はてなキーワード: 私刑とは
増田に俺の持つ知恵の1つを分けてやると「常識は個人個人で違う」ということ。
増田の「常識」を基準とした「されたらいやなこと」「うれしいこと」は生み出される。
受け手側には「受け手側の常識」を基準とした増田のとは違う、「されたらいやなこと」「うれしいこと」が生み出される。
それぞれ全く別物なのよね。
常識同士で同じところが一番多かった箇所が、「社会の常識」に採用される。
色んな社会に生きる人の常識をかき集めたとき、一番無理のなく沢山の人に一致する常識が概念的に作られる。
話はそれたけど、増田も太郎さんも鈴木さんもみんな違う「常識」を抱えてて、
お互いが被ってる一致してるところだけを指して常識を形作っている。
でも増田のだけほとんど外れの常識だったり、外れていることに気付かないんだ。
普通はお互いの常識がぶつかり合う前に危険を察知して回避しようと無意識にする。
これが相手が嫌な事をするなってこと。
大麻のせいか、人格障害か分からないが、措置入院するような問題を抱えていた人間が、親と同居するという条件で退院したにも関わらず、実際には同居していなかった。
そんな家族を持つ男が、医療・行政と繋がり、施設にきちんと入居させ、定期的に会いに行っていた家族を持った人達を殺傷したということだ。
当人も家族も現在の障害者や精神疾患を抱えた人に対する最低限守られなければならない決まりを守っていなかった。
そんな人が現在の障害者福祉・行政に異論を唱えて私刑を実行するなんて筋違いも甚だしい。
心身耗弱や心身喪失なら、彼が嫌っていた障害者として医療行為や福祉の対象になるし、そうでなくても刑務所に服役する。
どちらも多大な税金がかかる。
死刑になる可能性も高いがそうなると死刑が執行されるまでは、労働などもない。
そんな彼の為にどれだけの人的、金銭的な負担を社会がするのか?
このことを彼にしっかり教える必要があると思う。
彼の考えは矛盾しているが、そもそも税金を使って無駄に生きていると考える対象である人達のお世話をして給料をもらい(その給料には介護保険などの税金が含まれる)、やめさせられたらそれが気にくわないと言うこと自体が支離滅裂ではある。
障害者を安楽死させて彼らに対する福祉をやめてしまったら、彼のやっていた仕事はなくなるのだ。
自分の主張が実現して仕事を失う分には良いが、障害者福祉が有り続けていて自分がその無くなれば良いと思っている仕事を失う場合は許せないと言っているわけだ。
ちゃんとこのことを彼に突きつける必要があると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160420150416
おまえバカだろ。
何千回と言われてることだけどさ。
「集団で私刑にしよう」などという考えの人間はそんなにいないんだよ。そういうのははてなスター欲しがりのごく一部の人間だけ。
お前の線引をなんでこっちが共有しなきゃいけないわけ?
そもそもお前はどこからどのラインまでは批判しても許されると思ってるわけ?
そういうのを全然示せてないんだよ。
それを示せずに、俺の感覚が正しいって喚くだけのやつはお呼びじゃないんだよバーカ
お前は木を見て森を見ない典型例で、自分のことを賢いと思っているけど仕事できないやつだろ。
お前はフミコフミオの悪意の部分だけ指摘しておきゃよかったんだよ。
北条かやの件。具体的に言うと、フミコフミオが参戦してきてから本当に知的レベルが一段階下がった。
バカに解りやすいブログに取り上げられることでバカが集まって、手がつけらんないとこまで来たって感じだ。
フミコフミオは確かに文章上手いよ。でも、今回のあれに賛同してたらヤバイぞ。
文芸技に丸め込まれてる。それって原始人がライターを持つ現代人を崇めるのと一緒でバカ丸出しだぞ。
そもそも、あれに反論するしっきーのブログがツッコミどころ多すぎたのも非常によくないんだが
(『叩き続けろ』っていう『要約』はあからさまに過剰すぎて、思考停止と反論の大きな隙を与えてしまっている)
それによって、フミコフミオとその賛同者の罪が許されるわけではない。
フミコフミオのブログに対して「私には悪意を感じられない」「現代文の点数悪いんじゃない?」などの煽り。
……はぁ?
こういうふうに言うと、「もし彼女が本気だったらどうするのだ!責任を取れるのか」と言ってくる紳士淑女が発生してくるが、仮に彼女がなさったところで有言実行なだけであり責任は炎上かや様本人にある。そもそもそういう非難は彼女が実行されてから言っていただきたい。
自殺ストリップやめろ。 - Everything you've ever Dreamed http://delete-all.hatenablog.com/entry/2016/04/19/120001
あのさ、ここの段落に「悪意」を感じ取れない方が読解力ヤバいぞ。
「死んだとしても責任は俺にはない」だけではなく、「自殺」することを期待するかのような発言。
『父親が自殺した』という同情ポイントを集めておいて、他人の自殺を期待することがどれだけ欺瞞に満ちているか解っているのか?
そして、フミコフミオが本当に怒っていたら、悪意がなかったら、自殺を期待するまで叩いていいってのか?
で、だ。
たぶんこの指摘もスルーされるわけだ。
はてブユーザーがここに目を瞑る理由はもうはっきりしてるので突き付けてしまうと、
お前ら、加害者になりたくない上に自分は加害者じゃないと思ってるんだよ。
北条かやの件に関しては、もうはっきり「必要ない」加害者が出てきているレベルだと思う。
百歩譲って、北条かやを批判していい、批判する権利のある人間がいるとしたら、
「こじらせ女子」などの言葉を使われたりした雨宮まみや能町みね子。などを筆頭としたライター陣か。
まあ、同業者がライターとして適当な仕事をしている人を営業妨害だと批判するのは解る。
つまり、北条かやに『直接被害を被った人間』が、『論理的』かつ『適切に』批判するのは、それこそ自浄作用ってやつだから肯定できる。
でもさ、ネット上では北条かやに『直接関係のない人間』が、『感情的』かつ『過剰に』叩いているやつが多すぎる。
同情を集めるメンヘラ女子が目障り? すぐ『自殺する』っていうやつが気に入らない?
あ、そう。
いいか。
端的に言って、仮に北条かやがこの先、脱税で捕まろうが、人を殺そうが、スカトロ趣味が発覚しようが、
関係のないお前らに「叩いていい免罪符」が発行されるわけではない。
俺は「ネットいじめ」って言葉、「私はいじめに荷担してるつもりなんてない!」という思考停止バカを呼ぶだけなので、
良くないと思っている。
それを嬉々としてしている限り、お前らの知的レベルは原始人レベルなんだよ。
例の件、「気持ちはわかるが言葉や態度が気に食わん」的な反論が散見されるけど、何が問題なのかよくわからん。
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
ていうか、国の命運と自分の命運を同一化しすぎじゃない?
国が死んでも自分は生きればいいし、自分が死んでも国は続くでしょ。それはそれ。これはこれ。
もし国が自分を生かさないなら、自分が生きるために国を乗り換えるしかないでしょう。
逆に言うと、国に心臓をささげないと生きてちゃダメなの?この国って。心臓をささげないと反日なの?
こんな労働環境、こんな育児環境にも関わらず、銃口向けられながらひきつった顔で笑って万歳三唱しなきゃ非国民なの?
だとするなら信条と内心の自由とは?憲法19条とは?まーた特攻させたいの?
なんでサムスンにエンジニアを引き抜かれたのかまだ理解してないの?
個人がそういった国家観を持ち、心臓を捧げるという内心は自由だけど、それを強制されちゃ困る。
ていうか日本国は(ブラック企業と少子化対策と世代間格差は放置してるけど)そこまでは落ちぶれちゃいないですよ。
例えば彼らの論理に沿えば、防衛大学校の任官辞退者を実刑に処した上で2階級下げるくらいの処罰が必要なはずだよね。
そんなことにはなってないですよ。
彼らがやっているのは私刑ですよ。
>痛みや怖さという感情を怒りによって忘れて、
まさに結果を想像するなんてことじゃ抑えきれないところから犯罪が発してるんだよ
増田の想像力のなさではそりゃ犯人への的外れな批判と私刑がなくならんはずだわ
だからBさんの存在を失念していたり、そもそもBさんのことが嫌いだったりする人は
「Aさんだけ守れれば他に心配することはない!」という発想になるから、なんでもない妥当なAさん批判を私刑認定しやすくなるという話
うん。それは元増田に繋がる話だね。
Aさん好きでBさん嫌いというバイアスを持っている奴は、Aさんが悪いことをしたため正当な批判が集まったというだけでも私刑呼ばわりしたりする
「炎上が起こった時、実際に犯罪を犯したわけでもないのに、道徳的な価値観から集団でのネット私刑、ネットリンチが行われている
個人に対しての行き過ぎた暴力であり、問題視されるべきだ」というものがある。
考えてみて欲しい。
「皆の食事会で唾を飛ばしまくり、げっぷをしても悪びれず、異常にキツい香水をつけ、そして会計の時だけそそくさといなくなり周囲に払わせる」
このような人が貴方のそばにいたとしよう。
当たり前だが、よほどおおらかな人でない限り「この人と今後仲良くするのは無理だ、食事などもっての他だ」と思うのが当然だろう。
さて、それが食事会に参加した全員がそう思ったのならどうなる?
10人の参加者のうち当人を除いた9人がこの人とは無理だと思い、関りを避けたらどうなるだろうか。
さらに彼らが当人の所業、悪口を知り合いらに話していったとしたらどうなるだろうか?
話された人も「そのような人とは私も関りたくない」と考えるだろうし、
当人は自分が行った行為の裏返しとして、関わった人からもこれから関わるはずだった人からもNGを突きつけられることになるだろう。
ネット上で起きている集団的正義感による私刑、なんていうものは
その大多数は「私はこの人は嫌いだ、関りたくない」という意思表示を、とても大勢の人間が個人的に行っているだけなのである。
さて、ここで「ネット私刑はやめよう、一度叩かれた人をそれ以上叩くのはやめよう」と言ったところで、
その不快度の高い人間に手を差し伸べてやるべきだとでも言うのだろうか?
その不快度の高い人間のことはもう放っておけとでも言うのだろうか?
先ほどの例で言えば、食事の場でマナーの悪い個人がいたとして、
その食事会に参加した人が周囲に話すことなく、個人的にNGとしただけで終わった場合、
そのマナーの悪い個人はその会の面々を切り捨て、また新しい面々の食事会に入っていくだけである。
そうして少しずつ少しずつ悪評は広まることになるが、当人は一切反省せずに場を転々とするだけだ。
その当人を拒否することなく受け入れろということと同義である。
当人は3割を捨てても7割側が許してくれたと考え、反省もせず改めもせず、7割側の人間を不快にさせに行きだす。
7割側の人間にとってみれば、もう向こう側から関わって欲しくないからこそ、当人の行動を非難しているのだ。
それをやりすぎだと咎められたとしても、次被害に会うのは自分かもしれない以上は個人的に叩くだろう。
まず当人が行ったことがどれだけの人間に受け入れられ、どれだけの人間に批判されるかという所から始まる。
見た人のうちの6割程度が賛同するだけでも炎上はしないだろう。
見た人のうち8割近くが批判する立場になるような、そういう不快な行動をとったからこそ炎上するのである。
「煙のない所から火が立つような炎上」こういう表現も時折されるが、これは間違いである。
そもそも本当に何も問題を起こしていないのであれば、火は広がらないからだ。
「このようなことは批判されるべきだ」という人が火を広げるし、「別にこのくらいなら許容範囲」という人が鎮火させるのである。
本当に煙のない所に炊きつけたような炎上であれば、それに騙される人は確かにいるだろうが、
大多数の人間は「これ何も問題ないじゃん」と考え、火は広がらない。
個人的な怨恨を持った極々少数の人間が、小さなコミュニティに留まって焚き火をしてる程度の、
炎上と言えるほどに多くの人間が非難するということは、実際にそれだけ人を不快にさせる行動をとったということである。
多くの人間が関わる為、それを「一致団結して蹴落としてやろうとする特定の集団がいる」ように見えてしまうのかもしれないが、
実際に集団が存在する場合もあるが、そのような「集団的に」批判する人間の数は少ないもので、
小さな集団と、集団には含まれないその他大勢がいるだけで、「個人的に」嫌だと各々が呟いているだけに過ぎない、ということだ。
小さな集団だけが立ち、その他大勢の同意を得られないような火は、先ほど述べたようにその集団内だけで焚き火をしている格好になる。
結論として、「行き過ぎている」とは言えない。
行き過ぎているのだとしたら、それはそれだけ大勢の人間を不快にさせた当人の行動が行き過ぎていただけである。
行き過ぎたことをしたら行き過ぎたことをされる、まだ許容できる範囲なら周囲にも許容してもらえる、当然の話だ。