽいんだよ。
まあ俺は疑り深いからネットカフェに行って(アイス食べ放題を満喫するついでに)、テキトーに回答したわけ。
でも振り返ってみるとさ、すっげーマイナスな意見ばっか書いてたなと思って。
A.全く無い。昔たまたま儲かったやり方にしがみついている老害と、それにしがみついてお溢れに与ろうとしている意識の低い連中しかいないから。
A.全く無い。今どきペーパーワークやりまくりハンコ押しまくりの古い体質に引きずられ、カビ臭い単純作業にばかり時間を取られてまともに仕事をしてないから。
A.転職したい。このままでは転職市場での価値が落ち続けていき、この会社をやめた後に再就職する機会が得られなくなる危険を感じるので早めに動きたい。
A.老害の蔓延る地獄。ハラスメントが未だに横行しており、入ったばかりの若手も影響を受けて2年目になる頃には立派にハラスメントを繰り返す側になる。終わっている。
A.全く感じない。古い習慣を引きずっている人達にダラダラと時代遅れな物を売り続け、その状態から目を覚まさないように縛り付けているだけでありマイナスの生産性しか感じない。
A.無能だらけ。自分のような無能でも生き残れるし、皆勉強しないからちょっと勉強するだけでも仕事ができる扱いを受けられる。
いやホンマこんな感じよ。
でもあれなんだよな。
最後の答がまさしくここを離れられない理由っつうか、ネット見ると皆すぐ「勉強しまくってます!毎年試験受けてます!自分を追い込む!」みたいな事言ってて怖すぎるんだよね。
平日は0でよくない?
なんかもう働いてスキルアップするために生きてる人多すぎるんだよ。
バランスが悪いんだよね。
ゴミスペPCと無限ペーパーワークに埋もれながら日々無能として歩む社会のゴミ捨て場か、バリバリに成長し続けないと即クビになるマグロの群れか、その2択みたいな状態じゃん?
俺は中間に行きたいんだよ。
業務時間中に適度に成長しながら、休みの日はゆっくり過ごしたいの。
上手くいかないなあ世の中。
世襲小規模企業の副社長やってて、親が75歳で社長やってるけど、
なんのために働いてるのかわからない。
親が現役バリバリで働いてるならまだいいが、75歳にそんなことは望めるはずもなく。
年収800万で50人の社員の生活を背負い、2人分の仕事量とプレッシャーに押しつぶされながら休日出勤当たり前で一日14時間働く。
その一方で親は毎日暇を潰しに出社し、牛丼食ってヤッホーニュース見て重役出勤重役退勤。年収1500万+会社から不動産賃料700万(←これは別に文句ないけど)。
「俺ももう引退するから、これからはお前の時代だよ。」って親が言い出してからもうすぐ5年かな。
従業員をもう一人雇ったら赤字転落する程度のクソ会社なんだけど、そこんとこわかってるのかな。
小さいころから親の顔色ばかりうかがって生きてきたけど、50近くになっても変わらない自分が情けない。
俺が倒れるのが先か、親が死ぬのが先か、
私はフェミニズムに疎外されていると感じる。
元々は女だからという理由で大学の進学費も用意されおらず、それに怒りを感じながらバイト代と奨学金で国立大を卒業した。
でも、堂々としたフェミニストになれない。
なぜなら、大学在学中からメンタルを壊し、なんとか卒業はしたものの就職はできず、その後もろくに働けず貧しい生活を送っていたのを、大学で知り合った男性に相談したら交際、結婚まで話が進み、今は夫の庇護のもと専業主婦をやっているからだ。
バリバリキャリアを積んで女権拡大運動に邁進するフェミニストからすると、私みたいな人間にフェミニズムは似合わないと思うだろう。
自分が女だということを自分で否定しなくていいんだ! と、ある日の仕事中に思いついて、雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。まあ、心の中でだけ……。その時私は90代くらいの女性を接客中だったのだが、無意識に子供時代のようにくねくねナヨナヨした女々しい喋り方で話していたのだ。もちろんちゃんと敬語だったけど。こういう、男だったらオネェと呼ばれ、若い女だったら「あざとい」や「ぶりっ子」と呼ばれ蔑まれて攻撃されるような喋り方で、おばさんが喋るのは何ら問題ない……問題はないのだ……!
幼稚園時代までは、誰に教わったわけでもないのに非常に女々しい言葉遣いで喋る子だった。それは、「〜だわ」「〜よ」とかいうやつじゃなくて、ほんと例えるならオネェキャラの人みたいな、何を喋ってもクネクネしてる感じのあの喋り方だった。
だが、小学校の中学年以降になると、同世代は男子も女子も黄金時代のジャンプに影響されまくって育った世代だったので、みんな極めて口が悪かった。いとも容易く「死ね」「殺すぞ」と言い放つような。しかもバリバリに活躍する女性が形だけでも持て囃されたからだろうか、逆にぶりっ子というのは死ぬほど嫌われたものだ。同性からも、異性からも。そんな時代だったので、自分の身につけた喋り方で通すのは、肩身が狭すぎて無理だった。しかし、女子ですら一人称にわざと「おれ」を使うような中で、一緒になってオラオラした喋り方でイキリ散らすのは、自分には合っていないのに何だか強くなったような気がしてちょっと快感だったのも本当だ。
それから十年くらいして社会に出た。五歳くらい年上の女性上司は一人称に彼女自身の名字を使っていた。それが当時の意識高い系の人達の間での流行りだったのだ。それに加えて、語尾は「〜ッス」とか。オッス、ウッスと野球部か柔道部の男子みたいな話し方を若手の女子社員もする。そんな様子にもしかしたら上の世代の上司や先輩たちは眉を顰めていたかもしれないが、だからといって女子達は負けなかったというか、そもそも怖いものなしだった。
まだ入社して間もないある時、会社の食堂で休んでいたら他部署に配属された同期の女子社員の大声がホールに響いた。
「ふっざけんじゃねーよ、テメェ!」
怒りの一言ではない。あくまでもじゃれ合い、猫パンチのようなものだとわかる声色だった。その同期は同じ部署の同期男子二人と会話中だったのだ。それには、歴の長いパートのおじさんとおばさん達がヒソヒソした。だが、その時の私は、年配の人が差別的なのは仕方ないと思った。思いつつ、内心、すごくフェミニンな服装を好む同期が言葉遣いでは今どき男子でもしないような粗暴さなのが気になっていた。でも、私だって同じような言葉遣いをしていた。就職難の時代に運良く職にありつけたのはいいものの、職場は食うか食われるかの修羅場だった。そんな環境で生き残る為に男よりも男らしく粗暴にワイルドに振る舞ってうざいオッサンお兄さん上司や先輩達と戦いながら働くのは当然の権利とまで思っていた。
……けど、そうやって肩肘張って生きる事にいつの間にか疲れていた。子供時代のようにクネクネナヨナヨした女々しいだけの自分に戻りたい。いつの間にか、そんな風に思っていたのかもしれない。
おばさんとなった今の私には誰も強さを求めていない。誰も私を強いとも偉いとも賢いとも思っていない。おばさんっていうのは、非力で愚昧でどうしようもない、ウルセェだけの取るに足らないヤツだと素で思われてる。そんな私が女々しい言葉遣いをしようが誰も何も思っていない。なんなら、接客する時は人当たりが良いのがプラスになるというか、しょーもないヤツなんだからせめて人当たりくらい良くあれみたいな感じで、昔理想としたのとはかけ離れたしかただけど、なんか肯定されてる気がする。