洗濯物を干す→取り入れる→掛ける。それだけにしろ。
鴨居やカーテンレールに物干し竿を渡したり、突っ張り棒式の物干し竿でこれをやってどんどん服を掛けてたら、服の重さで物干し竿がだんだんたわんできて最終的には落下してくる危険がある。
…というかついこの前そうなった。真下に置いてたものが破壊されたりとんでもない事に。
突っ張り棒式で落ちてきた事はあったが、鴨居に渡した状態から落ちてくるのは想定外。
落ちてきた竿が弓のように曲がっていたので、たわみすぎて鴨居から外れてしまったらしい。
ズボラゆえに整理もせず、夏服でも冬服でもオールシーズン掛けっぱなしてたのがそもそもの原因。
服って意外と重いし。竿には24時間265日負荷がかかるし。そりゃひん曲がるわな。
時々は整理したほうがいい。肩に埃が溜まってる服(ずっと掛けてて着てない)は捨てろ。
2011 9/8 失敗したものと部屋の選び方を追加しました
2012 9/29 わあ!また上がってるぜってことで、またちょっと追加です。
見た目の良さは度外視している。
本当にずぼらでめんどくさがり(しかも貧乏)だが、できるだけ清潔に便利に(そしてできれば健康に)暮らしたいという人向け。
そんなの今更目新しくねーよってことばかりだけど一応。
俺は、めんどくさがり屋だが、それ以上にパンクしやすい人間だ。
ゴミ、未実行の工程(畳む、拭く、しまう)などが貯まると、パンク、というかショートして何もできなくなり、どんどん散らかり汚くなっていく。
だからできるだけ、工程を減らしつつ、ひとつひとつの工程のハードルを低くしつつ、散らかりにくくすっきりした暮らし方を目指している。
■オサレじゃなくていいが、すっきりと清潔にしたい
■できるだけ自炊したい(俺は人工甘味料で腹を壊しやすい体質だし、カップラや弁当を食い過ぎるとニキビができるからな)
おれがとりあえず言いたいこと
■整理整頓ができていないと、掃除はできません
■食事は【体に良い物を取り入れる】よりも、まず【体に悪いものを取り除く】方が簡単で効果的
■↓意外ににめんどくさくないこと
金のある人はもちろん外食やなんかでもいいんだが、俺は如何せん金がない。
メンドクサイ→外食、ってできればいいんだが、それができない。
メンドクサイ→でも金無い→カップラーメンとか安い弁当→体調壊す、ってなっちゃうんで、
体に良い(マシ)なものを、いかにインスタント食品のように簡単に(できれば美味しく)食すか、という風に工夫している。
ご飯やスープを冷凍していれば、カップラーメンをたべるのと同じくらいの時間で、腹を満たすことができる。
■↓失敗した!!
■↓これから引っ越したり、新生活をはじめるやつに言いたいこと
■↓ミニ知恵
続ける秘訣は在庫を切らさないこと、つまりはまとめ買い、かもしれない。
アルコールティッシュなんかも、
なくなる→詰め替えがない→買い忘れる→また買い忘れる→なんとなくヤル気失せる、
ってなっちゃうんで、クイックルワイパーとか、アルコールティッシュなんかは買いだめが良いです。
■追記(11/08/29)
もちろん何もかも習慣化してシステマチックに動くのが一番良いかもしれない。でもなかなかできない、ずぼらだから。でもできるだけ頑張ります。
服も何度もたたもうとしたんだが、
最初は調子よく畳む→忙しくなったりで畳めてない洗濯物がたまる→パンクする、ということの繰り返しになってしまう。
確かに俺はずぼらに見えないかもしれない。
でも俺はハウスダストアレルギーと弱い腹の持ち主なので、ある程度きれいにしておかないと、鼻水下痢お化けになってしまうのだよ。
その条件下でいかにサボるか、という風に生活していたら、こういう感じに落ち着いた。
実際俺は、一人暮らしを始めて2年くらいまでは、半年に1度くらい必要に迫られて大掃除をするだけ、六畳間が一杯になるほどゴミを貯め、食料を腐らせ、食器をカビさせ、洗い物のたまったシンクから腐敗臭をさせ、あらゆる粉類をこぼしまくり、出したものは出しっぱなし、服は床に山のようにぐちゃぐちゃに…という生活をしていたのさ。もちろん友達なんか呼べねぇ。生活の質も著しく悪い。台所がちらかって料理できないから、出来合いのものばかり食って腹を壊し、大事なモノもすぐなくす。毎日ホコリやカビのせいでかゆいし鼻水だらだら出るし。
これはそういう事態を改善するための最低限の習慣なんだよ。
そしてこれは、そんな俺にできる精一杯のことだ。はっきりいってこれ以上やることを増やすと、パンクして元の状態に戻ってしまうだろう。
■蛇足(11/08/30)
まあ、ずぼらに思えないわな。真のずぼらのみなさん申し訳ない。
なんというか、別にホコリで痒くなったりしないし、腹も壊さないし、ニキビもできないし、ものをなくしたりしない人ならば、
掃除とか整理整頓とかしなくていいんじゃねーですかね。こういうのは必要に迫られてる人だけすれば良いというか。
俺も数年前までは、自分はそういうことが必要のない人種だと思っていたし。
でも、あまりにも常に鼻をずーずーやっていて目が充血、ひどい時には喉がピーピーなりだすので、
こりゃなんだろうと病院へ行ったら、ひどいハウスダスト(その他あらゆる花粉)のアレルギーだったことが判明したのですよ。
「よくこれまで我慢できたねwww」と医者に笑われるレベル。
それで、抗ヒスタミン剤なんかを飲んでやりすごそうとするんだけども、眠くなったり、ホコリとかダニが多すぎて薬が効かなかったりやらで、
こりゃいかん、と少しはがんばろう、と思ったわけですわ。
それに、脂漏性皮膚炎という皮膚の病気と、脂っぽいものと甘いものですぐにニキビだらけになる顔の持ち主なんで、
ところが、小さい頃から母に、
「出したものはしまいなさい!」「服を脱いだら洗濯機に入れるか畳みなさい!」「蓋を開けたらしめなさい!」「ものをこぼしたら拭きなさい!」「部屋を片付けなさい!」を、
家を出るまで言われ続け、1度もできたことのなかった俺なので、本当にできないんですよ。
「ふっ。本当のライフハッカーにゃ特別な道具なんていらねー。砂糖の袋なんか洗濯バサミでとめときゃいいんだよ」
とか思ってやってみるんですけど、その一手間「洗濯ばさみで袋を閉じる」ということが出来ず、開けたまま放置、湿気て塊だらけにした挙句、こぼす。
野菜食おうと思って野菜炒めとかつくるけど、思ったより野菜食えない割に手間かかるし美味しく作れないし、ですぐにやめる。
そんなかんじで試行錯誤してるうちに、いきついたような感じです。
S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。
H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。
引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います。男子も女子もジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。
とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです。
私は学校の勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。
放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。
でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。
遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民の子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?
中学の頃にはずっと新住民と原住民の子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらからも自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います。
新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民は教育を学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います。
けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民の子供はほとんどいなかったからです。
小学校の頃からの原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっています。フリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困の連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。
ロンドンの暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。
「頑張れば抜け出せる」
それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが、日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います。母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います。
頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です。
自分が子供の頃は、「歯磨きの仕上磨き」なんて習慣はなかったと思う。
あるいは、以前なら、熱いのを食べさせる時に親がフーフー吹いて冷ますのは
当たり前の光景だった。
しかし、最近では「親の息の中に入っている雑菌を乳幼児に感染させないため、
親の息でフーフーするのはダメで、風をそよいで冷ます」のが「正しい育児法」なんだそうだ。
・・・確かに「どっちが正しいか」と言われれば、仕上磨きなり、風そよぎが正しいんだろう。
しかし、「正しくない育児」で乳幼児が病気に至る確率は、有意には高くなるんだろうが、
大騒ぎするほど高くないのでは?
自分が子供の頃(30年前)に比べて、乳幼児育児の知見が蓄積されていくので、
「こういう風に育児すべし」という知識はどんどん厚みを増していく訳だが、
一方で親の時間は有限なので、「正しい育児を全うしようとする親」の負担は増えていく
※一方で紙オムツの普及等、合理化している部分もあることはあるのだが。
「こうした方がいい」というタスクは、一つ一つを捉えれば「3分余分に時間をかければいい話」なんだろうが、
一つ一つの育児タスクは軽微かもしれないが、全体で見れば結構親の負担を
増やさせているのかもしれない。
・・・「正しい育児をしたい」という真っ当な親の方針に異を唱えるつもりはないし、
と同時に「仕上磨きもしない、自分の息でフーフーする、ズボラな親」も認めてくれればなあ・・・と
思わなくはない。
http://anond.hatelabo.jp/20101124221125
お皿にはラップを張っておいて、使ったらラップを取り替える。皿洗い終了。
表に出ているものは、品物ごとに段ボール箱に詰めて、部屋の隅に「旦那用」と書いておいておく。そこから出てきたら、また箱に戻して積んでおく。できるだけ物のない面積を拡げて、紙モップでお掃除。月に1度は掃除機で丹念に掃除。洗濯物は出たら、すぐ洗濯機を回す。室内に物干しスペースを作り、干しっ放しにする。着るときは、そこから持って行ってもらう。
このくらいやりば、そこそこキレイな部屋を保って、皿洗いや掃除や洗濯の手間は半減する。
そんな手抜きは出来ないというのなら、やはり「きちんとした家事をやる」というのは元増田の趣味だから、諦めて今まで通り暮らせば?
ズボラは別にして、落ち込むよね。
私も去年、買ってそんなに経ってない財布を落としたんだけ結局返ってこなかった。。
今まで二度ほど落としたけど返ってきたこともあった。
①落としたのが銀行の前だったらしい
銀行から連絡があって驚いた。
②落とした場所の近く(家とは逆方向)の交番に行ってみたら届いていた
これは意外だった。拾ってくれた人が帰りがけに届けてくれたみたい。
落とした場所近辺のお店と交番、行ってなかったら行ってみてほしいな。
財布落とした人にひどい対応する人はいないから。スーパーやショッピングセンターの場合、
見つかりますよーに。
生まれ初めて財布を落とした。
人に失笑される程度にズボラな自分だけど、財布の管理はその中では割としっかりしてたほうだと思う。
警察には遺失物届けだして、キャッシュ・クレジットカード云々は電話して停止させた。
一応職場や交通機関、途中寄ったコンビニも当たってみたけど今のところ報告なし。
ここまでが昨日の出来事。
で、今。原因不明で(多分これが原因だけど)めちゃくちゃ凹んでる。
今日は家出なくて良い日だからってずっとヒキコモリ。外に出てやっといたほうがいいことはいくらでもあるんだけども。
財布無くしただけで予想以上に落ち込むものなんだね。
無くした当日はパチ屋の前とか通ったし、手癖の悪いおっさんとかに拾われたらもうアウトだろうな。
紙がをこの世から消したらトイレットペーパーでケツを拭けなくなるぞ。
それでもいいのか?
仮に紙をすべて廃止したとすると、大便や女性の小便後の後処理はこのようになると思う。
1.ウォシュレットで洗浄→Myタオルで拭く→洗面器でタオルを洗う
2.ウォシュレットがないのでそのままMyタオルで拭く→洗面器でタオルを入念に洗う
このように考えると、まず問題なのは衛生面の問題で、ウォシュレット完備のトイレというのはまだまだ少ないから、当然Myタオルでそのままケツにこびりついた拭く事になる。そしてずぼらな人間はタオルを洗おうとせず、糞尿がこびりついたままタオルを持ち歩くことになる。これは公衆衛生上よろしくない。
また、タオルをきちんと洗う人であっても、水で洗うと湿った状態が続くので、タオルの中に生き残った糞尿由来のばい菌が湿り気に乗じて大繁殖する恐れがある。この場合はタオルを複数枚持てば解決できるが、荷物がかさばってしまうという欠点がある。
さらにタオルを洗面器で洗うと汚いから、全国のトイレにタオル洗浄専用の設備を作る必要に迫られるかもしれない。こうなったときの費用は国や地方が出すことになるだろうから、もしかしたらトイレ税なるものも導入されるかもしれない。
以上のように考えると、紙はなくさないほうがいいと思う。
何故乳児に固形食を食わせるような真似を平気でするのか?
常日頃感じることなんだけど、Wiiにリリースされるコア向けとされるゲームは、
何故揃いも揃って「いかにしてユーザーに手に取ってもらうか」という点が蔑ろにされてるんだろう?
今更言うまでもないけど、Wiiの客層の殆どは非ゲーマー層、つまり積極的にゲームを買う層じゃない。
流行りに流されて買うか、それに変わるよほど強い引きがないと買わない。
Wii市場は任天堂無双って言われてるけど、任天堂のソフトだって売れてないのはある。
最近のゼノブレイドなんて正にその典型でしょ。面白いけど、売れてない。
この手のゲームって何で売れないのかっていうと、PS2時代の悪しき習慣からゲーム会社が抜けきれてないからだと思う。
要は「ゲームをだしてCMさえ打てばそこそこ売れる」っていう手抜きが通用した時代。
そういう客層はWiiに付いてないんだよね。
ほぼゲームの下地が無い客層に向けてゲームをリリースしてるっていう自覚のあるゲーム会社って殆ど無い。
昔みたいに手抜きの売り方でゲームが売れる時代じゃないんだから目を覚ましてくれ。
PS2時代にゲーム会社が新規層を育てることを怠って目先の金を刈り取ることに勤しんでたツケが今になって
表面化してるだけなんです。
PS2時代にズボラしたせいで、また一からゲーマー育てなきゃいけないのに任天堂以外誰もそれをやってない。
任天堂もあまり上手く出来てないけど、本来なら新規をドンドン取り込むのが任天堂の役目で、
任天堂が引きずり込んだ客をゲーマーに仕立て上げるのがサードの役目なはずだったんだよ。
でも、PS2時代の悪しき習慣から抜け出せない馬鹿なゲーム会社は乳児に固形食をいきなり食わせるような真似を
平気でやって「子どもが食事を取りません(涙」っつって泣き言ホザいてるわけ。
笑い話にもなんねぇよ。
悪しき習慣に浸りすぎたせいでゲーマーの育て方すら忘れてる。
全くゲームの下地がない連中をいかにゲーマーに落し込むかっていうノウハウが失われてる。
もしかしたらハードの進化と共に歩んできただけだから元々そんなノウハウ無かったのかも知れない。
そうすると今後のゲーム会社は大変だよね。今までは勝手に道が切り開かれて前に進めばよかったけど、
今後は自分たちで道を切り開かないと生きていけない。
良いゲーム作ってるのに売れないとかホザいて宝抱えて死んでいくゲーム会社を哀れむ声もあるけど、
策を打っても困難を打開できないならその策が間違ってんだよ。モノがほんとにいいかどうかしらんけど、
ホントにいいもの作ったんなら売り方が間違ってんだよ。
過去と今では人口ピラミッドも経済状況も何もかも違うんだから今までと同じことやってたって売れるわけ無いだろ。
ちっとは考えろよ。
感傷的なA君と、理論的なB君のここ数日の会話のダイジェスト。
とりあえず、まとめておく。
B「君は振られて3週間も経つのに、いまだに彼女のことがわすれられないのかい?」
A「そうだね、わすれられない。いまだに考えてしまうんだ。」
B「そんなことを言ったって、彼女は元彼とヨリを戻してるじゃないか?」
A「そうだね。その通りだよ。」
B「彼女の昨日の昼飯を見たかい?自作弁当だったよ?あの、ずぼらな彼女がだよ?」
A「そうだね。お昼代を節約しようとしているんだろうね。」
B「節約しようとしている理由は・・・分かるよね?」
A「そうだね。元彼と遠距離恋愛になってるから、少しでも節約したいんだろうね。」
B「で、彼女は自分自身の仕事がとっても忙しいのに、それをやってるんだよ。」
A「そうだね。好きだって言う気持ちが無いとできないことだよね。」
B「じゃ、君と付き合ってたとき、彼女はそういう努力があったかね?」
A「どうだろう、あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。」
B「付き合い始めの頃はメールも頻繁に送ってきたし、電話もよくしたよね?」
A「そうだね。でも、後半はほとんどしなくなってたね。」
A「いや、してくれなかった事の方が多いね。」
B「君が朝、メールを送ったとき、返信してきたかね?」
A「いや、彼女自身の身支度に時間をとってて、返信はなかった。」
B「こうやって、細々挙げてったら、彼女の君への思いってのは大したことじゃないって思えないか?」
A「そうだね。彼女が今、元彼に向けてるエネルギーほどはなかった気がする。」
B「って事はだ、彼女は君のことを好きだったんだろうかねぇ?」
A「うん。認めたくはないけど、寂しかっただけなんだと思う。」
B「だったら、君がそれほど彼女の事を思う必要はないのじゃないか?」
A「そうだね、その通りだと思うよ。でもね・・・。」
B「でも、何さ?彼女の何がそんなにわすれられないのさ?」
A「うん、自分でも分からない。分からない気持ちが残ってるんだと思う。」
B「付き合い始める前に、彼女はこういっただろ?「後悔しますよ」って」
A「言ってたね。そういう事。」
B「これって、つまり、それほど好きじゃないって言う事を暗に言ってたのでは?」
A「そうかもしれないね・・・・。今となっては分からないけど。」
B「君はもしかして、彼女が言ってた本当に好きじゃないと好きだとは言えない。って言葉を信じてるの?」
A「そうだね、彼女の言ってたことを信じてた。」
B「だから、彼女が好きだって言ってくれた事が嬉しくて仕方なかったんだ?」
A「そうだね、嬉しくて仕方なかったんだ。」
B「君ってさぁ、そもそも、他人の言葉を安易に信じすぎなんじゃないの?」
A「いや、だからって何も信じない。特に彼女の言葉を信じないって言うのは、辛いじゃないか。」
B「信じることはすばらしい事かもしれないけど、別の意味では知ろうとする行為の放棄だぜ?」
A「そうだね、相手をもっと知ろうとかそう言う努力って言うのは無くしちゃだめだと思う。」
B「オマエはその努力をしたのかよ?」
A「してるつもりだったけど、それは独りよがりだったと思う。」
B「なんで独りよがりだったんだ?」
A「いや、自分がされたら嬉しいだろうなぁと思う事をひたすらやってただけで」
B「彼女が何を欲してたのか?と言う事を考えられてなかったって事だろ?」
A「そうだね。その通りだと思う。」
B「そういうのって、彼女の事を好きだと思ってた行為かね?」
A「いや、確かにそれは自己満足であって、彼女の為ではなかった気がする。」
B「だったら、お前が嫌われる事になっても仕方ないじゃないか?」
A「そうだね、でも、俺は俺なりに頑張ってたつもりなんだけどな・・・。」
A「何を?」
B「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし!成功したものは皆すべからく努力しておる!!」
A「うん。そうだね。でも、そのセリフは後者をさして言うセリフであって・・・」
B「そう、前者を指して言うセリフじゃないよね。でも・・・。」
A「そうだね、俺はどちらかというと前者だったわけだ。」
B「君は、LOOSERな訳で、それを認めないとなんともならん訳だよ。」
A「認めたくないものだな・・・。」
B「じゃ、別の言い方をしよう。君にあの娘はふさわしくなかったんだよ。」
A「彼女の事を悪く言うことは聞きたくない。」
B「そうか?良いところ、悪いところ、全てを客観的にみて、判断するべきでは?」
A「分かるよ。でも、そういう理性の範疇で俺の気持ちを測る事それ自体が今はいやなんだ。」
B「そんな事を言ってては前に進めないよ?」
A「それも分かってる・・・。」
B「君はさぁ、君の人生を豊かにするために生きていかないと。」
A「そうだよ。だからこそその人生に彼女が欲しかったんじゃないか。」
B「うん。そうだね。それは事実として認めるよ。でもね・・・」
A「でも、何さ?」
B「彼女だけが全てだと思ってしまう世界観は狭量すぎると思うんだけどな?」
A「そうだね。それはその通りだと思う。」
B「君の世界にはまだまだいろんな可能性があるはずだろ?」
A「そうだね、そのはずだ。でも一方で・・・」
B「一方でどうした?」
A「一方で、自分自身に自信がなく、諦めが入っているのも事実で。」
B「どう言う事?」
A「今回の彼女を逃したら、次に俺の事を好きになってくれる人なんざ・・・」
B「いないってのか?」
A「そうだね・・・。」
B「いや、まぁ、そんな気持ちなんだったら、いないんだろうさ。」
A「だろ?いないんだって・・・。」
B「ちげぇよ。もっと前を見ろよ。外を見ろよ。世界を広げろよ。」
A「そんなこと言ったって・・・。」
B「好きになってくれる人を探すんじゃなくて、好きになれる人を探せよ。」
A「好きになれる人・・・?」
B「そう、お前は今、目に見えている世界は狭すぎるんだよ。」
A「そんな事言ったって、世界を広げようにも・・・。」
B「違う、違う。お前はさぁ、自分のテリトリを広げる事をしてるか?」
A「たとえば・・・どう言う事?」
A「いや・・・ないな。正直、ない。」
B「だろ?お前はさぁ、軸足の置き場がすくなすぎるんだよ。」
A「だって、一人でどうやって世界を広げるのさ?」
B「お前はさぁ、もっと視野を広げるためにあちこちに飛び込むべきなんだよ。」
A「たとえば、それって?」
B「たとえば、ジムに通って肉体改造するとか、料理教室行くとか、色々あるだろ?」
A「えーっと、それらは一度考えたけど、持続できそうにないので、諦めた。」
B「って始める前から諦めるって言う所が駄目なんだよ。とりあえず動いてみろよ」
A「だって・・・」
B「だってもへったくれもない。動けっ!」
A「・・・・・・・・・・うん。」
B「だな?言ったな?動くんだぞ。」
A「言った。」
B「そう、自分を変えていかなきゃ何も始まらんのだよ。」
A「そんなこと言われなくったって分かってる。俺だって分かってるよ。」
B「分かってるなら、行動に移せ!」
A「・・・・・・・・・・・・・・・・・うん。」
B「じゃ、この話はとりあえず、終わり。お前はTODOリストを作成すべし。」
B「これからお前が1カ月をどの様に過ごすのか、全部タスクを洗い出せ。」
A「うん。」
B「その上で、さっき言った新しい事を始めるために何が必要かも洗い出せ。」
A「たとえば?」
B「そうだな、ジムならジムがどこにあって、どう言うもので、いつ見学に行って。。。とか」
A「具体的なタスクに落とすって事かな?」
B「そうだな、何をどうするのか。って言う事をさらに詳細に落としこんで」
A「うん」
B「お前が、何をすべきかって言う事を単純化して、着実に一つずつこなせ。」
A「うん」
B「そうすれば、おのずと彼女の事を考えている暇なんぞなくなるわ。」
A「そうかもしれないね・・・。」
B「とりあえず、今から顔を洗ってこい。まずはそれからだ。」
A「はい。」
と言う葛藤。
まずは自己紹介のようなものを。
おっとそこのあなた、こんな自己紹介の時点で何か色眼鏡かけてないですか?
これが普通のことだと思うからこそ、今日はこんな記事を書いてみようと思ったのです。
きのう大学の後輩と飲んでいて、その子とは大学を卒業して以来会うのは初めてだった。
そこで話題は自然と、とりあえず僕が大学を卒業して良かったとか、この先はどうなってるのかとかいう話になった。
とはいえ、こういうとき僕に気をつかって、というか色々変なものを引き出しても面倒だし、
その辺のことについてあまり触れないでいてくれる人もいるんだけど、
この後輩はとても素直な感じかつ気をつかってくれる子で、わりと率直に聞いてくれた。
曰く、
「世間体というものは気にならなかった(ならない)んですか?」
「自分は世間体の方が重いから、留年しそうだったけど正規ルートを進みました」
ものすごく単純に答えられる筈の質問(意見)なのに、僕は答えに窮してしまった。
なぜなら、それは僕がずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと考えてきたことだから。
僕は世間体が気になるし、その重さをとてつもなく感じている。
ただ、その重さをバネに留年を回避しようと頑張れなかっただけだ。2年も。そして今も。
何が辛いかって、実際の世間の風当たりが強いとかいう以前からして辛い。(実際問題もあるけど、それとは別に)
世間の風当たりが強いと思い込んでいる自分との戦いが、まず辛い。(まず、ね。まず)
そんな思いこみ(でない場合も多々あるけど)はどこから来るのかというと、自分だ。
自分が人を見るとき、いかに世間体というフィルターでもって人を見ているか、
浪人した人、留年した人、ニート、フリーター、ワープア、ホームレス、
こういった人たちを見てきた眼差しがまるっと自分に返ってくる。
そうした眼差しは、自分が内面化した様々な価値観の底とか横のあたりにべっちょりと付いてる。
だから、いざ自分がアウトローに、当事者になってみないと、その眼差しの意味に気づくのは難しいのかも知れない。
さらに、当事者になったところで、その眼差しを捨てられるわけでもない。
僕が「世間体」で悩んでしまうのは、まったくこのためだ。
したがって、後輩の質問と意見は、殆どそのとおりに僕も思っていることなのだった。
それなのに、どうしてそう即座に答えられないのかといえば、
それは、ただ単に、僕がずぼらだから。根本的にはそう。
ものごとを勘案して動ける人に対して、動けないずぼらな僕が、伝えられる言葉がないから。
だがそれだけでもない。
やっぱり、どこかに「この扱いは不当だ」という意識がある。
「なぜ人一倍世間体を気にする自分が、世間体を振りかざす人に説教されねばならぬのだ」という気持ちがある。
これは、後輩の質問に説教の要素を感じたということではなくて、これまでに蓄積してきたもの。
この積もる怒りに同意して欲しいという気持ちが邪魔をして、「自分も世間体を気にしている」と簡単に言うことを阻んでしまう。
だから?、ついでに僕は「世間体」に同意していないことまでをも表明してしまう。
なんともややこしい奴である。
そんなわけで、僕自身は世間体というものの扱いには大変困っている。
しかし、同意しないことを貫くという考え方はちょっといい感じがしている。それが標題につながる。
たとえば、いつまでたっても親に養われ続けることを阻むものは何かと考えたとき、それは世間体なんじゃないかと思う。
現実問題として、働いた方がいいとか、将来困るとか、そういう話はわかる。それは社会全体で解決していけばいい。
しかしニートとかワープアの無縁死とか見てると、これは上でしてきたような話と関係してくるように思える。
つまり、素直な後輩が語ったように、普通の人は世間体を気にして人生のある程度を決めていく。
それができる人はいいが、世間体を気にしてもしょうがない人が気にする視線に同意して人生を決めるから、問題が起きるのではないか。
ただ、それはタイトルのような主張とは結びつかない。
タイトルの含意は、世間体の内容を新しく決めようとしてるだけだから。
こうした世間体であれば僕も気にしなくて済むから大丈夫、という話をしたいわけではない。
僕が言いたいのは、世間体は気になるけど、そんな視線に軽々しく同意して人生を決めるべきじゃないっていう単純なこと。
僕は大学留年時に親の援助をわざわざ一切絶ったけれど、何もいいことはなかった。
「いや、でも偉い」と思ってくれた人は、少し思いを馳せてもいいかもしれない。
その言葉が、僕のような者に届くとき、援助を受ける人に届くとき、どう響くのかということに。
この不景気で潰れかけている会社が今年完全に潰れて職がなくなったら、彼氏と別れ家に引きこもって貯金を喰い潰して楽しくニート生活を過ごし、有り金が尽きたら自殺しようと思ってダラダラ生きていた矢先に、5年ほど交際している相手から結婚しようと言われた。
どうせそのうち「お前より若くて可愛くて学歴も家柄も良くて素直で従順で家事万能で妊娠出産育児も親の面倒も同居も俺の言う通りやってくれる女が見つかったのでお前はもういらない」と言われるだろうと思っていたので、先のことなんか何も考えていない。既婚者になんかなったらおいそれと自殺者にもなれなくなってしまうし、次の仕事も探さないといけないため、どうしようかと悩んでいる。
子供なんか欲しくない。でも結婚したら作らないといけなくなってしまう。相手がそれを望んでいる。
知的障害、重度身体障害、他害行動のある発達障害などの子供が生まれたら私には育てられない。幸運にも健康に恵まれたとしたって、ニートや犯罪者になる可能性も捨てきれない。まともに育っても犯罪に巻き込まれたり、家庭が崩壊して不幸な目に遭うかもしれない。そんな目に遭わせるぐらいなら最初から産んでやらない方がマシだ。
生んだら最後、私だけの稼ぎで自活できなくなってしまうのも嫌だ。そんなことになったら相手は増長して「養ってやってるんだから言うことを聞け」と好き放題振る舞うかもしれない。カネと自立も出来ない子供を人質に取られたら逃げられない。
まして私は結婚前から(その後も)不倫しまくっていたような低学歴で貧乏でDQNな両親から生まれた劣等人間なので、股ユルの汚い血なんか残したくない。もし子供がよその息子さん娘さんを泣かせる浮気者に育ったりしたら、逆上してブチ殺してしまうかもしれない。あるいは子供が浮気されたら、相手のゴミクズをそうしてしまうかもしれない。
既婚者になると浮気の確率が跳ね上がるらしい。浮気されるなんて絶対嫌だ。
既婚者は既婚者であるというだけでその種のビッチから寝取りの対象になりうると言うし、本人も「もう嫁としかヤレない」という危機感から安易に女の誘いに乗るのだという。今はまだやっていないように見えるが、「俺はモテないから浮気できない」などと言っている人間は、理想の相手がやってきたらホイホイ誘いに乗って簡単にズコバコやりそうで不安である(ちなみに私は「パートナーの許可なくコソコソ不貞に走るような、親の育て方が悪くケチで卑怯で恥ずかしい畜生の同類にはなりたくない」ので不貞をしない)。
これも子供が欲しくない理由のひとつだ。産前産後はどうしてもセックスレスになるが、その時期は男の浮気確率が有為に跳ね上がり、育児のストレスや夫の不協力もあいまって最も離婚の危機が生じやすいのだという。子供を作ったせいで家庭が崩壊した、なんて笑えない事態は絶対に避けたい。子供が欲しいからとよその女と不倫されたほうがまだマシだ。少なくとも私の子だけは不貞の親を持たずに済む。
風俗は浮気のうちに入らない? そうですか、私は入ると思います。風俗を浮気に含めない女性とよろしくやってください。私は人を平気で裏切るようなきったない家庭崩壊加害者とは一切関わりたくありません。
そしてあまりにも面倒なことが多過ぎて、結婚生活が少しも幸せに思えない。
まずお金の話が面倒だ。現在私は身の丈に合った貧乏生活を送っているが、もしこれが共働きかつ生活費折半ということになると相当に厳しい。生活レベルの高い相手に出費を合わせた場合、間違いなく今よりも支出がかさみ、下手をすると赤字が出る。かといって相手に出してもらうのも寄生虫呼ばわりされそうで心苦しい。
戸籍を操作し新しく住む家を探して引っ越さないとならないのも面倒(離婚となったらそれが倍)だし、嫁姑をはじめとする姻戚の人間関係も面倒だ。大事なひとり息子ちゃんをたぶらかした劣等家庭の低学歴ビッチだと思われていること請け合いなので考えるだに憂鬱である。相手の家から見ればほぼ事実だろうからしょうがないが。
そして相手はズボラな私より更にズボラで家事が出来ない。これをどうにかするのも面倒。大掃除したって言ってたくせに風呂場カビだらけとかどうなってんだよ。掃除したって嘘ついてんなら最低だし、このレベルで掃除したと思ってんなら本格的にヤバイよ。でもそんなこと話し合ったってどうせ「掃除した」って言い張って逆ギレされるのが目に見えてるし面倒だよ。
性別が逆なら私は最悪の人非人としてボコボコにぶっ叩かれてしかるべきだ。
自分のことしか考えておらず、相手を愛したり信じたりする気持ちが全く見られない。面倒臭いを言い訳にして、恐れていることから逃げてばかり。辛抱強く親切にしてくれる相手の誠実は全く信じていないくせに、顔も知らないDQN男の「この(浮気・暴力等)ぐらい皆やってる。そうさせる女が悪い」という自己弁護を内面化し、男なんか全員死んじまえと誰彼構わず憎しみを抱いている。自覚している上に治す意志がないから一層始末に負えない。
こうしたことは幾度も相手と話し合って来てはいるけれど、やはりまともな家庭で恵まれて過ごして来た相手との溝をその度に感じざるを得ない。相手は「頑張ればどうにかなる、そんな不幸は起こりっこない、とにかく俺は絶対別れたくない」の一点張りでいつも要領を得ないまま終わる。「もしその不幸が起きたらどうするか」なんて発想がそもそもないのか、起きた時にあたっての言質を取られたくないのか私にはわからない。
一緒にいて他愛無い話をしたり、物を食べたり、互いの趣味を共に嗜むのはとても楽しい。一生そういったことだけ考えて生きて行ければいいならどんなにいいだろうと思う。
今日も相手から「まだ若いから肌にハリがある」と何の気無しに言われたひとことを「肌がハリを保っていられなくなるほど老化したらお前を捨てて若い子に乗り換える」と言われているように感じて逃げ帰ってきた。若いどころか私は32歳の地味ブスババアである。私の感じたことが事実相手の本音なら、タイムリミットはどう頑張ってもあと3年が限度だ。
その3年をいつ老いて捨てられるかと怯え、2倍に増えた家事やら親戚付き合いやら子づくりのプレッシャーやらに苦しみながら過ごすのと、独り貯金を喰い潰しながら楽しくニート生活を送り、金が尽きたらヘリウムか硫化水素でラクにこの世を去るのとどちらが充実しているか、と問われたら答える自信がない。
3年後に捨てられるのなら今捨ててもらった方がいい。5年後に若い女と不倫されて、子供を抱きながら泣くのに比べたら、その頃にはもうこの世にいない方がマシだ。