はてなキーワード: 謙譲語とは
メディアへの露出も多く、仮想通貨ブロガーの看板的な扱いを受けることも多いseiya氏。
しかし、氏のブログの記事を見ていると、その文章力には疑問を覚える。
https://seiyablog.com/crypto-blog
この記事などは特に奇妙な言い回し(不自然な読点や脈絡のない結語など)がほぼ全文に渡って見受けられる。
「本当はもっと紹介したい方がいらっしゃりますので、随時更新します。」はブログ記事としては不自然極まりない謙譲語だし、締めの「すでに有名な方だと紹介するまでもないので、もっと読まれるべき記事を書いてる方をピックアップしていきたいですね。」と言う文章も、必要のない倒置法と冗長な言い回しによって意図が伝わりづらいものになっている。
必要のない謙譲語を使う割には『い抜き言葉』とそうでないものが混在していると言うチグハグさも目立つ。
氏はTwitter上で『馬事雑言』と言う謎の四字熟語を使ったりするなど、根本的に日本語に対しての理解が浅いとしか思えないのだが、氏のブログがGoogle検索の上位に表示されやすいのも事実。
『あえて杜撰な文章で記事を書き上げることにより違和感を与えて滞在時間を伸ばす』と言う新手のSEO対策である可能性も否定は出来ない。
もしくは、『氏の文章に違和感を覚えない層』でセグメントを切ることにより、アフィリエイトのCVRを底上げしているのかも知れない。
日本語の読解力が低い層の方が、ギャンブル的な投資に魅力を感じやすい気はする。
真偽はともあれ、Twitter上で度々読書の重要性を訴えているからには、真っ当な日本語も書けると言うところを見せて欲しいものである。
「私」の謙譲語で「小職」とか「小生」というものがある。社会人ならこれらの一人称を使ったメールを受け取ったことは一度や二度ではないのではないだろうか。もしかしたら自ら使っている人もいるかもしれない。しかし、これらはよくよく考えて使う必要がある謙譲語である。
三省堂 大辞林によると、「小職」については「官職についている人が自分をへりくだっていう語」、「小生」については「手紙文などで,男子が自分をへりくだっていう語」とある(weblio辞書)。また、デジタル大辞泉では「小生」について「[補説]ふつう、自分と同等か、目下の人に対して使うものとされる」ともある(goo辞書)。「小職」についてはこのような記述は見当たらなかったが、このような言葉が成立した頃は官職というのは民間からすれば圧倒的な存在であったので、いずれにしても社会的な位が極めて高い人が使う言葉である。
つまるところ、これらは「自分の職位がとても高いのだけど、(だからこそ)へりくだってやる」または「自分は大変な人格者なのだけど、(だからこそ)へりくだってやる」という意味が含まれている。
これを踏まえると、たとえば、組織や部署の長が「小職の意見は○○ですが、皆さん(部下)の意見も聞かせてください」というような使い方は適切である。一方、部下が上司に「小職の意見を申し上げます」とか、審査を受ける側が審査をする側に対して「書類に不備がありましたら小職にご連絡ください」などというのは不適切である。同様に、社長が社内報で「小生の生い立ちから現在までを綴る」のは適切だが、受注者が発注者に対して「小生含め二名でお伺いします」というのは不適切である。
この手の一人称を学生時代から使っている人は滅多にいないだろうから、大体偉い人から回ってきたメールとかで使われているのを真似して使い出すようになるのだろうが、よく知らないで使っている人はよくよく考えて使った方が良い。
まぁでも、若くして偉い人の言い回しを真似るようなタイプの人っていうのはそれでもって偉くなった気になりたいような人が多いので、心情を込めるという敬語表現の存在意義からすれば、あながち誤用とも言い切れないのかもしれない。
(自らの悲哀に満ちた立場をネタにしたTwitterアカウントを運営している官僚がおそらく正しい意味合いを知りながら意図的に使っている例が散見されるが、これについては非常にウイットに富んだ使い方といえよう。)
「前(まえ)を向く」は間違いで、「先へ向く」が正しい。
「まえ」は謙譲語で「さき」が尊敬語だ。だから、「まえ」は自分のfrontのことで、「さき」がforwardである。
たとえ漢字では「前」と書いてあったとしても、それを「まえ」と読むのか「さき」と読むのか、和語では「まえ」と「さき」はまるで正反対のことばだ。
どっかのアベベだかなんかが、「『そもそも』には『基本的に』という意味もあると書いてある辞書がある」とか言ってたらしいが、辞書に書いてあることが正しいという保証は一切ない。むしろ教科書や辞書は間違えだらけだ。本当に和語や漢語を扱いこなせる天才は、いまでは殆ど実在しないので、そういう稀な天才が編纂したものに出逢えなければならぬ。
そもそも、「『そもそも』には『基本的に』という意味もある」という答弁自体が未就学児童の言い訳並であって、つまり、問題の所在がズレている。
こういう論点外しを許してしまうような質問をする方も失敗だ。裁判官ならばまだ、論点外しの答弁をわざとやった奴は信用に足りぬと認識する。しかし、国会とかの答弁を見聞きしている人間いわゆる国民に、裁判官のような知能があると期待していたとしたら、大間違いだ。民主党(民進党)の面々は往々にして、アマ過ぎる。
だから、卑怯な連中に出し抜かれたんだ。同じように、ヒラリーが勝てなかったのも、正しいことをしたからだ。邪悪な奴の卑怯なやり口には、正しさも善さも脆弱で、出し抜かれてしまう。そうして、プーチンが出し抜いて世界を支配しているのが現状で、プーチンの狙い通りにドナルドとシンゾーが転がされている。
よくサービス業では、お客さんに対し、
「申し訳ありません、本日◯◯(人の名前)はお休みを頂いております」
なんて言い方が使われる。
でも、どこかで以前
「休みは客から貰うものではなく会社から貰うものなのだから、休みは『頂く』ものじゃなくて『取る』ものだろう」
と聞いて、それ以来自分がこの旨の発言をするときは「◯◯は休みを取っている」と言うようにしている。
ただ、その会社は客からのお金で成り立っているわけで、巡り巡って休みは客から『頂いている』と言っても間違いではないような気もする。
何より周囲は「頂く」派が多数で、「取る」とか言うと「お前謙譲語も知らんのか」とか言われそう……
果たして、休みは「取る」ものなのか「頂く」ものなのか、どっちなんだろう?
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http://anond.hatelabo.jp/20141128102439
jsとIPの方の調査がお見事だったので、便乗して自分がテキスト読み込んで気になった点を。
結論から言うとこのテキストは政治家もしくはその身内が書いたものだと8割くらい確信してる。
日本は、技術者、研究者、経営者は世界のトップレベルだと感じますが、政治家はそれらに比べてひどく質が落ちるという感じは否めません。
記者質問の場で人目を憚らず号泣したり、大臣でもあった有名女性2世議員の政治資金をめぐる対応を見ても、その質の低さを痛感いたします。
ここの結び。
これって、書き手が政治家自身じゃないと筋が通らない文章構造なわけ。
あと、「痛感」って自分の身が痛いってこと=反省しているときによく使う言葉、だよね。
つまり
を直訳風に書き直すと
「自分は、身内の質が低いことについて、あなたに対し反省し恥じています」
「政治家である自分は、同族である政治家の質が低いことについて、あるじたる国民のあなたに対し反省し恥じています」
となる文なわけ。
謙譲語って「身分の低いわたし」から「身分の高いあなた」つまり書き手と読者が別集団に属する場合に使用する言葉で、「国民が国民に呼びかける」って文の建付けと、真っ向から対立しちゃう。主語を意図的に省略した文を書いたのに、いつもの「有権者様に対してへりくだる癖」が出たとしか。職業病だね。「政治家カテゴリ」に野々村議員も小渕議員も筆者も含まれる&議員は常に客体である国民より下の身分というタテマエが刷り込まれているため、こういう書き方になる。これも主語サイズ問題の一種。
納得出来ない人は逆のケースを、もうちょっと一般的に考えてみよう。
あなたが同僚に対し、買ってきたケーキがまずかった話をするときどう言うだろう。
「ケーキの質が低いです」または「ケーキの質の低さが際立ちます」くらい?
「ケーキの質の低さを痛感いたします」とはまず言わないでしょ。
じゃあケーキ店オーナーが、実食した自店舗のケーキがまずかったことを客に詫びなければならない時は?
半信半疑だった自分が「あ、これ決定的にあかんやつかも」と判断した最大のポイントはそういうこと。
2カ所目は
誰に入れていいかわからないのは、政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っているということの表れでもあります。
弱いけど、「痛感いたします」を踏まえた目で見ると傍証として。
「政治家が政治への関心を持ってもらおうとする努力を怠っている」という言い方は、やはりあまりに書き手が政治家側に寄りすぎている。「もらおう」謙譲語、「努力を怠っている」わがこととして反省しすぎ。
一般人が書くなら
「政治家が政治への関心を呼び起こそうとしなかった怠慢の表れ」
くらい?
上記2つの論点以外の+1としては、全体に「てにをは」が滅裂&説明不足の慣用句多すぎという、文章の素人っぷり。
これは、自己主張やアピールによって、政治的リーダーになることが原則の民主主義においては 、「能ある鷹は爪を隠す」「沈黙は金」といった風潮の我が国では 、どうしても優秀な人材が後ろに控えてしまう傾向があります。
↑「は」何回使うねん。
そんな慣用句知らん。カーライルは「この国民にしてこの政府あり」と書いたけど。渡辺美智雄は言い間違えて「この国民にしてこの議員」って言ったんだって?
(ちなみにこういう言い間違いは、ネット探偵の重要な手がかりだったりする)
グローバル化する世界で 、国家間のせめぎ合いが増してゆくなかで 、国内外において、外交、経済にとどまらずあらゆる分野において優秀な政治家の必要性は、ますます高まってきています。
↑「で」何回使うねん。
あと「国内外において、外交、経済」は「国内外において」が不要だし、「代々の政治家系の世襲議員」とか重複表現が多すぎる。
これテキストをちゃんとしたライターが書いてたら、絶対にリテイク食らうレベル。
つまりそれがないってことは、書いたのはずいぶんと偉いひとっつーかクライアントの直筆なんじゃねーの、という(サイトの社長直筆テキストとかにありがち)。+1のこっちはこじつけ感もあるけど。
面白い話だな。
キレたのもキレられたのも経験あり。
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自分は36だけど
その話聞いててそれくらいでキレる?って思った。
まあ表情とか日頃の関係とかで変わるとは思うけどね。
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個人的には先輩後輩とか、あと年で目上目下って縦社会原理主義って好きじゃねーんだよな。
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終身雇用制もなくなって年上が後輩年下が先輩とかもあるわけじゃん?
あと年上だから結果を出せるとも限らんし、結果を出した人間が次も結果を出せるとも限らない。
あ、念の為に言っておくと年下だから結果を出せるとは言ってないよ。経験がモノを言うこともあるしね。
そういう身分的なものを作っちゃうと、図に乗るし、図に乗って下の意見は聞かない、もしくは意見を言うなどけしからん、とかその組織にとっても害悪なんだよな。
昔ならターゲットも現代みたいに複雑じゃなかったし終身雇用っていう信頼できる背景があった。しかし今はないし違う。
合ってないんだよ。
どっちが上下っていうのが仕事上必要なら年齢じゃなくて役職で決めればいい。
それでも奴隷じゃないんだから上なら何言ってもいい下なら何言ってもいいなんてのはナシ。もちろん年齢の上下でも。
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だから敬語に関しても「丁寧語」だけ残って、尊敬語謙譲語はなくなっていいと思う。
言いたい人は言えばいいけど、強制や押し付けはやめろと思う。
「丁寧語」を残した方がいいと思うのは、初対面では丁寧語を使うのがいいと思うから。
でも「丁寧語」ですら100年200年って経てばいらなくなるかもしれない。
すごくわかる。共感する。
私は十代前半で英語圏の国に移住して、その後ずっとその国に住んでいる。
英語は第二言語で基礎から学んだので文法も大抵は説明できる(と思う)し、問題なく働いている。
日本語はもちろん忘れていないし、読み書きもできるしおそらく普通に問題なく働くぐらいの日本語能力はあるんだけど、敬語や尊敬語や謙譲語やらは、「不自然かどうか」以外の判断ができない。そして、英語で学んだこと(大学の専攻で学んだ専門的な事など)は日本語でなんと言うのかわからないことがよくある。
英語も日本語もなまじ発音がそれなりにできるもんだから、人にはわかってもらえない。
時々「通訳してくれ」と頼まれることがあるけど、この欠点があるから、極力断るようにしている。
言語に関係なく、言葉を正確に(もしくは表現豊かに)話す能力と、どの言語を話すかは、全く別の問題だよね。日本語を話す人全てが川端康成並みの文章を書けるわけではないし、同様に、英語を話す人全てがシェイクスピア並みの文を書けるわけでもない。