はてなキーワード: 台車とは
基本的に長距離移動の電車と近距離移動のEVで移動を実現していくという考え方
各駅に近距離移動用EVがたくさん置いてあり、それを使って駅から目的地までの移動を行う
田舎の方はわからないが、駅から50km移動できれば大体のエリアはカバーされると思う
なので、基本的にEVは所有せず、カーシェア的な使い方で近距離移動に特化させた方が環境にも経済にも時間効率的にも良いと思う
ぶっちゃけ採算は取れない気がするが、環境のためだし半分公共交通機関みたいなものということで補助金ドブ漬けにしても良いと思う
正直、テスラや他の高級EVは頭が悪すぎる乗り物なのであまり好きではない(なのでトヨタに対してもガッカリした、今まで出していたコムスとかCpodとかが正しいと思う)
本気で環境のためにEV化を進めるのであれば、今までの車の概念を一から再定義して、より合理的なシステムを構築した方が良いと思う
18時半くらいまではそんなに混まなかった。最近、フリーター女子アルバイトさんがお水風俗の世界に片足を突っ込みたがっている、という話をAさんとする。まだ未成年だと諸々の支払いが来ないので、気軽な気持ちで大金を稼ぎたがるのでは? とAさん。なるほど。今時はキャバクラとかでも雇用契約を結ぶ時にマイナンバーを要求されたりするんだろうか。仮にそういうのが無かったとしても、最近は税務署が厳しいので、稼いだお金を銀行に預金したことがきっかけで脱税がバレるとかありそう。税金払ったら夜の仕事なんか、やるだけの価値があるほどの手取りは残らなさそうだ。そんな話をした。
19時を過ぎた頃から、家族連れがやたら多く来店。別に、良さげな一番くじがあるとか、アイスやお菓子を何個か買うと良いものが貰えるキャンペーンとかをやっている訳でもないのに。
小さな男の子数人と女の子を連れた一家が来店。まあやんちゃ坊主がそれだけいるとご両親でも制御しきれるはずもなく。アイスケースに群がる子供達の一人が、置いてあった台車(4段重ね)の上によじ登ってしまい、台車が動いた弾みにアイスケースの縁に顎をぶつけそうになった。慌てて飛んでいって「ごめんねこれには危ないから乗らないででね」っていってお子様を台車から降ろした。ご両親からめちゃめちゃ謝られたけれど、こっちも平身低頭で謝罪した。子供達がアイスケースに群がり始めた時点で、足場になるものを全て退かすべきだったので。
やばいな、自分の子供が大きくなるに連れて、幼児の行動の読めなさに対しての危機意識が鈍麻している気がする。きっと、3年前の私だったら、子供達がぞろぞろ入店してきた時点で、危ないものはバックヤードに片付けたはず。たかが子供を自分の腹から産んだくらいで育児のエキスパートになどなれるはずもなく。というか、育児スキルなんかほんの一時のもので、幼児のいない暮らしに戻れば、徐々に失われていくものなのかもしれない。過去の経験から子供の面倒を見るのは朝飯前と思い込んで孫を危険に晒すばあちゃんへの階段を、早くも昇り始めている自分に気づいた。
とかいうことをAさんに話したら、「そういうもんなんですか!」と驚かれた。おう。私も、ついさっき気づいたばかりだしの。
21を過ぎたら流石に暇になった。猫が好きなのに猫に好かれないAさんに、猫と戯れるためのコツを教えた。まず猫の方を見ずに座り、不燃ごみになった気持ちで、猫の方から近づいて来るのをじっと待つ。もし猫が人に可愛がられた経験を持っていれば、どんなに不燃ごみみたいにしていても人間は人間とちゃんと認識しているし、近寄ればエサはくれないまでも背中くらい掻いてくれるだろうと考えて、近づいて来るものだよ、と。「そういうもんなんですか!」とAさん。人間の育成方法は忘れても、猫と共存する方法は忘れないというのも、変な話かもしれないけれども。
「天地無用」「上積み禁止」「割れ物注意」「この面を上に」「指定時間厳守」「コワレモノ(なぜかカタカナ)」などなど
荷分けしてる時にこういうの全部考慮して積み込むとか無理だから、結局品目で判断するしかなくなる
さっさと片付けないと次の荷物が来て詰まっちゃうから、荷分け担当の人間は常に急かされてる
そんな質の良くない人間がワーワー言いながら、必死こいてロールボックスパレット(カゴ台車とか言ったりするアレ)に荷物を積み込んでいく訳だ
そんなんだから年末年始(お歳暮も含む)やお中元シーズンといった時期はどうしても荷物の扱いは雑になる
繁忙期はトラックから降ろした時点でぐっちゃぐちゃだったりする事も多い
上積み禁止シール貼っていても重たい荷物はどうしたって下の方になりがちだし、割れ物シール貼っている明らかに割れ物じゃない荷物は適当なケースに放り込む事になる
誰が言ったのか知らんけど、シール貼ったら荷物の扱いが丁寧になるなんて事はほとんど無いんだ
つーかね、割れ物や上積みしたら壊れる様な荷物はまず梱包をしっかりしてほしい
テープをケチってるのか数カ所軽く止めてるだけの箱とか、ケチって小さな箱使ったせいではみ出てる荷物とか、米送るのに米袋の口をセロハンテープで止めてるとかやめてほしい
特に粘着面があるからって送り状を箱を閉じるテープ代わりにするのは本当に止めて欲しい
送り状を破かない様に剥がした上でテープで閉じて、送り状を貼り直す必要があるからすんげー手間食うの
割れ物対策は徹底するなら箱を二重にして、梱包材を詰めて内側の箱を動かない様にするのが確実だと思う
要はアマゾンの箱みたいな感じにするって事だな
アマゾンの箱は二重ではないけど、内側入れるダンボール板に品物をくっつけて動かない様にしてるから破損しにくい
アマゾンの箱は意外と丈夫だしね
通販業者だとオリコン(折りたたみ式のプラスチックコンテナ)を使ってるところもあるな(後でオリコンだけ戻す)
アマゾンの箱やオリコンは大きさや形が揃っているから、他の箱に比べてかなり扱いやすい
逆に無理やり詰め込んでデコボコしてる箱や、ビニール袋に送り状貼り付けただけ(品目が衣類なのに割れ物注意)みたいなのは扱いづらい
「くっそ重いから下の方に積みたいけど、蓋のところからなんかはみ出てるから上にしか置けねぇ!」みたいなのは本当に扱いに困る
もちろん荷分けする人間は丁寧に素早く荷分けしなきゃダメだし、配達する人間も荷物を雑に扱ったりしちゃダメだ
荷分けする時に投げたり蹴ったりする奴が居たり、確認もせずに不在票置いていく奴が居るのも確か
その上で貴方の荷物を安全に確実に届ける為に、とにかく梱包だけはしっかりやってください
どうかお願いします
都心じゃないけど首都圏の大きなホビーチェーンの店員です。電気屋の一角とかじゃ無いよ。そもそも同業他社が少ない分野だから具体的な地域は勘弁。
まず結論。新作発売日の開店前に居るのの7~8割は転売屋です。流石に分かるわ。
もちろんうちの店舗にコミュ障のプラモ大好きで同じプラモを大量に買う人達が徒党を組んでやってきている可能性もゼロではない。でもやっぱ分かるんです。どんなにエロ本やAVを「私、こういうの全く興味ないんです。社会勉強(頼まれて)買いに来ただけなんです」って感じで買う人だって未成年かどうかはさておき興味持ってる感じは店員は感じ取れます。転売屋は何ていうかやりがいみたいなのが無いからか、全くそういうこれを買いたかったってのを感じない。
じゃあ店舗で対策しろよって言われるだろうが、一応人気商品は一限にしてたりするし過去には抽選とかもやったが、抽選とかって暇な転売屋には他の店舗行く余裕与えるだけで対して効果ないし、何より転売屋って文句だけはいっちょ前に言って業務止めるの。ちょっと前のアメリカみたいに警官が店外に引きずり出して警棒で殴ってくれるなら良いけど、日本は無いだろうし最悪は転売屋ライブズマターとか言われたら頭抱える。
ほんとどうにかしてよバンダイさん。お前んとこがネットで1限で通販すれば良いんだよ。そしたらネット使える奴はとりあえずそっちで買うから。でもガンダムベースって自前の転売仕入市場経営しているし期待するだけムダかな?
👊🏻😼押忍❕ネコチャンやで。
今日は
ナナなんと。
縦180横130奥行き75という超巨大ロボじゃなく
小雨降る中、「絶対今日やるぅぅぅぅやってやるぅぅぅ」と思いつつ
ダメだったら業者さんに電話しよっと内心思ってたかもしれないニャ。
だって、ほんとドライバーの先っちょが刺さったまま外れちゃうんだよ
あとでみたら、十字がかけてた。そらまわらんわーニャ💦
つかったもの
☑ ドライバー
☑ 金槌(先の細い物)
☑ 呉55のサビ取りもできるやつ(赤くて小さい缶)
☑ 台車
☑ 脚立
☑ ネジザウルス
物置ってねじで留まってるだけ。
自分で出せば安い。
屋外に置いてる物置は、変なもの入れてなくても
貰いサビなんかもあって
ぜんっぜん回らない。そして、なぜか一番下のだけなんかねじ長すぎとか!
まぁ取りあえずできたので(軍手も)服も全部洗濯したので今日は増田にいてもいいニャ。
そして案外、鋼って重いのね。
明後日頑張って出そう。
お疲れニャン、自分。
褒めて使わすぞ。
🐈膝とかいたーい。
関西の政令指定都市生まれ・育ちの女が夫の転勤で田舎に行って辛かった話
東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話が話題になっているので、隙あらば自分語りをしようと思う。
当方はアラサーの在宅ワーカー、運転免許は所持しているが持病があり車の運転に不安がある。関西の政令指定都市の中心部にほど近い、終電を逃しても中心部から家まで歩ける距離の場所で生まれ育った。
酒が好きで、友人と頻繁に飲み会を開いたり一人で飲み屋に入ったりすることもしばしばあった。
関西の別地区(駅前以外はそこそこ田舎)出身の夫と結婚してすぐに関東の大都市に転勤。そちらには友達もいて、スキルアップのために仕事と並行して専門学校に行ったりして毎日が充実していた。しかし1年で中国地方に転勤することになった。
ここまでが前提である。
中国地方の田舎に引っ越す際、その地方の大きな駅周辺ではなく、大型スーパーに自転車で行ける距離の場所に家を借りた。既に車を1台所有していたが旦那が通勤で使うため、日中私は使えない。もう一台車を購入することも考えたが、持病のことと今回も1年で転勤になったら……と思うと二の足を踏んだ。
同県内の中心部に近い場所に友人がおり、県庁所在地のある場所で会うことになった。旦那とは共通の知り合いがいないため電車で行くことにし、徒歩だと45分くらいかかる最寄り駅まで車で送ってもらい、駅に入る。
駅員さんがいない。
まあ、これは想定内だった。
改札もない。
都会で見慣れた自動改札機がない。ICカードが使えないのではないか。仕方ない、切符を買うか……。
券売機がない。
これは想定していなかった。どうやって切符を買うのか分からない。アラサーになって電車の乗り方が分からないなんて思いもしなかった。
バスと同じ後払い制なのか?と冷静になれば分かるのだが、私にとって電車は券売機で先に切符を買うというものだと信じて疑わなかったのだ。
「終電21時→到着翌朝5時」……? アプリで終電だと表示されたルートだと、途中の乗換駅から最寄り駅までの電車が朝の5時前までなく、22時半から5時まで待つというルートだった。前の時間の電車を調べ、県内の中心部から最寄り駅に電車で帰れる終電は「19時半」だということが判明した。終電19時半……これが田舎の公共交通機関か……と頭を抱えた。
田舎に住んでいてある程度は覚悟していたが、「遊びに行くのに予想以上に交通費がかかる」ということが出かけることに対してハードルになった。
中心部に買い物に行くだけで3000円。
家の周りには徒歩で行けるお酒を出す飲食店がない。お酒を飲んだら運転ができないので車で行って代行で帰ることになる。美味しい店は20km先ということもざらにあるので、飲食費とは別に約5000円。
家賃が都会に住んでいた時と比べて安くなっているとはいえ、形の残らない交通費に数千円を出すことにためらってしまう。私は実家の立地が良かったこともあり、交通費に片道1000円以上かかることが滅多になかったので、抵抗が大きかった。
遊びだけではない。
平日の昼間。旦那の仕事中に足にけがをしてしまった。足首に痛みが走り、段々と腫れあがっていく。田舎の病院は数えるほどしかなく、最寄りの数キロ先の病院は休診日。その次に近い病院は十数キロ先。最寄りのバス停から直通バスはない。田舎の病院の診療終了時間は早いので旦那を待っていられない。救急車を呼ぶレベルでは全くないし、そうなるとタクシーか、と考えた所でタクシー代が頭を過る。……それなら一晩様子を見よう。
そう考えた時に「これがもっとひどい病気や怪我だったら……?」と怖くなった。生活がひっ迫しているわけでもないし、旦那はタクシーを使ったからと言って怒るような人ではない。しかし都会ではすぐに医者に行こうと思うことも、こちらだったら行くのを躊躇ってしまう。それがとても恐ろしくなったのだ。
田舎に暮らしていて良かったこともあるし、辛かっただけの生活ではなかったが、持病や運転に不安がある自分には田舎は辛かった。
20代後半まで勤めてた会社が最悪だったけど、自分はスキルもなにもないのでここでアルバイトをし続けるしか無いと思ってた。
その会社では使えないやつと思われていたが、転職したところ成長株扱いされてものすごく褒められるようになった。
最初の会社は就活中に金を稼ぎたいからアルバイトで入った会社だった。
最初に書いてあった業務内容が趣味としてやっていた内容で、これなら気軽にできるし就活に金を使うから少しでも稼ぎたくてで入った。
その後就活は失敗、どこにも内定が出ないまま、大学を卒業しずるずるとその会社に勤めていた。1日8時間。普通の社員と同じだけの時間だがアルバイトだ。
親族経営で、社員が10人程度しかいないがそのうち3人は社長の親族だった。社長と副社長が親子で、経理が副社長の妻といった、本当によくある親族経営だ。
アルバイトとして入った業務内容は、ずるずると長期間やる必要があったが1日の仕事量はそれほど多くない内容だった。
うまく説明できないんだけど、ランチタイムだけ営業しているカフェの厨房業務とでも言うのか。そんで会社自体はそのビルの警備業務がメインとでも言うか。完全に例えで実際は全然違うんだけど。
とにかくそんな感じで、俺のやっている業務内容は会社のメインの業務とは全然違ったし、なんならその部署というかその業務をしているのは俺だけだった。今までカフェは空間はあるものの誰も整備もなにもしていない状態で、俺が入って初めて厨房にガスコンロが置かれたようなありさまだった。
結果的に、俺はバイトとして入った理由である厨房業務から、手があいたときは警備員の業務を手伝うようになった。
どの車をどこに案内すればいいのかわからない。どの人が不審者か見分けがつかない。車種がわからないのであの車が来たかと訊かれても答えられない。何もわからない。
上司からはひたすら使えないやつとして見られていたのがわかった。そうだろう。俺だって俺みたいなやつが部下にいたら使えないと思う。同じようなことを何度も何度も訊くしミスも多い。
最終的に、単純作業なら良いだろうということで、俺は警備で使う機材の整備などをおこなう仕事も多くなった。
本来は2人で1時間かけてやっていた内容を俺1人で3時間ほどかけて行った。そりゃそうだろうな、鉄の棒2mあるやつを2人で運ぶならばまだできるけれど1人で運ぶのはきつかった。ここで腰を悪くしたりもした。鉄の塊10キロを台車もなしに運ばされたからな。
けれども車が多く来る時間帯は警備員業務に回されるしミスをして上司が嫌そうな顔をする。だったら俺に回すなと思う。厨房に帰らせてくれ。
この時期には厨房業務は8時間のうち1時間くらいになっていた。カフェはそれでも回っていた。客がろくに来ないが、それでも少しずつは来るからやめられないという状況だった。
やめようとは思ったことがなかった。
俺はスキルが無い。厨房も趣味としてやっている程度でプロと比べたら全然だろう。だからここをやめたらこの業種で働くことは出来ないだろう。また、1人で好き勝手やれるのも気楽で良かった。
社長は厨房について何も知らないが自分は詳しいぞと社長仲間に見せたいため、俺がヘルシオを買ったほうが良いといえば買ってくれたし、電気圧力鍋だろうと食洗機だろうと買ってくれた。俺以外に使える人間なんていないのに。
俺以外の連中ができるのはせいぜいが電子レンジで温めるぐらいで、調理といえる調理は何も出来なかった。
俺がいなくなったらカフェは終わるだろうとわかっていたのでやめたくないと思っていたのもあった。
会社に対する愛は無かった。
近くに出来たイオンの駐車場がハイテクだという話を1ヶ月に3回は聞いた。社長がクリスマスに床屋にいったところ床屋も急いでいたのか冷ましていないタオルを顔に当てられてやけどするかと思ったという話も、クリスマスが近くなると週1でされる。そこで働いている社員全員の出身中学と高校と大学、現在住んでいる家のだいたいの場所、残ローン年数、家族、家族の仕事まで全部強制的に知らされた。NHKの集金から逃げる方法などは何度も語られていた。
興味がない内容すぎて眠くなるのに無理やり相槌を打つのは意味がない仕事だった。その間にも警備員の業務は溜まっていく。
友達には転職してみたら?と遠回しに言われることは何度かあったが、俺は俺のスキル的に転職できる場所などないと思っていた。就活時期に失敗したのもある。内定どころか面接にすら1度たりとも進めなかった。俺が正社員になれるわけがないと思った。友人たちは優しいからお前なら大丈夫と言ってくれているのだと思っていた。
友達の欲目だ。俺にスキルなんてない。上司にお前は使えないやつだなと態度で示され、他の同じ仕事をしている人たちがお茶をしている時間に一人鉄の棒を運んでいたのだ、自己肯定感など無い。カフェの仕事は進むが、特段俺の作ったメシが旨いと言われることもないので誰がどう思っているかなどなにも知らない。
そんなとき、とある人に酒を飲んだ流れで給料の話をしたところ、転職したほうが良いと進められた。転職について詳しい人で、おすすめのエージェントも教えてもらった。現在俺が厨房でしている内容を話したところ、それなら転職できると言われた。
この人は俺の友達ではない。ネットで出会っただけの人だ。俺は一方的に尊敬しているがこの人は俺に対して好意がどれだけあるか知らない。つまり友人の欲目はない。
その状態でも俺の給与は低いし、俺は転職できるかもしれないスキルがある。
驚いたし、ありえないと思った。
このときすでにアルバイト先では5年勤めていたが、俺と同時期に入った俺より出来る先輩がちょうど正社員にしてくれる会社があったからと辞めていった。あの人すら正社員になれないのならば俺もなれないだろうと思ったのもある。また、GWの休みで給与がどれだけ減るかと恐ろしくなったのもある。盆暮れ正月GWがある月は、手取りが10万を切る。
転職は難航した、ような気がする。
基本的にアルバイトしかしたことがない場合、正社員と同じ時間働き、同じだけ残業し、同じだけの責任を負わされていても、扱いはそれでもアルバイトだ。職歴があるとはならない。アルバイトという名の無職のようななにか扱いだ。
エージェントによっては社内選考で弾く対象なのだろう、同じような文面でお祈りメールが来まくる。
しかし、偶然とある会社で内定が出た。厨房業務に興味があればいい、厨房で働いたことなんてなくたっていい、明るく元気な職場です、ただし作る食品がちょっと特殊です、という会社だった。
業務内容的に転職は難しいだろう。作るメニューが特殊だ。例えばあんこう料理のような、他ではあまり活用する場所の少ないようなものだ。次の転職は難しいだろう。
しかし、正社員だ。今はGW前だ。月の手取り9万は嫌だ。俺はそこの会社に行くことにした。
会社にやめますと伝えたとき、特に何も引き止められなかった。あの厨房はどうなるんだろうなと思った。俺しか使えないヘルシオや食洗機は誰も使えないままなのか、それともいちから取扱説明書を見てなんとかするのか。
おそらくは埃を被るだけだろう。俺が入るまで3年間、ある程度設備の整った厨房をそのままほったらかしてカフェもなにも使わずに放置していたと聞いた。アホだと思った。
新しい会社に入った。あんこう料理は今までやっていたカフェのメニューとは全く違い難しい。しかしまあ、同じ包丁とまな板を使うものだ、なんとかなるだろうと思った。
なお、入社してから半年後ぐらいに大型のあんこう料理イベントがあるため、それまでにあんこう料理をマスターしてくれと言われた。冗談だろう。
新しい会社では、上司は俺をバカにしなかった。使えないものとして見なかった。俺がなにかわからな箇所を聞いたときにちゃんと教えてくれた。嫌そうな顔をしなかった。同じことを聞いても教えてくれた。上司だけじゃなくて他の人もそうだった。わからないものは誰かに訊けばわかった。警備員の業務と違い調理業務なので俺もやっていて楽しかった。腰を痛めなくなった。あんこう料理も楽しかった。徐々に自分ができることが増えるのが面白かった。前は日1時間程度の残業があったのに新しい会社は無かった。前述のあんこう料理イベントの時期だけは休日出勤もして月40時間ほど残ったが、上司が気にしてくれたり、社長がご飯をおごってくれたりして嬉しかった。できると褒めてくれた。褒めてくれることがたくさんあった。わかりやすかった。飲み会が嫌じゃなくなった。上司とお酒を飲むのが楽しかった。同年代の人も優しかった。年下の先輩という微妙な立場だろう人も訊けばなんでもわかりやすく教えてくれた。相手の腰が低すぎて申し訳ないぐらいだった。なおここも親族経営だった。親族だからと社長の息子が低賃金でめちゃくちゃ働かされてた。社長の息子の給料を上げろ。親族経営は前の会社で親が息子に甘すぎて最低だと思ってたのに全然違った。楽しかった。
俺は出来ないやつじゃなくなった。上司に嫌な顔をされる相手でもなくなった。期待していると、世辞か冗談かプレッシャーをかけるためか、なにかわからないけれども言われるようになった。
俺のスキルごときでは転職できないと思っていたが、転職は出来た。年齢的な期限があったのもあるだろう。ちょうどこの会社があんこう祭りを前に人手不足だったのもあるだろう。だとしても、良い会社に入れた。
前の会社は合わないと思いながらもずるずると5年もいたが、新しい会社は働いていて楽しい。
会社が合わないと思ったら転職したほうが良い。もしくは友達に相談して言われた内容を信じたほうがいい。友達の欲目があるだろうと思ってしまうなら、第三者に相談したら良い。それでもやばいと言われるレベルなら転職したほうがいい。できるから。俺も出来たから。
・最後の給与支払い忘れ(給料日過ぎて2週間経っても入金されないから確認したら社長に「忘れてた」って言われた)
・源泉徴収票をくれと伝えたら昨年のを渡される
・正しい源泉徴収票を取りに直接向かったところ、厨房のリニューアルについて相談される
有給の概念もなく、社員もアルバイトも等しく休んだ分は給与引かれる会社だったし、他にも色々あったから労基に突っ込んどけば良かったなと今になってみると思う。
中学生の頃以来? あ、そういえば大学生の頃に自転車で走ってるところを遮られて町役場の場所を聞かれたり、成人して数年経ってから駅で「いくら?」って聞かれたことならあった。まあ、「いくら?」おじさんのときは道行く若い女性全員がその人に声をかけられていたので、私がターゲットとは言いがたいけど。
今日の声かけ事案は、夜10時過ぎ、仕事場の外の物置に一人で重い物をしまっている時に起こった。幸いにも、誰か背後から忍び寄って来ていることに気づいた時は荷物を物置に全部入れ終わる寸前だった。なので気付かないふりをして物置のドアを閉め、台車を押しつつ変質者の方に歩いて行くことが出来た。
わざわざ変質者の方へ悠々歩いて行くというのも変な行動だけど、変質者のいるところが仕事場の正面に通じている場所であり、見通しの良い駐車場で、街灯も煌々と点いているので、そっちに行くしかないのだ。そしてそうやってこっちからずんずん距離を詰めていったのが功を奏したようでもあった。知らんけど。
男が急にしどろもどろし始めたので、
「こんばんは。どうかなさいましたか?」
と声をかけた。
男はずいぶん痩せていて、街灯の明かりに照らされた顔は骸骨のようで、落ち窪んだ両の眼窩の中で大きな目がギラギラしているのが印象的だった。歳は60歳くらいか、老けて見える50代といったところ。話しの全く通じない狂人という感じではなかった。
「あーえーと」
と男が言いよどんでいるうちに、もしかしてこの人行きなりバッとズボンとパンツ脱いじゃう系の人かなあ。そういう人って、こっちが良いリアクションしちゃうと、味をしめて何度も脱ぎに来るんだよねぇ……と考えた。恐怖が天元突破したらそんなことを真面目に考えながら営業スマイルを繰り出せるようになるらしい。私、意外とお便利機能搭載では。
立ち止まったまま、変質者が話すのを待っていたら、変質者は唐突に、
「あなたが好きでーす!」
と言った。なるほど、と思ったが一体何がなるほどなのか自分でもわからない。わからないまま黙って頷いた。
と、変質者が言ったので、私は答えた。
「いえ、夫がおります」
「ああ、そうですか」
と、変質者がテンション低く言ったので、私は「それでは失礼いたします」と、深々と一礼して、台車を押して店内に戻った。
物置に荷物を入れている最中に背後からそろりそろりと近付いて来ていた変質者。シチュエーション的に強姦する気満々の奴だけど、普通に対応したら普通に去って行ったなぁ。性犯罪者は性犯罪依存症であるということを何かで読んだことがあるけど、性犯罪者は性犯罪者で、加害しやすそうな私を見っけたから加害しようという気がムラムラ起きてしまったけど、加害できなくてあー良かったとホッとしていたりもするんだろうか?知らんけど。
まぁ、変態だよなぁ……。
事務所に戻って仕事仲間と監視カメラの映像を見たら、変質者はしばらく駐車場をうろうろしていたが、品物の搬入に来た業者のトラックが変質者の車近くに停まると、変質者はそそくさと車に乗り込んで去って行った。
菅氏はその後、昼は築地市場の台車運び、夜は新宿の飲食店で皿洗いをしてアルバイトをしながら受験勉強を続け、通常より2年遅れで法政大学の法学部に入学。
1973年に卒業後、電気通信設備会社に就職して、一度はサラリーマンになるも、まもなく政治の道を志すことになる。
政界との繋がりがなかった彼が頼ったのは大学の就職課だった。菅氏の言葉を引こう。
「そこでなんとなく、世の中を動かしているのは政治じゃないかなと思い始めるんです。ただ、政治家になろうとは思わなかったけど、政治の世界に身を置いてみたいという気持ちがあった。かといって、政治の世界では、誰も知らない。そこで法政大の就職課に行って、先輩の政治家を紹介してくださいと頼みました。すぐ近くにOB会の事務局があって、その事務局長を紹介してもらいました。その人が、法政の先輩で自民党の政治家だった中村梅吉さんの秘書と知り合いだった。その秘書を紹介されて、田舎者で、何もわからないけれども、初めて政治の道につながりを持つことができたのです」