2021-03-12

震災から10年が経つとなると、こういう感じの体験談を綴ったニュースをよく見かけるようになった。

「いつも悪態をついてた家族が死んでしまって、もっと優しくすればよかったと後悔した。」

「出かける前に喧嘩した家族が、それっきり死んでしまった。」

ニュースが終わると、テレビであればコメンテーターが、ネット記事であればコメントで、痛ましい痛ましい、なんて述べている光景

かに語られたそれは悲劇である

でも「要はそいつ、考えなしだった訳じゃん。自業自得だろ。」と思ってしま自分がいる訳だ。

亡くなってしまった人が居る事は悲しく思う。それこそ彼らは何も悪くないし、当然犠牲になんてならない方が良かった。

そして遺族に降りかかったのが壮絶な体験であったこともまた確かだろう。

ただこういうニュースに生き残った奴の心情に寄り添う意味はよく分からない。

突き詰めれば突き詰めるほど、考えなしだったという結論しか出ないからだ。

そら喧嘩をするな、とは言わない。

人間人間である以上意見が衝突する事はあるし、どちらか一方の考えが徹底的に間違っている場合だってある。

特に故人と遺族の間柄が子と親である場合、叱るという事はほぼ確実に発生している。

でもそういう奴って、「優しくすればよかった」なんて相手が生きてるうちは絶対に思わないじゃん。

まり生きてるうちに優しくしたなんてifは、仮に震災が発生しなかったとしてそれでも存在しない。

というより震災なんてなくてもどっちみちいつかは死に分かれるのだから、日頃から後悔のないように接しようと心がけるのは当たり前じゃないのか。

そんな当たり前のことが出来なかった人間が後からベラベラ喋ってるのを聞いても、何も考えないで生きてたバカなんだな……って感想になってしまう。

人と別れる時いつも、これで最後でも構わないように、そうやって一瞬一瞬を大事に生きるもんじゃないのか。

バイバイ」「またね」「さようなら」と挨拶を交わすとき、もう一生会えないかもしれないとそういう事が頭をよぎらない人種なんだろうなと。

当然痛ましい話だとは思う。

ただそれは「家族喧嘩別れのまま亡くなってしまった方」に対しての心の痛みであって、

「考えなしに生きてきた生還者」ではないよなあって。

  • 要約すると 「今日が人生最後の1日だと思って悔いのないように生きろ」ってことでしょ? よくそんな長文かけるなぁ(誉め言葉

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