はてなキーワード: クレヨンしんちゃんとは
主要キャラクターの声優をつとめた辻谷耕史さん、藤原啓治さんの逝去があり、
制作上の困難が多かったなかで、よくまとめてくれたと思う。とても感謝している。
100点!
良かったところ
〇新月光号のデザインがよかったです。プレハブのような構造の指令室が、とても新しい。
〇山寺宏一は凄い。こんなこみ入った設定の難しい敵役を、途中から入って説得力のある造形に作り上げるなんて信じられない。国宝級。
〇エウレカが、レイを助けるシーンが一番好きでした。ビームス夫妻とレントンの関係を描き直した今作において、ひとつのクライマックスだったと思います。チャールズ・ビームス役の小杉十郎太さんの演技も素晴らしかった。(しかしヒゲ面のキャラクターがチャールズだと中々気づかず…。)
気になったところ
〇自分が悪いのだが、復習をしてから見に行くべきだった。グリーンアースとブルーアースって何だったとか、あれレントンって死んでたんだっけ…とか、記憶のなかで旧アニメ版の設定が交じり何がどうだったか思い出せず、前半は集中して見られなかった。
〇デューイの耳輪は4つでよかったのでは? 終盤で一度「壊れる前」に戻ってたよね?
〇ホランドには、(当然)映画版クレヨンしんちゃんのヒロシのような活躍を期待してたのが、ストーリーの都合で動くキャラクターになり大変残念。
〇音楽は前作、前々作が好みでした。
〇私は舞台挨拶を聞きましたが、京田監督の「これは思い通りに行かない人生に向かい合う物語なのだ」という趣旨の発言で、いろいろ腑に落ちました。キャラクターたちの行く末がそうだし、それをいえば今作そのものも「思い通り」ではなかっただろうし、ファンだって、空から下りてきた異星人と運命の出会いなんて望みようもないのだから、皆が「思い通りに行かない人生」に直面している。とすると、「ファンが見たいものをお見せする」だけの懐古調のエンタメ映画にはなりようもない。
〇設定が似ているエヴァンゲリオンの最新作と比較すると、エヴァのシンジはひとり14歳のままなので、いまだクラシックな成長譚として物語をつくる余裕がある。一方、今回のエウレカは、まだ20代とはいえ、すでにレントンを失い人格的には中年という他ない。昔から追ってきたファンと同じ世代。そこで「中年の救済」が描かれねばならないのだが、「昔に戻ってレントンと精神世界で生きる」という甘いアニメ版焼き直しのエンディングが適切だったのか疑問に思う。
「学校教育も受けてない社会人でも無いフィクションの登場人物」
あっ違うかクレヨンしんちゃんのことか
昭和見てーなやつだな
>こんにちは!ご返信ありがとうございました!日本語不自由過ぎワロタという事でしたので、これから一行ずつ詳細に説明してみますね。以下は個人的な解釈になりますのでご了承ください。
学校教育を受けていない…学校教育では道徳を習います。これにより公共の福祉的な倫理観が育まれます。学校教育を受けていないという事は一般的な道徳観が欠如していても仕方ありません。
社会人でも無い…会社員として、社会を構成する組織の一員となった場合、組織が出すべき結果、成果に繋がる行動を取り、組織にダメージを与えない、という日本的な全体主義構造を獲得します。社会進出していないということは、組織的な行動に不慣れでも仕方ありません。
これらの経験や概念を獲得していない主人公は逆に固定観念に縛られる事なく、自身が果たさなければならない使命、役割に対して一意専心する事が出来た、とも言えると個人的には解釈しております。
しかしながら、そもそもの話として、上記の登場人物はあくまでフィクション、架空の存在です。
その存在を例えに出して非難の対象とする事に、果たして何か意味があるのだろうか?いや無い。と当方は感じた訳です。
上記の説明で当方の意図した文意が伝わりましたでしょうか?ご不明な点等ありましたらまたご記入頂ければと思います。よろしくお願い致します。
なぜフェミニストは、いわゆる「表現の自由」に関する問題において「重箱の隅をつつく」のか?
自分はこう考える。
つつくべき問題はむしろ、数多の表現が詰まった「重箱全体が偏っている」ことなのだが、
重箱の中身のひとつひとつには特に大きな問題がないため、非難しずらい。
そのため、自他に分かりやすい、少しでも具体的な問題点が疑われる部分(しかし全体から見れば隅に過ぎない)を、
集中的に叩いてしまうのではないだろうか。
自分が「重箱全体の偏り」として捉えている例が、「家庭描写が多く長寿な4大アニメ」、
サザエさん・ドラえもん・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんである。
これらの名作は、昭和~平成初期までのスタンダードとされた家庭を元に描写されているため、
長らく人気コンテンツであり、子どもが(そして大人になっても)目にする機会も多いこれらの作品が、
家庭をとらえる意識に及ぼす影響は、計り知れない。
日本のアニメーションは原作者への属人性が高く、いずれも作者が鬼籍に入っていることから、
また日本の家庭における格差が広がったこともあり、各アニメの描写が共通して知られる「古き良き時代」として支持される一方、
現代における家庭描写が多い長寿アニメが生まれにくくなっている点がある。
そしてフェミニストたちは、こういった「広く偏っている事象」を指摘するよりは、
(あるいはそういった偏りをうまく言語化できず)
分かりやすい「絵面に問題が疑われるもの」を叩くという結果になっているのではないだろうか。
それではフェミニストは、半端に重箱の隅をつつくより、上記のような例を問題提起するべきなのだろうか?
制作当時のよくある家庭描写であるに過ぎず、これを指摘しようものなら、
炎上するだけで何も解決しないこと必至。とてもそうすべきではない。
繰り返すが、長寿アニメもその描写も属人性も、個々では全く何の問題もない。
「それが子どもの見る「アニメ内の家庭」で一定割合を占めている」ことが問題であり、
そのことを個々の作品に問うたり、即座の解決策を打ち出すことは、非常に困難である。
重箱の他の偏り例として考えられる、女性キャラの胸の大きさや露出についても同じで、
個々を指摘しても「見せていけない部分が見えている訳ではない」「他と同じくらいだ」となる。
それなら、どうすればいいのか?
正直なところ、漫画アニメなど表現の自由界隈ではなく、現実社会で動きが起こることで、世の中の風潮が変わるのを待つしかない。
前述の家庭描写についても、家事負担の面は改善されていないが、母親が専業主婦ばかりである点の影響については、
(夫の実質収入減という良いとは言えない要因で迫られたケースも多いものの、)現実では改善しつつある。
若い人を見ていても思うことだが、現実社会での人々の意識も変われば、
広範にまたがる偏った表現もまた、違う方向へと遷移していくものだ。
非常に個人的な見解になるが、日本は現状維持という名の価値観アップデートの欠如により、
しかしだからこそ、それが限界まで来たとき、何らかの面で痛みを伴うかもしれないものの、
現行の価値観からの急激な大転換が起こる。いや、望むと望まざると不可避であると思っている。
それを口実にミソジニーが現実の問題を矮小化するのも止められないだろう。
「イオン」じゃなくて「イオソ」とかにするやつね。「吉牛」じゃなくて「吉ブー」とかにするやつね。「コカコーラ」じゃなくて「コココーラ」とかにするやつね
あれ意味わかんないんだけど。別に実在の名前使っちゃってよくない?
別に作中でそのお店をディスってるわけでもないんだよ。背景でチラッと出てくるくらいなんだよ
例えば実名使うと作品の世界観が壊れるっていうんならパロディ名でも十分雰囲気壊してると思うんだよね
ちなみに1つ具体例上げると、クレヨンしんちゃんで「サトーココノカドー」っていうのが出てくるんだけどこれ別に「イトーヨーカドー」ってしちゃってよくない?
まあサトーココノカドーは洒落がきいててギャグの1つとして成り立ってると思うんだけど「イオン」を「イオソ」にするやつは別に面白くもなんともないじゃん
なんか実名使うと訴えられたりするのかな?いや、でも実名使ってる漫画も山ほどあるしな
誰か現役漫画家のかた教えてください