「ぼっとん便所」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ぼっとん便所とは

2024-09-22

不思議な夢だった。うちに友達が泊まりにきて「うち狭いから寝る場所ねーべ」と僕が言ったら「いいよオレあそこで」と言って彼が向かった先はトイレだった。なぜか和式ぼっとん便所になっていてそのぼっとんの空間がすげー白くて広くてベッドまで完備されていて……!?友達マジでトイレで寝ると言う。「気を遣ってくれてるのなら別にいいよ」「いや、オレはここでいいよ」「トイレしたくなったらどーすんだよ」「その時は一旦退くから」一旦退くからって……貴方は僕の黄色おしっこビシャビシャ降り注いだベットのうえにまた寝るってこと……?意味分かんねえし普通に部屋に来いよと思ったけどこの友人は自分意思をなかなか曲げないことで有名な頑固野郎だったのを思い出して、「そうかい、じゃあ今からおしっこするから待ってて」と言って僕はトイレに入り放尿した。真っ白だった空間の壁やベッドのシーツには当然のごとく黄色い液がビシャビシャついていった。汚ねえ……とドン引きしながらトイレから出、手を洗っているうちに友人が「じゃ」と言ってトイレに戻っていった。嘘でしょ?ほんとにあそこに潜るの?いくらなんでもそれは……。それはただただ恐怖だった。見てはいけないような気がした。だから僕は目の前のドアを開けてその真実を知ることはできなかった。僕の脳裏には黄色おしっこのシミがついた寝具の上にごろりと寝転ぶ友人の姿がぼんやりと浮かんだ。何かが狂っている、そんな夢だった。

2024-04-06

人生でたぶん三度目くらい

ひり出したうんちがとぐろを巻いてた

これぼっとん便所とかの時代には見つからないものだよなって思う

とぐろを巻くうんちという描写、どうやって気づいたんだろう

2024-02-12

私は実家(家族)が太い

わたし実家が太い。

だが40歳を過ぎるまでその事実に気づかなかった。

まれ地方港町。5人家族、3人兄弟の3番目(姉、姉、自分)。

平屋の町営住宅で、トイレ和式ぼっとん便所。そんな家に俺は生まれた。

「うちは貧乏からね」

それが母親の口癖だったように思う。事実実家を出るまでわたし実家が裕福だと感じたことはただの一度もない。

高校生の時、友達が遊びに来た時「お前の家のトイレ臭せぇ」ってとても遠回しに言われたことを覚えている。(うちのトイレハエ取りキンチョールスプレー匂いが常にしており、なんとも言えない匂いを放っていた)

父親公務員だが酒飲みで、自宅にはよく借金取りが来た。夜、2人組の男を母親玄関先でを追い返したことを今でも覚えている。

父は家の中でよく暴言を吐いた。そして暴れた。

狭いリビングの中で大声を出して暴れることもよくあり、皿が良く家の中を飛び交った。

「やめてよ!!!」という声を出して、裏庭に逃げたこともある。

隣人の森田さんに何度かその話をしたことがあったが、自分の親よりも年上だった森田さん。今思えばすべて事情を把握していたのだろう。

「大変だねぇ」みたいなことを言われた記憶が何度かある。

欲しいおもちゃも満足に買ってもらえなかった。

1980年代まれなので、ファミコンスーパーファミコンドストライク世代

ゲームが買えないから、よく友達の家にゲームをやりに行った。

自宅ではスーパーマリオの動く紙芝居みたいのを作って、その上でキャラクターを模した手作りの置物を動かして「ぽよーん」とか「キノコゲット!」とか言っていた。

おひなさま友達は買っていたけど、うちには無かった。

から母親牛乳配達をしていたため、どうしても余る牛乳パックを重ねてひな壇を作って、その上に包装紙を貼って「おひなさまできたー」みたいなこともやった記憶がある。

注。一応私は男です。

さな港町。裕福な家庭なんてそうそういないのだが、自宅から歩いて100mくらいのところに、たまたまお金持ちの同級生が住んでいたことも、「うちは貧乏なんだ」と思うことを加速させる一因にもなった。

彼の家は一軒家、3階建て。広い庭あり。

冬休み家族みんなでハワイに行く。よくお土産をもらっていた(その時にもらった野球鉛筆はいまでも捨てられずに保管してある)

彼のおじいちゃんはとても野球好きで、彼にとても情熱を注いで野球を教えていた。(親が子供野球を教える。。。のおじいちゃんバージョン

俺の家ではとうてい変えるはずのない、ティーバッティング用のネットを自宅に用意し、休日野球練習が出来る環境があった。

(そのおかげで、高校札幌高校から野球推薦が来たらしい)

彼の家にあるものが、うちにはない。

彼の家では誕生日に豪華な食事が出るが、うちではケーキ父親居酒屋で買ってきた七面鳥くらい。

小学校でも「びんぼーびんぼー」といじめられていた記憶がある。

うちは、家も狭いしシャワーも無いし、トイレぼっとん便所だし。

だってほしいものも変えないし。ビンボーなんだ。そうなんだ。 本気でそう思っていた(今でも多少はそう思っている)

そうして中学を経て高校卒業するとき

父に対して「お母さんに手を出したらぶっ殺すからな!(黒歴史)」と言って家を出たのも、あの狭い平屋の町営住宅だった。

ちなみに、その町営住宅都市計画か何かの関係でもう無い。

社会に出て20年。自分実家のことを「金持ち」だと思ったことはただの一度もない。本当にただの一度もない。

ただ最近「うちって貧乏だが、実は実家が太いというやつなのでは?」と思うようになった。

この年齢になってくると、やれ親の介護だ、やれ両親が亡くなった。家族問題毒親だの、いろいろな話を聞く。

職場たまたま一緒になった同い年のヤツも、在宅勤務なのだが、その理由母親介護らしく、事実業務中に「(親の介護用の)アラートが鳴ったから」との理由でちょくちょく業務中座する。

今日久しぶりに再会した、前職の知り合いも「何の前触れもなく父親が亡くなって、実家仕事を引き継ぐことになった。加えて、兄が認知症っぽくなって、その対応に一人で追われていた」とたった1年なのに、とてもやつれた顔をしていた。

この時思った。

家族健康で、かつ自分に口を出してこない(なんなら必要とき金銭的な支援をしてくれる」というのは相当な資産なのでは? そしてそれは「実家が太い」と言い表していいのではないだろうか。

実は、家族健康資産という言葉は、数年前に知人に言われた言葉である(その知人とはもう連絡が取れない。あぁ。悲しい)

ガチャという言葉がある。

もちろん家ガチャもあるだろうし、家族ガチャ兄弟ガチャもあると思う。

うちの家庭は前述の通り、借金まみれ、貧乏、父は酒飲み(のちに自己破産)、姉2人はそれぞれ違う新宗教に入っているなど、傍から見ると普通の家庭では無いと思う。母も、新宗教ではないにしてもある宗教の熱心な信者だ。この話を他人にすると「へえ。凄いね・・(消え入りそうな声)」とよく言われる。

かにわたし実家金銭的な資産は無い。

土地も無ければ、財産もたぶんない。人脈もコネ学歴も無い。両親は2人とも大学に行っていない。母親は確か高校にも行っていない気がした。

世間的な定義に照らし合わせるならどう考えても太い家では無い。それどころかただの貧乏家庭である

それでも、その両親はわたしに何の干渉もしてこず、かつ80近くになった今でも子供迷惑をかけることなく元気である

父80歳。母76歳。

父はちょっと弱弱しくはなったが、それでも電話をしたら2人ともはきはき話す。母親にいたっては今でも畑仕事に精を出す。おかげで足腰は元気だ。

もし、仮に死ぬことになった場合は、費用も含めて手筈は整えているらしい。わたしとしては当然ながら生きながらえてほしいが。もっと一緒にいたい。

ただ、正直ありがたいとも思った。

実家、家庭で問題が無いという事は、それだけ自分のことにフォーカス出来る。集中できるという事を指す。

そしてこの「家庭、家族問題に振り回されることな自分人生に集中できるという事は、当たり前のことではないんだ」ということに、最近まで気づかなかった。

ここ最近職場など様々なシーンで関わる人と我が家比較してみて、「実家が太い」とは必ずしも財産資産などの有形資産のことばかりを言うのではないのだなと感じた。

経済的には貧乏なんだろうけれど、それでも太い。そんなわたし実家の話し。

いつも書くblogには書けない話だから、こっちに書いてみた。

どうして気づかなかったんだろう。もっと早く気づくべきだったかもしれない。でも、それも人生かな。

2023-12-15

anond:20231215102856

ぼっとん便所にクソひったらお釣りが返ってくるのは当然という話やで

2023-02-03

anond:20230203094613

昔のぼっとん便所についてたちり紙は、ゴミ入りの再生紙

お尻を傷つけるくらいヤヴァかったんよ。

2022-04-12

anond:20220411220648

こんなのバブルの一部だけだって言うけど、バブルの頃、ぼっとん便所で平屋で2部屋しかない家に住んでたけど

親父はゴルフバッグ持ってしょっちゅうゴルフ行ってたし、正月と盆は親戚集まって賭け麻雀してたし、マジで大体こんな感じだよ

2020-10-14

anond:20201013175039

DPZイッテQなどで有名になった「旅行先で散髪」企画ちょっとやってみたい

でもほんとは一番たのしいの親戚めぐりなんだよなぁ

岡山農家が一番刺激的でまさに昭和初期、サツキとメイの家より設定上古い。最初ぼっとん便所に五右衛門風呂体験できたしイノシシも見かけることができた。夜になると屋根裏ヤマネハクビシンかが運動会はじめる。朝は早くから雄鶏のときのこえがきける。子機つきのすえおき電話あげたら感謝された。

茨城農家キジとうぐいすと野うさぎくらいで大したこと無いけど薔薇が綺麗でめしがとんでもなくうまいwifi設定してあげたら感謝された。そろそろアイフォンアイパッドを贈りたい

感謝はじいばあの孫やひ孫の世代にのし袋で渡されることになるからオレ世代交通費を支払うだけ・滞在費用も(ホテルよりは安いくらいの寸志)渡すだけ。

迂回小遣いなんだけどそれはそれで楽しい

どこも高齢化してて今行くと殺すかもしれないからずっといけてない

2020-09-25

うんちになりたい

流れされてうんち補完計画したい

できればぼっとん便所がいい

2020-03-03

anond:20200303175518

日本も50年60年となるとぼっとん便所があるとおもうが

昔の話を持ち出して、あの国は発展途上だ!といわれたって日本だって困るだろ

今年、去年ぐらいは?

2019-06-29

技術進歩が早すぎる

平成元年まれの丁度30歳。一応首都圏で生まれて育った。

だが自分物心ついた時はまだ私的録音メディアカセットだったし、トイレぼっとん便所がまだまだ残っているところには残っていたし、ダイヤルを指で回すタイプ公衆電話だってよく見た。電車は流石にすぐ自動改札に化けた気がするが本当に小さな頃に数度駅員さんに切符をカチカチしてもらった記憶があるし、バスカードなる謎の磁気カードを通してバスに乗ったこともあった。どこぞで参加した抽選会の目玉商品ポケベル(のような何か)だった。

一応世間的にはぎりぎりまだ若年世代と括れなくもない自分の子時代ですらまだそんなものだったのだと思い返すと、本当にこの30年で何か起こったのかという気になる。手元のスマホぼんやりYoutube動画を眺めているとき、ふとそういやこのスマホだって自分中学時代にはまだ影も形も無かったんだよな……iPodはあったけど……と気が付いて愕然とする。

仕事でも当然のように離れた場所にいる相手今日中に対応してくれーみたいな連絡をメール(同じオフィス内にいる場合チャットツール)で送りつけたりしているけど、自分の親が若いころバリバリでやっていた時代は最速でも固定電話ファックスで連絡取り合ってみたいな世界だったのかと思うと、逆に想像するのが難しいというか。

一世代経たないうちにこれなんだから、(古代エジプトの頃からあるとはいえ世代による価値観対立も先鋭化していくのは仕方ないかもしれない。既に自分00年代以降に生まれ世代とは価値観からから全然違うんだろうなという予感はある。

2019-03-29

anond:20190328015628

おれは逆。

大学授業料が全額免除になるほど親の収入低くて、ぼっとん便所で、お風呂は薪で沸かすやつで、家の中には虫がたくさんいるような(ナナフシがいたときは笑った。お前わりとレアなやつだろ!どこで擬態してんねんって)とこで育った。カマドウマが超嫌いだった。ちなみに実家は未だに汲み取り式で薪で沸かすやつ。

大学国立就職都内ITベンチャー学生時代インターンでは有名企業社長の息子が経営するベンチャーで働いてみたりしてた

都会は衝撃ばっかだった。東大生ゴロゴロいるし、部活超強かったやつとか、高校時代からビジネスやってて年収おかしいやつとか。

いろいろなセミナーでやたら会うパチモンみたいなやつもいっぱいいた。

田舎だったら社長って聞くと雲の上の存在みたいだけど、こっちじゃ掃いて捨てるほどいるし、起業したって全然たいしたことないことは(今となっては)わかってる。

田舎には割と夢がない。仕事がないのが一番の原因で働くのは近くの工場か土方が一般的で、工場勤務なんかは親世代子供世代がみんなそこで働いてたりする。

あっちとこっちで世界は明らかに違っている

生き急がず仕事で困らないのなら田舎も悪くないとは思うけど、、

2018-12-20

ぼっとん便所タバコを捨てたらガスがたまっていて爆発したという事件もあったらしい。都市伝説かもしれんけど。

2018-07-10

anond:20180710091536

自分で書いて追加、四女宅の便所聖地になったら四女の呪いは解けないな。

自宅近くの駅なり公園のきったない水洗公衆便所に麻原の遺骨を流してくれたらいい。ぼっとん便所なら、信者に回収される懸念があるので。

そのきったない公衆便所オウム聖地となるwww

2018-05-13

anond:20180512095842

そこそこ有名になってるコンテンツアンチスレがないものって無いんじゃね?

あいうのは、一定隔離して発散させる場所がないと所構わずうんこ撒き散らすんだわ。

お前はわざわざぼっとん便所の下に行ってぼっとん便所の下クセェと言ってるのと同じ。

まあ、気にせずに好きなアニメを楽しみなさいな。

2016-04-11

[] 乳豚力学

17世紀ヨーロッパ、一人の乳フェチがいたそうな。

彼は、乳豚と呼ばれるほど乳が好きだった。

乳豚は毎晩、おっぱぶで遊んでいた。

乳首を引っ張ったり、かみついたり、匂いを嗅いだり…。

乳豚の乳への興味はつきなかった。

乳豚は乳を上に思いっきり引っ張り、そのまま落としたらどうなるのか?と疑問に思った。

おっぱいバウンドしてすごく素晴らしいはずだ!」

いてもたってもいられなくなった乳豚はすぐさまおっぱぶに行き女の子に試してみた。

いっきり乳を押し上げ…落とす。

何度も試みたが、乳はゴムまりのようには弾まずただ落ちただけだった。

観客はがっかりし、乳豚は袋叩きにされ店からつまみ出された。

殴られた乳豚はなぜかにやにやしていた。

断っておくが、彼はマゾヒストではない。

乳豚は乳に宇宙を感じていたのだ。

おっぱいは落ちるのに、月は落ちてこないのはなぜだろう」

殴られて頭がおかしくなった乳豚は、その疑問を解決すべく、研究に没頭する。

まず、用意したのは梅干しだった。

ほしはほしでも食べれるほしはな~んだ?

今時、幼稚園児でもやらないような典型的かつ古典的なぞなぞだが、乳豚の時代はそれが最先端だった。

梅干しを用意してみた乳豚であったが、どうしていいか分からない。

毎日梅干しを眺める乳豚、ある日よいことを思いついた。

しわくちゃの梅干しはまるでアナルにそっくりではないか!」

しかし、アナルは落ちるものなのか?また疑問が始まる。が、すぐに解決した。

排便だ。

ぼっとん便所の下で待ち構えていたら、いくらでも星のかけらが落ちてくるではないか!」

早速乳豚は近所のけんブリ大学の穴ニーカレッジ女子トイレに潜入を試みた。

潜入は成功し、ひたすら落ちてくるものを拾い集めた。幾日も幾日も…

いつしかピーピング豚と呼ばれるようになったが気にしなかった。

豚には研究という大義名分があったのだ。

そして、うんこを大量に集めた豚は、スカトロ転向し、尻の広げ方を計算する尻分方程式研究をし始めた。


同時期にレイプニッツという人物も尻分方程式研究していたが、レイプニッツの考案した常尻分方程式は、

常にアナルを広げ続ける画期的な式であった。


結局、豚は梅干しを食べてうんこを広い集めスカトロになっただけの人生だった。

一方のレイプニッツは、その後、強姦で捕まってしまった。

彼らの考案した常尻分方程式は語り継ぐものがおらず、いつしか忘れ去られてしまったが、

アナルマニアスカトロマニアの中で伝説として語り継がれている。


*参考文献 よくわかるアナル力学 ケツ穴出版


アナル増田

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