はてなキーワード: ステートとは
プーチンさんはディープステートとかグローバリゼーションと戦ってるという理屈らしい。
とある公共系の内部システムがUIがウィザード形式になっていてユーザーが前の状態を覚えておかないとだめなものに遭遇した。
ユーザーの脳にステートをもたせるのってだめだよなーと思いながら僕は要件に従って実装した。
※イメージ
マンションで2棟12階の201号室を呼び出すインターホンの設計を想定
1. 部屋番号を押して「呼」ボタンを押してください
2. 212201
3.「呼」
→シンプル!
1. 棟を選択してください
2. フロアを選択してください(前の選択ミスってないよな?)
3. 部屋番号を選択してください(前の選択ミスってないよな?)
…この区域は、この国で中流の人々が多く住んでいる地域です。それでも、多くの人が、爪に火をともすような、つましい生活をせざるを得ません。
インタビュー映像1 「給料は妻と合わせても1か月でたった14万ウォンです。それも家賃でほとんど消えてしまいます。学校にいく子供のノートも、何冊も買えません。」
インタビュー映像2 「最近は、学校には必ず弁当をもっていきます。学食が値上げされてしまって。」
この国はかつて、アジアで一番裕福な国だと言われていました。ニューヨークのエンパイアー・ステートビルを丸ごと購入するほどの経済力がありました。
一度は世界中を敵に回して戦争をし、枢軸国として原子力爆弾を受けましたが、降伏から10年後にはもう、驚くべき復興を遂げていたのです。
しかし、幸運はわずか30年しか続きませんでした。1980年代に不動産投資業の規制に失敗したと言われています。今、この国の人々の平均収入は私たちの国の3分の1以下で、多くの人が高等教育を受けられません。
インタビュー映像3 「あの頃は、仕事帰りに毎日、銀座で飲み歩いていた。朝まで飲んで会社で寝てたこともあったな。高級クラブじゃ国会議員なんかも見かけたもんじゃ。」
再掲しときますね。負けた人 (主に3位) の支持者は、「日本人らしく」清く正しく行動してほしいですね。
- 総裁選も直接選挙
- 勝者が国の行く末を左右する
- 保守強硬層が支持し、印象的なフレーズ(「守る」)を打ち出す候補
- スポーツカーやバイクなど、マッチョイズムを刺激するような趣味、嗜好
- 世論誘導だ、と騒げるような情報(4人に聞いていいんですか?など)
- ネットとその他の世論調査の乖離
- 政治的疑惑(ロシアゲート←→森友その他)やコロナなど陰謀論が受け入れられやすい状況
誰が勝っても(たぶん高市氏は負けるんだけど)、社会の分断が避けられず、不正選挙だディープステートだと、Jアノン層がさらに台頭するんだろうなぁ、と。
そうなると、ノーマスク界隈も勢いづいて感染が再拡大して、アメリカと違って富を外国から吸い上げる仕組みがない日本では、経済も停滞してしまうんだろうね。
@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。
https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831
ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身の理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分の認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。
まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。
その他の前提:
2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります。
関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドがプログラムのパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビアな場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスやネットワークアクセスのレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッドを無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。
いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体もモジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます。
元記事にもありますが、RPC の派生(実装?)として生まれた Java の CORBA や Microsoft の DCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクト(コンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション間通信の潮流と、計算機資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。
つまり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。
なので、以下のコメントはちょっと論点がずれてると思いました。
はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向で設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わります。オブジェクト指向とはほぼ無関係です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin
なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang
たしかに、アプリケーション単位とアプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います。
ソフトウェアの記述をまとめるという視点では主にステートレスな関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理しやすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルやリソース管理の視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向の粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います。
「オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。
当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまいます(オブジェクト指向の定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェアを組織化すること」なのであれば)。
Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論は収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。
誰が勝っても(たぶん高市氏は負けるんだけど)、社会の分断が避けられず、不正選挙だディープステートだと、Jアノン層がさらに台頭するんだろうなぁ、と。
そうなると、ノーマスク界隈も勢いづいて感染が再拡大して、アメリカと違って富を外国から吸い上げる仕組みがない日本では、経済も停滞してしまうんだろうね。
スピ系のちょっとキマってる感じの人がプロフィールにれいわ支持って書いてる様子はツイッターでいくらでも出て来る。
アメリカ大統領選で日本のトランプ支持者がQアノンに飛びつきまくったせいで忘れられてるけど、日本で最初にQアノンに飛びついてた層ってその辺の陰謀論が大好きなスピ系の人たちだからね。まあQアノン自体スピ系だから何の不思議もないけど。
元をたどると山本太郎は反原発から出発していて反原発もまたスピ系と親和性が高かったから、その辺も一緒くたに取り込んで支持者を増やしてきたわけでね。
まあ自民は親学やら愛国オカルトやらがうようよいるし、立民は立民で国会でディープステートがどうこう言ったりしてる原口一博みたいな陰謀論大好きさんを抱えてるし、右も左もオカルトと親和性の高い政治をやってるという悲しい現実。