はてなキーワード: 祖国とは
この違いよ。あるいはアメリカでは、偉大なるアメリカ国民ってうわっウヨだきんもーみたいな言葉なのかな。
例えばイギリスのメイ元首相、偉大なる祖国に仕えることができて幸せでしたみたいにスピーチして引退するやん。純粋にカッコイイと思う。でもこれ安倍が同じことやったら、うわっ……日本会議……って思っちゃう。この違い。
「差別意識を助長する目的で、公然と危害を加える旨を告知したり、著しく侮蔑したりして地域社会から排除することを扇動するもの」
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html
特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に, 日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの 一方的な内容の言動が,一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (前述「人権擁護に関する世論調査」より)。
例えば,
(1)特定の民族や国籍の人々を,合理的な理由なく,一律に排除・排斥することをあおり立てるもの
(「○○人は出て行け」,「祖国へ帰れ」など)
(2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの
(「○○人は殺せ」「○○人は海に投げ込め」など)
(3)特定の国や地域の出身である人を,著しく見下すような内容のもの
映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」について、楽しめたのでその感想を書く
映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」をすでに見て、そして楽しめた人
本当ははてなブログに書きたいが、他の様々なエントリやSNSを見ている限り、これはパブリックエネミーとなってしまったのでここに書く。トラバやらはてブの反応は一切見ない。異論があることは認めるがそれをいちいち納得も承服も反論もしない。
先に世に出ているエントリを見る限り、このコンテンツもこのコンテンツの制作者も邪悪なものとして一方的に殴られている光景がほとんどであり、それに対して肯定的な感想を書こうものなら、人格まで否定される攻撃を受けかねないと本気で心配しているため、なんとしてもidを伏せる必要があった。
肯定的に思えた人が同じ感想をwebに求めた際、ポジティブな気持ちである人がちゃんといることが伝わるといいなと思っている。
ドラゴンクエスト5を真面目に映像化しようとした場合、これは最低でも3部作延べ6時間は必要だよなぁ……というのが見る前に思った感想であった。それをどうやって単発の映画にするのだろう、単発にしてしまった場合、どうしても雑なダイジェスト版になってしまうのではないか、という不安でいっぱいであった。
そして視聴した。単なるDQ5の再構成として見るのなら最悪であると思うが、すでにDQ5のストーリーを熟知した観客を前提として単発の映画の中で収めるの中であれば、非常に効果的な再構成であったと思う。子供時代はほとんどすっ飛ばしたこと、ヘンリーに対するマリアやら祖国のゴタゴタをカットしたこと、結婚イベントと天空の剣とブオーンを一カ所にまとめたこと、主人公の出自判明から帰郷をカットし出産までをさくっと終わらせたこと、子供を双子から息子のみに絞ったこと、話の目標を大神殿へ集中させたこと、マスタードラゴンと妖精の国をラストにさっくりまとめたこと、このあたりの再構成を大胆に必要最低限のチョイスで、最大限映える形で行っていたと感じている。
ストーリー上のご都合とも思える、あるいは崩れた主人公の動きは、最後の暴力的で破壊的なオチによって強引に解決される。しかし、そもそもここまでのストーリーのカットが行われている以上、どうあがいても強引にならざるを得ないのだ。下手に取り繕えば取り繕うほど、ぐだぐだとだれてしまうものになるのは過去の様々な映像化が証明している。それならば一思いに根本から覆す舞台(VR的な世界の設定)を準備する方が潔く綺麗にまとまる。その判断に感動をした。
このあたりである。
DQ5でやる必要があったのかと問われると分からない。ただ、DQ5はこれを実現するのに、非常に適した内容であるとも感じた。それは
このあたりの要素である。
特に、しばしばネタにされる「主人公が実は勇者ではなかった/人の親なのでした」という話について、この構成を最大限に生かしていると感心したのである。
というのは、特に日本における大体の話において、主人公というのは年の若い方の存在であり、親子であれば子の方が選ばれがちだからである。見栄えとしても、話の中心が勇者である子供の方に移ってしまうことを避けられないしかし勇者の存在は必要であるところを、DQ5のメタ構成とすることによって自然に解決している。
身も蓋もない世界に対する説明が十分な覚悟や予兆が提供されることなく急に差し込まれてくる、という所はどうしても否定できないが、そのあたりを(どうにか)受け入れてみると、とても綺麗で丁寧に作られているものだと思う。私はこの大胆なアレンジと、コンテンツの映画化ではなく、コンテンツを題材とした映画化をとても楽しむことができた。
もし、似た思いの人がこの世界のどこかにいて、その人にとって本エントリが楽しく読まれるもであれば、非常に幸いに思う。
楽しめなかった人については、何故それが楽しめないのかは十分に分かるし、そういう人に対して書ける言葉がどこにも存在しないことも自覚しているつもりなので、不快に思った人に対しては、特に何も主張するつもりはない。だからこそ、私はこれを増田に書いたのである。
なんで右翼とか名乗ってる奴らがアメリカ軍基地を追い出そうとしないんだよ。神聖な国土を外国軍にとられてるんだぞ。祖国の空を外国軍の飛行機が勝手気ままに飛び回って同胞が騒音とか墜落とかで苦しんでるんだぞ。おかしいだろ。アメリカに媚びへつらう安倍晋三を見てなんとも思わんのか。祖先が命がけで守った日本をこんな惨めな国にしておいていいのか?戦後間も無くの政治家はいつかは独立したいと思っていたはずだぞ。それがいつの間にかアメリカ軍がいるのが普通になってしまった。日本は主権国家などではないぞ。何かするにはいつもアメリカのお伺いを立ててからじゃないとダメなんだ。集団的自衛権認めて憲法改正までしたら終わりだぞ。アメリカにいいように使われるだけだぞ。アメリカの自分勝手な戦争に巻き込まれて自衛隊員が死ぬぞ。一般の日本国民が危険にさらされるかもしれんぞ。それでいいのか。中国や朝鮮がどうたらこうたらと言ってる場合じゃないんだ。本当に戦うべきはアメリカなんだ。日本は真の独立国にならなければならんのだ。
AI技術の進展や、外国人労働者の受け取れなど、君たちを取り巻く環境はどんどん変化していって、先が見えない社会になってきていている。
とにかく頑張って欲しい、生きて欲しい
校長を含めて3人くらい登壇して挨拶してたけど、みんなこんな感じ。漠然と頑張れを連呼する調。少なくとも「輝かしい未来」とかいう明るい系フレーズはなし。
三大都市圏から1時間圏内にある地方都市で、学校はいわゆる底辺に近い偏差値40前後。1/3 が進学(と言っても専門学校がほとんど)で残り 2/3 が就職という感じ。進学で就職を先延ばしした 1/3 はもう暫く猶予があるとしても、来春から就職することになった 2/3 の過半数は非正規な職場への就職らしい。もっとも、正規と称されるところだって、初任給15万なら御の字という低待遇だが。
真っ先に外国人労働者とバッティングする層なのよね。あいつらは、時給1000円でも喜んで就業するだろうし、何年かして祖国に帰ったとしても次から次へとやってくる。
「時給1000円でも喜んで働く労働者」が無限に補充される状態だから、恐らくは能力的に彼らと大差のない日本人の高卒の子たちも、彼ら外国人労働者と同じ待遇で固定化されるだろう。
能力を磨けば何とかなる次元でもなく、どう足掻いても太刀打ちできないこと分かってるから、来賓たちは揃って「とにかく生きて欲しい」になるんだろう。
最後のホームルームは写真を撮り合ったり。彼ら彼女らにとっての「学生だった最後の日」になるんだよね。
卒業って、社会に出る、というよりか、社会に放り出す、ということなんだって感じたよ。18歳の若さでこの社会はあまりに厳しすぎるよ。30代になったら年収300万、40代になったら400万、そんなビジョンを絶対に描くことができない未来しか見えないのだもの。