はてなキーワード: 開陳とは
インターネットにたくさんいる、要約を大量に知ってる人だ
誰かの受け売りを開陳する形でいろんなもんに首を突っ込めるけど、いざ反応されて少し踏み込んだ話になると的外れだったりしどろもどろになる人達だ
アークナイツ、2部になってシナリオが面白くない、ロドスとロンディニウム自救軍の行動がひたすらに不快で、ずっと「何でこいつらさっさと死なないんだろう。プレイアブルを殺せないのはともかく、クロヴィチアとかステインレスの婆さんくらいさくっと殺せよ」って思ってた。今日ふと、あいつらのやってることって、意識だけが無駄に高くていろんな問題に頭突っ込んで的はずれな理想論を開陳するけど、自分達以外には理解されず、今ある問題を解決する能力もまるでない日本のリベラルとそっくりだと言うことに気がついて全て腑に落ちた。
思い返せば一部でも感染者問題の解決と言う理想論をかかげながら、ウェイの手駒になって感染者掃討に従事してたし、イベントでは大抵手遅れになってから現地入りして、暴徒化した感染者をボコってるし、言ってることとやってることがチグハグなんだよ。少数の思想エリートに率いられた思考停止集団が、人権人権とまくしたてるのに、他者には自由な意思を持つ権利すら認めず、意見が異なるものは集団でネットリンチする日本リベラルとそっくり。
2部になってからは製薬会社の本業をそっちのけで重役総出かつ個別行動でロンディニウムのサルカズに殴りかかって返り討ちに合ってるし。掲げる理想に能力が追いついてないし追いつけることもないので、余計なことには手を出さず、自分達の理想の世界に引きこもって純金でも作りながら慎ましく生きれてればいいのに。
相変わらずゲームとしては面白いけど、今後はストーリーを読むことはないかな。理想論だけは立派だけど、実力が全く伴わない馬鹿のお話なんかリアルだけで十分だわ。
「ちはやふる」を載せてた雑誌は「BE・LOVE」だよ。少女漫画誌じゃなくて、レディースコミック誌。
BE・LOVE - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/BE%E3%83%BBLOVE
1979年9月に発行された『週刊ヤングレディ増刊 漫画特集BE・LOVE』が前身。1980年10月、月刊漫画雑誌として創刊。1982年5月、月2回刊となるが、2019年現在は月刊に戻っている。一時、誌名も『BE in LOVE』(ビー・ラブ)だったが、後に現在の『BE・LOVE』へ。大人の女性を対象とする作品を掲載しており、講談社は2006年時点で30代・40代女性の読者が多いと謳っており、2020年現在の読者は40代・50代女性が中心となっている。
あとは、よくある間違いで「のだめカンタービレ」を載せてたのは「Kiss」。これもレディースコミック誌。
Kiss (雑誌) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/Kiss_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)
本誌は「読むと恋をする」をキャッチフレーズとしており、恋愛漫画を中心に大人女性の王道を目指すという編集方針が掲げられている。掲載作品には、仕事や恋愛について、働く女性の「リアル」と「本音」を描いた作品が多く、20代から30代の女性をメインターゲットとしつつ、それ以上の年代の女性にも親しまれている。
「ちはやふるっていう少女漫画」っていうのは「攻殻機動隊(ヤングマガジン別冊掲載)って少年漫画」っていうのと同じぐらいヘンだよ。
なんで男性は女性向けまんがっていうと少女漫画に括りたがるの? 元増田だけじゃなく、トラバもブコメもだよ多すぎね? 女性=少女なの? それ(以下略)。
対象の読者層もジャンルの傾向もわからずにお気持ちを開陳するのは、エロいまんがはけしからんっていうのと同レベルだと思うわ。
1巻はべらぼうに素晴らしかったが老いた荒木飛呂彦のことだからそろそろダレるに違いないと警戒して読んでみるとこれがなかなか悪くなかった。ドラゴナのダメージは早期退場のあり得るタイミングだったため一瞬ヒヤリとさせられたし、ファンファンファン戦のようにリズムのためだけに置かれた捨て戦かと思いきや「こいつを仲間にしよう」ときたのは正直虚をつかれた。それを言い出したのがパコだというのも良い。露伴の別荘ではほとんど無能だったが一転年長者の存在感を示している。腕時計が一見無関係のつながりを辿って溶岩の持ち主のところへ戻る、という仕掛けは前作や最近の掌編でもみられる荒木飛呂彦の関心でこれを掘り進めようとする意図がしっかり見えて良い。溶岩は石仮面や岩生物の一種で、その超常的に思える生態と出自の両面に荒木飛呂彦の目は向けられていたようで、興味をそそられる。スタンドは相変わらずすべて非人間型で、今のところは一話で開陳した方針がまだ行き届いていることを感じる。
言ってることがおかしいなら堂々と意見を開陳させたうえで論難しないとあかんでしょ。
俺ならそうする。てかそうしてきた。
俺の気に入らん論調は論を立ててぶっちめてきた。
要するにだけど
左翼のおっちゃんたちって平らなリングでの議論や勝負に自信ないんだろ?
左翼って頭良くて議論好きっていう世間的イメージがあったから俺もしばらく混乱してたけど
少なくともいまの左翼風味のおっちゃんたちってことごとく頭悪くて無能なんだよね。
場外戦反則攻撃みたいなやり方で相手を勝負外に葬り去ることばかり欲してる。
リングで堂々の勝負で自分が相手を打ち倒すっていうイメージを全く持ってない。
趣味探しの件だが、アウトプット系はやめることにした。理由は愚かさを開陳するだけだから。
ブログもダメ、絵を書いて公開するのもダメ、ギターを弾いて公開するのもダメ。
だから以前考察したように、映画・ゲーム・コミックのスケジュールを組むのが良いかもしれない。
ヤングシェルドンはアマプラで見れる分はほとんど見た。次はスタートレックを見ようと思っている。
あと読書は暇つぶしにいいと思うのだが、特にコミックは集中して見れそうな気がしているので、X-MENあたりを購入しようと思う。
オンラインゲームについては現在は保留である。というのも、FF14などはGPUが必要なので、PCを新たに購入するとなると出費がしんどいから。
ただ、EsportsとしてDota2というゲームがUbuntuでもできるようなので、チャレンジしてみるのも良いかもしれない。
なお、スマホからブラウザとSNSを全消ししてかなり精神に落ち着きを取り戻した。
2時間拡大、テム・レイ特集『テム・レイの失敗! 富野由悠季がガンダムを作れた理由』
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43625922
セリフと演出から読み解く機動戦士ガンダム解説シリーズは好きだったんだけど
なんでダメなのかははっきりしている
評論ってのは、どこかに自分の「こう思う」が入ってしまうものだ
それはしょうがない
取っ掛かりは「これってこういうことなのでは?」みたいな思いから入るはずだから
けれど、評論としてきちんと仕上げるには
その「思い」を裏に隠して、裏取りした事実によって語らなければならない
そうしなければ、語ってる言葉は、並べてる理由は、それこそただの理屈になってしまう
視聴者に「理屈」と思わせた時点で、評論としては失敗していると思うんだ
これまでも思いはにじみ出ていたが、それでも表現からの話にしようとする努力が見えた
それが全部完全無欠に放棄された
「語りたい」って姿勢が前に出過ぎてる
「この表現から読み解けるのは」ではなくて「ボクはこう思う何故なら」と話してしまう
オタクをやっているとこういう人によく遭遇する
なんなら、界隈でもチヤホヤされて、それが定説、みたいになったりする
有名どころとしては、ゼロ年代、動物化するポストモダンがある
なろうでも語る人が多い
こんな作品が受けるのは○○に違いない
こんな作品を作るのは××に違いない
思いが優先しているから、これまでにない程に決めつけと否定が多い
もうね、ダメなんだよ
イライラすんの
CDの歌詞カードで行われるロキノン的な決めつけも、美術評論家の勝手な語りも何様だよとか思うんだよ
もちろん様式美として受け入れる人もいるんだろうが
お前のものじゃねぇんだよって思うんさ
楽しみにしてだけにすんごい残念になった
そんな与太話
まず俺の仕事について開陳すると、フルリモートで自社開発をしている
求められる結果さえ出せばサボり放題なので今日は仕事をサボってる
PHEVをEVにカウントしているのを知らない人が多くて驚いた
件の記事にあるように、基本的にプラグインかどうかでEVかどうかを判定している
PHEVの場合はEV走行距離が一定以上(ヨーロッパはたいていは50km以上)可能なことも必要になる
(趣味性の高い車の中にはプラグイン可能だけどEV走行距離は50kmに満たないものもある)
なんでプラグインかどうかがEVの分かれ目になるかっていえば、そりゃあ充電インフラ整備するため
物価上昇と賃金上昇の関係で、賃金上がってから物価上げろみたいな意見を開陳する人いるけど無理だよね
どちらか一方じゃなく、どっちも少しずつ上っていくのが理想でしょう
EV普及率と充電インフラ(さらに言えば発電の二酸化炭素排出量)も同じで、充電インフラだけどかんと整備してからEV普及率上げるってのは現実的ではない
プラグインを増やしながら充電インフラも一歩一歩整備していくって流れになっている
PHEVをEVに含めるのも、世界のEV推しも日本のハイブリッド潰しじゃないよ