はてなキーワード: クレーマーとは
新しく機能を追加した。バグが見つかってバカが騒ぎ立てて疲れた。
騒ぐ奴らへの対応で、弱小ワンオペ運営は修正する時間がとれない。対応も修正も同じ人間が管理してんだよ、昼間から即レスできるニートどもには想像できないと思うけどな。
で、運営の対応に対してクレーマーが言葉狩りを行うわけ。ちゃんと読めば同じ意味だけど文字が読めないのか文章の理解ができないのか。あと質問に答えたのに重ねて同じ質問をしてくる奴もいた。回答をコピペって返すと満足してた。本当に文字が読めてないんだなって感動したよ。
SNSを見ると新しい機能を喜んでる声がたくさんあるけど、それ以上に今回のクレーマー対応は疲弊した。クレーマー対応の工数を考えると今後積極的に新しい機能の追加を行うことはない。
ついでにお前らが渇望してるイベントも、お前らのクレーム対応で時間が取られて開催できてないんだわ。
お前らが最高のサービスを受けたいんだったら無闇矢鱈にクレーム出すな。お前らが自分たちの手で掴み取ったと勘違いしてる補填も、本当は前から決まってたんだよ。
あーあ、お前らがクレーム出さなきゃイベント開催できてたのにな。お前らがクレーム出さなきゃ新機能追加されてたのにな。お前らがクレーム出さなきゃな。
一昨日なんかポテチ食いながら作った謝罪文見た返信が「謝罪に満足した」ってさ。謝っただけで満足するのか、お前ほんとうにかわいそうなやつだな……
ほんこれ。今までいろいろ叩かれてきたけど簡単に修正したら世間にも簡単に修正できるものとして認識されるし攻撃しやすくなる。そうなるとお気持ちだけで突っかかってくる連中が増えてその対応も前例に倣って修正するという流れになってくる。以下ループ。ループし始めたらもう止められない。「あの作品では修正されたのになんでこの作品は修正されないんだ?」なんてことも出てくる。極一部の理想的な世界を反映させた作品になっていく。「極一部」といえど今回の統失をはじめ増田の言うポリコレやらフェミやら単なるクレーマーみたいなものまで多岐に渡るのでそれぞれの「理想的な世界」は多種多様だ。全部聞き入れようとすれば矛盾も出てくる。作家を苦しめるだけ。
ヒロアカ「丸太」が「731部隊を想起させる」──批判受け、集英社が謝罪 「過去の歴史と重ね合わせる意図はない」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2002/07/news094.html
クレーマーによる改変はどれ?
2. 障碍者イジメを更迭したオリンピックに配慮して、日本は素晴らしい国だと宣伝したい政府方針を忖度した
3. 10年後、20年後も差別作品の象徴のように言われ続ける未来を危惧した
4. うるさいクレーマーに配慮せざるを得なかったと被害者を気取りたかった
5. 単に批判されるのが嫌になった
6. そのほか
どれだろうね
集英社がクレーマーに屈したという意見もあるけど、統合失調症の症状がわかりやすく記載されている以上、統合失調症の方々への偏見を助長させないために表現を修正したことは妥当だろう。
今回の件は、特定の個人・団体に影響が無いため公共の福祉の制約を受ける範囲外なんだろうけど、統合失調症の対象者の範囲が狭いから、問題になってしまう。
統合失調症の方々に悪影響が出る可能性がある表現をそのまま放置することは、表現の自由の濫用と感じる。
なお、繰り返しになるが、元の表現であっても法律上の問題は無いだろうし、公共の福祉の制約の範囲外だろうから、今回の判断の基準は、倫理・道徳(2021年最新)の問題だろう。
20代の頃はリベラルのほうにいた。腐敗行為を繰り返してる政権与党とかの議員に対して怒りを感じ、選挙では必ずリベラルの野党に投票していた。
仕事でも気に食わないことや気になることがあると結構リーダーやマネージャーにかみつき、「あんたが怖い」とまで言われたことがある。それでもプレイヤーとしては優秀だったので重宝してもらえた。
しかし、年を取り、会社やプライベートでも出世して、いろんな物事を「推進する」側に立ってからは、日を追うごとにリベラル的な考え方が薄まっていった。
何よりも実行力が大事。実行力や継続力があまりないそこらへんのモブや、意見を言うことが全てだと思ってるような連中から出てくる反対意見は、ほとんどは取るに足らない枝葉のものであった。
こいつら役に立たない単なるクレーマーじゃねえかと。
増田はこのようなクレーマーをあしらう術が必要になる立場になったんだなあと。
そうしてものの見方が変わっていった中、リベラルの野党の行動や言動を見てみたら、見事にその「クレーマーモブ」と重なった。
ああ、リベラルはダメなんだなと。若い時は自分もリベラルの側に居たが、それは「若かりし頃の過ち」だったのだなと。
今は選挙でリベラルを標榜する政党に投票することはない。物事を継続的に推進できる実行力のある政党に投票している。
いまの若い世代は政権与党に対する支持率が非常に高いと言うが、よく世間を理解しているんだと思うよ。文句や反対ばかり言う人よりも、実行する人の方が今の世の中には必要であり、大事なんだって。
例えば五輪開幕日に全学連(の名を騙ったオッサン達)がデモしていたが、彼らは何も産み出さない。壊すことはあっても。だから世の中の役に立たないどころか足を引っ張る。
そういう連中をスルーして、とにかくまずは「成功する」ことが大事なんだと。リベラルの人達が好んでいるアジャイル開発の世界でも良く言うじゃない。「小さな成功」を積み重ねることが大事なんだって。
今や「オオカミ少年」と週刊誌に揶揄されるまでになった8割おじさんこと西浦博教授。
彼の警鐘が国民に響かず、冷笑されまくっている原因を考察してみた。
去年の「42万人死ぬ」発言が典型例だが、数字が独り歩きするような物の言い方をしているし、独り歩きを抑えるような配慮が全くない。
42万人の件はもちろん前提付きのものであったが、「Aという前提なら42万人、Bという前提が出来れば2000人で済む」といったように、前提条件がちゃんと国民に伝わる言い方をすべきであった。
契約関係が西浦氏と国民の間にあるのならこの件のような一面的でしかない前提条件は伝わるが(それを確認しないと契約後に痛い目を見るから)、そんなわけは無いのだから、一方的でしかない前提条件付きの数字を言ったところで、その前提条件が消えた「42万人」だけが国民にインプットされてしまう。そして「42万人も死んでないじゃないか、嘘つきだ」と思われてしまう。
そしてその後も警鐘しか言わず、こうしてくれたので良くなったという正のフィードバックや正の将来予測をまったく発言しないから、ただのクレーマーのようにしか見えなくなる。こうなるといくら科学的に正しいことを言っても響かない。要はリスコミが下手なのだ。
身もふたもないが、西浦氏は「デブで禿」。もし20~30代女性部下と2人きりで部屋に入るようなシーンがあったらそれだけでセクハラが成立するレベルの見た目だ。この時点で医学の発信者としては信頼性が無くなる。禿はともかくデブなのはどうにかならないか。米国ではデブは信頼されず、要職につけないというし。
西浦氏が過去の予測に対する実績の差異について自分の言葉で説明するシーンを見たことが無い。探せばあるのかもしれないが、「探せば」という時点でコミュニケーションロスを起こしている。もちろん不確実性が高い中、予測を100%当てるのは無理だが、予測との差異について考察し、発信することをもっと積極的にやらないと、いつまで経ってもオオカミ少年、いやオオカミオッサンの地位から抜け出せないのではないか。
この西浦氏が典型例だが、科学の中で働いている人は、もう少し「国民に真意が伝わるプレゼンテーションは何か」を考えた上で情報や予測を発信して欲しい。2011.3.11の時は原子力の中で働いていた人が今の感染学の人達のように全国民から注目を浴びることになったが、業界として発信能力が欠けており、結局NHKのみずのん(水野解説委員)の翻訳に多くの国民が頼ることになった。それと同じ過ちがいまの感染学の世界で起きていることを感染学の中の人達は自覚し、反省し、今後に生かすべきである。