はてなキーワード: ニューロンとは
リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。
第一章
1
意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデルを意味する。
この主義の限界を
2
チューリングの形式化が持っている特徴
(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括
(2)そのメカニズムがいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している
(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している
⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している
フォン・ノイマンがコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーがLISP(プログラム言語)を開発。
⇒ 研究開発が可能に
A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出
⇒理論的に自覚化・明確化される
3
・物理記号システム
①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、
②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム
by 1976 ニューウェル & サイモン
・強い物理記号システムの仮説
SPSS strong-physical-symbol-system
「標準的な記号アトムのフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」
①仮想機械
そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」
・記号を割り当てる
・変数を束縛する
・記号列の複写、読みとり、修正
等々
③標準的な記号アトム
④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段
そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる
4
このような主張(標準的なLISPのアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践。
彼らの仕事の特徴(例:BACON)
・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している
・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能
・選ばれた課題領域を扱う
BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則)
・BACONが取り組んだデータをフォーマット化下のは、人間の労苦
・BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。
ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない
・BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの
⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう
サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。
しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンとラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。
心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える
知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている
5
古典的システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。
古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々
STS semanttically transparent system
「システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論的記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステムは意味論的に透明であるといえる」
きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズムの記述(レベル2)における計算の対象が、概念的レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述(レベル1)と同型である場合である。
(レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え
レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法
レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)
(1)古典的理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論と意味論を組み合わせた記号システムを仮定している
(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。
もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない
◎要するに、古典的システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである
第二章
1
ドレイファス:古典的認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当性
サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論と意味論との間にギャップが認められる
この二つの種類の懸念について検討する。
2
「あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」
この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念のリストをあげる。
ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。
・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)
・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?
ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか
3
・ドレイファスの二つの主張
(1)身体問題
「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」
コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない
(2)コード化
人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。
このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?
AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。
4
「強いAI仮説」を、サールは批判する
強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる
Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。
サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。
具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋の操作者が中国語を「理解すること」の比較
「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」
以下、サールの誤りについて論じる
5
サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」
脳シュミレータ説:あるりプログラムが中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる
↑(サールの再反論)
(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)
(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである
↑(アナロジー)
光合成:光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない
では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?
:外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること
↑(コメント)
『中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効
6
微視的機能主義
機能主義は、心的状態の本質を、
入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。
(適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)
↑(批判)
(中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。
こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう
・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか
×大まかなレベルに位置づけ
⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ
△ライカンの「小人機能主義」
○微視的機能主義
・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981
:機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ
(ライカン「小人機能主義」
:機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)
微視的機能主義
内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で
記述しようとするもの
・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる
第三章
1
2
「民間心理学」
:自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解
民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる
「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学」
3
(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。
民間心理学は、子供や狂人や外国人を前にすると、まごついてしまう
(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる
(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである
最近の分析哲学
:頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか
4
Daredevil believes that Electra is dead.
Mary hopes that Fermat's last theorem is true.
のthat以下を、心的状態の内容と言う。
心的状態が考えられる傾向
:われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、
われわれにとってどのように見えているかによって決まる
↓(言い換え)
我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、
本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない
⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、
知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆
・双生地球……☆に対して疑いを投げかける
双生地球で、「海に水がある」と発話される。
地球A:海にH2Oがある
地球B:海にXYZがある
この違い以外は同質だとする。
すると、
地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる
(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)
⇒
もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、
自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、
単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して
二つの選択肢
(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、
世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説
(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は
〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう
プティ と マクダウェル
「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。
しかし、
〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」
筆者
:あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、
そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない
その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。
仮想反論
:「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」とするならば、
心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)
(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、
内的構成に違いがなければならない。」
という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)
仮想反論の詳細
:仮定①:
二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる
(そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)
仮定②:
行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない
結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない
「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。
限定的内容といっても、それを妥当な概念として了解できるかは明らかではない」
なぜなら、
「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは
まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。
その具体的理由として、
ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。
5
筆者
:広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、
頭の中で起こっていることに関することに関する科学的カテゴリーや分類に
きちんと還元されるなどということは
とてもあり得ないように思われる。
・民間心理学は、科学的心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない
→
世界を記述しない信念であり、なおかつ
ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学的記述の上には)存在しないことも可能
6
民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?
:
他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、
その人の身体の動きを予測し説明するための手段
民間心理学の主要な目的
:
世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること
(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴
①世界に対する感受性、すなわち感覚や生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している
②世界をわれわれと共有している
③彼らは我々自身のもっとも根本的な関心と必要の大部分を共有している
④彼らの思考の有用性は、
(我々自身の思考と同様に、)
彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、
彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている
この特徴があるので、
「~したい」という欲求さえ同じであれば、
・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている
・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、
さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)
7
筆者の見解
:私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、
行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである。
……関連する行動を可能にするものとしての、
根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、
そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が
対応している必要はない。
――
ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか?
<Fordor>
意識の全体論というのは、
「命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」
という考え方。
これに、Fordorは懐疑的。
(命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)
われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題(認知的連関)を共有しているとは思えない。
信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。
:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである。
「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」
</Fordor>
筆者
:Fordorの間違い
全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。
Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。
Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。
筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている
全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)
7
一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。
(3)に対して、
民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである。神経科学とつながることを目的とはしていない
(1)に対して、
民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない
(2)に対して、
なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。
整理。
民間心理学には、きちんとした定義がある。
これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」
8
因果関係と、構成的関係の区別
構成的関係
:
研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ
因果的に関係
:
因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、
それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる
ということはない。
(チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)
9
・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか。民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている
↑
(構成的関係)
↓
心
科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。
では、構成的関係とは何か。
構成的関係←→因果関係
構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること
因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない
(駒はなくてもチェスは打てる)
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今朝の話でございます。通勤中、なんだか急に腹の具合がおかしくなり、乗換えで上野に下りたときには既にビッグウェーブ到来。
乗りたくない、このビッグウェーブに!と思ってとりあえず本屋脇のトイレへ小走りで向かうも、まずユニバーサルトイレでは何者かが既にフン闘中。
ますますノッて来る波に冷や汗をかきつつ、奥の男性用トイレへ向かうも、無情にも個室は全て使用中!!
てめーらのんきにクソしてんじゃねーよ、こちとら HP は既にゼロだけど隠しパラメータの根性値 (via ブレスオブファイア) でかろうじて死んでない状態なんじゃオラー!と思いつつも一旦ここでウェーブが鎮まっていく気配を感じた私は通常の足取りに戻り、次なる聖地・改札内トイレを目指す。
が、小康状態でたどり着いた改札内トイレも、本日も満員御礼、チンチンジャラジャラチンチンジャラジャラでございます。個人的には今チンチンには用事がなくてコーモンの方から激しい突き上げを食らっているわけでありますが、皆さんそんなことは知ったこっちゃない。
しょうがない&もう少しはガマンできそうな感じになったので、ホームへ行きとりあえず電車に乗る。
が、秋葉原に付いた時点でまた「降りるしかない、このビッグウェーブでは」が来てしまい、フルフルしつつ下車。
そしてフードコーナー横のトイレへ駆け込むも、Oh、My、God、神はこの世にいないのか、本日秋葉原駅も満員御礼となっております。
このあたりでもう限界突破しており、必死で自分に「いやいやこんなの余裕。いやいやこんなの余裕。漏らすわけないじゃんww」と言い聞かせ、顔をブルーマンのようにさせつつ改札を飛び出し (ウンコは飛び出さず) 一目散にアトレへ!
アトレ2階、男性用トイレ発見!見敵必殺!見敵必殺!目標は前方3m!
まずはまたユニバーサルトイレが視界に入りますが、オーシット (クソだけに)、埋まってやがる!
そして!俺の前にもう一人トイレへ向かう男子がいるんですが!その背中を追いかけつつトイレへ入るとこれは奇跡!これは奇跡!
個室のドアが一つ空いているのが見えます!!!! 「会いたかった」とはまさにこのこと、アイラブユー便座今ホーミタイの心境で前進しますとこれは一体フリーメーソンの陰謀でしょうか、前方男子がするりするりとその個室へ吸い込まれていくではありませんか!!!!
相席で!すいません相席でーーーーー!!!!と叫びたい気持ちをグッとこらえ (あと括約筋もグッと締め) トイレ内を見回すも、他に個室は空いてございません。根性値も残り2くらいの感じで30秒ほど待っても、誰も出る気配もない!!
そして、ついに、THE TIME HAS COME。根性値が0になりました。終わりの始まり。グラウンド・ゼロ。
ワーニン!ワーニン!括約筋限界突破、目標は分散系懸濁液、3秒後に欲界に出現!!!!
分かるもんですね、あ、これ以上はムリなんだなっていう瞬間。高まる内圧により括約筋が「あっすんませんおれもうムリっすーあがりますーあとよろしくー!」って押し広げられてく瞬間てのが。
刹那、「穴なのだから指で塞げばどうにかなるのでは?」という閃きがニューロンを駆け巡り、0.2秒後には体が動いてズボンの中へ腕を突っ込むも、too late、地獄の門に指を差し込む前に結界は解き放たれ、押し寄せる波。あふれるパトス。ほとばしる36度の茶褐色。
しかし指栓は間に合わなかったが手は届いた、瞬時にフォーメーションを変え、手の平で受け皿を作って魑魅魍魎どもの奔流をせき止める!あったか~い!!!
この間わずか0.5秒。一瞬の硬直の後、もうどうしていいかわかんないんでさっきのユニバーサルトイレの方へヨロリと数歩移動すると、Oh、どうしてあなたたちは私の手のスキマからこぼれていってしまうの私の分身たち。
と、ここでようやくユニバーサルトイレのドアが開き、サラリーマンご登場。
このとき俺はおそらく死んだような顔をしていたものと思いますが、こちらを一瞥して特に何かに気付いた風もなくそのまま立ち去ってゆきました。セーフ。ギリギリセーフ。出ちゃってるけどばれてないからセーフ!(入れてないから浮気じゃないみたいな苦しいロジック)
で、まあ、既に事件は起きてしまった。起きてしまったのです。あとはもう、たんたんと処理をするしかございません。
ユニバーサルトイレにゾンビの動きで入り (右手はケツの濁流をせき止めたまま)、ロックし、とりあえず左手でズボンをどうにか脱いで残りのパトスたちを解放し、純白の便座へ送り届け。
被害報告:パンツ全損、ズボン半壊、ベルトかすり傷、右腕タールまみれ。他、カバン等に若干の飛沫あり。(スーツじゃない業種なのでそこだけ助かりました)
もうね、漏らしちまったらあとは処理するだけです。
下全部脱いで、ユニバーサルトイレにあるあれなんつうんですか洗面所のボウルがデカいみたいなやつ、あれでパンツもズボンも靴下も丸洗い。
あと、ケツも当然○まみれだったので、これも丸洗い。(イチイチ拭いてられる量ではなかった)
会社に「すんません午前休みます」っつって連絡しつつ、便座についちゃったのやら床にこぼれてしまったのやら色々掃除して、およそ20フンくらいかけて各方面をキレイにし、限界まで絞ったパンツとズボンを再び装着!
アレですね、全体に濡れて色が変わってると、意外とわかんないもんですね。股間だけ濡れてたらあからさまに漏らしちゃってる感全開ですが、全部が濡れてりゃ、もとからこういう色、みたいに見えるもの。
で。なんとか外に出られるレベルに回復したんで、そのままアトレのユニクロ行ってパンツとズボンを購入 (無論状況が状況なんで試着はしてませんよ念のため!)、冷たいズボンと微妙に臭いケツのままで秋葉原を闊歩、手頃なマンガ喫茶へ入って泣きながらシャワーを浴びて着替えましたとさ。
(念のためシャワールームでもう一度パンツ類を石鹸で洗濯しました。)
そのあとはカップラーメン食って昼寝して午後出社をキメました。
いやあ、秋葉原のど真ん中でゲリ漏らしても、意外とどうにかなるもんですね!
追伸:アトレの清掃担当の方、可能な限りキレイにはしたんですが、トイレ汚しちゃってすみませんでした。でもおかげで助かりました。アトレのトイレ万歳!
追伸2:ちなみに当方34歳二児の父です。34歳だろうが人の親だろうがなぁ、漏らすときは漏らすんだよ!! (フツウあんま漏らさないです)
仕事をするようになってからか、
それ以前からか区別しにくくなってきている。
しゃべることが億劫になっているように感じ、
気づくとうまく言葉が出なくなってきている。
それは、自分で喋らなくてもそれなりに整備された
代替品が散らばっているからじゃないかと思った。
つまり
自分の言葉をつむぐ <<<<< それっぽい名言や文章を引用する
A <<<<< B : A よりも B がでけーのです。
になっているのだ。
しかもひどいのが、それも記憶して繰り返すのではなく
ただC&Pとして、転記するのみ。
内容は「あぁたしかに、そんなのあったかもしれないのぅ」くらいの
いい加減な思考までしか残っていないといういいかげんっぷり。まじひでぇ
脳を使うのがいやだということなのか、とも考えたが
単純に楽な方に楽な方にと体が傾いて転がっていっているというのが自然。
もちろん、それでいいのなら無駄な労力・不必要な苦労は求めないでいい。
ただ、要される無駄・不必要という言葉の裏にはちょいちょい、「今すぐには」
という言葉が隠されていることがある。今回の場合がまさにそれに当たるだろう。
人は喋らなければいけない。喋りたいものだ。
表現して自分を示すことが出来ないようになると人間は呆ける。感性が鈍化し、錆びる。
使わなくなったニューロンが断絶されるように、不必要になったものは最適化という名の下で
排除されるのが常だからである。
ここで、排除されるのは「機能として」もあるが、もう一つ重要なことに
世の中やそれまで所属していたクラスタから取り除かれることになる危険性
さり気ない言葉や話しかけやすい雰囲気などを表に展開できていれば問題がないが
考えたり悩みだすとその方向にだけ焦点(フォーカス)が向いてシャットアウトされる
僕のような人は警戒が必要だ、KYの怖いところはKYである自覚がない所に尽きると思う。
で、ここまでの内容で見えてきた話す理由としては
でもなぁ・・・理由は出来たさ。
ただ、自己防衛だけで喋り続けるって楽しくねー。
習慣化の敵は退屈とメンドクササと
続けた先に見える報酬有無だと思う。
人間の記憶がもしも曖昧なものでなければ、もしも脳細胞がハードディスクのように上書きされるような構造ならば、人間は発狂してしまうだろう。という話がある。その通りで、私たちは大事な記憶を忘れるとともに思い出したくない事を少しずつ、時間が解決してくれるに任している。実際には、考えてないうちに、意識していないうちに、緩やかにシナプスは結びつきを弱め、ニューロンの発火は抑えられる。
脳が未だにブラックボックスだからこんな表現が許されるのだけど、不意な刺激(におい、景色、音、味覚、ようは五感の複合的な刺激)によって結びつきもしないような所から記憶は想起されてしまう時がある。フラッシュバックなんて、おおげさなものでは無いが、私の好きな作家の言葉を借りれば、
ーーーハンバーグの中に小石が混じってしまっているのだ。ーーそれが、かきっ、と不快な音を立ててその辺りの思い出もろとも吐き捨てられてしまうことになる。ーーー確かにかみ合ってはいない、でも引っかかるところが中途半端に残ってる。それがきしんで、だから落ち着かない気持ちになる。ーーー
だから、思い出なんてない方がいいとか、そう言う気持ちがあったのは事実だが、そう世の中うまくいくものではない。そこにあるのは、のっぺりとした日常である。そうで無い気もする。ここ数年の方が、ずっと人生はリリカルでラジカルだった気もする。でも過去を振り返ると、なぜか少し悲しい。矛盾しているし、書いてる最中にも考えがころころ変わる。それはまとまってないとか、よく分からないとかじゃない。よく知っているんだ。
引用は、上遠野浩平 ビートのディシプリン 2巻より。
Explorer | Science of Babies | National Geographic Channel
http://channel.nationalgeographic.com/series/explorer/3090/Overview
ヒトは他の動物と比べて、遥かに無防備で無力な状態で産まれてくる。それにも関わらず、そこから最初の一歩を踏み出すまでに、赤ちゃんは劇的な成長を遂げる。産まれる瞬間から二本足で立って歩き出すまでの約一年間、赤ちゃんに起きる様々な変化を、発達の経過に沿って検証した番組。
ヒトは一生の間におよそ6億回(一分間に10回として、一日で1440回。100歳まで約36,000日として計算した物と推測)の呼吸をする。その中で最も重要で、しかし最も危険な、初めての呼吸。母親のお腹の中に居たときには母体から酸素が供給されていたけれども、一度産まれてしまったら、そこから先は自分で酸素を供給しなければならない。ほんの数分酸素が断たれただけでも、ヒトの身体は回復不能な障害を受ける。産まれた瞬間の赤ちゃんの肺は、羊水で満たされ溺れている状態。だから、産まれて初めての呼吸は、通常の呼吸の10倍から15倍の労力が必要となる。肺胞の隅々まで空気をみたしてやらなければならないのだ。この最初の呼吸によって、肺の中の水は血流に吸収されていく。
産まれるまでは母親の体温で暖められていた身体も、自分のカロリーを消費して体温を保つように切り替えなければならない。その体制が整うまでの期間、充分に体が熱を作れるように、新生児は熱に変換しやすい褐色脂肪を豊富に蓄えて産まれてくる。冬眠中の熊のように。
赤ちゃんが、今現在の成熟度と大きさで生まれてくるようになったのは、今から約800万年ほど前。他の動物と比べると、ヒトの新生児の頭は(身体との対比で相対的に)大きい。赤ちゃんが産まれてくるタイミングは、母親の骨盤の広さと新生児の頭部の成長との兼ね合いで、ぎりぎりくぐりぬけられる大きさになったときである。真っ直ぐには出て来れず、一度頭を90度回転して骨盤をくぐり、さらにまた90度回転して出口の骨を避けるようにして生まれてくる。
ヒトの赤ちゃんはとても無防備な、無力な状態で産まれてくる。他の動物、例えばサルと比べても、自立するまでに長い時間がかかる。ヒトに最も近縁のチンパンジーでも六ヶ月くらいで歩き始めている。そのようにかなり未熟な状態で産まれてくるにも関わらず、ヒトの新生児も生まれながらにある種の動物的な本能を備えている。それは生存の為に重要な反射運動であり、またある種、進化を裏付けるような原始的な反応でもある。
まだ歩くこともできない生まれたての新生児は、抱き上げて支えながらかかとを地面につけてやると、両足を交互に繰り出し、まるで歩き方を知っているような反応を示す。でも、その反射は六週間後には消えてしまっている。ところが、不思議なことに、水の中ではその反応が蘇り、そうして反応を誘導してやると、それ以降は消えることがなくなる(番組では、透明な浴槽の中に赤ちゃんを抱きかかえて下半身をつけてやっていた)。
他によく知られている生まれながらの反射運動には、次のような反応がある。
これらは、どれも動物の生存本能に共通する原始的な反応といえる。
赤ちゃんの考えていることを知るのは難しい。しかし、赤ちゃんの認知力の一端を覗く、いくつかの方法がある。ある研究者は、赤ちゃんが何か違和感を覚えた時に、対象物を凝視する時間が長くなるという現象に目をつけた。この時間を計測することで、赤ちゃんが何に気付き何を認識しているのかを探ることができる。その研究者は、新生児が数を認識する(簡単な足し算引き算の)能力を持っていると考えている。行われた実験はこうだ。まず、一つだけ置かれている人形を赤ちゃんに見せる。そこをついたてで隠して人形を見えなくしてから、そのついたての裏にもう一体の人形が入っていく様子を見せる。そして、見えない位置からこっそりその人形を取り去った後で、ついたてをおろす。赤ちゃんから見れば、そこには二つ人形があるはずなのに、一つしか無いという状況。そのような矛盾がある場合、なにもトリックを使わない場合と比べて、人形を凝視する時間が長くなる。二つの人形を見せて、そのうちの一体がついたての後ろから出て行くところをみせたのに、ついたてをよけてみると人形が二体に残っているという引き算の矛盾にも、その反応が観察されることから、赤ちゃんは生まれながらに数の認識を持っているに違いないという話。
まだ自分で動くことのできない赤ちゃんにとって、飛び込んでくる外界の刺激はもっぱら光と音ということになる。聴覚は視覚よりも先に発達していて、お腹の中に居ても母親の声を聞き分けられるけれど、視覚は産まれてから外部の刺激を受けながら、徐々に発達していくもので、この段階ではまだぼんやりと対象物を捉えているにすぎない。
とはいえ、母体の中と比べて外界は刺激に溢れている。流れ込んでくる大量の情報を処理していく体勢を整えていく必要がある。ヒトの体には、約10億の脳細胞、神経細胞、ニューロンと呼ばれる情報処理に携わる細胞が存在する。これらが、外部から飛び込んでくる刺激を情報として捉え、ネットワークを構築していく。一つ一つのニューロンは、個別の電話機のようなもの。細胞間の情報は、シナプスと呼ばれるリンクを介してやりとりされる。最初は外界のあらゆる刺激がネットワークをフルに刺激していて、あちこちの電話機が絶え間なくなり続けているような混線状態。その中から、必要な連絡網だけが残るように、ニューロン同士が互いにリンクし合う相手を求めて競合している。この過程を可視化して映像に捉えた研究が紹介された。最初は筋繊維に複数のニューロンが繋がっているが、黄色と青色、色違いで染められた二つのニューロンがある筋繊維に連結しようとしている。最初はどちらも繋がっているように見えるが、この二つのニューロンは互いに競合し合って、最終的に一方の色に染められたニューロンだけが残るまでの過程が観察される。ニューロンネットワークが形成される様子が見て取れる。
未完成ながらも、ニューロンネットワークが成熟するに伴って、運動神経がやや発達してくる。頭を持ち上げたり、寝返りを打ったり、ものを掴んだりすることができるようになる。
野生の動物や鳥、昆虫などは、生まれながらに餌の捕まえ方や身の守り方を知っている。数を数えることさえ生得の本能だ。それが発揮できず、他者のケアが無ければ生きられない、ヒトの新生児は非常に未熟な状態と言える。そのような状態で産まれてくることは不利なことなのか、いやそうではない。生まれついての本能はそれ以上発展することがない。しかし、未完成な状態で産まれてくるヒトは、環境や経験から、より高次元の習性を構築することができる。これが学習する能力の特徴である。
学習して能力を獲得するのには適切な時期があり、その時期にきちんとした情報の入力とニューロンへの連結が行われないと、その能力は形成されない。使われない機能は失われていく。三ヶ月くらいの新生児は、各国の言語で微妙に異なるトーンを聞き分ける能力を持っているが、その後六ヶ月を過ぎてしまうと、一番身近な言語の発音を聞き取る能力だけが大きく発達していく(マルチリンガルに育てるためには、六ヶ月までにいろいろな言語を聞かせておけという理論の根拠はここにあるようだ)。
需要のない能力が失われていく話題に関連して。三ヶ月あたりで、目のレンズと視神経との連絡が完成する。この時期に、適度な情報が目を通して与えられることで視神経を構築する。ある赤ちゃんが片方の目のレンズに問題があることがわかった。このままだとその眼球からの情報入力がないために、ニューロンの連結に不備が生じてしまうということで、レンズの機能回復手術を行った。手術そのものは一時間ほどで無事に終わったが、その後の検査で、もう一方の健常な側の目に眼帯をした、なぜか。回復させた眼球を強制的に機能させ、視神経を発達させるため。
運動機能はさらに発達して、座ることができるようになる。つかまり立ちや、立ち上がるまでには至らなくても、ハイハイをして動き回れるようになり、行動範囲が広がる。ハイハイのスタイルには個性がでる。これは新生児それぞれの運動機能の発達状況は環境に依存するもので、成長に関してあまり重要ではない。この時期に最も重要な発達は、学習したことの再構築ができる柔軟性を得ること。自分から動き回れるようになって、取り巻く環境が劇的に変化する。外界からの刺激もさらに複雑なものになる。遭遇する危険も増える。座れるということは、バランスを崩して転ぶことができるということ。自分で動けるということは、溝に落ちたり、何かにぶつかったりできるということ。それなのに赤ちゃんには、届く/届かない、バランスが崩れる/保てるといった認識がまだ無いので、無鉄砲で失敗を繰り返すことになる。目標物以外に注意を払うことや、体バランスの取り方など、失敗の経験から、環境に適応していく脳の柔軟さが求められる。この時期の赤ちゃんの運動機能の発達を研究している様子の映像。何かを見つけてそれを取りにいくという動機で動き回るようになる。その間に溝などの障害があっても殆ど認知されていないで突き進む赤ちゃん。その過程で失敗を繰り返し、危険を回避するという学習の過程が認められる。
ニューロンネットワーク発達中の情報処理の取捨選択の別の例として、顔や表情の認識がある。ヒトやサルの顔写真を見せ、新生児の脳波の変化を測定することで、どのような違いを認識しているかを観察した。二ヶ月くらいまでは、人の顔のパーツの配置が乱れていても識別できない、三ヶ月くらいで、顔を顔として認識するようになる。この段階では、サルの顔写真一つ一つの個体の違いを区別している。しかし、六ヶ月くらいになると、サルの個体を区別しなくなっている。必要の無い情報処理の能力が失われている。代わりに、ヒトの表情の違い(喜怒哀楽)に敏感に反応するようになっている。
この時期の発達過程は、自閉症と関連づけて注目される。孤児をケアする施設で研究されている内容。一般的な家庭環境と比べて、この時期に人の表情に接する機会が少ないと、表情を識別する能力の発達に影響が出る。他者の感情を表情から読み取ることが難しいという自閉症の特徴に関わっているかもしれない。
運動機能の成熟、ニューロンネットワークの成熟、言語の獲得とそれに伴って起きる変化。
言語の獲得には多大なリソースを割くので、使われない能力はより顕著に消失していく。生後十二ヶ月で約40個の言葉を認識し、さらにその一ヶ月後には100個まで増えている。
ある新生児の言語獲得の記録。全ての部屋にマイクと天井から見下ろす魚眼カメラを設置して、起きている間の赤ちゃんの行動と言葉を発していくまでの過程を観察した映像。馴染みのあるモノや身近な者を通して、言葉やフレーズと対象物やイベントとをリンクさせようとする。新生児がある対象物を認識してBa、 buh、Dahといった発声をするようになる。それに対して親がDad、Ballなど、はっきりとした言葉でリピートしたり、Blue ballという形で発展させたり、あるいは動作や行動と組み合わせてフレーズで返したりする。フィジカルなイベントとソーシャルなイベントの関連づけが、言葉を学習していくプロセスである。
新生児が言葉を学習する過程を分析して、学習するロボットの開発に取り組む人たちの紹介。ロボットに「赤色」の「ボール」を取ってと指示するがロボットには対応できない。絶えず変化する状況にも対応できる学習する能力の柔軟性をいかに獲得させるかが鍵。
運動機能だけでなく、骨格も充分に発達して、肩幅も広がり、足も伸びて、筋力もついてくる時期。ここに至って、頭を持ち上げての二足歩行、つまり歩き始める準備が整う。
四本足で歩く動物はその移動の為にカロリー(消費カロリー全体の?/摂取カロリーの?)の約50%を消費する。その観点でみると、二足歩行は移動に関して非常にエネルギー効率が良い。さらに、両手をフリーにすること、より大きな容量の脳を支えることができるという利点もある。このような点に二足歩行の意味がある。
赤ちゃんすげえ。という完全に私的な興奮から、自分が理解した内容の備忘録としてここを利用させていただきました。理解のあやふやな箇所がたくさんあるので、誤った記述が含まれている可能性はかなり高いです。特に言語獲得のプロセスに関する部分は未消化だという自覚があります。何ヶ月〜何ヶ月というのは、整理のための大凡の目安として個人的に捕捉したもので、これを一般化して赤ちゃんの成長を評価するものではないです。水中で歩行する話だとか、数を数えられるよという映像は、ちょっと観察手法の正当性に注意が必要な気がしました。赤ちゃんのリアクションが周囲の観察者の期待に影響を受けていたりはしないだろうかと(昔、計算が出来る馬の話のトリックについて聞いたことがあるので)。
ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP 赤ちゃんの不思議
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/shop/detail.php?id=219
http://anond.hatelabo.jp/20091128000814から続き
恐る恐る視線を戻すと、美樹はレポートの作業を再開させていた。軽快な音を立てて、シャーペンが紙面を滑っている。まだずっと続くのであろう作業を呆然と見守っていてもつまらないし、そんなことをしていようものならばまた何か言われてしまうのが目に見えていたので、とにかく僕も何かをしようと数学の問題集を開いた。まだ先とはいえ、もうそろそろ今期末のテストが近づいている。授業にうまくついていけていない僕にとっては、まさしく恐怖のイベントだ。このままだとまず間違いなく、確実に単位を落とす。必修科目だから尚更やばい。
小さく深呼吸をしてから問題集に目を移す。シャーペンを片手に、頑張りますかと、気合を入れた。
そんな折にふと視界に入った二人分のエスプレッソコーヒーは、机の端でいやに肩身が狭そうで、微かな湯気をひっそりと立ち昇らせ続けていた。
生まれ始めた沈黙の時間。二人で一緒のテーブルを囲みながら黙々と作業を続ける最中、店内の音楽はジャズっぽくなり、クラッシックっぽくなった。ラウンジミュージックが流れ、ハウスミュージックの印象的なバスドラムが僕の集中力を飛躍的に高めてくれたような気がする。
そしておそらくそれは美樹にしても同じことであって、だからこそ僕はその一声をかけるときに、自分でも思いもみなかったほどに大きな勇気を振り絞らなくてはならなくなっていた。
「……な、なあ、美樹。ちょ、ちょっといいかな」
そうおずおずと尋ねた僕に、順調に進んでいた作業を中断させられた美樹は露骨に不快感を表しながら顔を上げた。微かに何か特徴的な物音が聞こえたような気がする。短く弾ける小さな苛立ち。おそらく舌打ちをされたんじゃないだろうかと考えた。眉間に寄ったしわは一段と深くなっている。僕の中で降り積もる恐怖は次第に厚みを増していく。
「あ、あのさ。ここの問題なんだけどね、さっぱり解き方が分からなくて」
生唾を呑んでから微妙に震える声でそう言って、僕は数学の問題集の左上に書かれた問題を指差した。美樹は僕の手からひったくるようにして問題集を奪うと、しばらくの間その問題をじっくりと見て、それから僕の方に視線を戻した。呆れ返った瞳が僕をひやりとさせる。
「亮太、こんなのも分かんないの? 基本中の基本でしょうが。数学の基礎でしょこれ。高校レベルの問題じゃない。……ねえ、馬鹿なの? それともなに、ただ私に話しかけたかっただけなの? 随分と面倒なやり方をするもんだね」
「いや、本気で分からないんだけど……」
言うや美樹が宙を仰いだ。なんてこったい。そう脱力しきった彼女の身体が物語っている。言葉になんかしなくてもひしひしと伝わってきていた。同時に、ずっと懸念していた嫌な予感がはっきりとした輪郭線を捉え始める。
美樹はひとつ大きなため息をついてから、再び僕に視線を戻した。浮かんでいた予想通りの表情を見て、僕は一瞬で気分が滅入ってしまった。
「亮太ってさ、一応大学生だよね。それも私とおんなじ大学の。ねえ、そうだよね。私、間違ってないよね。ね。じゃあさ、やったでしょこれと似た問題。やったよねえ。同じ高校だったんだしさ。できないと、ここにいられるわけがないものね。……あんたさ、どれだけ忘れるの早いのよ。大丈夫? 心配になってきたわよ。もしかすると、脳細胞がほとんど死んでんじゃないの? それともニューロンの絶対数が足りないのかしら。もしかしたら亮太の神経だけ伝達速度が遅いのかもしれないね。いやー、凄いね。珍しいよ。新人類なんじゃないの?」
言われたい放題だった。随分と僕という存在が小さくなったような気がした。
美樹はそこまで一気にまくし立てると、最後に小さく「考えられない」とぼやいた。そしてまたひとつ大きなため息を吐くと、さも面倒くさそうに僕に解法を教え始めてくれた。段々と店内の照明が赤暗くなり始めたような気がする。正直なところ僕も考えられなかった。
数学の問題がひとつ分からなかっただけなのに、どうしてここまで言われなきゃならないのだろう。確かに簡単な問題だったのかもしれない。高校の時に似たような問題を解いたかもしれない。けれど、だからと言って新人類などと馬鹿にするのは酷過ぎないだろうか。本質的に愚弄している。そりゃ僕は美樹に比べたら恐ろしく頭が悪いかもしれないけれど(確かにどうして同じ大学に入れたのか今でも不思議でならない)、こんなにぼろくそに言われる筋合いはないと思う。
腹の底に暴れる蟲を一匹仕舞い込みながら、それでも僕は低頭身を乗り出して解法を教えてくれる美樹の声をしっかりと聞いていた。美樹はこういう奴なんだから。我慢しなくちゃならない。仕方がないんだ。そう思っていた。思うように言い聞かせていた。
ずんずんと進んでいく説明を聞きながら、僕は公式をひとつ忘れてしまっていたことに気が付いた。なるほど、そのせいで出来なかったのかと、気が付いてなんだか清々しい気分になった。
一方で、そんな僕の発見など気にも留めない美樹の説明は続いていく。かなり早かった。端的に説明しながら、僕が理解出来ているかどうかにも関係なく進んでいく。お陰でいつの間にか進んでいた計算の過程がよく分からなくなってしまった。
「ちょ、ちょっと待って。ここはどうやってこうなるんだ?」
慌てて尋ねた僕を見上げた美樹の瞳に、苛立ちが燃え上がっていた。やばい。僕は更なる罵詈雑言が放たれることを覚悟する。機関銃やガトリング砲がガラガラと音を立てて照準を合わせ始めている。
美樹の唇がわなないた。
(4/5に続く)
~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~
動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。
当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。
全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。
現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。
このため,人は衣類を着用する。
衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。
あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物しかいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?
いま貴方はどんな部屋にすんでいる?
頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。
しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。
他人という存在を知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。
他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。
動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。
従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。
能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。
人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。
動物と人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。
だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。
結論をいうと,人間は犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪(違法行為)をする。
動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。
従って,動物同士には,窃盗も強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。
しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。
他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。
相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間の前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。
言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。
「他人と連携するため」に。
だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。
単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。
だから,人間社会は言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。
(ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)
動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。
さて,以上までは社会科学の立場から論じた。
自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。
事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類の起源そのものをかえてしまう発見がポルトガルであったことだ。
人間(サピエンス)と,旧人(ネアンデルタール)の混血化石が発見されたことだ。
2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルトン博士が,人類の常染色体の10座標から,原人,旧人の血統を発見した。
2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。
混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧,中央アジア,東アジア,の順となっている。
ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子どもや妊婦を殺して食べる。
感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。
ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジーの母親となんらかわることはない習性を持つ。
言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。
旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。
遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。
進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人は進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。
勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。
だが,考えてもみてほしい。
人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。
人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史と時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。
確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。
歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。
もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。
あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞やニュースの伝聞で聞いているはずだ。
犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。
しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間の言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。
「異常」とあなたは感じるだろう。
なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。
参考までに,一つの「事実」を示そう。
「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。
そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。
従って,原則,アフリカとユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。
イギリスや日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。
以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。
ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。
人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。
一方で,神などの知的な存在が人間をデザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論もID論も物証がない。
「彼らが,次の旧人ではないか」と。
次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類と形態的にも試行的にも異なる。
専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸の人類は頭示数が86以上であり,サピエンスと形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。
もはや,目でみて「大陸の人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。
ここで私は考えた。
もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。
恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。
愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。
この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。
こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。
動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。
能力の高い人間は動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。
つまり「人間性」を。
朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。
彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。
退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルをおせんだのではないか。
ここで一つの答えがある。
どうして,プレ・ネアンデルタールは人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタールは人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。
このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。
なぜ退化したのか。
そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。
彼らは知能の問題から,人間と動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。
退化した。
それが生きる術だった。
島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。
協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。
アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーとランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。
それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。
ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本,イギリス,台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。
自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。
そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。
私は,旧人を殺すことが正しいと思う。
それは私の生育環境に人間が多かったことが原因していると思う。
私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。
あにたは私の意思に共感するだろうか?
もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。
それがあなたの利益になるのだから。
一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?
「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。
これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人・原人を皆殺しにすることだ。
最近は「DISりたい奴の文章を勝手に増田に転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。
増田すごいよ。超匿名。どのくらい匿名かっていうともうすごく、idとかすごい見えない。すげぇの。中学とかみんなほら、名札とかしてんじゃん? 苗字割れまくりじゃん? んで同姓とかいたら名前の最初一文字もバレちゃうじゃん? 名前が漢字一文字しかない修くんとか武くんとか号泣するっしょ? 名札を学年で色分けしてたらもう最悪すぎ。個人情報流出しまくり。歩くキンタマウィルス。そこまでいくと、迂闊に出歩くと住所からクレカの番号まで割れてAmazonから見に覚えの無いエロビデオが送りつけられてきて親に釈明を求められるレベルだよ。それで世間に不信感もってヒキコモリになって心配極まった親が戸塚のヨットスクールに連絡してやってきた黒服に拉致監禁されて地下施設で過酷な強制労働強いられて食事は賞味期限切れのコンビニ弁当でみんなでやっと脱出できたと思ったらそこは荒涼とした砂漠でした、だったらどうすんだよ。さ迷い歩くうちに自分が臓器移植目的で造られたサムワンのクローンだったりしたら、もはやとりかえしがつかんぜ? 一生モンのトラウマ。そうなったらどうすんの? 学校は。政府は。国は。もっと頭使えよ。想像の翼をはばたかせろよ。村上春樹を教科書に採用してる場合じゃねぇよ。そんなんだから最近の中学生が英語訳させるとやたら気取った調子になるんだよ。何が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だ。タイトルで既に邦訳放棄してんじゃねぇよ! もーどいつもこいつもウスノロでばかばかばかばかばかばかばかばか。いいか!? 用務員室にさすまた置く前に、まず名札からセキュリティ対策を講じろよ! クソが!アホか! 給食費云々の前にてめぇはちゃんとメシくってんのか。だから誰とも面識がない自称父兄が体育祭で出没&女子生徒の徒競走ガン見して問題になるんだよ。っていうかソレ俺のお兄ちゃんだよもうだめ僕壊れちゃうやめてぇええええ。とか、死ねよ。妄想変態油髪豚野郎。
なんだってお前はそうやって脈絡もない上に中身もない長文を垂れ流したがる!? なんで視野が狭窄すぎて既に盲クラスの知識認識屁理屈その他を自信満々にほざきやがれる!? なんでそうやって意味もなくお涙頂戴の身の上話をでっちあげる! お前はクビになったこともなければ、上司と不倫したこともないし、売れ残りの処女じゃないし、そもそも女ですらな!い!だ!ろ!? 愛しさと切なさが別の意味でこみ上げてくるぞ! ブクマの数だけ心強くなってどうする!? そこ! 何が「あとで読む」だ! 読まなくても内容なんてだいたい見当つくくせに! っていうか増田でブクマの話すんな! 増田が穢れる! 俺のピュアで可愛い増田を汚すな。手を触れるな読むな見るな息するな己のブログのデザイン増田ライクに作り変えてそこで戯言並べてろ。出来れば一生そこから這い出してくるな一人で哲学してろゾンビめ。違うだろ? え? 何、もしかして、お前、あれ、「増田って俺のためにあるんだ」とか信じちゃってるクチ? 自分のブログで「今年俺が増田で書いたエントリ」とか堂々と恥じらいもなく晒しちゃうくち? 何? はまちちゃんきどりなの? お前がやっても許してくれると勘違いしてんの? バカなの?乙女じゃないの?ちゃんとニューロンはネットワーク築いてんの?あーもう……なんか、アレだ……思いあがりもはなはだだ、はなただ、はなはだ、ああもうとにかく腹立たしいなお前様は。
あんな。増田はお前のためにあるんじゃないの。俺のためにあるの。俺のためにお前らはクソみたいな良記事とか、クソまみれのグダグダおもっそい議論とかやってるわけ。すごいね。全員奴隷だよ。お前らを犬に例えるなら俺は資本主義だよ。でもね。おれさ、最近気づいちゃったんだよね。
いらない。お前ら。いらない。一人残らず、この増田から消えればいい。失せろ。id消せ。消す前に自分が今まで増田に投下したエントリ手動で削除しろ。しかし、人によっては大変時間を食う作業になるのでスキルのあるやつはツールを使え。無いなら作れ。猶予はあまりない。一分一秒が惜しい。急げ。時計はお前を待ってくれない。神様は無慈悲だ、残酷だ。何でわかるかってそりゃ俺が神だからだ。俺がこの素敵な宇宙船増田号の船長だからだよ。俺が守り、俺が愛しみ、俺が汚す。そこに誰も介入させやるもんか。誰もだ。指一本触覚一本日本政府も触れさせねぇ。沈め。日本。物理的にでも経済的にでも、手段は問わないからとにかく沈没しろ。
そうしたらサヨナラできる。お前らみたいな爪楊枝のさきっちょに刻まれた溝みたいなヤツらとも。永遠にさようならだ。ロンググッバイだ。何がロングだ、グッバイだ。ちゃんとタイトルも和訳しろよ、春樹。革命か、死か。
じゃあな。俺が嫌いな俺を嫌う大多数のピーポーども。すげぇサイレンならしてろ。後の増田は全部俺が面倒見る。
糞の海に溺れて死ね。
諸君 私はサイエンスが 好きだ
諸君 私はサイエンスが 大好きだ
帰納法が好きだ 演繹法が好きだ 思考実験が好きだ 実証実験が好きだ
代数学が好きだ 関数解析学が好きだ 集合論が好きだ 統計学が好きだ 情報理論が好きだ
Unixで Linuxで MatLabで Mathematicaで C++で Javaで 紙と鉛筆で 口頭で
全てのプラットフォームで行われる ありとあらゆる論証行為が 大好きだ
数列をならべた 並行スレッドの一斉実行が ファン音と共に他のプロセスを reniceるのが好きだ
ふと思いついて計算してみたモデルが 想定していた通りの結果をはじき出した時など 心がおどる
Athlonの64bit(フィア・ウンド・ゼヒツィヒ)でフェドラ7を使うのが好きだ
某M木先生さー、何でもかんでも「脳科学で説明出来ます」って擬似科学入ってるよねー、と言われた時は 我が意を得た様な気持ちだった
ラグランジュの未定乗数で ハミルトンの原理の拘束が表現されるのを知るのは 楽しい
リゾラッティの ミラーニューロンに関する基調講演を聞いた時など 感動すら覚えた
還元主義のfMRI万能論者達の発表が 質問攻めと共に叩きのめされる様などはもう たまらない
居並ぶフックス型微分方程式が 私の押したEnterキーとともに
金切り声を上げるCPUに あっという間に計算されるのも最高だ
哀れなM$オフィスユーザー達が 雑な数式エディタで 健気にもフィッツヒュー・南雲モデルの方程式を書こうとしている時に
PCがフリーズして ドキュメントが過去5時間分のテキストごと木端微塵にされるのを見ると TeX使いは ちょっと優越感を覚える
露助の教授に「あなたの理論は間違ってる事が(ロシアで)20年以上前に証明されていてねぇ」と指摘されるのが好きだ(ラボ内だったからな)
必死に守るはずだった仮説が反証され 実験の不備が指摘され 論文がリジェクトされるのは とてもとても 悲しいものだ
米国の物量(研究資金的な意味で)にものを言わせた研究所に 自分と同じ研究内容を先にPLoSに発表されるのだけは 勘弁だ
締切り(近々だと1月に1こ)に追いかけられ 太平洋標準時だからこっちの朝4時まで大丈夫!と徹夜するのは 体力的にそろそろ無理だ
君達は 一体 何を 望んでいる?
情け容赦のない 鬼の様なピアレビューを 望むか?
並列処理の限りを尽くし 三千世界のCPUを焼き尽くす 嵐の様なシミュレーションを 望むか?
「D論(クリーク)!! D論(カフェイン)!! D論(メンタルヘルス)!!」
よろしい
我々は満身の 力をこめて 今まさに スライドを指し示さんとする レーザーポインタだ
だが この暗い研究室の中で 3年もの間 堪え続けて来た 我々に
大論争を!!
一心不乱の大論争を!!
。。。。えー、
「男が出来る気がしない」と、 http://anond.hatelabo.jp/20081127063438 を書いた増田ですが、
どーせ釣りだろと言われた/予想以上にHELLSINGに反応してくれた人がいた/NIPSに持ってかなきゃ行けないスライドがいつまでたっても終わんない/ので、ついカッとなってやった。反省はしている。
ニューロンの発火がどのような機能を果たすかについては論じうるけども、ニューロンの発火パターンの「意味」をデザインした存在なんていないでしょ、ということ。
確かにそれには同意。あるパターンが赤であるパターンが水色だ、というようなことは自然界が勝手に決めたことだろうとは思う。
最初によく考えずに「意味」なんてさらっと書いたのが良くなかった……。
いや、ゲーデルの不完全性定理自体は、数学の内側から数学の言葉だけで数学の方法の限界を描出した、まったく数学の内輪で完結した論理だよ。君達文系が勝手に変な応用してるだけでしょ。
反省します。(汗)
いや、そういう話ではなく。
ニューロンの発火がどのような機能を果たすかについては論じうるけども、ニューロンの発火パターンの「意味」をデザインした存在なんていないでしょ、ということ。
人間はなんらかの知性によってデザインされたものではなく、進化の結果こうあるものなんだから。
いや、ゲーデルの不完全性定理自体は、数学の内側から数学の言葉だけで数学の方法の限界を描出した、まったく数学の内輪で完結した論理だよ。君達文系が勝手に変な応用してるだけでしょ。
進化の結果なんだから、ニューロンは勝手に発火して、それらが勝手にシステムを構成して何かの機能を果たしているだけで、それらを何らかの意味づけをしてデザインした存在がいるわけではない、ってのが科学的なスタンスじゃねえ?
発火パターンの遷移がすべてで、意識や理解は幻想、という考え方も確かにある。
でも俺たちは実際に自分で考えていると思っているし、それをかなり自由に動かしている気がする。
じゃあどうしてニューロンが発火することで俺たちは存在できているんだ? という問題。
ニューロン発火と俺たちが感じたり考えたりすることの間に物凄い断絶があると思われている。
あと、同じように発火する機械を作ったらそいつは意識を持っていると言えるのか? という問題でもある。
うむ。今まで隠していたが実はどちらかといえば文系人間なので。(爆)仕事は理系。
このあたりのネタから「やっぱ頭でっかちじゃ世界は理解できねーじゃん!」という反応を期待した。
現実には、むしろそういう制約があるのに応用範囲が広すぎる数学が不思議。
あと、人間の数学能力にはその限界があるのかどうか、という問題もある。
というタイトルで書こうと思ったら http://anond.hatelabo.jp/20070716220002 を見つけた。さておき、、
AVは演技が下手だったり男が頭悪そうだったりして全然興奮しなくなってきたので、興味本位でエロゲに手を出してみることに。
いろいろ探して「君が望む永遠」の体験版を試す。一章丸ごとプレイできるらしいので。
最初の印象は「紙芝居?」。そもそもエロゲがどういう感じのものか全然知らなかった。これじゃ初めて買ったマックに入ってたHyperCardと変わらんじゃないか。でもともかく進めていく。くさいセリフに苦笑したり、こんなしゃべり方(遥)する女いないだろ、とか一人突っ込み。しかしこんなに分岐点少なくていいのか、ほんとに紙芝居じゃないか、などと思いつつも、気づいたら3時間くらい経ってて翌日へ持ち越し。ってかここまで全然エロくないぞ?
...すごい続きやりたい!遥はさておき、水月が気になってしょうがないんですけど!
どうやらまんまとはまってしまったらしい。もはやエロとかどうでもよくなった。ストーリーがうまいのか何なのかわからんが、昔、恋をしてたころの、胸が苦しくなるような感情さえおこる。最近恋愛もしてないし、友情にも人情にも飢えてるので、より心にしみるのかもしれない。しかしこの歳になると、同時に、こんな頃には戻れない寂しさを感じざるを得ない。まあ自分の高校生活にこんな話はかけらもなかったわけだが。それでもなお、この感情は気持ちいい。この感情を引き起こすニューロンを刺激し続ける方法があったら、人生を棒に振ってしまいそうだ。しかし、一度も恋をしたことがなくても同じ気持ちを感じられるんだろうか?
本気で買いたくなってきたが、妻子持ちでエロゲ買うのもなんなので、wikipediaで二章のストーリーも把握。水月のバッドエンドひどすぎ。ストーリー知った上でもやっぱり二章やりたいんだがどうしよう。。
遅レスもいいところで、いまさらの書き込みだとは思うけど・・・
ってことなので、頑張って日記を見てみた(それでこんな遅レスになった)ので、
その結果を書かせてくださいな。
日記を見たり、日記と「善くない単語」でググってみたりした結果。
まずはgoodoldppsdays氏。
といいたいところだけど、これといった「他者に対しての人間性に問題あり」な日記や検索結果は、特に見当たらず…
探し方が足りないのかもしれないけど…
そしてowl氏。
こっちはたくさん出てきた。
http://d.hatena.ne.jp/owl/comment?date=20040621§ion=p1
Ο分間のあいだに登録されたΟ個のコメントのうちΟ個目にお答えしておきます。
延々とこの形で言い返していて、粘質具合が気持ち悪い…
ターゲットはnさん。
http://d.hatena.ne.jp/owl/20050822/sv
犬に噛まれて死ねばいい。
その他暴言多数で、悪者が言い逃げしてるみたいな感じ…
ターゲットはyさん。
http://d.hatena.ne.jp/owl/20071125/web
自分の脳のニューロン構造に自分がいちばん驚いた。
(これは別に自慢というわけではあります
とか。ちょっともう、この人は危ない人だと思う…
ターゲットは…自分より低脳だと思っている閲覧者全員、かな!?
今日たまたま黒岩よしひろ先生の公式サイト(http://homepage1.nifty.com/rin-yuuki/)を見たらZENKIのDVD-BOXが出ることを知りました。
そして鬼神童子ZENKI公式HPを見てみると昨日で受付終了してました。
※片面2層5話収録(最終巻のみ片面1層) (平均転送レート8Mbps台)
BOX-2 27,500円(税・送料込み)
メーカー直販ということでかなり激安ですが予約受注生産なんでもう手に入りません
でも私も友達も全くDVD-BOXが出るなんて知りませんでした
ちょっと調べてみたんですけど((http://search.yahoo.co.jp/search?p=linkdomain%3Axn--zenki-n47ih90pntc329h.jp&ei=UTF-8&pstart=1&b=11 http://search.yahoo.co.jp/search?p=linkdomain%3Aanimezenki.s280.xrea.com&ei=UTF-8&x=wrt))ニュースサイトなどで全く取り上げられなかったようです。
プロデューサーのブログによるとキッズステーションやコミックガンボなどに広告を出していたようですがZENKI世代は見てないと思います
ハ○ヒやらき○すたなどWeb2.0で大勝利!なところもあればネット通販や日本語ドメインとかのWeb1.1で頑張ってるところもあるんだなー、ということでした
Q:感情です。けだるい気持ち。主に思考・感覚といった情報刺激に対して発生します。
Q:情報によります。ニューロンが発火しにくい、シナプスの連鎖が途切れた情報は発火しにくいです。
Q:脳内にある程度構築されたニューロンのつながり―――学習された知識・情報・関連付けがないと、発火しにくいという意味です。
Q:ニューロンを積極的に発火させましょう。何事にも関連させ、意味を見出そうとする意思のあり方を心がけてください。
pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんが
これあまりにも酷いだろ。端的に言ってululun級。
基本的に、女性は、二人きりで男性を家にあげるべきではないし、あがるべきではない。年齢がある程度までいくと、どうしたって男は性欲に目覚める。
前半と後半がつながってない。性欲は性犯罪の必要条件に過ぎない。あと理性もある。
んで以下の文章が続くわけだが、
で、日本で、女性がレイプされる確率が一番高いのは、「知合い・友人」なんである。しかも、レイプ場所は、女性の家とか知人・友人の家とか。
見ず知らずの男に、夜中の誰もいないような道端でレイプされるというケースは、日本ではほとんどない。レイプの多くは、知人・友人から、女性の自宅、あるいは知人・友人の家で行なわれている。
こういう事があるから、基本的に、女性は、知人・友人であっても、ある程度の年齢になったら、男には気をつけないといけなくなる。
要ソース。レイプ全体での割合ではなく、男女2人が一緒の部屋に居ると性犯罪に発展する割合で。
悪いですが、僕は、自分の裸をみて勃起する危険性のある男とは友達になれません。一緒に寝てたら、夜中のベッドに入り込んで、体中さわりまくるような男も論外です。危険すぎるからです。
ですから、男女の友情は基本的に成立しえないというのです。危険なんですよ。性欲の対象として見られてしまうんだから。
人食い人種と二人っきりで食料無しの旅にでるようなもんです。
ゲイと人食い人種をここまで虚仮にするのもたいしたもんだ。ヘテロのあなたは正常ですか。おめでとう。
基本的に、女性は、その気もないのに二人きりで男の家にあがるべきじゃないし、同じように男も、その気もないような女を家にあげるべきではない。(男の自制心なんて吹けば飛ぶようなもんだし)
あなたを男の典型として扱わないでください。吹けば飛ぶのはせいぜいあなたの自制心であって、男全体のではない。すなわちid:pal-9999と接点のある女性全員はid:pal-9999を警戒すべきであって、必ずしも男全体を警戒する必要はない。
もちろん安全側に立って男全体を気持ち悪い目で見るのは自由ですが、男による警鐘だと思うと鼻につく。
ヘテロであるid:pal-9999>>>>>>>>>>>>>>>>セフレ関係持った人=ゲイ=人食い人種ですか。見上げた士農工商だ。
はてなブックマークでもニューロンと精子が糞味噌になってる性犯罪者予備軍が居るようだ。
はてなブックマーク - pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんが
どう見ても暴論です。本当にありがとうございました。
2007年01月16日 tomako7 恋愛, 社会 ほぼ同意。逆に性欲の対象にならない場合は女として問題ありだと思う。好みかそうでないかに関わらず。
id:tomako7があなたを見て勃起できれば女として合格ッ!
非モテだかの人はこういうのに何も反応しないの? 自分のことで大忙しなら仕方ないけど。