2022-04-03

乃木坂46の件

乃木坂46メンバー、「同性との挙式」をエイプリルフール投稿し物議。「性的マイノリティネタとして消費」と専門家

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6247d9b9e4b0e44de9c23426

さすがにこれは黙っていられなくなったので、ここにまとめておこうと思う。

まずこの批判者は、「エイプリルフール」がどこに掛かっているかを誤解している。

投稿あくまで「式を挙げた」が嘘であるとするもので、二人が恋愛関係にあるかどうかについては一切触れていない。

まり私たちレズビアンじゃありません〜嘘でした〜」なんて言ってない。

同性愛であるともそうでないとも言っていない。

同性愛自分にとって『あり得ないもの』と想定している」という批判は、勝手な飛躍でしかない。

なぜ論理が飛躍するかといえば、批判者が、いざこれから自分が「差別」だと批判する相手である生田さんと真夏さんという『個人』について、何の関心も持とうとしていないからだ。

よく調べれば、二人とも乃木坂の主要メンバーでありながら、バラエティタレントミュージカル俳優として個性は全く違えど共に恐ろしく多忙な日々を送ってきた二人が、乃木坂にいる間はお互いを支え合ってきたという事実はすぐ分かる。

そこに恋愛感情性愛があったかどうかは分からないとしても、二人だけの信頼関係があったことは、ネタでも嘘でも何でもない。

メンバー同士尊重し合う風潮が強い乃木坂の中にあって、二人はあまりにあけすけに物を言い合うので、後輩から喧嘩してるんじゃないか?と誤解されたり、同期からは「熟年夫婦」と言われたりしていた。

このような二人の個性関係固有性無視した結果として、二人を無名の「非同性愛者」というカテゴリに押し込み画一化するという、別の偏見に陥ることになる。

差別糾弾する側が、偏見押し付けている。

ミイラ取りがミイラになっている。

私たちのことが理解されていない!この表現差別だ!」と批判する側に限って、批判対象を「理解」しようと努めた形跡が微塵も見られないのは、いつものことだ。

批判対象を理解せずして、それが本当に差別表現かどうかなど分かるわけがない。

差別とまで言うなら、それを立証する責任批判側にある。

ある表現差別である批判する際、その立ち位置マイノリティであれマジョリティであれ、その固有の文脈を参照しなくてよいという特権は誰のもとにもない。

マイノリティたる私が不快感を感じた→即差別」とはならない。

それはその時点では不快感に過ぎない。

その表現により誰かの「人権」が侵害されていると認められて初めて、それが差別であると言える。

よく言われる社会への影響についても、この2ショットが広く共有されると、同性愛への偏見が強まる?

そんなわけないだろう……

社会運動やる人たちは、批判対象となるマジョリティ側にも『個人』がいることを忘れがちだ。

同性愛と非同性愛あいだには無限グラデーションがあるわけで、その中で「恋愛感情を伴った持続的な関係」だけが表象を語る上でそれぞれ特権化されるのはおかしいよね、というのが「多様性」ではないの?

そもそも表象批判は、公共空間公的機関におけるジェンダー平等表現について「嫌でも目に入るから何とかしろ」という建て付けだったわけで、大企業キャンペーンでもないアイドルのインスタわざわざ見に行くやり方はむしろ批判側が「乃木坂ネタにしてる」と捉えられても仕方がない。

  • この件の背後にあるのは、カミングアウト・マウントという心理現象で、 最初に批判してる人は、レズビアンをカミングアウトしてる人なのね。 レズビアンをカミングアウトして、そ...

    • だ・か・ら、不快感の表明ならご自由に。 「許せないって思っちゃうの」に、「差別風」な概念要らないでしょ。

  • 坂豚きっしょ

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