はてなキーワード: ぼっとん便所とは
これから寒くなるとトイレにいるのもきつい人間もいるかもしれないが、真のトイレ好きは便座暖房があれば温かい季節程ではなくとも心地よさは残る。
そこには公衆トイレの汚らしい見た目も息の詰まるようなにおいも無く、日本的一般家庭の居心地の良さがあるのみだ。
読書、新聞、漫画・ゲーム。外山滋比古という方の著書で三上という言葉を知った。馬上、枕上、厠上では良い考えが生まれやすいということらしい。
私はクリエイティブな仕事についてるわけでもなく、人間性ももっていないがこの言葉には大いに同意できる。良い考えは会議からはうまれない。トイレから生まれる。
外山氏曰く良い考えが生まれても忘れてしまいやすいからメモを置いておくといいらしい。私が中学生の時、友達の新築の家に上がらせてもらった。
新しいことをするときはえてして完璧を求めるものである。家を建てる時もそうだろう。家具の配置にもこだわるに違いない。時を経て使いやすい配置に変わることも多々あるだろう。
だがこの友達の家族は唯一完璧にすべきものをわかっていた!落ち着ける場所を最優先に考えるべきことをわかっていた!
彼らの家のトイレは整然としていた。一般的清潔さと新築の輝きでほぼ完ぺきだった。そこに一つ加えるだけで居心地が圧倒的に良くなるのをわかっていた!
本棚が置いてあったのだ。中にはあたしんちという漫画が置いてあった。トイレの中にカレンダーを貼る家庭は多いのか。勉強のための本屋ポスターを置く家庭は多いのか。
洋式トイレに長時間座っていると腸が下がってくるらしい。もちろんトイレを使う人間は自分だけじゃない場合が多い。必然的に滞在時間は短くなる。
そんなときにトイレのみに集中しない人間は何をすべきなのか。トイレを至福の空間と考えている人間にはわかるはずである。
そう、トイレとは外界から隔絶された空間であるべきでそこには一切の気遣いを生む物は持ち込む必要はないのだ!
日本人は年をとっても漫画を読む人間が多い。トイレに求められる漫画は温かみがあり、余計な思考をする必要がなく、そしてなにより、これら前者を投げ打ってでも短い漫画であるべきだ!
あたしんちというのは4コマ漫画だ。4コマならばトイレ片手にさっと読める。決して難解な哲学書や法律書であるべきではない。
また、トイレというものが好まれる理由の一つに体にフィットした狭さというものがある。猫はせまいところや箱、果ては鍋にまで入りたがる。ライオンやトラもそうらしい。
これは私の推測であるが、おそらく人間は狩猟民族時代の習慣が抜けきっていないのではないか。人間はひ弱な分脳が発達した。群れを作り、道具を使い文明を作った。
狩猟も複数で石槍などを使っていた。人間は捕食者でありながら生物それじたいの強さはとても弱かった。人間は隠れる必要があった。なるべく狭く密閉性のあるところに。
私たちは今でも何かと闘っている。そして疲れ果て、安らぎを欲した時、トイレにかけこむのだ。
私はここに言う。トイレとは日本国民及び全人類が家の中で最も念入りに作るべき場所である。文明の発達した現代だから言えることだ。
間違いなく半世紀前にはこのようなことは考えられなかっただろう。文明の発達に応じて考えるべきものもまた変わるのだ。
そして何より言いたいのは汲み取り式便所というものは早々になくすことである。昔トリックという映画で全国トイレ水洗化計画というのがあったがそれを安陪政権はただちに実行すべきだ。
インターネッツには、言及すると炎上必至な話題、地雷があるらしい。
そんなのネッツの外でもそうじゃないか。
上記のキーワードは、インターネッツの外でももれなく地雷である。
現実では避けれるのにインターネッツでなぜ踏んでしまうのかって話はまぁ色々理由があるだろうけど、別になんでもいいや。どうせ「世界中にオープンな場でー」とか「匿名性がー」とか。
今、俺が思うことは、子供っていいなってこと。
子供の頃(小学生とかその辺)って、クソほど他人の(大人の)地雷踏んできたと思うんだけど。
ほとんど、飛び石みたいに地雷を渡り歩く生活してたと思う、先生にデブとかブスとか臭いとか、「なんで結婚しないの?」とか言ったり。
母さんに「なんで父さんは毎日朝に帰ってくるの?」「なんで父さんは帰ってきたときだけいい匂いがするの?」って聞いたり。
友達の家遊びに行って、友達の親の目の前で「なんでおまえんちぼっとん便所なの?」 って聞いたり。
でも、全く反省することなかったし、そもそも地雷踏んだことに気づかないから反省するって概念すらないし、周りにできた大人がいなければ怒られることもない。
幽遊白書で、鴉の牢獄爆弾(プリズンボム)に囲まれた蔵馬状態。
あるのかないのかも定かではない地雷を、手探りで避けながら暮らす毎日。
このことを「空気を読む」と言う。