はてなキーワード: 調査報道とは
財務次官のテレ朝記者へのセクハラ騒動に関連して、産経新聞の元女性記者だという人が、新聞記者の取材とはどういうものかをツイートしたのがまとめられて、はてなでもホッテントリにはいっている。
つまりは、重要人物の懐に入り込んでから情報を聞き出すのが仕事である以上、そこには篭絡、恫喝、バーター(取り引き)といった手段が用いられており、今回のセクハラもその延長線上で起こったことと言いたいようである。
平たく言えば、朝日がエロ事務次官からネタを引き出すために、女性記者を送り込んでいたんだろ?ということを匂わせたいのだろう。
現実のところ、この見立てはかなり確度が高いと思うけれど、と、同時に旧態依然とした、悪い意味での記者だなあ、という感も深い。
業界の片隅に身を置いていた一員として言えば、たしかに、「そういう記者」はある程度の成果をあげて、社内政治も上手だから、出世も早いのである。
ただ、そういう記者が尊敬されているかというと、必ずしもそうではない。
本当にすごい記者は、恫喝だのバーターだのしないでも、すごいスクープを放つのである。なぜか? 地道な取材と知識の積み重ねと、そしていざという時に信用される人間性があるからである。
なお、ここでスクープというものには二種類あることに注意しておいていただきたい。
一つは「いずれ明らかになることだが、どこよりも早く伝える」という速報性のスクープである。
一般的に新聞記者が追いかけるのは、こちらであることが多い。で、こっちの場合は、とにかくネタ元に食い込むのが一番早い。だから、セクハラをものともせずに女性記者を送り込むことにもなる。
ところが、世の中にはもう一つ、「報じられなければ真実が隠されてしまう」という独自性のスクープがある。
こちらは、実は恫喝だのバーターだのは、あまり通用しない。地道な調査報道の結果や、義憤に駈られたリークによってもたらされるからだ。
「このままでは真実が埋もれてしまう」という情報を新聞記者に、託すとき、必要なのは信頼関係である。人として信用できなかったり、権力に近すぎて真実を揉み消しかねない記者にリークするアホはいない。
人間というのは、こうみえて案外「良心」を持っていたりもするもので、真実が報道されないことに憤りを感じ、本当のことを話したい人というのはいるのである。
そういう人は恫喝しても話してはくれないが。
古い話で恐縮だが、田中角栄を退陣に追い込んだ「田中角栄研究」が書かれたとき、筆者の立花隆と文春の取材班は角栄にあったことはなかったそうである。
あのレポートは、地道に登記簿謄本を取り寄せて角栄の土地取引の履歴を追うなど、調査報道のお手本ともいうべきものだ。
森友の土地取引は、豊中市議が建築予定の看板に感じて情報公開請求したことから始まるそうだが、こういう人の訴えも掬い上げる記者かいなければニュースにはならない。
「独自性」のスクープは「速報性」のスクープに比べて、手間もかかるし記者の力も試される。
だから、普通に報道機関に属する記者が追いかけるのは「速報性」の方が主だ。
しかも、「特ダネ」をとって誉められること以上に、「特落ち」をやらかして怒られることの方を気にしなければならない組織が多いから、記者はせっせとネタ元とのお付きあいにはげむことになる。
情報公開なんて意識が希薄で、情報伝達に時間がかかる時代なら、記者がお偉いさんに取り入って話聞いて、それをまとめて伝えることに、意味もあっただろうが、いまや、ニュースがでるとなれば、先手を打ってネタ元自体がネットでいくらでも発信できる時代である。
となれば、自分は記者のフィルターを通した速報なんぞより、独自のスクープを読みたい。
だが、ジャーナリズムが、ほんの心の片隅にでも「キレイごと」を忘れてしまえば、それは単なる「情報ゴロ」にすぎない、と思う。
夏前にうちのテレビが壊れてというかテレビを見ていたパソコンが起動しなくなったので、テレビへアクセスすることができなくなった。
それ以来ラジオを聞いている。出勤前の朝の時間、帰宅後から寝る前までの時間、ラジオを聞いている。
ニュースを知るにはほかにいくらでも手段はあるが、一人暮らしの部屋で生活音がほしいとき、ラジオはいい。NHKのらじるらじるがベースだ。
ラジオは音だけなのにパーソナリティの個性がなんかすごく来る。
民放のFMはそれが時にしんどい。英語交じりでごきげんな感じでおしゃべりは続くわけだが、しゃべってる人は50~60代くらいだったりする。
それはそれでいいのだが、無理してる感じ、この人の若いころは20年から30年前かあ、ああ90年代から00年代かあ、もう引退してもいいのに「まだまだがんばってくださいよお」などと、まわりから言われてるんだろうなあ、なんて思ったりしてしまう。
そして何より、広告がせちがらい。
膝の痛みを緩和するサプリメントだとか、拡大鏡だとか。英語交じりでご機嫌にしゃべっていた人が、中高年の悩みにフォーカスした商品についてのPR台本を読み上げる時、きゅーっとなるんだ。不自然なんだ
ラジオを聞いている年代の実際のニーズと、かつてかっこよかったラジオっぽい体裁を整える雰囲気づくりのアンバランスがしんどい。
だからNHKを聞く。ラジオ深夜便、まいあさラジオ、大好きです。
テレビでもNHKは義務として地方の声を取り上げるのですが、ラジオはさらにそこに注力しているらしいことがわかる。
私が今いる場所ではないけれど、日本語が通じる範囲の話題、地方の情報を収集していて、それを語れる人材を配していると推察される。
専門家の話もおもしろい。ニュースというより調査報道ぽい話も、毎朝聞けるよ。
フリップや映像がないから、とても丁寧かつ簡潔に語られる。わかりやすい。おそらく70代でも聞き取れるように話している。
はあちゅうさんの件、正直彼女が岸ナントカ氏から受けた仕打ちはひでー話だと思うよ。で、それとは別の問題として彼女やその周辺が「童貞」という言葉をあまり慎重さもなく濫用してたのもフツーにダメだと思うわ。
だけどそれ以上に、Buzzfeedというウェブメディアにはガッカリさせられた。
記者出身の書き手もたくさんいて、ちゃんと記事が書けて、アカデミックな裏付けもあって、調査報道もできて、かといって既存の新聞社みたいに問題設定がズレているわけでもなく、ネット時代に合わせた論点設定ができる、良質なウェブメディアなのかと思っていた。
でも、はあちゅう記事の後に出したフォローアップ記事。これがなぁ。
はあちゅうと #metoo への批判 ハラスメント社会を変えるために共感を広げるには
https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/metoo-and-howwecan
いや、はあちゅうさんの一件って、「同じ人間が被害者にもなれば加害者にもなりうる。大事なのは学ぶことだ」ってことでしょ。でも、そのことを本人や報じたメディアが実演することよりも、結局自己弁護が大事なんだな……という感想しか持てなかった。
結局この騒動で一番得したのは誰かって、超大量のPVを叩き出したBuzzfeedに他ならないわけじゃん。いや、ウェブメディアなんだからPV獲得はマジ大事。商売なんだから、社員食わせてコントリビューターに謝礼払わないといけないんだから、PV追求して当たり前、ちょっとタイアップっぽい記事上げるのも百歩譲ってしゃーないと思うわ。
「「はあちゅうさんの出版のタイミングと合わせたマーケティング」という批判があるが、完全な誤りだ。数ヶ月に渡る取材をし、記事をだすタイミングはこちらが選べるものではなかった。」
うん、嘘くさい。こういうことはいちいち自己弁護しないで胸の内にしまっとけばいいのに。結果として完璧にタイミング合ってるんだから、そんな言い訳通用しないよ。「マーケティングだと思われてもしゃーない」ぐらいの割り切りがあったらまだ理解できたのに、追撃記事で自己弁護だもんなぁ。
問題の構造をより深くかつ俯瞰的に分析してくれるメディアだと思ったんだけどな。結局、中川淳一郎みたいに広告業界の構造的な問題として分析する視点はBuzzfeedにはないわけ。
いや、これ前にも似たようなこと思ったんだわ。たとえばこの記事。
「カタコト感がかわいい」海老蔵さんもメロメロ 元大関琴欧洲、癒やしのブログの秘密
https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/kotooshu-naruto
いや、記事の内容自体はいいのよ。でも、このタイミング。なんつーかさ、「日馬富士の暴力問題で相撲界が殺伐としてるけど、琴欧州でほっこり癒されよう」っていうメッセージを感じるわけ。いやまあ、それでいいんだよ。いいんだけど……結局、「PVが取れそう」な表面的なところをなぞるだけで、琴欧洲が感じた理不尽の内容とかを深く聞き取ろうという気が結局ない。暴力事件を簡単に起こしてしまう角界の構造的な問題を理解しようという姿勢がない。角界の伝統に潜む問題とかは、内館牧子の新書一冊読めばなんとなくわかるじゃん。でも結局、アスリートの深くまでに入って理解しようというより、スターの表面的な「かわいさ」にフォーカスしてるだけになっている。
もっとイチャモンつけるなら、「ひらがなだからかわいい」っていうのもオリエンタリズムの一種だよ? まあそれは元琴欧州(鳴門親方)本人も自覚的にやっているからいいんだろうけど、それは本人が、日本人からの外国人差別的な視線を甘んじて受け入れてるってことだし、メディアが乗っかるのだって慎重さが必要だと思う。Buzzfeedみたいなポリコレ気にする媒体ならなおさら。
長く書きすぎてしまった。ちょっとまとめると、はあちゅうさんの一件でよくわかったのは、テレビ局とかが萎縮しまくってる「ポリコレ」を、商売にできちゃうのがBuzzfeedという媒体の強みだってことだな。別にポリコレ自体はいいんだけど、それを過剰にバズらせて商売にしてしまう、こういうバイラルメディアの姿勢はもっとガンガン批判されるべきだと思う。
あとは、ポリコレは別に無敵の棍棒ではない。最初にリンク張った記事は「我こそは正義」っていう主張の感が強いけど、結局誰でも間違うわけでしょ。「誰でも間違うし、その間違いから学び合おう」ってことならわかるけど、「我こそは正義であるーーー!」って自己弁護を積み重ねるのは全然ポリコレじゃないと思う。
パナマ文書とは、パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した過去40年分の取引記録のことです。モサック・フォンセカは、世界中の資産家を相手にペーパーカンパニーやオフショア口座を作る仕事をしていて、流出事件の直前まで米経済誌に注目の人として掲載されるなど、経済界では有名な一流の事務所でした。なので一事務所の流出情報にかかわらず、世界中の有名人・著名人の名前もバンバン出てきて大騒ぎになっているのです。
タックスヘイブン利用者や税金逃れ情報についての国際的に大きな情報流出事件は、パナマ文書以前に複数あります。2013年のオフショアリークス、2014年のルクセンブルクリークス、2015年のスイスリークスです。今回のモサック・フォンセカから流出した「パナマ文書」のデータ量は、それらより遥かにおおきな規模になります。
パナマ文書の情報は、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)に参加する記者を通じてしか確認することができません。日本からは朝日新聞と共同通信の記者が参加しています。なので、ほかの多くの人々は、これらの記者が所属する報道機関の記事やICIJの発表を待つしか新しい情報を知ることができません。
ICIJは、タックスヘイブンを利用すること自体はあまり批判していません。合法だからです。しかし、税金を徴収し利用する側の政治家や公的性格を持つ人々が行っている租税回避行為は、道義的責任があるとして家族も含めて容赦なく批判して晒しています。ICIJが批判するのは政治家・公人であって、一般人ではありません。パナマ文書の報道で日本人の名前が上がっていないということは、パナマ文書には日本の政治家やそれに関連する名前がなかったということです。
世界各国でパナマ文書への積極的な反応が見られるのに、日本では見られない。それはなぜか。日本の政治家の名前が挙がっていないからです。ほかの国々で「調査する」など積極的な反応がなされているのは、名指しで自国に関わる主要な政治家、人物の名前が挙げられていたからです。確認のために調査するのは当然です。
また、「パナマ文書」そのものは、ICIJしか手に取ることができないので、司法や国税が独自に調査するのは不可能です。
2013年に国税庁がタックスヘイブンを利用する日本人のリスト(オフショアリークスに由来すると思われる)を大量入手し、脱税調査に着手したと報じられました。
はてなブックマーク - 国税庁 大量のタックスヘイブン資料入手 NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20130601/k10015004501000.html
しかしタックスヘイブンの利用自体は合法です。タックスヘイブンの利用者が即座に脱法行為をしているとはなりません。また、入手情報は古いものも多く実体の確認がとれなかったり、脱税と指摘できても時効となっているケースもあるでしょう。
一部で、「パナマ文書に「アグネス・チャン」の名前が載ってた」と報じられているそうです。しかし上記の通り、「パナマ文書」は一般人には公開されていません。どこで確認したのでしょうか?
話の元をたどると、ICIJが2013年に公開した「オフショアリークス」の情報を今ごろ検索していたのだと分かりました。「パナマ文書に載ってた日本企業一覧」なんてまとめられているリストも全部オフショアリークスから得た情報で、パナマ文書は関係ありません。
オフショアリークスは、同じタックスヘイブン情報といっても、英領バージン諸島やケイマン諸島の企業やファンドの情報と報じられています。もちろん利用者が被って同じ名前が載っていることもあるでしょう。