はてなキーワード: スプラッターとは
赤い絵の具で血のりを作って体にぬりたくったりしてさ。
作り物にすぎないんだ。という感覚が身に付けば、楽しめる。
初めて見たときから平気だったの?それとも最初は無理だったけど易しいのから見ていくうちに慣れていった感じ?
自分はグロ耐性がまったくなくて、グロいシーンだけじゃなくてハラハラするシーンとかですら実際に自分も動悸感じそうになるからとてもスプラッターとかホラーって見られないんだけど、ホラー映画の中でもストーリーとかが深かったりおもしろそうなのは見てみたい気持ちはあるんだよね
初めから平気な人はあれだけど、慣れていった派の人がいたらホラー入門におすすめの映画教えてほしい
ちなみに自分が今まで見た中でぎりぎり見られたスプラッターはスウィーニー・トッドの首切りシーン あれは緊迫感なく歌とか歌いながら人が殺されていくから大丈夫だった
順不同
一応ネタバレ注意
出会って5秒でバトル
ある日突然、謎の組織に拉致され、能力を与えられた一般人たちが、命がけのバトルを強制される、というありがちなストーリー。
まだ話数が少ないが、主人公が頭を使ってトリッキーな能力をいかすタイプなので面白くなりそう。
登場人物が不自然にペラペラ自分の能力を話したりしないのも良い。
波よ聞いてくれ
主人公の性格がさっぱりとしてるところとか、主人公の語りが面白いところが要因かも。
ラジオドラマとアナログな音響効果というとラヂオの時間っぽい。
作者は「世界鬼」の人。
よくある異能力モノに魔法少女要素を少しだけまぶしてスプラッターとかを足した感じ。
同じ作者の魔法少女オブザデッドと同じで、絶望的な展開で風呂敷を広げていくところは面白い。
うまく畳めるのかが少し心配。
サツリクルート
「スプラッター惨劇&戦闘ものとあとは謎」ってぜんぜん明確にジャンル分けできてない気がするんだが。
コンクリートレボルティオは、Wikipediaから引用すると
「現実日本における昭和時代後半の歴史をなぞらえた世界観で、マンガや特撮にアニメなどで生み出されてきた、星の数ほどいる“ ヒーロー ”たちが全部同時に存在している物語を描きたい」
というのが分かりやすい。
一話完結でいろんなタイプの昭和ヒーローをオマージュしているので、
ウルトラマンが出てきたり魔女っ子が出てきたり怪獣が出てきたりロボット刑事が出てきたりする。
オムニバス的に観たほうがいいかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20140108194144
監督がどうだとか、演出がこうだとか、主演俳優の演技がどうだったとか、そんな話はいったん脇に置いて。
「燃えよドラゴン」をリアルタイムで見た年配の方々が、口々に話すのは、必ずしもブルース・リーの格好よさではないはずです。
彼らが楽しそうに話すのは、肩をいからせながら劇場を後にする観客の姿であり、少ない小遣いを握りしめてヌンチャクを買いに走った幼い自分自身の姿。
「単純に面白かった」映画の上半期ベストとは別モノとお考えください。
第5位 ゼロ・グラビティ(2回目)
第4位 ウルフ・オブ・ウォールストリート
第3位 アクト・オブ・キリング
第2位 ロッキー・ホラー・ショー
委員長(女)と鑑賞。学生時代はいつもツンと澄ました表情を崩さず、どこか近寄りがたい雰囲気だった同級生(当時クラス委員長)(美人)(三つ編み)と、同窓会で再会 → ホラー映画話で盛り上がる という夢のようなシチュエーションを経て、ホラー映画友達に。2013年中は、これまで一人で観に行っていたホラー映画を、委員長(仕事中だけ眼鏡をかける)と一緒に観に行くという、もし学生時代の私ならその場で卒倒してしまいそうな、夢のような時間を過ごしました。つまんなかったな、死霊のはらわた。面白かったな、キャビン。映画の終盤の大虐殺シーンときに目が合って、満面の笑顔だったことは一生の思い出。
しかし、楽しい時間はいつまでも続きません。2014年早々の飲み会の席で、「年末に彼氏ができた」「彼氏が嫌がるかもしれないので、一緒に映画を観に行くのは控えたい」という旨を委員長より告げられます。悲しいけれど、仕方ない。
「じゃあ最後に、普通に面白い映画を観に行こう」と誘って観に行った映画が『ゼロ・グラビティ』。私は2回目の鑑賞でしたが、面白い映画は何回見ても面白い。さみしいけれど、さようなら委員長。
奥さん(スイーツ)と鑑賞。彼氏彼女のころは昔は一緒にホラーやスプラッターも観てくれたのに、今では「王様のブランチで紹介される映画しか観たくない」と言い張るようになった奥さん。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』も、事前に予告編や前評判を観て「これは『グッドフェローズ』の方のスコセッシやな・・・?」と判断し「奥さんと観に行く映画リスト」からは早々にはずしていたのですが、「王様のブランチで紹介されていて、とてもおもしろそうだった」という奥さんの強い希望で一緒に観に行くことに。今回ばかりはありがとう、王様のブランチ。
鑑賞後「もしかして、やっちゃったかな?」と不安に思いながら、恐る恐るに感想を聞くと、意外なほどの高評価。今でも、奥さんの中での評価は「『アナと雪の女王』より『ウルフ・オブ・ウォールストリート』。『LET IT GO』より『マコノヒーのチェストソング』」とのこと。「んーんー、んーんー」って歌いながら夕食の準備をする奥さんかわいい。
「もしかしたら今後は、付き合いはじめた頃みたいにアメコミ映画も一緒に観にいってくれるかも?」と淡い希望を抱き、後日ためしに『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』を自宅で一緒に観たところ、途中でいびきをかいて眠りはじめました。
高校友人(男×2)と鑑賞。それぞれ個別に食事に行ったり遊んだりすることはあっても、3人そろって会うのは久しぶりだったため、妙に緊張したことを覚えています。少し早く劇場についたので、上映前に学生時代の思い出話に花を咲かせたのち、並んで写真を撮りました。学生時代からはつらつとしていた友人は、今でも若々しく。おっさんじみていた友人は、よりおっさんに。
携帯で撮った写真を見ながら『変わらないものなんか/何ひとつないけど/変わるスピードが/違ったんだなあ』というクロマニヨンズの歌が頭をよぎります。
映画を観た後は、完全に圧倒されてしまい、会話もそこそこに、つけ麺を食べて解散。ベトナム・マレーシアで仕事をしている友人の「現地の人を見る目が、少し変わるかもしれん」という一言が印象的でした。
初見。「『ロッキー・ホラー・ショー』はコスプレをして騒ぎながら、観客が一体となって観るもの」と事前に見聞きしていたので、「昨年の『パシフィック・リム』のように、映画館が一体となって鑑賞したような気分が味わえるかもしれない」と思い、ガチガチにコスプレをして会場に赴いたところ、持ち込みでコスプレをして映画館に来るような頭のおかしい一般客はおれだけだったため、上映中、かつて経験したことのないような孤独にさいなまれました。
好事家たちの間で熱狂的支持を集めるVシネマシリーズの劇場版。委員長(女)と鑑賞。「委員長ともう一緒に観に行くことはない」と言った舌の根が乾かないうちに、ダメモトで誘ってみたところ、まさかのOKが出ました。「どうしても観たいから、彼氏は説得した」とのこと。さすが、Jホラーファン。ほん呪シリーズコンプリートは伊達じゃありません。覚悟が違います。
劇場につくと、そこはホラー映画Tシャツを着た男性客率が非常に高い異空間。twitterアイコンをプリントしたTシャツを着ている剛の者まであらわれるという異様な雰囲気の中、映画が始まると、予想外の展開の連続に、劇場は揺れるような歓声と爆笑に包まれました。終盤の想像を絶する超展開に、委員長が思わず「どうなってるの、これ」と笑いながらつぶやいていたのが印象的。上映中、こっそり横顔を覗き見すると、委員長は本当に楽しそうに笑っていました。今度は振り向いてはくれなかったし、目が合うこともなかった。
上映後、食事をしながら近況について尋ねると「付き合ってから最初に観に行った映画は『永遠の0』」とのこと。彼氏の一番好きな映画は『アルマゲドン』。委員長の一番好きな映画は『エクソシスト』。それでも委員長は彼氏にべたぼれ。がんばれ、負けるな委員長。
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今年も残り5か月。誰と映画を観に行こう??
してはいけない、と周りが決めつけてしまうのは良くないかもしれないけど、
それを差別と言ってしまっても間違いではないと思うけど、周りとしての騙されたりしないよう、見守らないといけない、と言う気持ちがわからないでもない。
ただ、知的障害者でも、成人して以降は個人の判断と周りの判断でどちらが尊重されるか、難しい所だろう。
恋愛についてだとおかしいと思うかもしれないが、例えば、莫大な財団を得る場合などに、その様な個人の判断が(実は騙されてたんだとみなされ)後に覆される事があることはあるわけで。
少なくとも、未成年に関しては保護者が監視する役割を持ち、それに対し、おかしな行動を行うことは法律的に制限されています。
これを同等とみなし、それを養護しようとする貴方の姿勢が意味がわかりません。
あなたは、周りに、毎日人を殺したい殺したい、とつぶやき続ける人間が居て、その人を普通に受け入れられますか?
毎日の様に、スプラッターな映像を見て快楽を感じる様な人間を正常だと思い、それはただの1つの性的嗜好だから仕方ないと思い、受け入れられますか?
そのような人を、法律的にその時点で排除することは難しいですが(場合によっては精神的な病気を理由に隔離することもありえますが)
身近に居たら、少なくとも友だちにはなれないし、近くに居てほしくありません。
異性愛で同じことを言うならば、誰かを好きだ、等と言っているのではなく、
襲いたい、レイプをしたい、犯したい、と言う思考を常に持っている人間になります。
そのような人間であれば、例え、成人異性を対象としていても、区別する対象になります。
そこんとこ、理解できますか?
虹裏@ふたばの「本当はヒドい(ウィキペディアの)グリム童話」スレの展開が面白かったので
抜粋保存
○『百槇の話』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%A7%87%E3%81%AE%E8%A9%B1
・『超展開に吹いた
・『ふと我に返って は別に罪悪感とか兄が可哀想になったとかじゃなく
たんに罪になりそうで他に良い方法がなかったのかという後悔なんだろうな…』
・『それで…貴方はこの物語で読者に何を伝えたかったのですか?
それが全く見えてこない!
これじゃ読者は乗れない。ついてこれませんよ!
そろそろ別の道を視野にいれるのも、一つありなのかな、と思います』
○『兄と妹』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%84%E3%81%A8%E5%A6%B9
・『兄は馬鹿なの?』
・『役立たずのバカのくせして恩恵だけ受けやがって!』
・『キリストの復活よりすごいだろこれ』
・『これもうわかんねえな…お前どう?』
・『としあきならこの物語を四字熟語の組み合わせできっちり表現できるはず』
→『人生色々』
・『二話…』
・『ちょっと待てよ
なんだこれ
なにこれ』
りんご選べば無罪っしょーギャハハちょれーって笑いながら取ったと思うと怒り心頭』
○コルベスさま
http://www.ab.auone-net.jp/~grimms/grimm160/korbes.html
・『コルベスさまとはいったい…』 → 『酷い殺され方をしたから酷い人に違いないという逆転の発想』
・『酷い事をするような人の悪口をいうのは我が身がやばくなるから言いたい事はあっても深く追求してはいけない
という現実的な処世法とも言える』
・『中世では物語は暇つぶしの一種でしかなくて話し終えるまでの時間が潰せればそれでよかったんだろうな
「これで終わりだ。さぁ、寝た寝た」ってな具合
○『人ごろし城』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%81%94%E3%82%8D%E3%81%97%E5%9F%8E
・『やるなよ、絶対にやるなよって約束を破る話は古今東西を問わない』
○『強盗のおむこさん』
・『まんま人ごろし城である』
・『こっちのほうが直截的だね
まんまホラー映画にできそう』
合理的と言えばそうなんだろうけど』
○『つぐみのひげの王さま』
・『口直しの良い話』
・『つぐみの権力で王女なんかいつでも生殺与奪できちゃいますよ
みたいで何かムカツクんですが』
・『王女様はこれから一生つぐみの権力に怯えながら生きていくんだな…
さすがに可哀想だな』
・『あなたって本当に最低ねって小馬鹿にしてた姫騎士アンジェリカをちんぽで屈服させて喜ぶとしあきなら理解できるだろ』
・『王女は改心したってより衆目に笑われながらネタばらしされた瞬間レイプ目になってもう反抗しなくなっただけだと思う』
・『手取り足取りそばにいて更生につきあってるつぐみが何故叩かれるのか
俺のトサカヘッドでは理解が及ばないな
楽してるクズとでも、楽しんでるドMとでも思ってんのか』
・『ちなみ王女はつぐみを初めて見た時に一目惚れをしたけど傲慢さ故に毒舌を吐いてしまうと言う所がウィキペディアで省かれてます
○『森のなかのばあさん』
・『投げっぱなしEND』
・『おわりかーい』
・『投げっぱなしENDのはもやもやするんで英語版wiki読んで来た
すっきりした』
○『飢死しそうな子どもたち』
・『何この怖いエンド』
・『母親は寝てるのにどっか行ったのか』
・『寝てる相手なら文句言わんし殺して食料にしそうなもんだがそういうのが含まれる話なのだろうか』
→『寝たまま死んで新鮮じゃなくなったので生きている新鮮な血肉を求めてお母さんは出て行った』
上手く改変すりゃ新ネタにできるんじゃね』
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日本は中世か、というタイトルにしたのは、またもやあちこちで「魔女狩り」が始まりかけているからである。契機となったのは宮崎某による幼女殺人事件である。まずここで「おたく族」がやりだまにあげられた。「おたく族」とは少女マンガやアニメの総称である。年に何度か開かれるコミックマーケットのようなものに行って、先鋭化したマニア向けの同人誌などを買いあさる。情報交換などするときに「おたくの場合さあ・・・」といった口調でしゃべるので「おたく族」と呼ばれる。宮崎はこの「おたく族」だったのか、部屋の中に多数のアニメビデオや専門誌を置いていた。こうしたアニメやコミックの中ではロリコンものやパロディポルノに需要が多い。人気番組のキャラクターを使ってエッチなことをさせる。同人誌の多くははっきりと性器を描いた、完全なポルノである。ロリコンものにしても、現実の少女を使うとたいへんな事になるが、アニメやコミックですれば問題はさしあたって起こらない。そういう世界では、たとえば8歳の少女とセックスメカノイドとの激しいセックスが描かれていたりする。僕もそうしたコミック誌やアニメを見たが、これは確かに立つ。おたく族の青年が、もはや現実の女性にセクシュアリティを感じなくなる、というのも分かる気がする。ところで、おたく族を現実逃避だの男性性の欠如だの気味悪いだの小太り色白だのと陰口をたたくのは勝手である。そうした陰口は吐いた本人の品性の貧しさをあらわすだけで、実際に論陣を張れば、シャープで理知的なおたく族の前ではひとたまりも無いだろう。おたく族というのは実際、一本のアニメをより理解する為にフィリップ・k・ディックから南方熊楠までまで読んでしまうような、そういう人種だからである。ところがここに至って、宮崎某がおたく族であったという事実が、世のおたく族嫌いを有頂天にさせているようだ。「宮崎=おたく族」であっても、この場合逆もまた真なりとはならない。正しくは「宮崎=おたく族のうち一人」である。しかし、魔女狩りをする群集には理も否もありはしない。現実にあるロリコンアニメをつきつけては、どうだどうだと迫る。「おまえも、こんなことしてみたいといっつも思ってるんだろうが、えっ!?」
もちろん彼らはそう思っている。思って思って自分と戦った結果、道義的責任のないアニメの世界に安住場所を見つけたのである。
二次元の世界しか欲望の対象を持たない彼らは、およそこの現実の世界では一番犯罪を起こしにくい人種なのだ。嘘だと思うなら、この世の中からロリコンアニメをすべて撤収してしまうといい。その場合、幼女姦が増えるかを統計的に見れば分かるはずだ。その場合、幼女姦が増えたとして、その責任は誰がどうとるのか。同じことがホラーに対しても言える。宮崎の事件を契機にしてスプラッター・ホラーへの抑圧が始まっている。これはやはり宮崎の部屋に「ギニー・ピッグ」のシリーズが置いてあったことに端を発している。「ギニー・ピッグ」は僕自身は最初の一本目と、シリーズ中の「ピーターの悪魔の女医さん」というのを見た。ピーターの方は大笑いのブラックコメディ集である。一本目の方は監禁した女の子をなぶり殺しにする過程をビデオに収めた、という設定で、アメリカに実際ある「殺人ビデオ」の雰囲気を出そうと苦労している。スタッフは苦労しただろうが、見ているこっちはうそ寒くて鼻で笑うしかないような作品だ。
しかし、世の中で事件が起きると必ずこの手の反動が起きる。「ギニーピッグ」をかばうわけでも何でもないが、犯罪が起きるとマスコミはその犯罪の尻をどこかに持っていってつじつまを合わせたくなるようだ。知能犯罪が起きれば犯人の本棚からその手口のもととなった推理小説を探す。その結果、著者がコメントを求められて、「私の小説が動機となったのなら、残念なことだ」と述べたりする。
この場合「動機」は小説ではない。「金ほしさ」である。僕がもしこの作家の立場に立たされたらはっきりとこう反論する。
「犯人の反抗に対して私の作品が与えた因果関係を、誘導尋問によらず自白させてほしい。その上でそれが犯人の自分の犯行に対する他への責任転嫁ではという、なんらかの証明をしてほしい。加えて、犯人がもし私の作品に接していなければ犯行に至らなかったどうか。なぜ私の作品に接した多数の人間の中で、”犯人以外の”大多数は犯行に至らなかったのか。それを説明してほしい」
ロリコンものの場合も、一般のポルノの場合も、スプラッタホラーの場合も同じことである。何らかの表現行為に起因して犯罪が起こるというのは空論だ。すべての表現、たとえそれが芸術的に無価値な、便所の落書きのようなものであったとしても許容されなければならない。ただし、見たくない人は見ずにすむという「自由」の上においてだが。そういう意味ではスイッチを押せばどんな画像が出てくるか分からないテレビなどのメディアは、この条件を満たせない。しかし、映画やビデオや出版物はそうではない。パブリックなメディアとパーソナルなメディアを混同されては困る。その上に、異常者の犯罪と表現メディアを対にして考えては困る。そして、もっともっと困るのは、犯罪者とその家族をいっしょくたにして考えられることだろう。それこそ中世の「一連托生」の考え方なのだが、マスコミはそうした前近代的なことを平気でやってのける。今回の宮崎の事件にしても、僕は某誌の「誰も書かなかった真実」なるレポートをみて驚いた。
そこには宮崎のおじいさんの代にわたって家庭内のことが掘り起こしてあったのだ。おじいさんに愛人がいて夫婦仲が悪かっただの、お父さんの性格が「お調子物」だの、etc。そうした家庭環境が犯行の遠因になっていたかのような書き方だが、それはレポーターの大義名分に過ぎない。本質的にはこうした家人のことというのは「ご近所のヒソヒソ話」であって、オフィシャルに出されるものではない。犯罪者の家人だからこそさわってはいけない。殺された子供の親同様、この人たちもいやされようの犠牲者であるからだ。それをじいさんの女関係までさかのぼって掘り返すとはどういう神経なのかと思う。こんな事件のせいで、おたく族もホラーファンも犯人の親族も大迷惑をこうむってるわけだが、少なくともこうしたことだけは宮崎一人のせいではない。人間の中の魔女狩りの古い記憶、「はらい」や「みそぎ」の感覚、ならびに窃視願望がこうした見当違いの弾圧を起こさせるのだ。「時の勢い」というのは恐ろしいものだから一度はずみのついたこうした力は加速度持っていくことも考えられる。ホラーもアニメも誰かさんの総チェックを受けるようなことにになるかもしれない。
人間とはどうしてこう干渉や規制が好きな動物なのだろう。人の楽しみはほうっておけばいい。禁止しても放置しても、犯罪は起こるのだ。