はてなキーワード: 分散とは
解析的な真の値と一致する可能性は数学的に確率ゼロだけど、どれくらい試行すればどれくらいの範囲内に収まっているかは分かるので、解析的に解いたものを正しいとする(モデルを信じる)のならシミュレーションは信仰の問題ではない。モデルが大き過ぎて回数が重ねられないなら分散の大きな結果だということをしっかり分かるような結果が得られるのだし、その上でその結果を利用していけばいいだけなのだから。
そんなことよりそのモデルによっては初期値鋭敏で、数字を入れるたびにぶっ飛んだ結果にたどり着いてしまい、どれだけ試行を繰り返そうが収束していかないようなことがあることの方がシミュレーションにとっては問題。
遺書置いて飛び出したものの結局そのまま友人に捕まって事なきを得たらしい。
別に薄情と言われてもいいんだけど、今回自分は正直そんなに心が動かなかった。
原因はパワハラらしくて、たびたび相談は受けてたんだけど、そういうのって運ゲだし自分もあんまり社会適応性高くないから割とちょっと厳しめ上司ですぐヘラるからまあそういうこともあるよね的な返し方してた。
こういうのって事後処理的に何で思い詰めちゃったのとか相談できなかったのって言われたりするけど、助けを求めるとか業務の悩みの相談口の分散とかが破綻してるとよくこういうことが起こるように思う。
なんで助けを求められなかったかって、自分も兄弟だからわかるけど母親とかにお願いしたことが叶えらなかったから無駄だ、みたいな体験というか記憶があるからだと自分は思ってて、今回のことが起こったのも半分あんたらのせいだからや、って思ったので割と感情が起きませんでした。
今をときめく(皮肉)総理が主になって、政治家による官僚支配を進めてきたことの弊害が、問題となりつつある。公文書の廃棄・偽造から総務省の接待問題に至るまで、この数年の政権の腐敗問題は全てこれに端を発していると言って過言ではない。
だが忘れてはいけないのは、これは全て
…といった過程を経て、官僚支配こそ悪の根源とばかりに公務員叩きを執拗に繰り返す政治家に喝采を送ってきた国民自身の選択の結果だということである。ここで勘違いしてほしくないのは、「公務員を叩いて弱体化したから政治家が暴走している、公務員の力を復活させよ」と言いたいわけではないということだ。
自分に見えている側からしか断言的なことは言えないので、あくまで限定した意見でしかないが、行政については「叩かれたから弱くなる」なんていうことは特にない。その結果大幅に予算と人員が減らされ権益が低下すれば別だが、どうせ誰かがその仕事をやらなくてはならないなら、金も人もそうそう減らせないのは自明のことだからだ。
ただ、「自分たちを叩いて人気が出る人を喜ばすのは嫌だな」ということだけははっきりしている。ならば、なるべく叩かれないよう外面を整え、偉そうに指示する人に責任を被せられるような体裁に仕立てて、その上で自分たちが力をふるう余地だけは確保することに最大限の労力を使うのが最善ということになる。そして、そのためには「政治家に正しい情報を提供しないこと」が重要になってしまう。こうして、膨大な労力が、極めて無駄なことに投下され続ける現象が生じる。
人気取りをする人に正しい情報を提供しても、それを人気取りにしか使われないなら害にしかならない。だから、情報の隠蔽は政官いずれにおいても重要な課題となる。政官は同床異夢とは言いながら、国民に対しての振舞いにおいては似た姿を見せる。ところが、情報公開から得られる利益の規準が異なるため、あるとき官僚が突然「正直に情報を公開」して政治家が「慌てる」ように、両者の仲は特によいわけではない。ただし、そうやって事態が表に出る段階では、すでに手打ちが始まっている。事態は国民の眼には見えないところで、収拾されてしまい、その構造は温存され続けるのだ。この構造、結局誰も得をしていないのではないだろうか。
もちろん、政と官の間には、緊張関係は必要である。ただ、個人的には、それが空転するような無駄な労力の投下にならないでほしいと願っていて、そのために重要なのは政治家の選び方を変えるべきでは?ということだ。現状の問題の大きな部分は、この高度に複雑化した社会において、「官の人材の能力」に比べて「(二世、三世頼りの)政治家人材の能力」が非常に劣っていることにあると思う。その原因は、官と対等に議論できる政治家でなく、毛並みがよかったりむやみに官を叩いて人気を博すれば二選・三選できる現状の「選挙」が糞システム過ぎるのではないかということなのだ。考えてみてくれ。最近の政治家の顔ぶれを。あれが本当に「国民の代表」として、厳しく選抜された能力者集団である官僚とまともに「議論」が交せる人だろうか? なんで政治の世界が「人脈」とか「長老支配」とかが跋扈する体育会系の世界で、自浄能力がないのか。なんで日本の政治家だけあれほど「発信力」がないのか。もちろん、似たことは世界中で起きているわけだから、日本のシステムが悪いとか出羽守をしたいわけではない。ただ、選挙制度をアップデートできれば、上記のような問題はかなり解決に向かうんじゃないか(言い換えればそれは即、政治家の顔ぶれをかなり挿げ替えることにつながるわけで、決して簡単な話ではないのだが)ということが言いたかったのだ。
これが難しいとすれば、第二案は「党の勢力に比例した内閣の大臣ポスト配分の義務化」言い換えれば「一定以上の勢力の政党全て与党化」策だ。これだけで、国会の効率化と活性化、情報の透明化、権限の分散と国民の政治関心の高まりを全て実現できるナイスアイデアだと思っている。もちろん、閣内の意志統一が難しくなるなどの問題は想定でき、たとえば国難の際にどうするか、などの問題も考えられるが、それは現在の自公政権でも同じであるし、そもそも国会自体が多数政党により運営されていながら日本と言う国家が安定的に運用できているのだから、言うほど現実的には問題ないと思う。何より、国対政治よりもはるかに政党同士の駆け引きは「見える化」するし、現実の国の施策として各党の主張も「見える化」されるわけだから、国会における白々しく無駄な論戦もかなり減らすことができ、官僚の負担も大きく減るのではないか。ぐちゃぐちゃ政策に文句を言われ続けるくらいなら、予算を与えて省庁を一個任せればよい。えんえんと言い逃れの無意味な答弁書を作成させて誤魔可し続けるより、ずっと効率的で透明である。
これは教科書的な回答としては、資産のポートフォリオ、つまりお金・物(車とか高級ワインとか金とか)・株式・債券とかを、バランスよく分配しましょうという考え方に基づいてるんだろうね。お金、日本円だって価値が変動しているわけじゃない?円安とか円高とか。意識する機会が少ないだけで、1000円持ってるだけでも価値がゆるく変動するギャンブルに乗っている、とも言える。
バランスが偏っていると、たとえば円がゴミ同然になってしまったら、全財産がパァだ。だから分散しときましょうね〜、どのみち大なり小なりギャンブルしてんだから。という感じ。(異論は認める。)
経済成長を前提としている、はその通りかな。富の移動が富を産む、その総量は人口増大と経済活動の合理化によって担保されている。ということになってるんではないか。
これ地方に行けばいい(税制を元増田水準に変更した後だとしても)というわけにはならず、地方に行けば行くほど現在の日本では生活行動範囲が広くなっていくので貧乏人のほうが地方や田舎に向かないことがままある。足代か移動時間を差し出さないといけない。
島を除けば車の維持が必須になる事情で(物価とは別で)最低必要な金額が高い。正直東京近郊のボロアパートでも徒歩圏内にスーパーがあるほうが全体経費が安くなると思う。
正直単なる税制の話にとどまらず、モータリゼーションの結果起こった過疎化現象に対しても新規で対策打たないといけないし、都市集中を分散させるには起業支援に自治体支援が今の倍以上は要る。
日本って国では法律が国民の味方をすることはなくなった。裁判所が独立することもなく、三権は全て一箇所に握られている。この状況では将来「国家の財政が傾いてきたからちょっとお前らの貯金借りるわwwww倍にして返すんでwwww」とか言われてもおかしくない。結局iDecoなんてのは「日本人が日本という国の中で投資を行う」だけなので、分散性が低くリスク回避能力が無さすぎる。
iDecoは結局の所「お金が増えるお母さん銀行」のようなものでしかない。でもそれって自分の自由にできるお金が減ってるのよね。積極的に投資をするにしても、個人資産を管理するにしても、これではタンス預金の延長に近く、更にはそのタンスの鍵を預かられているのはどうしようもない。ぶっちゃけお母さん銀行は出し入れができない時点でタンス預金以下とすら言える
あと一つは?