はてなキーワード: 張子の虎とは
ウクライナ反転攻勢は弾切れで頓挫、ロシア軍大攻勢で戦争終結へ
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76340
ウクライナはまもなく敗北する。
もうその準備はできている。
前半はかなり正確。
そもそも民間人に撃っていたら足りるわけがない。ウクライナはスラブ人虐殺してたのか。
戦わせて儲かるだけ。
アメリカは嘘ばっかり言っていた。
この記事でも通常触れられないが、ウクライナが負けても終わらない。
ポーランド、沿ドニエストル共和国、トルコがロシア寝首をかかないとは限らない。
しかし、西側の兵器が張子の虎だと分かればそれでもやるかは微妙。
彼らが陣取っているマリにはイギリスから機密情報がバンバン流れていた。
相当程度、米英の動きは筒抜けだった。
この時点でG7は負けている。
こうなるとパルチザンが暫定政府を組織する可能性がある。そうなるとロシアの望み通り。
結構高い。
台湾総統選挙の結果、親中派の総統が選出され、両岸関係が政治的平和統一に向かう可能性もある。
そうなれば、台湾に向けられていた中国の軍事的圧力は尖閣・沖縄に集中することになる。
いずれの場合も、日本特に尖閣・沖縄に対する中国の脅威が顕在化する可能性はあり、侵略が起きる可能性は排除できない。
しかし、日本にはそのような事態に対する備えはいまだ不十分であり、侵攻の可能性が最も高い尖閣諸島は無人のまま放置されている。
ここでアタオカなのは尖閣は台湾も実は狙っていることを知らない点。
国共合作でしょ。
なぜいちいち島を占領する?
やるならとっくにやってる。
だからやるわけない。
沖縄の馬毛島からは旧石器時代の遺跡が出土し、沖縄の言語、習俗、信仰などには縄文期以来の日本文化の源流がいまも伝えられている。
沖縄は紛れもなく日本の一部であり、むしろ日本文化の本家本元でもある。
沖縄とその一部である尖閣諸島を他国の征服に委ねることがあっては、これまで日本国土の一体性を護り抜いてきた祖先に対しても、これから生まれてくる子孫に対しても申し訳が立たない。
沖縄は捨て石にしてなに言っているんだ。
この機会にまず米軍基地を追い出せ。
少なくとも沖縄はもういらない。
本当に呆れる。
前半と後半が違いすぎ。
だけど人気者ってそういうの気にしない人多いんだよ。
自分のイメージ通りに他人に自分を肯定して欲しい、みたいな欲求を捨てるという。
(結局潜在的に自他をコントロールしたいと思ってるかどうかに話が行きつくが、話がそれてゆくので深堀りしない)
100点の自分のイメージは他人様からは60点くらいかもしれないということ。
それを肯定するということ。
自己肯定っていうのは自己イメージの凝り固まった今の自分を認めることじゃなく、見誤った自分をときに否定して残った自分を容認する、削る作業なので。
ウェイトはどちらかと言えば許す方にある。だめな自分をありのまま許すというのもある意味では捨てる方角に意識が向いてるとは言える。
【警告】
以下、作品の内容について触れているので閲覧注意。特にロリコンにヘイトをぶつけてくるフェミキチガイBBAの閲覧は厳禁
注意したからな?
意欲的な作品だなとは思うが、個人的には単調だし抜けなかったしで微妙。
ストーリーはシンプルで、生粋のロリコンがずっと付け狙っていた少女を河原の高架下に引きずり込んでレイプした挙げ句、「自分が間違っているのは知っているし、全てを失うけど一番欲しかったものは手に入れられたから有意義な人生だった」みたいなことを言って終わる。
竿役の顔は一切描写されず、しばしばモンスターとして描かれる。これは彼自身の自己認識で「そう」であり、そのモンスターが「正常な人々」に殴り殺される描写もあることから、自身の願望が社会的に許されないことも知っている。
ただその程度の描写は「安全に痛い自己反省パフォーマンス」とでも言うべきものであって、ありふれており、何ら心にひっかかるものがない。
そもそも襲う前やレイプ中の竿役のテンションが低すぎるのが問題だと思う。竿役は体が成長してもロリにしか関心が持てないロリコンで、今回レイプした少女はずっと付け狙っていた(「頭の中では100回話した」とモノローグ)にも関わらず、ようやく悲願を達成したであろうその瞬間にも「俺を救ってくれ」とモノローグする有様で、性的に興奮してる様子は伺えない。最初から最後まで自己憐憫に浸ってるような感じ。最初に「個人的には単調」としたのはそういうところ。
竿役は大人になっても少女にしか関心が持てないロリコンだ。しかし少女と恋愛関係を結べれば解決するという感じでもなく、「7歳児の膣の感触」を知られたから有意義な人生だったとしながらもそこに興奮する様子はなく、一方でレイプした後で少女にトラウマを植え付る言動をし、それが望みだという雰囲気も出す。
承認欲求なのか、性的欲望なのか、復讐心なのか。竿役が少女をレイプし、それで何が達成されるから「救われる」のかが定まってなくて座りが悪いのである。
レイパーなんて支離滅裂で頭おかしいやつに決まってるでしょみたいな意見があるかもしれないが、それはこれが漫画であり物語であるということを放棄することにほかならない。漫画として成立させるためには、支離滅裂なら支離滅裂な一貫性というものが必要なのだ。
というところまで書いてみて、「微妙」としたが「レベルが低い」と評価を下方修正することにした。
たしかに「7歳児の膣の感触」を「救い」とするセンスにはビビるが、それを十全に活かしきる表現力はない感じ。編集がまともに仕事してないんじゃないか。
この作品を「凄い」と言ってる人を何人か見かけたが、実際どこが凄いのか語れる人はいないと思う。こういう張子の虎のような作品を安易に「凄い」ともてはやすのは作者にも誰にとってもいいことじゃないと思うな。
また新しい洗顔剤を試すことにした。
前回試してみたものは、洗っている時の手触りは滑らかで良かったが、持ち前のオイリーな肌の脂をカバーしてくれるには至らなかった。
この季節になると、顔に脂がのってきて、いつも使っている洗顔剤では物足りなく感じる。そうして毎年、新しい洗顔剤を探すことになる。最近ではInstagramやTwitterを検索すると、色々な人がお勧めの洗顔剤を教えてくれており、今年こそはベストなものに巡り会えたのではないか、と楽しみな気持ちで通販のダンボールを開けるが、そのダンボールを捨てる頃にはがっかりとした気持ちになっているのだ。
顔の脂をなんとかしなければ、化粧が崩れやすくなる。私の場合は特に顎と額が課題となっている。脂を取った後、何重にも液体や粉末をまぶして顔を装飾していく。何重もの和紙をでんぷんで貼り付けていく、張子の虎と同じだ。
学生時代、故郷の社会科見学で訪れた伝統工芸品、張子の虎の作り方は思った以上に時間と手間隙をかけた物だった。それが数百円ほどで買えること、帰りに小さな張子の虎をもらったこと、それを断れなかったことが思い出される。
はっきり言うけれど、「青識の勝利」というのは認めなくちゃいけない。
というのは、議論の正しさ以前に「フェミニズムの実際の集客力や影響力が張子の虎だってバレた」ことが最大の問題。
口では大勢いるように見せかけて炎上商法を仕掛けるが、実際の集客力は、オタクの圧勝だったでしょ。
だって会費はたったの4000円だよ? オタクは払って意見を見に行った。でもフェミは全然来なかった。
考えてみたら、宇崎ちゃんは遊びたい献血キャンペーンのときもそうだった。
実際に献血を支えてたのはオタクで、フェミは献血に貢献せずブー垂れてただけ。
この差は大きいよ。
フェミは「社会的な大問題だと炎上を起こす」けれど、実際の影響力はそんなでもない。むしろ少ないということがバレ始めてる。
これ、本当にまずいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20190119103107 の続き
今日のプロブロガー(2019-01-14)(2) | MechaAG
どうりでイケダハヤトは田端信太郎には「無関係な人」というのに、けんすうには言わなかったわけだ。
それにしても、もうイケダハヤトの味方、マジで誰もいないんじゃ。ここまで完全に否定されるってのも珍しいんじゃ。ネットって何かと「みんなと違う意見を言いたい」人が多いのに。こんなんじゃ俺がイケダハヤト擁護に回っちゃうぞ?
今日のプロブロガー(2019-01-17)(2) | MechaAG
この有料サロン、正田圭が個人的にやってるのかと思ったら、どうやらTIGALAが会社としてやってるらしい。Campfireでの主催者はTIGALAになってる。となると会社として責任を負ってるわけで、「ちょっとプロフ盛っちゃいました」で済むのか、俺にはわからなくなってしまった。
今日のプロブロガー(2019-01-17)(4) | MechaAG
今回イケダハヤトは何がしたかったんですかね…。直接的には正田圭を擁護しようとしたんだろうけど、火に油を注いだだけ。正田圭は一応企業の社長なんだから、大炎上するといろいろ困ることになると想像できなかったのか。できなかったんだろうな。イケダハヤトはそういうのは理解できないし、信念として理解したくもないんだろう。でもそうなると企業とのコラボは無理だよ。イケダハヤトの場合、自分のポリシーの正しさを身をもって証明するという目的しかないんだろうな。まあそれ自体はある意味尊敬できるけど。
TIGALAと正田圭がサロンから手を引くとなると、正田圭目当てにサロンに入った人は、金返せと文句が出ないんですかね…。一度返金するとかしないと。まあもはや誰も痛みを伴わずに事態を収拾することは困難だが。
もちろん物事は矛盾し合うし変化も必要。しかしその時に矛盾をなんとか自分の中で是正しようとする努力が、精神的な成長になるのだが、イケダハヤトの場合は矛盾を気にせず、矛盾を包含してその外側により上位の体系で矛盾のない思想を作る努力を怠ってるので、結果的に精神的な成長がない。6年前のまま。イケダハヤトを真似すると成長が止まってしまう。
イケダハヤトはたった一人で戦ってる。まあ10代の思春期、中二病的にはカッコイイんだけど、そのまま30代、40代と進むと相当辛いよ、と。
イケダハヤトの社畜批判は的を射てるというより、誰でもわかることしか言ってない。「郵便ポストは赤い!」ぐらいの。そもそも欠点のないシステムはないわけで、それをみんなが知ってるような欠点を指摘して「現代社会にはこんな欠点がある!」と言ったところで、何が優れてるの?
もっと問題なのはイケダハヤトが「こうすれば郵便ポストを青くできるんだ!」と言ってる部分。その点をみんな評価してるわけだよね。「おお!?これはなんか新鮮な主張だ」と。ところがその部分はデタラメなわけで、それじゃいいとこなんて一つもない
今日のプロブロガー(2019-01-15)(12) | MechaAG
イケダハヤトは子供っぽくて、社長は何でも独断で決定できると思ってる。あるいはプロジェクトのリーダーは何でも独断で決定できると思ってる。しかし決定したってそれに従ってくれないと張子の虎なわけです
ゲリラというのは攻撃は得意だけど防衛は苦手。それではインフラのように安定性が重視されるものには向かない。正規軍には正規軍の戦い方、ゲリラにはゲリラの戦い方があるわけで。そういうことがわからず、正規軍もゲリラのように戦えというのが、イケダハヤトの思考の未熟なところなわけ。
今日のプロブロガー(2019-01-17)(3) | MechaAG
彼らのtwitterとか見てると、イケダハヤトの顔色を窺ってて、哀れになるほど。イケダハヤト界隈は「手っ取り早く儲けること」ばかり考える。それだと相手に損をさせて儲けるのが一番効率がいいんだよね。しかし損をさせた相手は二度と取引してくれない
相手に損をさせてその分自分が儲けるというのは、学生的な思考。学生ってうまく立ち回って出し抜くのがカッコイイって文化があるじゃん。そういうのが多めに見てもらえるのは学生のうちだけ。まあイケダハヤトはネットを巧妙に使って、損をさせるのを不特定多数にすることで、これを持続させてるわけで、まあなんというか、褒められたことじゃないが、よく頑張るな
テスラ3の販売がまたもや遅れるそうだ。2018年にギリギリとの報道もある。
経営者として優秀なのは疑いようがないのだが、その商売方法が詐欺一歩手前。
過去1年間の主要自動車メーカーの発表が計画通りであるならば、
テスラが掲げるモデル3の価格、航続距離、自動運転機能のいずれもが、
2018年ではスタンダードなものになり優位性はなくなっているものと思われる。
あくまで2016年に発表し、2017年に発売することに意味があったのだ。2018年では意味がない。
ここで勘違いして行けないのが、テスラが保有する自動運転機能は他社より先進的なものではないということ。
国内を含めた他社も既にテスラレベルの技術は保有しており、あとは法規とかいろんな制約で発表していないだけだ。
昨年フォードや日産が自動運転を20XX年に実現しますということを大々的に発表したが、
これは「行政とのロビイングの結果なんとか国交省やNATSAから許可の下りる目処がたちそうです」と読み替えたほうが正確である。
決して開発の目標ではない。なぜなら既に開発はほぼ完了しているからだ。
もっと正確にいえば、モービルアイというイスラエルの部品屋とコンチネンタルという部品屋が自動運転に関してかなりの知的財産を保有、
その主導権を握られている状態であり、自動車メーカー単体で他社を出し抜くのは難しい。
で、テスラに話を戻すと、彼らはそういった業界のルールに縛られにくいベンチャーであることを強みとして、自由に発言をしているだけということだ。
「実は大したものではないこと(人)なのに、人々がそれを恐れるが故に怪物として扱われる(た)ような物(人)」を
・張子の虎→この言葉は虎側をあざげっていう言葉であるが、私が言う言葉はあざけりの意味を含まない。
・幽霊の正体見たり枯れ尾花→ニュアンスは大体あっている、もう少し短い言葉だったように思う。
・杞憂→これはこの怖がっている個人の問題であり、私が言う言葉はみんな怖がっているようなこと(人)に対して使う。
・蟷螂の斧→これは力のない者が頑張るという話なので違う。
・眠れる獅子→確かにしっくりするが、意味をググると実力を発揮していないという意味合いなので厳密には違う
・仏の顔も三度まで→これは腹を立てる立てないという話なので違う
・鶏鳴狗盗、羊頭狗肉→例としてブレーメンといってしまったが、その言葉に怪物側に騙そうという意図はない。
・竹箒も五百羅漢→これの神ではなく怪物バージョンであれば、意味はそのとおりなのだが。
・羹に懲りてあえ物を吹く→これは結果必要以上の用心をするという意味なので違う
・怪物→思えば単にこれでいいのかもしれないが…。ただ、(フランケンシュタインの)怪物とかにするとそれっぽい感じにはなる。
かつてはVim対Emacsでガチ戦争があったが、最近ではどっちも大差ないと認識が広まってきのこたけのこ戦争となった。
対してこれらのエディタとVisualStadioやEclipseのようなIDEの間には今こそガチ戦争が勃発している。
数で圧倒的に有意に立つIDEユーザと本物のプログラマを自称するエディタユーザの争いである。
エディタユーザはIDEユーザを能なしと罵っていて、それに一理あるという風潮があると思うが、騙されてはいけない。
致命的なのはエディタではIDEのような補完入力ができないのだ。
これなしでどうプログラミングするというのか。
あるいは自分一人でコーディングするような場合も問題ないだろう。
まさかいちいち対象クラスのコードやドキュメントを読むというのか。
覚えておけばいいと言う人もいるが、バカも休み休み言えといった感じだ。
そういうことを言う人は、コンパイラも使わず機械語直打ちなプログラミングやってればいいよ。
きっと素晴らしい情報処理能力でみるみるうちにコードを完成させてくれるだろう。
まあ、実際には一月かかっても2分木ヒープも実装できないだろうけど。
また、リファクタリングやプロジェクト管理も一貫してできるIDEは単なるテキストエディタなど物ともしない。
エディタ勢は、これらより便利なツール類がvim scriptやemacs lispで書かれているかのように言っているが、そんなものは実在しない。
あるなら、誰もが使っているはずだ。
というより、そんなものがあったなら、そもそもIDE自体作られることはなかったはずなのだ。
実態はない。
実態があるというなら、実際にエディタでIDEより優れた生産性でコードを書いている動画がYoutubeにあふれるはずである。
だが実際にはそんなものはない。
なぜか?
もちろん、やりたくてもできないからだ。
エディタ対IDEの戦争の正体は、エディタの生産性の低さがいつ暴かれるかと戦々恐々している自称スーパープログラマ達の、自己弁護と時代に取り残されたという怨嗟の声の集まりである。