はてなキーワード: なっちゃんとは
先ほど増田にもどこかにあったが、ちょうど時を同じくして、そういったテレビ番組を見ていて目から鱗が落ちる事が多かった。
その番組では、告白などのシチュエーションを男性側がガチで考えてそれを発表し、女性陣がダメ出しをするものだが…。
いかに男の頭のなかが少年ジャンプで止まっているのかが如実に分かって面白かった。
自分もある程度把握している事もあるけども、それでも女性側が「ねーよ」っていうポイントって…10代の内にもうちょっと教育されても良い気がする。
創作を使って、勉強したものも多いけど、こういう馬鹿げた情報も自分では否定していても刷り込みされちまうもんだなと。
ちなみにその番組では男性が告白のセリフで「俺●●ちゃんの事、普通に好きになっちゃんだけどつきあってくれる?」というのはダメ出しされまくっていた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/20151214-OYT1T50013.html
貧困なのにタバコや酒を買う余裕があるのか?とか言われるけど、
例えば貧困だと旅行へ行く金がないから、そういう手近なコンビニで売ってる嗜好品で気持ちをリフレッシュするんだよ。
旅行へ行くような金があれば、そういう嗜好品に依存することも少ないだろう。あくまでもそういう傾向があるって話だからね。
余裕=金銭の余裕ではなく、知識を得る余裕なんだろうな
微妙に違うんだなー。
金銭の余裕がないから、知識を得る余裕なんてなくなるんだよ。逆に知識を得る余裕がなくなる源はなんだよ?
例えばネットで何か調べようとするじゃん?お金がないから低スペックな端末しか持ってないじゃん?
まあ貧乏暇無しというわけで、そういう風に消耗しちゃうから体のリソースも時間も余裕がなくなっちゃんだよねー。
わかったー?
なんだい?夜くらい俺の好きにさせておくれよ。
だって今日は1つもホッテントリが出ちゃいないじゃないか。それなのにまた酒なんか飲んで。
あーあ、どうしてこんな甲斐性なしと一緒になっちゃんたんだろうねえ。あんたもそろそろミニマリストのブログとかやってみたらどうなんだい。
うぐう。
まったく……。でもね、今日はちょっといいことがあったんだよ。私たちの馴れ初めが増田に投稿されていたんだ。ほら見てご覧よ。
馴れ初め?
なに言ってるんだい。ほら、あんたが命がけでkanoseの名前を伝えてくれたことだよ。私のブクマで生き返ったというのに。忘れたとは言わせないよ。
ああ、覚えてる覚えてる。
あのときは、もう心も増田も真っ暗だったんだけどさ。まさかあんたが生き返ってくれて、奇跡が起こったんだねえ。あの1000users超えは一生忘れないよ。
どうだったんだっけ?
ビックンビックン感じちまったんだよ。生き返った話だけにイキがよくってね。ああもう恥ずかしいってやかましいわ。
自分は、(あんまり質が良く無い)映画をあんまり見ない映画秘宝好きとして、版型の小さい頃から読んでいて面白い事を書く人がいるなぁ…と思っていたんだけど。いつからか、あんまり面白いと思えなくなってきて、何年も前から定期購読も止めてしまった。
た。自分も年を重ねたせいで、感性が合わなくなったのかも知れないけど。
そう言えば、宇多丸氏の映画評とかも興味無くなったなぁ…昔は聴いて「面白いなぁ…」とか思ってたんだけど。政治的に正しい事にあまりに自覚的過ぎて、そこに押し込めるような評価がイヤになっちゃんたんだよなぁ…質は高いんだろうけど。続けて聴きたいとは思わなくなった。
ここまで市民権を得るために相当な苦労があったんだ。
あの企画を持ち込んだのは直前にもヒット商品を誕生させたチームで、炭酸飲料の市民権再起が期待される一大企画だったんだ。
あの頃コンビニのドリンク棚から炭酸飲料がどんどんと消えていったろ?
健康食ブームは当然ドリンクコーナーの品揃えにも強く影響していたんだ。
炭酸飲料の市民権獲得、それはつまりこれからの炭酸飲料市場を牛耳ることとイコールとも考えられていたんだ。
炭酸飲料のジャンクなイメージを払拭するためには中途半端な戦略では絶対に成し得ないと皆が感じていた。
そうして選んだ手段は、全く新しいブランドを生み出すのではなく、海外ですでに成功しているブランドを高いライセンス料を払ってでも持ち込もうというもので、そうしてこのプロジェクトはまさに炭酸飲料の未来に社運をかける一大プロジェクトへと拡大していったんだ。
そのために多額のプロモーション費用をかけてメディア戦略を展開し、セールス開始と同時にすでに流行しているというイメージを植え付けようとしたんだ。
連日テレビではCMが流れ、様々なタイアップキャンペーンを実施、コンビニに高めのロイヤリティを設定することで店頭では常に目立つ位置をキープすることができた。
この頃は、まさにオランジーナを目にしない日なんてなかったんだ。
しかし発売当時は5%から8%への消費増税が叫ばれるまっただ中。
高いライセンス料をそのまま価格に反映させることは難しかった。
そうして選んだ手段は、内容量を減らしつつもボトルのデザインを変えることでそうした印象を与えなくする一方で、同時に高級路線に向けたの商品訴求への舵取りだった。
ここまで徹底した商品戦略によって、商品のヒットは間違いなしと思われていた。
ところがだ、問題は肝心の味にあった。
日本でオレンジジュースといえば、なっちゃんやぽんジュースを始めとする濃厚なみかん味が主流だったんだ。
熟したみかんのように酸味が少なく甘さが際立ったような味が好まれる中で、さわやかさを押し出そうとするあまりオランジーナは薄く味気がないような、それでいて苦味ばかりが目立つできそこないの味のように感じられてしまった。
一番のセールスポイントであるオレンジリキュールを思わせるような独特な香りが日本では芳香剤のイメージとして根強かったことも災いしてしまったんだ。
一度は手に取られるもののなかなかリピートが伸びず、連日の畳み掛けるようなプロモーションに反して業績は日々低下していく一方だった。
高いライセンス料と大量の販売ノルマに挟まれたサントリーに残された選択肢は一つ。
値下げによる多売しか道は残されていなかったんだ。
販売店舗へのロイヤリティはそのままに卸価格を大幅に下げることで店頭でのプロモーションには一層の拍車がかかった。
販売価格も下げられたことで消費者も手が伸ばしやすくなり、そうして今やっと、当初描いていた市場への浸透率を実現することができたんだ。
あまりにも当然過ぎることを一同が再認識する重要なきっかけとなったオランジーナ騒動は、こうして静かに幕を閉じるかに見えた。
大きく風穴を開けたオランジーナ損失を早急に埋め合わせる必要に迫られていたんだ。
ライセンスもとと幾度なく協議を重ね、新たなオリジナル商品が産声を上げることになった。
そうして再び満を持して登場したのが「レモンジーナ」というわけだが、市場ではもっぱら「カブトムシ味」との評判が高い。
サントリーは再び試練を迎えようとしているわけだ。
ちなみにここまで全て店頭に並ぶオランジーナの境遇の変遷から勝手に想像した裏付け一切なしの個人的妄想です。
わたしは飲料関係でも小売関係でもない単なるコンビニ利用客であり、企業や商品に対する損害を目的にしているつもりも一切ありません。
中学校にあがったとき、クラスに同じ小学校からきた子があまりいなかった。
入学してすぐ、座席は名簿順。仮名ではあるが、増田という名字の自分はクラスの後ろから二番目だった。
そして私の前は、西村さん(仮)という同じ小学校から上がってきた子だ。
西村さんとは、同じ小学校とはいっても、まともに会話をしたことがなかった。
6年生の頃同じクラスだったような気がするけど、今にして思えばそれもおぼろげだ。
私は小学生の頃、3,4年生のときに同じクラスだった子とずっと仲良くしていて、クラスが別々になった5,6年生の頃もその子達とばっかり遊んでいたからだ。
そして件の西村さんはいわゆる「いじめられっ子」だった。ような気がする。
多分、アトピーだったんだと思う。肌が荒れていて、膿んでいることもあり、多くの人達は西村さんを避けていた。
遠巻きに、ヒソヒソと「臭い」とか「気持ち悪い」とか、「あいつの頭、シラミいるぜ!」とかいってる男子もいた。
だから西村さんは、いつもオドオドしてビクビクして、決して自分から誰かに話しかけようとしなかった。
ペアを組む時だって絶対さいごひとりであぶれてた。
殴ったり蹴ったり、そういう肉体的ないじめはなかったけど、あれは確かにいじめだったと今にして思う。
私は西村さんとほとんど喋ったことがなかったけど、それは西村さんに限ったことじゃなく、あの6年生のクラス内では半分くらい喋ったことがない人がいたように思う。
それは多分、すでにできあがっていた友人関係に割って入るのが面倒くさかったからだ。
中学校1年生のそのクラスに、気心の知れた相手はひとりも居なかった。
3校程度の小学校から集まっているので、クラスの3分の1は同じ小学校から上がってきているはずなのだが、仲がよかった相手とはクラスが別れていた。
そんな中で唯一同じ小学校の同じ6年生のクラス出身だった西村さん。
違う小学校から上がってきたひとたちとイチからがんばって仲良くなってお友達がんがん作るぞ!というのはどうにも面倒くさくて、だから始業式の日に、西村さんに「また同じクラスになったね〜」と気安く声をかけた。
その時、ものすごいびっくりした顔をされたことを覚えている。
そりゃあ今までまともに話したことない相手から、そんなふうに話しかけられたら私だってびっくりすると思う。
でも当時、本当に面倒くさかったんだよ。「はじめまして!」からはじめるのが。
出席番号が後ろの方だから座席も窓際だから、教室のハジに追いやられてて、その場所から教室のなかほどに突入していくのも面倒だったし。
というわけで私は西村さんに物凄く気安く声をかけた。席順のおかげで班も一緒だったし。
私は母親が地域のママさんバレーをやっていたこともあって、中学校ではバレー部に入ろうと思ってた。
でもクラスの皆さんが「部活何はいる?」「私バスケ!」「えー、バドミントン部行こうよ〜」なんてワイワイキャッキャしてるのを横目に、ひとりでサッとバレー部に入りに行くのもなんとなく癪だった。
友達を作るのが面倒くさいなんていいつつ、私も友達とキャッキャしていたかったんだろうね、本当は。
その頃には私の後ろの座席の三田さん(仮)とも同じ班だから仲良くなってたけど、彼女は若干不良じみていて、部活なんか入んねーし、と言っていた。
西村さんに「部活きめた?」と聞くと、まだちょっとオドオドが抜けないものの「決めてない」と言う。
私はそんな西村さんを「じゃあ一緒にバレー部入ろうよ!」と言って、物凄く強引に一緒にバレー部に入部した。
運動神経があまり良くないことも、だからあまり運動好きじゃなさそうなのも知ってたけど、とにかく私はひとりでバレー部に入るのが嫌で、西村さんを道連れにした。
大人しい性格の西村さんは私に逆らうこともできず、嫌ともいえず、それでも「でも……」と言うから、「じゃあ仮入部でいいじゃん。とにかく一緒にいこうよ、一緒に部活やりたいよ」とズルいことを言ったのを覚えている。
あなたと一緒に部活をやりたい、という言葉は、小学生の頃ずっと独りぼっちだった西村さんにとって、どんな威力を持っていたんだろう。
とにかく西村さんは私に引きずられるようにバレー部に入って、結局3年生になって引退するまでずっとやめないでいた。
私たちの学年でバレー部に入ったのが、私と西村さんを含めて4人だけだったから、結束が強かったのも理由のひとつかも知れない。
私は西村さんのことを、1年生の5月くらいから「西村さん」ではなく下の名前をとって「なっちゃん」と呼ぶようになった。西村さん、と呼ぶのが面倒くさかったからだ。
西村さん改めなっちゃんは、徐々に性格が明るくなっていった。部活中に顧問に怒られたりすると、やっぱりオドオドした態度になるけど、そうじゃない限りはよく笑うし、冗談も言う。
小学生の頃にすごく汚かったような気がする肌も、そういえば中学生になってから(というか私が一方的に馴れ馴れしく話しかけた頃から?)気にならなかった。
授業中にくだらない手紙をまわしたり、同じ班の男子も含めて遊びにいったりした。
多分それらは全部、なっちゃんが小学生の頃にはやったことのないことだったんじゃないかと思う。
なっちゃんとは2年生でクラスが別れて、でも3年生でまた同じクラスになった。
高校は別の所に行ったけど、高校1年生の終わり頃、中学校のバレー部、後輩達の最後の試合(3年生は7月頃の大会が終ったら引退するけど、その後3月にある「3年生さよなら大会」的なものに出るのがならわしだった)に応援に行っては一緒になって後輩達を応援してハシャいだりしてた。
結局なっちゃんは、高校2年生の頃に病気をして1年休学し、ひとつ下の子達と同級生になったらしい。
けど、その頃すでにすっかり明るくなってたなっちゃんは、そんな境遇もまったく気にしてないようだった。
その時彼女は、幼稚園か保育園の先生になるんだ、といって専門学校に行っていると言っていた。
そんなふうにしてお互い近況を話しあって、「元気でよかったよ〜」「またね〜」なんて言い合って別れたのだけど、結局なっちゃんに会ったのはそれが最後だ。
それから数年後、なっちゃんは引っ越したらしい。だから地元で行われた成人式になっちゃんは来ていなかった。
中学校1年生の頃から成人するまで、私はたいして深くなっちゃんのことを考えたことがなかった。
最近、年をとったせいだろうか、昔仲良かったあの子は元気かな、と思うことがたまにある。
それは小学生の頃仲良かった子達であったり、中学生の頃一緒に部活に打ち込んだ仲間であったり。
そうやって思い出してみた時、小学生の頃、あんなにオドオドしてビクつきながら過ごしていた西村さんが、まるで人が変わったように明るくなったことにようやく気付いた。
まるで別人みたいだよねって。
私は別にいじめられてた彼女を可哀想に思ったから構いにいった訳じゃない。
ただただ、知らない人達の輪に入っていくのがひたすら面倒くさくて、ちょっとでも楽な手段で、それなりに楽しく過ごしたかっただけだ。
そんな自分本位な考えと行動だったけど、もしかしたらそれが彼女の人生を変えたのかもしれない。と、そんなことをふと考えた。
http://anond.hatelabo.jp/20121204195754
創竜伝は優秀なSF(サヨク・フィクション)俺TUEEE小説なので……
創竜伝好きな人で、サヨク描写イラネな人とか、大人になってどうも創竜伝が読めなくなった人とか、そういう人に魔法科を一度読んでもらいたい。
右左が逆なだけで骨子は結構似てると思う。作者の政治思想をちょくちょく味方キャラが代弁するとか。
竜堂兄弟は反体制ヒーロー。シバさんは体制側だけど規格外ヒーローかな。
ヒロインは創竜伝より充実している。というか創竜伝、まつりちゃんはヒロインなのか?
代理カーチャンな気がしないでもない。まつりちゃん好きな人は会長かなあ。
ただ劣等生は活動範囲が狭いので創竜伝ほどの大スペクタクル展開はいまのところ無い。
ほんとは俺TUEEEEじゃなくて敵YOEEEなのかもしれない。
総選挙始まるけど、ぶっちゃけよくわからない。まだ選挙権持ってないし、投票に行くと日本はよくなるのだろうか。
俺の爺ちゃんは町の電気屋さんやってる。
小さい店だけど、CDとかLDとか売って仕事帰りのオタクのお客さんと世間話とかして、テレビを配達したりしながら孫の俺の面倒見てくれた。10ウン年前までは。
今はオタクのお客さんはほとんど店にこない。パソコンとケータイあるし。そもそも時間がない。昔は6、7時あたりには民間も仕事が終わってて店による時間があった。今はそんな時間ない。テレビもブラウン管の小っちぇーやつでも10ウン年前までは20万円くらいした。今20万円払ったら結構画面デカくて画質もハイビジョンなやつ買えちゃうでしょ。
安くしてたくさん売ればいい、って考えがおかしいのはゆとりでもわかる。人口減っているんだから。外国に売ればいい、って考えがおかしいのもわかる。外国に技術教えちゃっているんだから、日本が売れるはずがない。
爺ちゃんも歳とったから、配達行くのも大変みたいだけど、それより何より毎日仕事のことを考えるようになった。どこに売ろうとか、見積もり書かなきゃとか、そんなんばっかり。働いても働いてもお金がない。余裕もない。
そんな中で俺はぶっちゃけて楽して暮らしてきたと思う。
今この記事読んでるゆとり世代のヤツらはそう思うだろうか?
学校通ってるとかコンビニ行けば食いもんあるとか漫画アニメとかカラオケとか、そういう面で満たされているんだろう。多分。昔と比べれば。
でもこれから先生きていって、今より生活がよくなるなんて到底、心の底から、思えない。
仕事したらそんなん全部できなくなるでしょ。頭のいい人は頭のいい方法で金稼ぐかもしれないけど、俺は人より頭よくないし、要領も悪い。
だから高校卒業したら大学行って教員目指すことにしたんだよ。他の仕事よりは楽そうじゃん。悪いことしない限りクビならないし。
俺に教えられる生徒は可哀想だけど、仕方ない。
みんなそうだろ。派遣とか契約の人は日本をよくしよう!って思って働いているの?正社員でも公務員でも政治家でもそうだけど、弱いものを助けよう、っていつも思っているの?
テレビでもネットでも新聞でも、自分のことしか考えていないヤツは当然叩かれてる。でもそんなのテレビとかネットとか新聞の中でだけじゃん。
本当にみんなのことを考えて生きている人間はいるのだろうか。
言葉数が多いヤツ程信用できない、ってのはわかる。でも、何も言わず、他人のために生きよう、なんて思っている人は、いたとしても、レッドリストに載るくらいしか日本にはいないんじゃないか。
範囲が広すぎる。
じゃあ、ゆとり世代でこれから日本をよくするにはどうすればいいか、わかるヤツいる?
そんなんゆとりじゃなくてもわかるわけないじゃん。
コンビニやカラオケでバイトして、漫画とかアニメニコニコにうpしてれば楽しく暮らしているゆとりにわかるわけないじゃん。
今の時代はモノが有りすぎるからダメ、という話はよく聞く。逆に言えばモノが何にもなかったら何でもアリになる。モノがないならああしたい、こうしたい、って思って何かやろうって気になるんだろうか。
モノはどこにでもあるんだけど、それは全て俺のものではない。触れて、感じて、遊ぶことはできるけど、それは俺のモノではない。
今、中国とか東南アジアとかから出稼ぎに来てる人がいて、日本人がやりたがらない仕事をしているけど、50年後、俺が爺さんになった時には日本人がその仕事をしていると思う。外国人の金持ちが日本を動かしていて、日本人の頭がカラッポのおいぼれなんか、誰も見ようとしないだろう。
あのジジイども、昔ゆとり教育とか受けてバカになっちゃんたんだぜ。
俺は老人ホームで外国人が、偉そうに、とか言いながら一人で死んでいく。老人ホームに日本人のジジイババアはたくさんいるけど、最期は一人だ。きっと。
最近、爺ちゃんの手伝いを始めた。時給千円。
テレビとか冷蔵庫とかクーラーとか、重いもの運ぶ時に手伝ってる。ぶっちゃけ役立たずだ。力は爺ちゃんの方があるし、俺は電化製品の知識なんてない。
爺ちゃんは助かるよ、とかありがとう、とかすごく俺に感謝してくれているけど、それはきっと俺が爺ちゃんの孫だからだろう。社会に出たら、給料貰えないレベル。
俺が今思うのは、これからは爺ちゃんに楽して長生きしてほしい、ということだ。爺ちゃん、海のぬし釣り、まだ伝説の魚釣っていないだろ。一緒にやろうぜ。
爺ちゃんに長生きしてほしい。そして、俺は長生きしたくない。
自分の目で観てないものがいっぱい入ってきちゃうから、うわー。ってなっちゃんうんだよ
机いっぱいに広がるホームワークみたいな感じ、うわーって。
それはネットだけで起こるものなんじゃないんだろうけどさ
一日の大半を自分の目で観て家帰ってテレビつけたら地球の裏側で人がいっぱい死んでたりして
視野が狭いニンゲンは馬鹿だと思うけど自分がそうなれたら楽しいと思う
色々見えちゃったら処理できなくなっちゃってのうみそ爆発しそう
でさ、淡々と事実だけが流れこんじゃうものだから、全然過程とか無しで
感覚が使えてないわけで。
何だか成長ホルモンの材料の一つであるアルギニンを摂取して成長ホルモンの分泌を促すんじゃなくて
もうそのまま成長ホルモンぶち込むみたいな
で、感覚使いたくなって。女とか捕まえてきて
「わかーるわかる君の気持ち」とか言っちゃうわけよ
でさ服脱がして胸揉んでマンコに指突っ込んで舐める、女が声をあげるヘヤにすっぱい匂い