はてなキーワード: ケアとは
オタク野郎がくせーのは運動しないからだぜ。みたいなのをたまに見る。
ついでに調子こいて道徳の説教までしてたりもする。怠惰で他人に気を配れない生き方丸出しだぜ、的なの。
それで言ったら運動部の中高生はどうなんだよ。電車に現れるくせー奴の遭遇率で言ったらそっちの方が多いだろ。
ダサいオタク野郎は服を買い替えないし、定期的に煮詰めたりの処理もしないからくせーんだ。っていう。
服に無頓着な人間とオタク共がイコールであるかと言ったら、別にそんな事はねーだろって思うけどね。全体の一部を構成する傾向はあるかもしれんけど。
体臭に関しては食生活が結構デカい気がする。ワキガみたいに遺伝もあんだろうけど。
健康的な飯が好きなそれと一致してる人間なら別に良いんだろうけど、そうでなかったら原則的につまらん飯を食い続けるなんて苦行でしかない。
そうなったらもう迷惑教のコミュニタリアン共にガタガタ抜かされようが好きなもん食ってた方が良いよなって思う。
くせー奴に出くわしたら普通に死ねって思うし、死ねと思われようが好きな飯食って服のケアに気を遣わないのも別に勝手だろとも思う。
メイクにはセルフケアの効能があるのだ、とこの素晴らしい慣習をなぜ旧弊な男どもは取り入れないのか?と不思議がってみせますけどね。傲慢すぎやしませんか
化粧の意味は一側面としてケアや自己表現である以前にずっと社会性のもので、ある種型にはまりにいく作業だってことは女性の皆さんの方がご存じじゃないですか。なんでそこを都合よく忘却するんですかね
そういう文化は別に片務的に女性だけにあるものではなくて、男性に対しては筋トレをしろとかがそうで、社会化圧力と自己実現の両義的な機能があるのも同じですね。両性に課されるものとしてはいい服を着ろとかね
現にメイクなどしなくてもマジョリティ男性は男性自身の文化を通じて自律的に振る舞ってきたのであって、化粧を自己表現ではなく社会適応のための謂われなき苦役として捉えている女性がいくらでも存在するように、男性のセルフネグレクトというのはすでにそういう適応から漏れた人間の問題なんすよ
男性が女性文化をミソジニーで退けてるなんつってますがこれは逆で、男性は何を通じてケアをするのか?というところへの無関心からこういうセリフが吐けるわけです。ケアの文脈においては女性的なコミュニケーションの仕方を「正解」としてるってだけの啓蒙しぐさですね
狭い層の男性に対して化粧は重量挙げのオルタナとして機能するかもしれないから一概に跳ねのける必要はないですけど、すべての男性が女性の慣習を見習ってハッピーでよかったですねって話では断じてないですよ
まあフェミニズムの従僕たる男性学の唱える男らしさの解体が画餅であり、実質的な男らしさ2.0でしかないことはずっと昔にバレてるんでいいですけどね
このドラマってXで目立つフェミニストの人達からはとかく絶賛されているけれど
みんな当たり前のように主人公の立場で見ていて、主人公の娘については都合の良い舞台装置扱いに何とも思わないんだな。
シングルマザーの再婚や恋愛に関して、「ママだって女」とはよく言われるけれど
それを言ったら「娘だって女」だよ。
母親と知らないおじさん(それも奥さんを亡くしたばかりで複数の子持ちの!)の再婚に際して
嫌だとか気持ち悪いと言った意思を持つ事すら許されず、再婚を後押しする役目を担わされているのが本当にグロテスク。
母親の再婚に対して都合の良すぎる亡き父親の手紙を読み、亡き父の代弁者となって、精神的な親子逆転っていうかヤングケアラーになってる。
それを娘が自ら進んでやってるように描いているのがさらに酷い。
でも絶賛なんだよね。
となりのトトロの、サツキが母親の入院というほんの一時期の間家事や妹の世話を担わされていた事についてはヤングケアラーと大騒ぎしたのに。
親の恋愛や再婚の後押しという、家事なんかよりも遥かに大人びた判断能力が要求される役割をやらされてる事についてはヤングケアラーとか言わないんだ?
つくづくXで目立つフェミニストの人達って、父親と娘の利益対立ならば娘側に立ってまともな事が言えても
ヒント・ミソジニスト
女のやるようなメイクなんてやってられっか!
…という前提に立つと、ケア効果なしで生きるしかなく、ストレスはどんどん溜まっていくから女性パートナーの癒しを外部に求めざるをえなくなる。しかし当然清潔感がないとモテない。ゆえに取り得る手段は、合理的なロジックで女を説き伏せよう、となる。
ここ数日、Xのオススメで一生男女の「清潔感」についてのバトルが流れてくる。
大抵、男性側の主張は「清潔感=外見の良し悪しである」というもので、女性側は「外見の良し悪し問わず、日頃のケアなどの問題」みたいな感じ。
オススメに流れてくるたび「ガチで不毛だな〜」と思いつつ、自分の中にある「清潔感の有無」の定義と同じことを言ってる人を見かけないので、ここに書き残したい。
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「パッと見た時に臭そうと感じるか否か」
である。
男性でも見た目で「臭そう」って判断することはあるんじゃないですか?バキ童の動画でぐんぴぃが「(臭そうと思ってたけど)やっぱり臭かった」って言われているのを見たので、少なくとも見た目で匂いを想像して臭い/臭くないを判断する人は0ではない。はず。
・髪
・体型
・服装
が主だと思う。
ワキガなどの潜在的な臭いの原因以外に、臭いを発生させるものといえば「汗」
結局、パッと見て「汗」を感じさせると、清潔感が無いと感じる。
髪に関しては、ぺったりしていたり、張り付いていたりすると「汗」を感じる。
だから、短髪のほうが「爽やか」と言われるし、ある程度セットされた髪の方が良しとされる。
体型は特性として、太っている方が汗をかきやすいため、細身の人間より太っている人間の方が「汗」を感じる。
服装に関しては、ヨレヨレのTシャツからは今までの「汗」を感じる。
体型に関して言及しているので、「結局容姿の良し悪しじゃないか!」と言われそうだが、自分の中では「容姿」は「顔」の話だと思っているため、少しちがうというところはご容赦願いたい。
まあきっと、良い匂いのするデブとワキガのイケメンが電車に座っていて、絶対に座りたいくらい疲れているけど、どちらかの隣に座らないといけないとなったら、きっと私たちはワキガのイケメンの隣に座ってしまう。
でも、同じシチュエーションで座席の両端にデブが座っていて、方や髪が整えられたデブで方や髪がぺったりしているデブであれば、絶対に前者の隣に座る。
つまり清潔感って、容姿の良し悪しというよりも、同じ容姿のレベル同士で並んだ時に少しでもよく見えるかって話なのだ。
運営側の講演聞いたことあるけど相談員のメンタルケアが大変って言ってたから、AIからはかなり大事だと思う。
話し相手が実はAIでした、ってなったら死にたくなると思うから、入口の時点でAIって明示する必要がありそう。「ずんだもんのいのちの電話」とかそんな感じで。
男の不幸率の高さに社会はなにもしなくていいの?
皆んなは、男女不平等に理不尽に高い男性の不幸率について、どう思う?
色んな記事を見てきたけど「対策するべきだ」と言ってる人を見たことない。
盆栽代わりに遊ぶには相手の人格がノイズになりすぎるし、この時代に労働力として使うわけにもいかん。
介護をやってくれるケアラーとしても金を払って雇った方が後腐れがなかろうよ。
人生の重荷になる割には戻ってくるものが少なすぎる気がするんだよねえ。
無条件で自分を特別だと思ってくれる対象が欲しいって言うなら理想的なんだろうけど、それってあまりにも発想がサイコパス過ぎないか?
それならまだロリコンショタコンが性欲をぶつける目的で産んだって話のほうが人間としてまだ「徳が失われてない」ように感じるね。
なんだかねぇ……。
小学館の報告書読めば芦原先生の様子が危ない状態になったタイミングはハッキリこう書いてあるわけよ。
ドラマ制作中のやりとりで引用される芦原先生の言葉の語気が強いからがそこが死の原因のような印象を与えるけど、
その時点では脚本読んで連絡を取って修正して指示を出してという複雑な仕事が出来ていたし、
苦しい戦いを終えて無事自分の脚本で放映できたあとは+の感情を見せてすらいた。
以上の経過を経て、放映も順調に進み、評判も良く、芦原氏も喜んでいた。
そこから精神状態が一気に落ち込んで「仕事が出来ない」という明確な異常、SOSサインを発し始めたきっかけが、件の脚本家の投稿。
古今東西で発生する望まれない原作改変の中でも希に見る人命が失われたという本件において、
自殺に与えた影響が大きい出来事であると考えるのは自然なことだ。
さらに言えば死の直前にやりとりをしていたのは小学館の担当者達。
芦原氏の投稿は反響を呼んだ。芦原氏の苦労に同情が集まり、反面、本件脚本家への非難が集中した。
翌 27 日 16 時頃、社員 A、社員 B、社員 C は芦原氏とオンライン会議を開き、大きな反響が起きているが大丈夫か、今後どうしたいかなど、芦原氏のケアに努めた。
18 時頃、社員 A から、社員 F に対して、芦原氏が思いは果たしたので、予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、
投稿を取り下げることになったとの連絡があった。社員 F は、削除はかえって炎上が進むこともあり得るとして制止するように言うとともに、
すでに全社マターになっているとして、担当者だけで判断しないように強く指示した。
社員F は、週明けの会議に備えて社員 A の協力を得て、「経緯説明書」を用意した。
ところが 28 日 16 時過ぎ芦原氏は、謝罪コメントを出 して、X の投稿を削除、ブログを閉鎖し、以後連絡が取れなくなった。
この27日のオンライン会議から急速に事態が自殺という結果へ向かって進んだわけだが、
社員が漫画家を囲んでSNSの書き込みを取り下げさせる……というのはしろくまカフェ作者のヒガアロハ先生の件を思い出してしまう。
そういった連想もあり、自殺の真相解明のために最も検証されるべきフローはこの部分になるはずなんだけど……。
まあ、一人の漫画家の心情を真面目に考えるより“原作レイプ”という社会問題の象徴となってもらう方が今生きている色んな人にとって幸せなんだろうけどねぇ…