はてなキーワード: 主食とは
平日は週末を楽しみにしているくせに、週末になると絶望的な虚しさに襲われ、仕事したくないなあなんて思いながらまた平日を楽しみにしてしまう。
昔は1日中アニメ見たり漫画読んだりであっという間に週末は潰れてしまっていたが、
歳をとってきたせいか段々どちらも興味が薄くなってきて、暇を持て余してしまう。なおイングレスも飽きた模様。
平日仕事している時には「これは週末にまとめて調べてみよう」なんて後に回すんだけど、
週末になると自然と仕事に関することは避けてしまい、結局「やらなきゃ、やらなきゃ」なんて義務感と責任感の残骸みたいなものだけが残って心から週末を楽しめない。
テレビを見ていると、鉄腕ダッシュが放送されていた。どこかで見たことあると思っていると、やはり再放送というテロップが流れた。2014年の9月。去年の夏だ。
もうそんなに経ったのかという思いと同時に、俺は何をしてきたんだろうと思う。
思い出らしい思い出がない。この僻地で、一人っきりで、仕事しかしていない。
俺は何のために仕事をしているのだろう。何のために生きているのだろう。
思い出が主食だ。思い出を思い出しながら、俺はかろうじて生きている。
その割には、ここのところ将来に向けての思い出を作っていない。
作らなきゃ。思い出を、楽しい思い出を作らなきゃ、俺は人生に迷ってしまう。
結婚がしたい。もう、自分のために生きるのは飽きてきた。誰かのために生きたい。
でないと俺には仕事をしかなくなってしまう。仕事がなくなった時には、たぶん死ぬしかない。
旅に出よう。趣味がない自分にとって、主食のひとつである旅は、また自分に何かを与えてくれるかもしれない。
残念なことに、今週も来週も天気予報は雨だ。
はやくこの一人っきりの家を出ないと、俺は自分を救えなくなる。
日本人は糖分摂り過ぎ
なんでこんな炭水化物ばっかとってんの?
軽く茶碗いっぱいのご飯が角砂糖15個に相当するのはよく言われてるから知ってるよね?
そもそもコメを食の中心において、それ以外をコメのためのオカズとする文化が気持ち悪い。
主食なんて概念、日本とそれに影響を受けたアジアの一部でしか聞いたことがないわ
コメ自体は弥生時代に朝鮮半島から輸入されたものだから、遺伝的に〜というのもおかしいし、人類は長い歴史を通してみてもそんなに穀物は食わない。
要は食料を安定させるために、安くてカロリーの高いコメがここ数百年で重宝されてきたってだけでしょ。
今では、コメ以外にも安くてうまい食べ物は大量にあるのに炭水化物ばかり貪ってる意味がわからんわ
砂糖でも齧ってろ!
http://anond.hatelabo.jp/20150215211439
まずは地元の話になるんだが聞いてくれ。
「よいよい、わっしょい」の掛け声とともに、背中合わせで激しくもみ合る、 勇壮な祭として、この地方に知られている。
祭のあと、男達は集会所に集まり、普段着に着替え、飲み合う。
六尺は、激しい祭でドロドロボロボロになるから、使い捨てで、ゴミとして出される。俺はいつもそれが狙いだ。
こっそりさらって家に持ち帰る。 そして、深夜、俺一人の祭が始まる。
俺はもう一度汚れた六尺のみ身に付け、部屋中にかっさらってきた六尺をばら撒き、
汚れた六尺は、雄の臭いがムンムン強烈で、俺の性感を刺激する。
前袋の中のマラは、もうすでに痛いほど勃起している。 六尺の中に顔を埋める。臭ぇ。
汗臭、アンモニア臭や、股ぐら独特の酸っぱい臭を、胸一杯に吸い込む。溜まんねえ。
臭ぇぜ、ワッショイ! 雄野郎ワッショイ!と叫びながら、前袋ごとマラを扱く。
その六尺には、我慢汁の染みまでくっきりとあり、ツーンと臭って臭って堪らない。
その六尺を締めてた奴は、祭で一番威勢が良かった、五分刈りで髭の、40代の、
ガチムチ野郎だろうと、勝手に想像して、鼻と口に一番臭い部分を押し当て、
思いきり嗅ぎながら、ガチムチ野郎臭ぇぜ!俺が行かせてやるぜ!と絶叫し、 マラをいっそう激しく扱く。
ガチムチ野郎の六尺を口に銜えながら、ウオッ!ウオッ!と唸りながらマラを扱きまくる。 そろそろ限界だ。
俺は前袋からマラを引き出し、ガチムチ野郎の六尺の中に、思いっきり種付けする。
どうだ!気持良いか!俺も良いぜ!と叫びながら発射し続ける。
本当にガチムチ野郎を犯してる気分で、ムチャクチャ気持ち良い。
思想家が教育が悪いからだと言い始めたらだいたい才能が枯れたな、って感じですよね
数読んでる本が主食です()みたいな連中は文章がひどいとか座席の図面が出てきたとかそのぐらいなんも構わずゴリゴリ読んでつまらんかったっていう印象がある。本なんて所詮娯楽なんだから、とか悪びれる余裕があるというか。週に3冊も読んでなさそうな物書きとかいう自分が差別される側だと気づいてない人間に限って己の縛りプレイを勝手に他人に課しては読めないとかいい始める。
私の祖母は糖尿病だ。母も糖尿病。私もそろそろ発症しそうな年齢なので、糖質を控えた食事をしている。夕食と、朝又は昼食の主食をカットする。調理用の砂糖はオリゴ糖、お菓子を食べたい時は週に1回だけ良しというルール。
全く痩せない。腹のぜい肉すごいし。
最初はおかずだけ食べていたが、主食の欠落は「ちゃんとしたご飯を食べてない」感があった。
擬似主食としてしらたきを選んだ。
しらたきは安いが、臭い。そして、美味しくない。炒めるとゴムみたいな食感。無理して食べてたが、食事が楽しくない。
これじゃいかんと思っていた所、しらたき売り場で、紀文の糖質ゼロ麺を発見した。しらたき3食分の値段だったが、試しに買った。
驚くべきことに全く臭みがない。ゆでても、炒めても、美味しい。
ウェイパーにレモンを絞ってフォーもどき、はかなり美味しかった。
きょうはパスタにしてみた。和風にしようと思い、だし醤油で味付けしたら、完全に焼うどんだった。
実家に住めれば家賃食費その他諸々の生活費が凄い浮くから東京住まいと比べて年間100~150万円ほど有利だけど、頼れる親戚もいないような見ず知らずの地方にIターンするのはしんどいだろう。
何故なら、若者は東京ではシェアハウスを利用するという手があるからだ。
ギークハウス上野なんて、上野駅から徒歩3分の超立地なくせに家賃光熱費水道代ネット代全部込みで月39000円だし、そんな条件の部屋は地方にはまずない。
他にも、劣悪な環境に目を瞑れば月2万くらいのシェア物件は首都圏にいくらでもある。大卒したばかりの若者なら、なおさら若さでカバー出来るからそういう所に住んだ方がいい。どうせ仕事で一日16時間くらい職場に拘束されるのだから、寝に帰るだけの空間に家賃だけで月5万も6万も払うような物件に住む必要は無い。
地方では安い生鮮食品にしたって、若者の食生活的にはあまりメリットを感じないだろう。若者の主食であるカップラーメンや菓子パンなんて全国どこも似たような値段なのだから(大量入荷のメリットでむしろ都心の方が安かったりする)
以上のように地方が勝ってる要素である家賃も生鮮食品の安さも、若者のライフスタイルを鑑みればはっきり言ってむしろ都心の方が安い。
都心の方が全て安い。そして便利。
実のところ、女性の解放以前のずっと昔、今の男性上位社会を作り出した「男性の解放運動」があったと見ていいと思う。
原始社会は「母系集団を中心としていた」というのはよく聞く話で、ある種女性が人類のメイン種だったと思われる。
原始社会における文明の全て、すなわち火の管理、家の管理、衣服の製造、主食となる植物性たんぱく質の確保、全部女性の仕事だ。
男性はおまけというか、傍流に近い仕事(摂取しなくても生きていける動物性淡白の確保、及び他部族と居住範囲がかぶった際の交渉)しかしていなかった。
ところが人口密度が高くなってくると、他部族との交渉という本来はおまけにすぎない役割を負っていた男性が、大きな権力を握れるようになってくる。
そして母系社会を完全に覆す思想系統が、釈迦の時代~キリストの時代くらいに生まれてくる。
というか、そもそも仏教やキリスト教のベースであるユダヤ教は、まさしく母系社会からの解放を教義に組み込んでいる。
それは「自然やそこから生まれる常識が押し付けてくる条理から自由になろう」というもので、「母から子に継がれる『自然』や『常識』」を管理していた母系の力を完全に断つ力となった。
で、「男らしさ」っていうのは、まさしくここに定義されている。
もともと女性中心社会だった頃の支配方法『自然』に立ち向かうための発明だったので、「意思は女性にもある。世界を切り開ける」という事実は長らく絶対に受け入れられないものだった。
それを認めてしまうと、また女性性に負けてしまうのではないか、という恐れが社会の中心となった男性たちにあったからだと思う。
でも実際は「意思は性に関係なくある。誰でも世界を切り開ける」のが事実で、後に個人主義社会、すなわち基本的に「誰もが自分の意思で世界を切り開かなければならない」という思想が生まれると、こちらが世界を席巻するようになる。
フェミニズムもこの個人主義思想に含まれるのが始まりで、今でも多分メインの派閥。
ただ世の中「自然」的なものに支配されていたい、という人間もいて、実はフェミニズムにはこちらを尊いとする一派もある(こちらは後から出た一派)。母系社会の頃の自然志向に帰ろう的なもの。
女性的とされて貶されたものこそ、尊いのではないか? という派閥。
ただこれは、社会活動自体とあまり食い合わせがよくないと言うか、そもそも社会的な活動自体が「意思によって自然を打破する活動」なので、自然派とは対立する。
さて、で、一番大事なところだけれど、「男でかつこの自然に支配されたい派」ってのが「自称弱者男性」の正体なんだと思う。
「女性的な尊さとされている『自然に支配される存在』でありたい。ただし男だけど」派というか。
この派閥は確かに現状色々と行き詰ってる。
ただでさえ社会的活動という反自然な行動に出られない思想で、自然に、つまり過去の慣習で押し付けてもらわないと納得できないんだけれど、「男性とは反自然派」というのが「自然な慣習」になっているので、根本的に矛盾している状態。