はてなキーワード: 石原慎太郎とは
石原慎太郎もうちょっと生きててほしかったわ~せめて北京五輪のすばらしさを知ってから死ねよ
TVクルー(笑)へのへのもへじ(笑)すっかすかの大工みたいな奴(笑)へんな歌舞伎(笑)へんなダンス(笑)パッケージそのまんま買ったドローン(笑)
すまん、ジャップ恥ずかしくないの?
中国様に統治してもらった方がいいよねこれ。大東亜共栄圏じゃんwwwww
ネトウヨもう舌かみ切って死んだ?中国様にはもう一生適わないって悟ったか?
息を吐くように嘘をつく捏造隠ぺい改ざん大好きミンジョクジャップがまともな文化を作り上げることなんて無理wwww
批判の大切さを理解しろよジャップ。すぐ対案出せとかガキみたいに騒ぐけどさ。何もしねえことが対案だっつーのアホか。余計な事すんなカス
野党に批判されたらママに怒られた気分になって不貞腐れるいつまでたってもガキなジャップしぐさを改めて大人にならないとこれから中韓に差を付けられるばっかりだよ?
ま、どっちでもいいんだけどね(冷笑)
なんてのはメデイアは今までもやってきたじゃないの?
死んだ人が反原発なり政府批判してたことを強調して取り上げるとか。
だから石原慎太郎の過去発言を取り上げてレイシスト呼ばわりすることも別に平常運転なわけで。
何が悪いの?
去年の衆議院選では、野党側は「ジェンダー平等」を選挙のテーマとして挙げた。たしかに女性の賃金は低く、世の中はまだまだ男社会だと思う。だから、そのぶち上げは正しい。しかし、野党を牽引(けんいん)している一部の過激なフェミニストについていけない。仲の良い夫婦のツイッターにいちゃもん、物事を調べもせずに誹謗(ひぼう)中傷、はたまた二次元の絵にまで性的搾取と怒り狂う。過激にならねばならない背景も理解したいと思うが、それでも嫌になってくる。そしてそれが、野党のイメージになりつつある。
今までさんざんフェミ=野党のイメージになってると指摘されても「党派性に囚われている」とかいってのらりくらり逃げてきた野党支持者たちに痛烈なストレート。
政局がどうこうとか支持母体が弱いとかじゃなくて日々の過激な行動の一つ一つが支持率低下に繋がっているってことから目を背けるな。
オープンレター擁護も石原慎太郎に対する発言も例外じゃない。それらの問題で投票行動への影響はたかが数票かもしれないが、一票を嗤うものは選挙で泣くハメになるものだ。
181cm,一橋大卒,イケメン,陽キャ,ヨットマンかつ文学才能あり,日本最高クラスの社会的地位,
男兄弟全員が150cm台,キモメン,陰キャ,中卒(小学校も遠すぎてあまり通っておらず読み書きできない),集団就職で社会に出て
そしてその、若者の性愛の謳歌やちんぽで障子を突き破る小説で一世を風靡した作家が老いて、前衛芸術や女子供の描く性表現をあげつらうようになり、ついには毎年BLだけが不健全の烙印を押されるようになったのが東京都の表現規制だということを俺は忘れない。
https://twitter.com/nagashima21/status/1488686189364518916
「弔意を示した上で「私たちと立場の違いはもちろんあったわけだが、今日言うのは控えたい」と述べた日本共産党志位和夫委員長のコメントの方が遥かに品がある。」
こういう人って、麻原彰晃が死んだ場合も「お悔やみ申し上げます」から入るわけ?
俺はそんなの言いたくないから言わない。
相手が誰だろうと言いたくなかったら言わなくて良いだろ。
マスコミが死去した政治家をやたら美化したがるのと無関係ではないんじゃない?
クローズアップして美化するニュースを流すから、カウンターとして批判する必要性を庶民は感じるのでは
お悔やみではなく「クソ野郎がやっと死にやがった」と書いているブサヨに対し、ネット右翼達が「品性が低い!」と鱗滝さんみたいになってるが、確かに嫌われていた左翼政治家の訃報に対しての右翼のコメントって「クソ政治家だったが、死んだらしいから一応お悔やみの言葉は述べてやるよ」みたいな、全然心のこもらないお悔やみ文が多いよな。
まあ俺自身は、「はっはっはー、やっと死にやがったよwww」って感じのブコメを書いてから、「いや待て、こいつもう死んでるんだしこれ以上罵倒しても意味ない感じだな」と思い直して、無難な文章に書き換えたのであった。 死んだ奴を更に呪っても無駄だろっていうか、呪いパワーは死んだ奴の方が強い感じするし、呪い返しで負けそうな気がするしw
石原は個人的には好きじゃないけど、死んだニュースを見て悪口雑言を書き込む気にはならない。
憎悪レベルが高すぎて、もはや5ch(2ch)レベルと変わらない。5chなら一応匿名っぽく見えるが、ブコメはid付き。
id晒してよく書くなと思う。この辺りの精神性は全く理解できない。
死者に対する名誉毀損罪もあるのに気付いてるのかね。
再追記
別に悲しくはないし、惜しむ気もない。
再々追記 一部のコメントに返信します。加熱した状態に水を指すことができれば幸いです。
id:fukkenさん 死者に対する名誉毀損罪は刑法230条2項です。生きている人に対する犯罪成立要件とは異なります。石原氏の言動に対する正当な批判はご自由に。
id:the sun riseさん、Ayrtonismさん 私もそのように考えます。
id:ginzaxさん 石原氏の言動を批判してはいけないとは言っていません。むしろ事実に基づいた彼の言動批判は徹底的にすべきかと。私も批判したい点がはあります。
id: lanlanroooooさん 前半部分"自分の品位のためだけに、この件については口を閉ざしている"に共感を覚えます。
後半部分は、そうなのかなと思いつつ、私には死んで欲しい人とまで思う人がいないで分からないですね。
小池百合子について
自由民主党・公明党・日本のこころを大切にする党から推薦で2016年東京都知事選挙に立候補した増田寛也の決起集会(2016年7月27日)に長男の伸晃と共に参加した際、「とにかく岩手県で行政手腕を発揮した増田さんに任せないとね、やっぱり厚化粧の女に任せるわけにはいかないね、これは」と増田への支援を呼びかける一方、小池に対しては「大年増の厚化粧がいるんだな、これが。これはね。困ったもんでね。」と評した[201]。小池が都知事に当選した翌日の8月1日、次男の良純がテレビ番組『モーニングショー』で「おそらく小池先生もご存じだとは思いますけど、石原慎太郎というのはああいう人ですので、たぶん謝らないと思いますので、私がかわりに...」と述べ、小池に謝罪した[202]。
文学者・文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。
そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き・映像監督と政治家で違うけども、根本は文学者だと思う。
文学や新聞がメディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。
石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実
「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影)
DSC_3468『わが人生の時の時』
政界を引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーにヨットにダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派”作家の身体と感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)
この本は不思議なきっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議なウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底は全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。
思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。
《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難や自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優・裕次郎さんとの別れや霊の存在を示唆するような不思議な出来事、戦時の日常も描かれる》
僕は肉体派だからね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷をヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときはコンパスがクルクル回るのが気持ち悪かったね。
ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。
戦時の体験も書きました。横須賀から出航する前、家族と最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争の不条理や残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー元会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうものが潜在意識にあって書いたんです。
《26年、衆議院議員を最後に政界を引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在も文芸誌に小説を連載する》
随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。
ライフワークが一つあってね。仏教徒だから法華経を現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在や時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。
やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。
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『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮社から単行本が刊行され、後に文庫化された。『石原愼太郎の文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。
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〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市生まれ。一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員に当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任。平成11年から24年まで東京都知事を務めた。
「ご冥福をお祈りします」って書いたら
無言でバッドだけ3つ付いたんだけど
これはどういう心境によるものなんだろう
別に他のコメントもバッドまで増えているというわけじゃないから
いわゆるバッド爆撃とかでも無いと思うんだけど