はてなキーワード: バイクとは
世間的にはやっぱり席を譲らない=モラル皆無のクソ野郎扱いを受けることが多いと思いますが、自分なりに色々考えた末の信念なので言い訳というか理由の説明をこの場でいたします。
まずは意地でも座りたい理由の説明から。何と言っても会社と家が遠いこと。タイトルでは上京と言ったものの、自分は今千葉駅に住んでいて、千代田区にある会社まで1時間以上電車に乗って通っている。
就職を機に引っ越してきたので家の選択肢はそれこそいくらでもあったわけだが、東京でウサギ小屋みたいな家に住むより多少広い家に住みたかったので会社から遠い駅に住むことにした。会社の近くだと倍ではきかなそうな広くて綺麗な家に住めて非常に満足している。
かといって長い通勤をずっと座っているのも大変だろうなと思い、朝は確実に座れる始発駅の千葉駅周辺に住むことにした。大学に行くのに常にバイクに乗っていたこれまでの生活からは想像もできないくらい
電車に乗る時間は増えたけど、読み通り朝は100%座れるし意外と帰りの電車でも結構早い段階から座れることが分かったので大変満足している。
前書きが長くなったが、ここまでで言いたいことが何なのかというと、「絶対に座るために頭を使って住む場所を考えている」ということだ。それだけ電車で座ることに対する思いが強いことを留意していただきたい。
では、その上でなぜ「年寄には」席を譲らないのか。それは端的に言って自分が年寄を敬うべき存在、守られるべき存在だと考えていないからだと思う。言うまでもなく少子高齢化が進むこの国で不必要に(本当に不必要かは分からないが)
出歩く年寄に席を譲る必要があるだろうか?自分は全くないと思う。ふらふら出歩いている年寄より働いている若者の方がどう考えても疲れてるし大事にされるべき存在だとさえ思う。
100歩譲って出歩くにしても電車を使わずにタクシーに乗るとか通勤ラッシュの時間とはずらすとかいくらでも融通は効く立場だろうにわざわざ混むと分かっている時間にのこのこ出歩く神経が理解できない。
特にスーツを着て革靴を履いたサラリーマン風の年寄にはどんなによぼよぼに見えても絶対に席を譲らない。働ける体なら当然電車にも乗れるはずだし電車に耐えられないならさっさと働くのはやめて後進にポストなり仕事なり譲るべきだと思うので。
グダグダと会社にしがみつくくらいなら頼むから潔く退職して少しでも未来のある若人にパイを回してくれ。
以上、今日の帰りの電車で目の前に立っているサラリーマン風の年寄と横にいた60手前くらいの部下らしきオッサンにめちゃくちゃ見られ続けて少しイラついたので自己正当化の文章をしたためた。
あくまでも自分が席を譲らないのは年寄に対してだけで、妊婦さんとか見るからにけがをしている人とか、疲れを親に訴えている子供とかには席を譲るようにしている。子供はマジ日本の宝。
この3部作やエッセイ漫画「ほのぼの劇場」からさくらももこを追いかけてきた人は大体似たような気持ちになったんじゃないだろうか
そんなことない?
そしたらごめんね
とにかく、メルヘン翁で爆笑し、ぶさいくで憎たらしい猫の残した抜け毛で涙した
海外で豪遊、宝石を語り、ビートたけしが自宅に現れ、みーやんと結婚、ビートルズで離婚、よくわからん男と再婚、そして死んでしまった
その間にはまじが自伝を出したりしたけど、まあそれはいい、読んでない
もうね、読者とエッセイ内の自分との距離感?みたいな?バランス感覚?みたいなのがどんどん消えていってしまった
会社で居眠りして原因を問いつめられ、マンガですと格好良く答えた挙げ句クビになるみたいな
みんなそうでしょ?
え?ちがう?ごめんなさいね
別に死人にむち打つわけじゃない、好きだったのは本当なんだ
難しいね
マジレスするとハンドバッグを「車道側」に持つのは、バイクや自転車にひったくられるので「絶対にやめたほうがいい」
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/higai/hittakuri/bohan1.html
もし彼女が「どうしても右手でハンドバッグを持ちたい」なら、ハンドバッグを持っている彼女の手ごと優しく握ってやれ
もう少しいうなら「手を握りたいし防犯の観点からもショルダーバッグにしてほしい」と伝えよう
割り勘で買うのも良いと思うぞ。
あるな。というか今もそうだ。趣味もあるし趣味仲間もいるけどなかなか動けない。
やりたいことがあっても、休日は夕方ぐらいまで動けない。買い物中毒みたいになって、ゲームとかマンガ、プラモデルもいろいろ買ったけど山積みになるだけ。
・とりあえず休日には1日1箇所でいいから知らないところに出かける。(自転車、電車、バス、クルマ、バイク、なんでもいい)最近流行りのシェアバイクとかスケーターもいい。とりあえずなにかでかけて知らないものを見て達成できた感じがあるのが良い。
こういうときは、とにかくスケジュール入れたくない病になるんだが、
それでもなんとか無理やりでかけてる。いやなら帰ればいいという気分で出発するが、たいてい出てしまえばなんとか動ける。だが無気力のせいで出発が遅いのでたいてい物足りないぐらいで帰ってくる羽目になる。また次に残る。気に入ったら繰り返し行くこともある。
映画はいい。家だと強制力が足りなくて途中で見なくなってしまうが、映画館という強制力がかろうじて踏みとどまらせてくれる。最近高いのでレイトショーばかりだ。映画がつまらなくても「とりあえず一日の終りになんか観た」という達成感がある。もし観た映画が他人との会話につながるとさらにいい。
なんとかこれで乗り切ってる。
治ったわけじゃないが。
うるせえ!実際必死なんじゃ、ボケッ! 大体、そう言われてどうしろっちゅーんじゃい!
絶対忘れねぇかんな〇岡県自動車学校。大型取る時が来たら古庄自動車学校にいったるもんね
なーんてことを
を見て思ったのでした。まる。
もちろん自覚的ではなかったけれど、僕は自分のことをモビルスーツのパイロットだと思っていた節がある。
こういうのは世代によって変わるんだと思う。
僕より少し上の世代の人達は科学特捜隊とかウルトラ警備隊になるんだと思う。
僕の娘の世代なんかだと魔女見習いになった子たちがたくさんいたな。
僕のほうの話に戻ると僕はMS(ガンダム)のパイロットをやった後
CA(ダグラム)の操縦をしばらくしてからオーラバトラー(ダンバイン)乗りになったりしたんだけど
でも本当に長らくの間はAT(ボトムズ)を乗りこなすボトムズ野郎だったような気がする。
これは余談なんだけど、僕たちの世代にはモータースポーツブームというのが起こった。
見る方でも乗る方でも。
F1にしてもMotoGP(当時はそういう名前ではなかったけど)のことにしてもクラスのなかの何人かとはメジャースポーツのような感じの話題として話ができたし免許が取れる年頃にはバイクに乗ったし車にも乗った。
こういう乗り物を操縦するのが当たり前、みたいな「当たり前」という感覚は子供の頃についていた職業の影響が大きいのかもしれない。
それはさておき、ボトムズ野郎だった僕はそのうちにバルキリーに乗るようになった。
バルキリーはなかなか快適な乗り物で飛行機になったりロボットになったり出来て一番楽しかったのはガウォークというロボットと飛行機の中間形態になって地上スレスレをホバリング出来ることだった。
これは最高に楽しかったんだけどバルキリーのパイロットは唐突に辞めることになる。
そのあと何になったのか?
そう中学生になったのだ。
そしてクラブの部長になったあとは、高校生になって……etc。
と現代につながる。
まあ振り返ってみると幼稚(子供時代の話なのだから当たり前か)なんだけど、それでも幸せなこども時代だったんだと思う。
少なくとも子供の頃の職業が介護職、なんて子どもたちに比べれば。
地元トップの高校に進学しながら完膚なきまでに落ちこぼれ、Fランに進んだもののサボりまくりバイトもバックレた。
でも相変わらず高校時代の友人は優秀。一橋3人、東大2人、慶応2人。
たまに飲むんだけどたいへん充実してるようだ。
全員普通免許持ってて普通に車欲しがってる。バイク買った奴が2人。
地元に居た頃は全員ややオタ臭かったんだが私服が着々と垢抜けて行ってる。半分以上が彼女持ちで非童貞。
つーか俺大学行ってないこと言ってない。まだバイトもしてるしサークルにも参加してることになってる。
あいつらと会うたびにコンプレックスで嫌な気分になるからもう会いたくない気がしてきてる。
でも会わなくなったときがマジで俺が終わるときのような気もして怖い。
ただ一つ言えるのは消費する奴はバカとか言ってる奴は憂鬱な奴で
消費しまくってる奴の方が元気だということだ。