はてなキーワード: 小児性愛とは
「一般の女性を性的に見る」ことと、「特定の女性を性的に見る」ことと、「『私は女性を性的に見ています』と言う」ことと、「『彼女を性的に見ています』と言う」ことと、「『あなたを性的に見ています』と言う」ことは全部違うんだけど、みんな区別できてないのは日本語の欠陥かな?日本語にも冠詞を導入して主語の省略をやめればいいのかな?
世間で認められたから商売をしようと思ったり、ビジネスにすることで多くの人に訴える方法を確立した。
なので小児性愛者もビジネスに乗り出すのは得策だと思うが、認められない限りはアングラでやるしかない。だから、まずは認めてもらうための策を練るのが第一。
LGBTの権利を認めたのは多くの人にメリットは無いけどデメリットも無いから多様性としてマジョリティに認められた。
小児性愛者を認めるのはデメリットが多い(と見られている)から多様性として認められない。
なので、小児性愛者がいかに無害で迷惑をかけない存在かをアピールする為に小児性愛をカミングアウトした無害な人に有名になってもらおう。
最近ちょっとブコメが集まってたテーマで、小児性愛に関するものがあった。
内容について様々な意見があったけど、一つ感じたのは小児性愛者は昨今話題のLGBTとどう違うのか?ってこと。
LGBTへの理解が深まりつつある昨今、小児性愛が受け入れられない背景にはなにがあるのか。
たしかに、小児性愛は行動に移した瞬間法に触れる、いわば反社会性と背中合わせの指向(嗜好?)なんだよね。
ただ、小児性愛ってのはLGBTのように生得的な指向という説もあって、ただの変態嗜好で片付けるのは、ブクマカの大好きな多様性の否定につながるんじゃないの?
子供を性的に見る人権利はあるって大声で主張してる人のうち、いったい何%があ小児性愛者なのか、と思う自分は、同性愛の小児性愛者だ。フェミニストや表現規制派やら何やらを攻撃するポケモンとして、勝手にリングに引きずり出されてボコられてる感がすごい。そりゃあお前らのうち大半は小児性愛の当事者じゃないから、ノーコストで殴れる便利なポケモンなんだろうよ。殴るなら自分の体でやれよと言いたい。
てか性的に見る権利はあるってもうそういう事自体ハラスメントだろ。同人作家くんの権利を守れ!とか言って、同人誌を書く権利はある!なぜなら著作権は親告罪だからだあ!って公式に拡声器持って乗り込む馬鹿と同じだよ。
性自認もケンミン自認も「まずはその他の人と一緒にしないで」という主張でしょ、
一緒にしていいならわざわざこだわる必要はない。みんな地球市民のパンセクシャルでいいよと。
敢えて自認を発話する場面で「現状(都民とか同性愛者と混同)で満足しろっておしつけるな、ありのままの属性もちの俺を認めろ」って主張してるわけだよね
じゃあ「混同しないってどういうこと、どうやって傷つけ合わないように住み分けようか」ってなっていって世の中はより良くなる。
でも小児性愛者は一緒にしないことが他人か本人にとっての不都合しかないのでは。
ピグマリオンコンプレックスでごまかされてくれる小児性愛者ばかりではない
世間定義のごった煮ざっくり「ロリコン」の中には両方混在しているのかもしれんが。
一例として精神障害のなかには生きているだけでいいようのない不快感をおぼえ、
自殺を繰り返し強制入院させられ結局ベッドにしばりつけられて喉にちぎったベッドマッド詰め込んで死ぬみたいな行動するのがいる。
小児性愛者も小さな子供と(破壊的な)性行動ができないとそのように苦痛を覚え絶望するタイプのが混じっている。
(しかもその子供が運良く生き延びて肉体が成長すると子供じゃなくなったから見捨てて次の別の子供を求める、
そして自分が今満足しても将来そうやって乗り換えしないとまた苦痛に陥るであろうことも本人は理解している)。
これをはたして倫理的に救えるのかというのは疑問。
一方で、「私は小児性愛者です」と公言することは許されるべきだろう。この言葉はあくまで自分自身のセクシャリティの問題として語っており、誰かのプライバシーの領域を侵犯したと言うのは無理がある。
「私は小児性愛者なので」が言えるのは現状ネットにかぎられているが、これが現実で発話された場合は、自動的にその先が生じる。
これは屁理屈だわ。
実際に「児童の権利を守れ」という主張の元、小児性愛者を弾圧し児童の権利を保護しているのだから。
君の言ってることは「人権の優先順位」という核心から逃げるため、別の方向にライトを当ててみたに過ぎない。
むしろ現状は「児童の権利を叫ぶ者」のために児童と小児性愛者両方の権利を侵害してるとも言えなくもないが。
てか、
「児童も自由に性行為できるようにすべき。そのために大人が責任を取るべき」という立場は成立するかもしれませんが、それこそ小児性愛者の人権に配慮してないと思われます。
ここは意味不明。
「児童の責任能力」は「人権の優先順位」とは全く関係ありません。
むしろ「児童の人権」を重く見る立場であれば、「性行為も自由にすべき」という主張になります。児童に責任能力が認められない以上、周囲の大人が責任を取る必要があるわけで、その責任の範囲内で児童の人権を制限することはごく普通に行われることです。(酒やタバコの禁止、夜間外出の制限、未成年者契約の取り消しなど)
もちろん、児童の人権制限も必要最小限に止まるべきではありますが、その場合は大人が代わりに責任を取る必要があります。「児童も自由に性行為できるようにすべき。そのために大人が責任を取るべき」という立場は成立するかもしれませんが、それこそ小児性愛者の人権に配慮してないと思われます。
しかし、「1小児性愛者の人権が1児童の権利より蔑ろにされていい理由は何か」という本質的な問題に切り込んでいない。
同列に語れる部分もあれば、同列に語れない部分もある。
「語れるか?」という質問には「語れる(余地がある)」と答えるべきだが、「同列に語るべきか?」という質問の答えは文脈による。一般には同列に語るべき場面と、語るべきでない場面があるから。
「小児性愛者と児童虐待者は区別すべきだ」という言説はよく聞くようになった。それ自体は「議論が進んだな」と感じるし、歓迎すべき。ただしそれともう一つ「性交渉の年齢制限撤廃論者」を合わせて三属性を区別すべきだと思う。現実のネットを見ると、「小児性愛者」ではない「性交渉の年齢制限撤廃論者」が大勢いて、彼らがトラブルの中心になっていることが多いように見える。
また、私も含めて「性交渉の年齢制限撤廃」には反対の人は多いだろうが、とは言え「児童虐待者」ともやはり区別して批判しなければならない。「弱い子供を思い通りにしたいだけだろう」というのは低俗なレッテル貼りだし、彼らもそんな理由で年齢制限を撤廃したいわけじゃないことはみんな本当は分かっているだろう。「そんなつもりがなくても、相手を傷つけることはある」という現実の問題を論じなければならない。
治療を強制的に受けさせることは深刻な人権侵害になり得るので、例え犯罪者であったとしても慎重にならなければならない。本人が望んだ時に治療が受けられる環境が整うことは良いことだと思う。ただし、「小児性愛」を病名として治療を受けるのではなく、一般的な「性依存症」の文脈で、「小児性愛者の場合はどう治療すべきか?」という方法論で語るべきだと思う。これなら「異性愛者の場合は?同性愛者の場合は?」と平等な扱いだと言えるだろう。
内心の自由に踏み込むことがあったらこの国は終わりだろう。そんなところに主題はなくて、児童を性的に見ていることを「公言する」ことは、どこまで許されるのか?
「私はあなたを性的に見ています」と直接告げることは、性別も年齢も関係なくセクハラだろう。なぜなら、それは自分の問題に相手を強制的に巻き込み、プライバシーの領域を侵犯しているから。
セクハラを批判する時にセクシャリティは関係ない。セクシャルマイノリティーだろうがなんだろうが批判されるべきだろう。それと同時に、批判の中で相手のセクシャリティを侮辱するようなことがあってはならない。これらはすべて小児性愛にも適用される。
一方で、「私は小児性愛者です」と公言することは許されるべきだろう。この言葉はあくまで自分自身のセクシャリティの問題として語っており、誰かのプライバシーの領域を侵犯したと言うのは無理がある。
ドイツもロリコンとショタコンとファーリーズの変態の国だからな
ドイツ人でも流石に自分でロリコンやショタコンですとは言及しないが、英国の児童人権保護団体Telefono arcobalenとインターネット監視財団IWFの調査で
ドイツは児童ポルノサイト数と小児性愛者のユーザー数が世界で2番めに多い国だと分かっている。
そして恥ずかしげもなく世界中のケモナーが自分の居場所を地図上に記せるファーリーマップでドイツ人は自分達がファーリーズで多く分布していることを自己申告している。
日本がそう見られている以前にドイツ人は性にオープンで変態度が高い人種だから、むしろドイツ人たちの差別になるかどうかの感覚が麻痺しきっていて起きた事柄だと言える。
ドイツは深夜番組で女性の裸を垂れ流しデリヘルのCMが流れて、街中を見れば下着姿の女性がプリントされた売春宿の車が走っている。全裸バーの衝撃もすごいだろう。
「ロリータ服」というのは「ロリータ・ファッション」のこと(「ゴシック・アンド・ロリータ」の「ロリータ」)で、「ロリータさん」と言うのは「ロリータ・ファッションを愛好する人」のことです。
わかり難くてすみません。
それはそれとして、
である小児性愛の方も沢山いますし、小児性愛それだけで犯罪者予備軍呼ばわりするのであれば差別だと思いますよ。まあ、全人類が犯罪者予備軍だと言われればそうですが。
[追記]
もちろん、挿入欲や被挿入欲があったとしても、それを自身の倫理観と照らし合わせて抑えられる人も沢山いますし、逆に性欲とは一切無関係に性的虐待を行う人もいます。どちらにせよ犯罪者予備軍扱いは差別だと思います。