はてなキーワード: 国土とは
私マウスの旅してるって話ししたっけ?
エルゴノミックのやつでマイクロソフトのおっぱいみたいな丸いマウスが廃番になってそれから困ってマウスの旅に出掛けたまんまのー
おかえり!そしてただいま!を言っていなかったような気がするのよ。
ちなみにおはようからおやすみまでは、
そんでその
私のマウスの旅は終わったわ。
とうの昔にね。
高いけど、
その安い版のジェネリック他社のマウスエルゴノミックのやつ3000円弱のを好んで使っていて安っー!っつって喜んでいたんだけど、
弾かれて回した方向と逆にスクロールしたり上下にぷるぷると交互にスクロールし始めたりと、
部品の耐久性の弱さの証明を3台ぐらいこの3000円のマウスを買ってみて、
その都度その都度買い直しまくりまくりすてぃーだとなんだかアホらしいことに気付いちゃった山脈に向かってヤッホー!って叫んだんだけど。
それなら大奮発して
清水の舞台から飛び降りて実際に死んだ人はいないって伝説の境内にあるあの重い2トンあるでお馴染みのゼットソードを持ち上げに行こうと京都寄った際に行ったけど、
もうさー!
そんでもう大奮発して清水の寺からデラックスに飛び降りて美味しいランチでも食べようと近所を散策してみようと思ったけど、
やっぱり京都市の中のメジャーな観光地は人がパンパンであんまりオススメ出来ないわ!
でも一瞬だけ一瞬だけ
あのまんが日本昔話の絵に出てくるようなオープニングの龍が書いてある私もそれ再放送でしか見たことないんだけど、
そのお寺のその絵の書いた下に行くことが1回だけ出来て、
まるで龍がガオー!って鳴くような反響の音がして、
それができたので、
本当にガオー!って鳴ったから凄かったわよ!
そんで何の話しだっけ?
マウスの話しのただいまお帰りの話しで、
おはようからおやすみまでを見つめるのはライオンで、
私はちょっと大奮発して清水のお寺からデラックスに飛び降りたけれど未だかつてそこで舞台から飛び降りたとて
死んだ人はいないって伝説を叶えるための手に持ちやすいマウスを探していたって、
えいや!って大奮発して買ったの。
結構もう使い込んでいるけれど、
なるー!
ちなみになるー!って言うのはなるほどー!のことで、
今だけにしか言えないなるー!なのよ。
そんで、
そう言ったようなことの言い得て妙なことわざが無いところがもどかしいわ。
結局これはなんのお話だったの?って思うほど
私は高いマウスをえいや!って清水の舞台のデラックスなところから飛び降りた気持ちで大奮発して買ってみて正解だったわ!
そう思うと、
いっそのこと
えいや!って飛び降りるコンテンツをショーとしてそこから清水の舞台から鳥人間コンテストすればよくない?って安直に思っちゃうんだけど、
どうかしら?
何個か買い集めたので、
あとちょっとは持ちこたえることができるけれど、
キーボードはマウスほど激しく消耗しないことに激しく同意って言う意味の禿同!と言いたいところなので、
もしかしたら一生分賄えているのかも知れない鴨鹿!
そんな鰯気な気持ちにはなっていられないのよね。
チリには今まで3回ぐらいは行きたいなーって思ったぐらいなほどよ。
うふふ。
ランダムで決まると行っても鮭と鯖の2種類から選ばれるそれはランダムと言ってもいいのか分からないぐらいな
思わず内田裕也さんばりに鮭な!ベイビー!って朝から美味しくいただいた次第よ。
グレープフルーツを1玉買ってきて、
輪切りにしてボトルに入れて一晩置くまでもなく、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
セキュリティエンジニアとしてイスラエルのスタートアップに勤務していた人間として一つ言わせてもらうと、イスラエルの国民(特に若者)には政府のガザへのやり方に対して怒りや非難の態度を持っている人がかなり多い。
また超正統派はそもそもイスラエル自体の存在を認めていない(当然イスラエルの国土はパレスチナ人のものと考えている)上に、政治的な影響力を持っているため政府は苦慮している。
その上でガザやパレスチナ人への強硬な態度を崩さない世俗主義右派は世代交代に伴い絶滅危惧種となっている。
若者への世代交代と超正統派の人口増に伴い、現在のイスラエルとパレスチナの在り方が変わることを恐れる政府のトップを担う層が余計に強硬になっているのはこのためである。世俗主義かつ右派の層は自らの目の黒いうちにガザ地区なんて消滅させて全てのパレスチナ人を近隣イスラム諸国やヨーロッパに移民として追い出してしまおうと考えているのだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/forbesjapan.com/articles/detail/65449
・技術開発が優先
これ見て「あ、これは事故減らないな」と思った。
まず、自動運転プログラムが優先するのは法律と金であって命ではない。
たとえば損害賠償金額とプログラム修正の経費を天秤にかけて、損害賠償を負担したほうが経費がかからないと判断したらそっちを選ぶ。
車種が1,2種類で実験してるうちはともかく、法規制が変わるたび(法律の違う国へ輸出するたび)、
車種が増えるたび、あるいは原価見直しで部品を入れ替えるたび、
途上国あたりにもっていくとき、この国なら修正より人の命のほうが安いと判断したら、修正の手間をケチるよね。
第二に、プログラミングの話だけしてる点。実車の整備状況とか考える気がなさげ。
でも、実際に事故に結びつくのはタイヤやブレーキパッドが酷使されてたりの整備不良だったりする。
そのへんを自動車の管理事業者が経費削減でケチったら普通に事故率上がるよね。
今は整備不良含め、自動車のコントロールは全部運転者、事業会社の責任になってるけど、
自動運転普及後はおそらく企業間の責任関係の押し付け合いになるはず。
今はさ、運転する個人ってのがいちばん政治力が弱いから運転主の責任が重い、その運転主を雇ってる会社が悪いってなるわけだけど、
その弱者としての運転者個人が消えたら、最大の弱者は事故被害者という個人になる。
政治力の圧倒的な差で、メーカーも運営事業者も、免責の領域が拡大するんじゃないですかね。
第三に、事故についての基準が「事故の絶対数を減らす」ではなく「人間が運転するより事故率が低い」で判断してる。
これも、「人間が運転する際の事故率」、どこを見て判断するんだろう?
令和5年だろうか。昭和30年だろうか。
本来なら、現時点の、最新のセーフティ装備での、同クラス車種、同一エリア内での対比をみるべきだろうけど。
たとえば自動運転が完全普及するのが2040年だと仮定するなら、2040年時点での最良の運転アシスト機能付き人間運転手との対比だね。
けど、自動運転オンリーになったら、その対比先の「人間が運転した場合」はどこになるんだろう。
その後、自動運転の事故率にあわせて、「人間が運転する場合の事故率」も、なぜかちょっとづつ変わって、
2050年あたりには、気が付いたら「昭和30年代、40年代の事故率より低い」なんてのが自動運転の事故基準になってるんじゃないかな。
たぶんそういう図表を見てブクマカは「科学的だ!」って言うんだろうな。そうなりゃ、もう勝負は決まり。
ブクマで何を言っても何でも星つく。
路上を徒歩で移動すること自体が悪い、必ず自動車に乗れ、そもそも外出するな、あたりは言いそう。
自動運転向けに整備されない道路行政が悪い、未整備道路があるようなエリアに住むこと自体が悪い、言いそうだね。
日本の敗因は自動運転に適した国土、区画整理を整備しなかったことにある、経済評論家が言いそう。