はてなキーワード: 人種とは
そもそも何がいいたいの?
せこいやつだなと思うけど、
お前がそれでいいなら、それでいいじゃない。
差別的だといわれたら
そうだよと返せばすむのにいいわけつづけて
なんか罪悪感でもあるわけ?
自分は結構、私財をなげうって人に金を貸したり、助けたりすることがよくある。完全に自己満足の世界なのでそれはいいとして、腑に落ちない現象が発生することがある。今日はその現象について考えたい。
例えば自分はよく金を貸すことがある。基本的に請求しない、取り立てもしない。心から返ってこなくてもいいと本気で思って貸している。それは金だけでなく労働力でもそうである。
ところが貸した人から恨みの念のようなもの、、、(陰で悪口を言われたり等)を抱かれることがよくある。これはなぜなのか?
ひょっとして人間というのは他人に「貸し」を作ることに大きな心の負担があるのではないか。そしてその負担は「恥」に根ざしているような気がする。
「人に金を借りた」事を、他人に知られてしまう「恥」の感情のようなもの、それがどこかのポイントで恨みに変わるのではないか。そして「恥」の感情のような心理的負担から逃れるため、助けてくれた人をなんとか悪く言うことで、負担の相殺を試みているのではないか。
「あの人は金貸してくれたけど、悪いことされた事もあるから、自分の心理的にはイーブン。」的な。
そういうことを考え出してから、自分は人を助けるときはこういう態度で臨むことにしている。
まず「自分は最低の人間である、あなたは最低ではありません。最低の人間である自分が、最低ではないあなたをお手伝いしたいんです、どうかお願いします。助けさせてください。」と思うことにする。
なぜここまで考えるかというと「他人を助けたことで優越感に浸ろうとする気持ち、他者よりも上の存在たらんと考えようとする己の邪悪な心」を消し去る為である。
さらに助けた人に対して「金を借りたことは他人には言わないでくれ。俺は絶対に言わない。漏れたとしたらそれは君の口からということになる。」と釘をさしておく。
すると恨みに代わることが少なくなるみたいだ。
人助け時は相手の「他人に知られるという恥の外聞のような」気持ちまでくみ取って考える必要があるのではないか。
自分の「他人より上の存在であると考えたい邪悪な心」があって、そういう心が似たような人を呼び寄せている可能性もありますね。
(本当に感謝してくれる素直な人もたくさんいます、もちろん。自分的にその人種はレア度高くて、そういう人に出会うために助けているのかもしれないなぁ。)
そもそも人を助けない、という選択肢もあるが、それは無理だろうなぁ。
いろいろ返信ありがとう。
自分でもよくわからないんだが、多分「趣味」でやってるとしかもう思えないんだよね。あれだよ、BLACK LAGOONのロックが言ってたやつ。
「親指の根元方向」ってことか
読んで最初そもそも関節が離れるような方向に捻ってる奴なんておるんかと思っちゃったけど、自分が左利きだから(?)無自覚のうちにそうしてるだけだったわ
震災から10年が経つとなると、こういう感じの体験談を綴ったニュースをよく見かけるようになった。
「いつも悪態をついてた家族が死んでしまって、もっと優しくすればよかったと後悔した。」
ニュースが終わると、テレビであればコメンテーターが、ネット記事であればコメントで、痛ましい痛ましい、なんて述べている光景。
でも「要はそいつ、考えなしだった訳じゃん。自業自得だろ。」と思ってしまう自分がいる訳だ。
亡くなってしまった人が居る事は悲しく思う。それこそ彼らは何も悪くないし、当然犠牲になんてならない方が良かった。
そして遺族に降りかかったのが壮絶な体験であったこともまた確かだろう。
ただこういうニュースに生き残った奴の心情に寄り添う意味はよく分からない。
突き詰めれば突き詰めるほど、考えなしだったという結論しか出ないからだ。
そら喧嘩をするな、とは言わない。
人間と人間である以上意見が衝突する事はあるし、どちらか一方の考えが徹底的に間違っている場合だってある。
特に故人と遺族の間柄が子と親である場合、叱るという事はほぼ確実に発生している。
でもそういう奴って、「優しくすればよかった」なんて相手が生きてるうちは絶対に思わないじゃん。
つまり生きてるうちに優しくしたなんてifは、仮に震災が発生しなかったとしてそれでも存在しない。
というより震災なんてなくてもどっちみちいつかは死に分かれるのだから、日頃から後悔のないように接しようと心がけるのは当たり前じゃないのか。
そんな当たり前のことが出来なかった人間が後からベラベラ喋ってるのを聞いても、何も考えないで生きてたバカなんだな……って感想になってしまう。
人と別れる時いつも、これで最後でも構わないように、そうやって一瞬一瞬を大事に生きるもんじゃないのか。
「バイバイ」「またね」「さようなら」と挨拶を交わすとき、もう一生会えないかもしれないとそういう事が頭をよぎらない人種なんだろうなと。
当然痛ましい話だとは思う。
ただそれは「家族と喧嘩別れのまま亡くなってしまった方」に対しての心の痛みであって、
「考えなしに生きてきた生還者」ではないよなあって。
・主婦の男版の「主夫」という言葉は生まれたが全然増えていない&働けと言われる始末
・無職の金のないキモイおばさんでも実家で家事手伝いで生きながらえている
・無職の金のないキモイおっさんだと親兄弟親族他人からの風当たりが強すぎる
タイトルの通りなんだけど、これってひっくり返せば日本人男性ほど風当たりが強い人種っていないよね
そんな社会なのに出しゃばって「男女平等」とか言い出すやべー女が多すぎるのも日本という国
いい男捕まえられず負け組になった腹いせに「男女平等」という建前で男を攻撃するのやめません?
【3月11日 AFP】米国のジョー・バイデン(Joe Biden)大統領の就任式で詩を朗読したアマンダ・ゴーマン(Amanda Gorman)さん(23)の作品をめぐり、カタルーニャ語版の翻訳者が10日、性別、年齢、人種などの「属性」が合致していないとして契約を解除されたと明らかにした。
この翻訳者は、スペイン北東部カタルーニャ(Catalonia)自治州の州都バルセロナ(Barcelona)出身のビクトル・オビオルス(Victor Obiols)さん。英劇作家ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)や英作家オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)らの作品の翻訳実績がある。
オビオルスさんによると、米国側から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力が問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。
オビオルスさんは、「非常に複雑な問題なので、軽々しく扱うことはできない」と前置きした上で、「21世紀の若い米黒人女性でないという理由で詩の翻訳ができないなら、紀元前8世紀のギリシャ人でないからホメロス(Homer)だって訳せない。16世紀の英国人でないからシェークスピアも訳せなかったはずだ」と述べた。
ゴーマンさんの作品をめぐっては、オランダ人作家、マリエケ・ルーカス・ライネベルト(Marieke Lucas Rijneveld)さんも、白人ではなく黒人が翻訳すべきとの批判を受けて、翻訳を辞退していた。(c)AFP
オビオルスさんはカタルーニャ出身ということでアメリカの差別問題に詳しくないのかもしれないけど、もはやカタルーニャ語を使える翻訳者なら誰でもいいという時代ではないんだよね。
それほどまでにアメリカは本気で差別を撤廃しようと取り組んでいる。
23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。
この指針に従うため、7000以上の言語に対応できる若い活動家の黒人女性の専門家がアメリカで養成されることになる。
若者の、活動家の、黒人の、女性の社会進出がさらに推進される。
ゾンカ語もタジク語も、ロマンシュ語もイ語もガガウズ語もカタウィシ語も、若い黒人女性活動家が責任と誇りをもってゴーマンさんの作品を翻訳する。
全くその通りカチンの森事件といいい、戦果のナージャに見られるような懲罰兵といい(これは他の軍でもあるかもしれん)
ソ連の残虐さはトップクラス。高いところや地下鉄でパルクールみたいな事をしている連中がロシアに多い事を考えると遺伝や人種による影響を疑ってしまう
よく他人の打ち筋にイチャモンをつける人間がいるが(初心者に指導するなどの行為は別)、この種の人間は麻雀を打つべきではないと思う。
たしかにリーチ後に大明カンされたり親にツモ順を回すようなクソポンの連発をされたら萎える事には違いないが、それでも口に出して文句を言うことは筋違いなのである。(心の中でこのヤローと思うのは全然構わない)
麻雀は所詮自分勝手なもので最終的に勝てばいいだけでその過程なんてゴミほどの価値もない。鳴こうがクソリーかけようが差し込もうが勝手なのだ。
こういう人間は中級者あたりに多く、自分の腕に何故か根拠もなく自信満々である。
「クソ鳴きして面白いのか?」「そんな安い手であがるなよ」「そんくらい絞れよ」「片アガリとかアホじゃねえの」「そんなもん即リーすんなよ」「そんなのも止まらないのか」etc....etc...
自分の手が潰されると怒り、負けると運、勝つと実力というのもこの人種の特徴である。
相手が下手糞だと思うならば放っておけばよい。
自分が負け越しているなら単に自分の方が麻雀が下手ということなんだから上手くなるように努力するか、諦めて遊びとして楽しく麻雀をうてばいいだけだ。
俺はこう打つからお前もこう打てよっていうのは物凄くガキの理論で、人によって打ち方は千差万別だから麻雀は面白い。
それを否定してみんなに同じ打ち方をしてもらいたいなら、人とは打つべきでなく、一人で麻雀すればいい。
個人的にはまあまあ納得感はある
インターネット時代ではだんだん通じなくなってくるかもしれないが
いずれにせよ、新党は政権担当能力が無いから二大政党制に移行するのは無理なんだ!みたいな与太は
そんな話は捨て去れとしか言いようがない
じゃあ違うじゃねえかよ
俺のときめきを返せよ
無い!ってプロパガンダしたら乗っかってるだけじゃない
まあ俺も正直当時の民主党政権の何がダメだったのか実感としては、無い(何が良かったかも分からないが…)
安倍は個人的に好かなかったし、自民党の政権復帰を支持したわけでもないけど
生まれ持って変える事のできないものを努力で変えられると思っている。
馬鹿としか言いようがない。努力しないんじゃなく、脳が無いから努力できないんだな。可哀そう。
「あなた達がその話をしたらゼノモーフ(エイリアンの宇宙人)が来るぞ!」
とリプをしている人がいた。
「朝起きてリビングに行くと、俺の本棚にあるハズのヘルシング3巻があった。俺は外に出した覚えはない…娘、俺の愛しい3才の娘がぁぁぁ(意訳)」
と、世界の親御さんあるあるをツイートしていて、英語で2以上を取ったことがないのに
とリプを送ったら、速攻でfavとリプがきた。
おいおい、スラング盛り盛りの英語はGoogle翻訳先生が苦手とする分野だぞ。
でも、そうやってツイッターでの付き合いが始まった。
宇崎ちゃん論争っていつまで続くんだろう?パトレイバーは傑作だよね!俺は秘密にしているが、シロマサ版のMOTOKOも大好きなんだ、萌えって逆に萎えるよね、ヘルシングで一番好きなキャラは誰?
などということを、日々彼はなるべく平易な英語で、私は拙い英語で、画像やgifを交えながら話している。
たまには少し難しいことについて話したりはするけれど、基本的にはオタク話と、最近身近であったことしか話さない。
オタク趣味以外全く接点のない、国籍も人種も性別が違い、年齢の開きもかなりあるから、偏見の持ちようがない同士だから、他愛無い話ができる、むしろ、それしかできないんだけれど。相手の属性や所属を読んでから話さなきゃいけない最近の時世に疲れてるとそういう関係がとても心地よい。
この前、ロボット談義をしていて、モーターヘッドって知ってる?と聞いたら
「ファイブスター物語の話ができる人と会える日が来るとは思ってもみなかった!!」
と凄く感激してくれた。