はてなキーワード: エイプリルフールとは
大炎上するだろ。
たとえば乃木坂の誰かが、手頃な男(たとえばジャニーズの誰か)と、実際には2人の間に愛なんかないのにホテルでラブラブHしてる最中っぽい写真を投稿したら、乃木坂ファンの怒りは想像に難くない。
2人の間に愛があろうが無かろうが、2人がラブラブHの見かけをした行為を実行した時点で、ラブラブHしたのと同義なのだ。
それはなぜか。女性アイドルの人気の根源たる「疑似恋愛」が、表層を内面と同視することを前提としているからだ。
ファンがメンバーと握手するのは、メンバーにとっては単なる仕事だが、ファンそこには通常の握手と同様の精神的な連絡があると見做すことで、握手に価値を見出している。
したがって、心を伴わない、仕事としての男性器の女性器への挿入も、ファンにとってはラブラブHと同義だ。
上記はラブラブHの例だが、キスに引き直せばこの例が現実の仕事選びにも影響していることが分かる。
女性アイドルは、芝居としてであっても、イケメン俳優とキスをしてはいけない。それは芝居であってもキスだからだ。
ならば結婚式はどうだろう。
エイプリルフールのネタとして、現実に結婚するわけではないが、ウェディングドレスを着たメンバーがタキシードを着たジャニーズにエスコートされてバージンロードを歩き、指輪を交換し、永遠の愛を誓い、花びらが舞うアーチを二人手を繋いで通り抜ける。
疑似行為を本番と同視するファンの心理からすれば、「嘘の結婚式」は現実の結婚式と同視される。ファンの怒りは想像に難くない。
それが疑似恋愛であろうとも、ファンが得られない疑似恋愛を誰かに特別に与えるなら、それはファンへの裏切りに他ならない。
したがってエイプリルフールのネタとして男性との恋愛を想起させる嘘をつくことは許されない。
レズなら推しの処女は守られる(とアイドルファンは考えている)。
レズはアイドルの純潔を汚さない。「恋愛禁止」の「恋愛」にレズは含まれない。
アイドルファンは同性愛を異性愛より低く見ているし、運営もそれを知っているからエイプリルフールのネタとして同性婚を出すことができる。
https://www.instagram.com/p/Cbzc4-kLWMh/](https://www.instagram.com/p/Cbzc4-kLWMh/)
怒りはなかった。むしろ、これだけ長い間差別されてきた歴史があるのに、それらのことを何も把握していない人間にかんたんに「理解(わか)」ってたまるか。というのが本音。けどただ何も考えずに怒ってもどうにもならないので自分のために文字に起こしたのが以下。
異性との恋愛が禁止されている女性アイドルが仲の良い同性アイドル(友人)と結婚したような写真を掲載した上でエイプリルフール(嘘の投稿)であると表現
ってもちろん本人じゃない我々はそんな事は知らないけど、差別されてきた本人たちであればこのようなことはできないと私は思う。「結婚という選択肢が奪われている」当事者が「それを冗談のネタとして大衆に提供する」なんていうグロテスクなことがもしあるのなら信じたくない。重い心臓病を患っており見た目にはわからない(公表していない)患者が自分で「実は心臓病です! #エイプリルフール」なんていう投稿をするか?もしそうなら自分のメンタルを傷つけているだけだからやめたほうがいいし、通常ならまずありえないと思う。もしあったとしてもそれはあまりにもイレギュラーなケースすぎて、今回の問題を考える上でその考えが浮かばなくても責められることではないと思う。
この度、友人の生田絵梨花と式を挙げました🫶🏻💍
このような表現を使っておいて「結婚式だとは一言も言っていない」というのはただの揚げ足取りだろう。2022年を生きる大多数の人間は『白い服を着て』『ツーショットの仲睦まじい写真を掲載し』『ハートと指輪の絵文字を使い』『彼女と式を挙げました』と記載してあれば結婚式を連想する。この点についてなにか言う人間は相当ひねくれている人なので自覚したほうが良い。
同性婚については今まさに裁判が行われており、2022年現在とてもセンシティブな性質を持つ。
かつ、該当のアイドルはとても有名な人物であり世の中への影響力が強い。
大多数の人間(ここでは異性愛者)からしたら、同性愛結婚=絶対にありえないもの。なのでエイプリルフールで嘘ネタとして表現できてしまう。
ここでいう「絶対にありえない」は法律で云々ではなく、異性愛者は同性を愛せない(結婚はありえない)という意味。10人に1人は「(法律で禁じられていなければ)普通にありえる」のに。
投稿した本人はそこまで考えていなくても、この意識を助長させてしまう投稿になる。
自分はゲイだが傷つかない。でも無配慮で文化盗用だと思う。Aフールで難病や障害者のフリしないでしょ。ジョークで困難な立場にある人達の一面を切り取ってフリだけして盛り上がるのは純粋にデリカシーが無いって話
そう。デリカシーがないのだ。
感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。「デリカシーに欠ける振る舞い」「デリカシーのない人」
いま同性愛者は困難な状況にあるのに、そういうことを全部無視して「私達同性愛者でーす!もちろん嘘でーす!エイプリルフールなので!w」って言われたら、本当に同性愛者である人間は「失礼すぎない!?!?」と思う。
ただアイドルからしたら「アイドルとして仲良しアピール(百合営業)するのに何しようかな。そうだ、嘘をついても良い日だから同性婚したっていう嘘ネタにしよう!」とチョイスしただけなのだろう。「結婚」は、おそらく彼女らにとって「とても仲が良いという最上限の表現」として存在した。ただそれだけ。同性愛者を攻撃しようとしたわけじゃない。けど同性愛者からしたらそれは上のように「いや失礼すぎない!?!?」と受け取れる表現だった。
異性愛者はたまたま口にした軽めのジョークだから「これくらいで」って思う。でも同性愛者はこの手の数多くの「冗談」をずっと許容してるんじゃないの。軽めでも皆んなから足100回踏まれたらどっかで怒るでしょ
異性愛者からみたら「ちょっと1回踏んだだけじゃん。はーなんなの?めんどくさ。」ってみんな思っているかもしれない。でも同性愛者は100回どころじゃない数、何度も何度も踏みにじられてきて、今、ついに先人たちのおかげで声を上げても殺されない社会になりかけてるからやっと少しずつ声が上がっている状態。そこで「あーもーさあ、君ウザいから黙って」「今までずっと黙ってたじゃん。だる。さっさと前みたいに黙れよw」と大人数に囲まれて文句を言われている。でもこっちだってもう踏まれても笑顔で対応したくないし黙りたくないのだ。だって痛いんだもん。
同性愛者と異性愛者は大雑把に言えば1:9の割合だ。1人が約9人に囲まれて黙ってろと詰められている。全員が詰めてくるわけじゃないのは分かっているが、今までずっと黙ってろという圧力をかけられていたのでそう思えてしまう。
「私達見た目にはわからない難病患者でーす!もちろん嘘でーす!エイプリルフールなので!w」は「いや、失礼すぎない!?!?」となると思う。それと同じだけのことなんです。痛い時は痛いって言うよ。熱い時にあち!!っていうのと同じで。
乃木坂46メンバー、「同性との挙式」をエイプリルフールに投稿し物議。「性的マイノリティをネタとして消費」と専門家
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6247d9b9e4b0e44de9c23426
さすがにこれは黙っていられなくなったので、ここにまとめておこうと思う。
まずこの批判者は、「エイプリルフール」がどこに掛かっているかを誤解している。
投稿はあくまで「式を挙げた」が嘘であるとするもので、二人が恋愛関係にあるかどうかについては一切触れていない。
つまり「私たちレズビアンじゃありません〜嘘でした〜」なんて言ってない。
「同性愛を自分にとって『あり得ないもの』と想定している」という批判は、勝手な飛躍でしかない。
なぜ論理が飛躍するかといえば、批判者が、いざこれから自分が「差別」だと批判する相手である生田さんと真夏さんという『個人』について、何の関心も持とうとしていないからだ。
よく調べれば、二人とも乃木坂の主要メンバーでありながら、バラエティタレントやミュージカル俳優として個性は全く違えど共に恐ろしく多忙な日々を送ってきた二人が、乃木坂にいる間はお互いを支え合ってきたという事実はすぐ分かる。
そこに恋愛感情や性愛があったかどうかは分からないとしても、二人だけの信頼関係があったことは、ネタでも嘘でも何でもない。
メンバー同士尊重し合う風潮が強い乃木坂の中にあって、二人はあまりにあけすけに物を言い合うので、後輩からは喧嘩してるんじゃないか?と誤解されたり、同期からは「熟年夫婦」と言われたりしていた。
このような二人の個性/関係の固有性を無視した結果として、二人を無名の「非同性愛者」というカテゴリに押し込み画一化するという、別の偏見に陥ることになる。
「私たちのことが理解されていない!この表現は差別だ!」と批判する側に限って、批判対象を「理解」しようと努めた形跡が微塵も見られないのは、いつものことだ。
批判対象を理解せずして、それが本当に差別的表現かどうかなど分かるわけがない。
ある表現が差別的であると批判する際、その立ち位置がマイノリティであれマジョリティであれ、その固有の文脈を参照しなくてよいという特権は誰のもとにもない。
「マイノリティたる私が不快感を感じた→即差別」とはならない。
それはその時点では不快感に過ぎない。
その表現により誰かの「人権」が侵害されていると認められて初めて、それが差別であると言える。
よく言われる社会への影響についても、この2ショットが広く共有されると、同性愛への偏見が強まる?
そんなわけないだろう……
社会運動やる人たちは、批判対象となるマジョリティ側にも『個人』がいることを忘れがちだ。
同性愛と非同性愛のあいだには無限のグラデーションがあるわけで、その中で「恋愛感情を伴った持続的な関係」だけが、表象を語る上でそれぞれ特権化されるのはおかしいよね、というのが「多様性」ではないの?
そもそも表象批判は、公共空間や公的機関におけるジェンダー不平等な表現について「嫌でも目に入るから何とかしろ」という建て付けだったわけで、大企業のキャンペーンでもないアイドルのインスタわざわざ見に行くやり方はむしろ批判側が「乃木坂をネタにしてる」と捉えられても仕方がない。
乃木坂46メンバー、「同性との挙式」をエイプリルフールに投稿し物議。「性的マイノリティをネタとして消費」と専門家
https://news.yahoo.co.jp/articles/00a1935ffce9837a1749b7ce8423912c4747dca0
この記事の主張について心情的な面は理解できるのですが、立場を置き換えた場合論理的に矛盾する主張になるので、舌禍の種になりそうな気がしました。
該当する主張はこちらです。
言い換えるとこういうことです。
これが成り立つには、対偶も成立しないといけません。
このため元の主張が通ってしまう場合、異性愛の方が異性同士の結婚と同じ感覚でエイプリルフールに同性との結婚を示唆した場合、その方も同性愛否定派とみなされてしまいます。
いやぁ言わせてもらうが、LGBTQに限らず人間みんな病気だろ。
部落はタブーでLGBTQは被害妄想ってのがよくわからん。出身もセクシャルも「生まれつき持ってるもの」に違いはないのに。
エイプリルフールのネタにしてもいい空気ってのがもうなんだかなと思うよ。自虐ネタなら止めないけどさ。
差別意識が強くても、被差別意識が強くても、あるいは無知無関心に見せかけて結局差別意識に繋がってるのも、全部病気になっちゃうじゃんよ。
今日はエイプリルフールだから、微妙にネタっぽい新情報だとガチでも嘘に見えるのは何とかならんのかねぇ……。
遊戯王で有名な雑魚モンスターを強化するカードが発表されたとか、ビータマンデザインのボトルマンが公開されたとか。テキトーにTwitterを眺めると、なかなかネタとしては面白い線を付いてきたなーと思って読み流してたら、どうやらどっちもガチ情報らしくて割と反応に困る。
「嘘」が存在するには対になる「真実」が存在しないといけない。まずこれが無い。
人間が物事の一面を捉えて、それっぽいのが「真実」、それっぽくないのを「嘘」という箱に分けてるに過ぎない。
例えば「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」という概念は有用だが、モノに付いている属性ではない。自治体の捉え方次第だ。
「嘘」「真実」に関しては自分に有利なものを真実としがちで、毎週出す20Lのゴミ袋より信頼も価値もない概念だ。
「ピンクのユニコーン」のように、存在を認めてもいいが認める意味がない代物だ。「無い」といえる。
「日付」は無い。太陽と地球の距離と角度が色々変わって元通りになる時間の流れを「1年」と呼ぶ。それを365分割して約365個の日付とかいう箱に入れてる。(極以外の)空の明暗1セットを1日と呼ぶが、365回繰り返したのを1年とするとズレるので、4年に1回補正かけてる。意味ない。
だいたい、地球の自転速度が2倍になったら730日必要だろ。他の暦でも引数として自転公転速度を受け取れる動的なものでないと「ものさし」にすらならない。
人間が時の流れに何も作用できないから分割して認識してどうにかした気になってるだけ。価値なく、存在しないといえる。
もちろん存在を認めてやることもできるが「空飛ぶレインボー帝国」くらいトッピだ。
カレンダーなんてのは「空飛ぶレインボー帝国のピンクユニコーンのエサ、レインボーピンク人参の在庫管理表」だ。あってもいいが、話題にする意味がない。
日付は365個のジョークだ。1/1から12/31まで爆笑必至の間抜け日付だ。とくに4/1は一番だ。皆も努々嘘なんかつかないようにな。ただでさえ腹が痛いんだ。