2014-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20141031023954

まあ本論じゃないところは承知で言うけど、

ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。

それ、君の中だけのイメージにすぎないから。それなりに膨大な蓄積があって定義がある程度定まってる用語なんで、「俺はこれを障害とは認めん」とか勝手に言われても困るっつうか。

大きく分けるとdisabilityとhandicapがあって、どっちも日本語だと「障害」になるからまぎらわしいんだけど、disabilityは何らかの身体や精神の状態や生活状況で、それをそのままにすると通常の社会での活動に支障が生じるもの。例えばごく軽度、0.6くらいの近視だって、disabilityの意味では障害だよ。そのままだと運転できないでしょ。で、disabilityの結果として実際に生じる「できないこと」がhandicap。あなたも書いているように、近視なら矯正すれば社会参加に不自由はない=handicapはなくなる。一時的健康を壊して働けなくなるのだってdisabilityだ。不可逆的かどうかは関係ない。

で、足切断とか失明とか、個人レベル対応でhandicapを無くすのが難しいものについては、社会の方が対応できるといいよね。バリアフリーとか。一般に「障害」が取り沙汰されるのはこっちのケースが多いからどうしてもそういうイメージになるんだろうけど。結局は個人と社会の間で生じてるミスマッチで、それをどっちの側から解決するかって問題になるわけ。あとまあ、障害者手帳交付されるかどうかって意味での「障害」もあるけど、それも広義の障害へ社会の側から対応するための一手段にすぎない。

何かに「障害」と名づけるっていうのは、共通するdisabilityやhandicapがある時に、それなりに共通する対応がわかってると話が早いよね、ってだけのこと。だから、「俺の問題は他の誰とも違うし、社会参加で不便を感じるのも俺の勝手なんだからほっといてくれ」っていうなら「障害なんかじゃないよ」って主張もわからんでもないけどね。

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