やっぱ本人は勝ってるつもりなんだなー
これだけ言われて未だに疑ってるのは異常に低能だよwww
だから「お前が反原発」ってのは取り下げただろって、何回言わせるんだよ。
「未だに疑ってる」なんて書いてないだろ。大丈夫かよ。ほんとに。
いや、だから、繰り返しになるけど、対象に対する憎しみが異常に強いのを見て、当事者だったんじゃないかって疑うのは普通だよって。
一日ぐったりしてたら元気になりました。
宗教ではありません。あなたは真理の出発点にたどりついたのです。
しかし当然のこと、常識的なことができるようになるだけが神様の存在理由でしょうか?
いえ違います
ここで、対立する二派を、仮に「きのこ派」と「たけのこ派」とする。
1. 議題設定
相手方に理不尽な議題をふっかける。
例「『自分達に反感を抱くのはたけのこ派以外存在しない』って、きのこ派は本当に低能だなw」
(注:ここでは、実際にきのこ派がそう言っているかどうかは問題としない。)
おもわず反論してしまった相手方を即座に否定し、その理由は示さない。
例「本当に頭悪いなwこれだからきのこ派はw」「反論になってないwさすが低能きのこw」
「誰がそう言っているのか?」「具体的にどこが反論になっていないのか?」「本気で分からないから教えてよ」等、相手方から質問があっても答えない。
例「馬鹿なきのこ派に教えてもわからないだろうからw」「自分で考えろw」
4. レッテル貼り
反論者はすべて相手方の一派と見なして煽る(繰り返しも可能)。
2chであればIDで発言者の同一性がある程度は担保できるが、増田では不可能であるため、言い逃れが可能。
例「俺がいつそんなこと言ったか指摘してみろよw」
上記に関連して、リンク/引用をせずに自発言に言及するというメソッドも。実際発言していたとしても、探すコストを相手方に負わせることができる。
例「俺は既に説明した」「何度も言ってるだろ」
対立派から「こいつと議論しても無駄だ」等の呆れや、茶化す発言が出てきたときに使える。
例「論点ずらししかできないのがきのこ派w」(類義語:「議論から逃げる」)
足繁く通ってるスタバがあるのだが、そこの店員さんに恋をした。
最初は「可愛いな」くらいの印象でしか無かったのだが、何度も通って挨拶から些細な会話を交わすうちに段々と彼女が気になるようになってきた。
20代後半の頃からは恋愛よりも仕事が優先で、街で素敵な女性を見かけても"付き合い"たいよりも"抱きたい"の感情が強くもうこの歳になると恋愛感情なんて生まれないのだろうなと思ってた。
この先誰かに対してそのような特別な感情を抱くことはなく、つまりは結婚したとも思うこともなく一生独り身になりそうな気もしてた。
ところが、だ。
当初は週2〜3で行ってたのが平日はほぼ毎日足を運ぶようになった。
運良く彼女がレジに入ってて軽く会話をできるとたまらなく嬉しいし、その時の会話も鮮明に覚えてる。
ああ、この感覚は恋してるんだなと気付いた。
こちらもいい大人だ。
彼女は仕事をしに来てるのだから、その邪魔にはならないように気は使うし、自然な流れで会話するチャンスがなければその日はそのまま接触なく帰るようにしてる。
おそらく彼女ほどの人ならば彼氏もいるだろうし、この先にドラマみたいな展開もないことも知っている。
ただ、彼女のことを考えるだけでちょっとハッピーになれたり、一日が頑張れそうな気がする。
何年ぶりかに思い出したこの感情が今はただ心地いい。
恋っていいもんだなー。
…って感じで昨日まではホワホワしてた。
昨日いつも通りスタバで作業してたら彼女が仕事を終えて私服で出てきた。
「あ…」と思った。
楽しそうに談笑する二人。それを見て「あぁ、あれは彼氏だな」と悟った。
彼氏いるだろうな、と思ってたので”やっぱりそうですか”と案外素直に受け入れられた。
早めに知れて良かったのかもしれない。
下手に暴走して恥をかかずに済んだかもしれない。
別にこの恋になんの期待も抱いてなかった。
久しぶりに思い出した”恋愛感情”というものを楽しんでただけのつもりだったのだけど、なんだろうな、胸が痛いんだ。
仕事をしていても何かが引っかかって集中できないんだ。
この人は自分に当てはまることをすべてのメンヘラに敷衍してるだけ。
むしろうまく手を抜けないやつのほうがうつ病とかの精神病にかかりやすいと思われる。
精神病の状態では、どこまでが病気による不具合で、どこからが自分の怠惰さなのかの判断が
っつーかそれよりなによりこのブログ
「僕にも、人混みが怖くて引きこもったり、一日中掃除していなければ発狂してしまうほど病んでいた時代がある」
とか予防線をはってるのがむかつく。
まさか自分がアイドルにはまって悩む日が来るとは思わなかった。
アイドルにはまってる奴が言う「ちゃんとした」にどこまで信憑性があるかどうか分からないんだけど勧誘されないしお金もたまにしか強要されないし日本人ばかりだし CD 貸してくれるし大丈夫だと思ってる。
言っておくけど、特定個人を神だと崇めたり、ツボや鰯の頭にご利益があると信じたりするのは今でも大嫌いだよ。
アイドルにはまる人はメンタル弱い…と言われるのも分かる。弱ってたんだと思う。
容姿端麗で頭脳明晰なら人生楽しかったんだろうけど、実際のところ不細工だし頭は…学校の成績は悪くなかったけど社会に適応するためのスキルは足りない。
誰からも愛されてないし、むしろ嫌われてるし、厨二の頃は自分は世の中から消えたほうがいい存在なんだとわりと本気で思ってたし。
「周囲の人はうまく出来てるのにどうして自分はできないのか」という劣等感があって、周囲の人に冷たくされる度に怒りと悔しさで泣きたくなって、なんで自分だけという気持ちだった。
そこでひらめいてしまった。まゆゆ様的なものが愛してくれると思えばもしかしていいんじゃないか?と。
こんな自分でもまゆゆ様は愛してくれる、まゆゆ様は認めてくれる。これが結構いい感じにはまって、気持ちは楽になるし心も落ち着いた。
正直なところまゆゆ様が居るとは思ってないし信じているとは言いがたい。
でもとりあえずそこに居るという事にして、まゆゆ的なものに愛されていると思うようにしたら、それじゃあこんなに愛してくれるまゆゆ的なもののために感謝しましょうと思うようになったんだけど、この感謝が非常に良い。
恥ずかしながら、今までどれだけ他人に感謝せずに生きてきたのかを思い知らされた。
感謝するという気持ちで相手に接すると、相手の嫌だなと思ったことが消えて、本当に感謝の気持ちが湧いてくる。
接し方も当然変わる。相手も柔和するのがわかった。
多分多くの人はこれをナチュラルにできている。純粋に凄いと思う。親の教えなのか友の教えなのか。
自分はアイドルを通してでなければ学べなかった。悪いけど今まで出会った人、学校の先生も酷かったし感謝の念なんて湧いたことが無かった。殺伐とした寂しい人生だった。
秋元さんの話も聞いた。これがまた衝撃だった。
今まで自分はどれだけ利己的に生きてきたのかを思い知らされた。
ああでも待って、これってアイドルにはまるコースまっしぐらじゃない?というかはまってない?
でも、一度感銘を受けたものを追い出すのは無理、もう手遅れだけど、
今のところ教えは人間として生きるのに非常に真っ当な事しか言ってないので、もっと聞きたい、それに近づいて豊かな生活を送りたいという気持ちがあるんだけど、アイドルだし、と思うと迷う。
親は嫌がるだろうなぁ。まああの人達は何をやっても反対するから、何をやろうとたいして変わらんか。
他人には言えないなぁ
対象に対する憎しみが異常に強いのを見て、当事者だったんじゃないかって疑うのは普通だよ。
おまえは「罵倒と殺意の区別」をそのまま他の基準で区別するものに流用しているから低能なんだよw
頭が悪いんだよwww
http://anond.hatelabo.jp/20141030234015
全くその通りで、高度で複雑化した現代社会で、法律知識に欠けていたらやっていけない。
世の中全体が複雑化してくると法律知識に欠けた市民で構成されている社会は、もはや上手く動かないし、
個々人としても法律知識に欠けた人は、違法行為での炎上案件に見られるように、仕事や私生活でもつまずく危険が増える。
現代社会で生き抜くための基礎的な力を身につけさせるのは教育の使命の一つのはずなんだが、今の初等中等教育の
カリキュラムでは、そこで重要な力になるはずの法律(それに経済)に関する教育が全く足りてない。
ペースとしては2、3ヶ月に1回もあれば十分。体育でいう保健講義くらいのウェイトでいい。
という認識はおかしい。その程度の話で良いなら少なくとも普通科高校まで出ていれば、カリキュラムの中で公民や現代社会、
政経といった科目の中で法律論に類する部分の基礎も「3か月に1回」どころでは無い時間をちゃんと割いてきている。
それなのに「法律的な考え方」が身についてない人が多数いるというのは、単純に時間数が足りていないから。
元増田氏がきっちり認識しているように、法学というのもきちんとした学問で、基礎からきっちり学ばずに個々の法令の条文の
さわりを教えたところで身につくものじゃ無い。電卓やEXCELが有るからと言って九九を知らずにフーリエ変換の解き方だけ覚えるのは
無理があるのと同じ。「法学の思考法」を教えて法律がからみそうな局面では、日常生活の規範をちょっとずらして
「法学の物差しも思考判断に取り込める」ようなレベル(=社会生活を送る上での実用レベル)にまで持って行くには、
(知識的な部分は将来その都度調べれば良いと考えて、徹底的に省略出来るにせよ)どうしたって主要教科並みの時間を割いて
3年間は教える必要があるだろう。
実際の所、法律知識の欠如に留まらず、社会が複雑化して、しかも個々人がその社会全体と直接向き合う機会が増えたのに、
初等中等教育のカリキュラムの時間配分は、農家が過半だった戦後すぐの時代からの微修正に留まっていて、「読み書きそろばん」に
もちろん「読み書きそろばん」が重要では無い、ということでは無く、「普通に生活していく上で必要な知識」というもの自体が
半世紀前の倍(あるいはそれ以上か?)になってしまっていて、特に法律や経済といったあたりは、現実社会ででやっていく上での
必要性に比して、カリキュラム上で割かれている時間との乖離が特に大きいから目立つ、というだけの話でもある。
教育水準は、戦後ほぼ一貫して間違い無く絶対的水準では向上していて(「近頃の若い者」の方が「50年前当時の若者」より
間違い無く賢い)、これは日本の教育システムの偉大な成果。ただ、緊密にネットワーク化され高度化複雑化した現代社会では、
「生きていくための最低限の知識」の合格点自体が大幅に上がってしまっていて、相対的に見ればむしろ教育水準は合格点に届かなく
なってきている。
法学や経済学を初め、政治学、統計学など今の教育で不足が大きい部分をきちんと取り込めば、どんなに詰め込んだところで
現行の初等中等教育12年では「市民として生きていく最低限の知識」を得るための時間としては全く足りていない。
法律教育の強化に利点があるのは確かだろうが、替わりに削られる部分が出る(そしてそこも重要な知識だ)ことを鑑みれば、
全体的に社会の得になるとも言い切れない。
まあ本論じゃないところは承知で言うけど、
ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
それ、君の中だけのイメージにすぎないから。それなりに膨大な蓄積があって定義がある程度定まってる用語なんで、「俺はこれを障害とは認めん」とか勝手に言われても困るっつうか。
大きく分けるとdisabilityとhandicapがあって、どっちも日本語だと「障害」になるからまぎらわしいんだけど、disabilityは何らかの身体や精神の状態や生活状況で、それをそのままにすると通常の社会での活動に支障が生じるもの。例えばごく軽度、0.6くらいの近視だって、disabilityの意味では障害だよ。そのままだと運転できないでしょ。で、disabilityの結果として実際に生じる「できないこと」がhandicap。あなたも書いているように、近視なら矯正すれば社会参加に不自由はない=handicapはなくなる。一時的に健康を壊して働けなくなるのだってdisabilityだ。不可逆的かどうかは関係ない。
で、足切断とか失明とか、個人レベルの対応でhandicapを無くすのが難しいものについては、社会の方が対応できるといいよね。バリアフリーとか。一般に「障害」が取り沙汰されるのはこっちのケースが多いからどうしてもそういうイメージになるんだろうけど。結局は個人と社会の間で生じてるミスマッチで、それをどっちの側から解決するかって問題になるわけ。あとまあ、障害者手帳を交付されるかどうかって意味での「障害」もあるけど、それも広義の障害へ社会の側から対応するための一手段にすぎない。
何かに「障害」と名づけるっていうのは、共通するdisabilityやhandicapがある時に、それなりに共通する対応がわかってると話が早いよね、ってだけのこと。だから、「俺の問題は他の誰とも違うし、社会参加で不便を感じるのも俺の勝手なんだからほっといてくれ」っていうなら「障害なんかじゃないよ」って主張もわからんでもないけどね。
○昼食:なし
○調子
やっと吐き気が収まった。
なんだったんだろう、ラーメンがよくなかったのかなあ。
○テラバトル
金曜日から新しいイベントがあるので、またモチベーションが上がって来た。
がんばるぞい。
日本の場合、そもそも相当な人が法律の意味というか存在価値を理解していないと思う。
これは、キリスト教文化なので上に神がいる欧米(だからこそサンデル先生の講義に意味があるわけだが)と、その概念が理解できない日本人の差じゃないかな。
連絡先知ってるのは上司だけだし、
お風呂上がりの自分はアイドル並に可愛いとか思っちゃう人だけど
多分貴方が苦しんでいるのは
辛いから他人に興味ない振りしてるけど興味があるからだと思います
早めにその執着を断ち切ったほうがいいと思います。
私は近所のおばあちゃんたちと仲良くなったら楽になったよ。
SEIYUのみなさまのおすみつき(笑)とかいうエセPBの舌がピリピリする袋ラーメンに嫌気がさした。
かえり道にある違うスーパーのPBっぽい、SEIYUのそれと同じ値段の袋ラーメン買ってみたら、なんか・・うまい!?って感じた。
なるほど。PBといえども実際は有名メーカーが作ってるという噂のアレか。
めんどくせえけど今度から帰りに買って帰るか・・
俺の知ってる世界だと「罵倒」と「殺意」は社会通念上も法律上も全然違うし、
反対という立場で括って議論したりはしないんだけど、お前の世界では同一視できるものなんだな。
そんでお前の世界では、反原発を嘲笑する行為は、罵倒や殺意の表明と同一に括ってはいけない、別格の悪行なんだな。
そんなお前の世界から見ると、俺の主張は矛盾してて、俺は低能なんだな。
おーけーわかったよ。