今ipod touch 4。
ちょこっとios7見せてもらったら驚いた。
一昔前の脱獄アプリ的なレベルのことが公式でいろいろできるようになってるんだね。
ここ最近はAppStoreも見てないし、アプリセール情報的なやつも見てない。
小説読むやつとか。
俺のiosは5のままずっと止まってる。
今度ipod touch5が出ると思ってたのに出なかったから、ios8も使わないまま終わりそう。
時代をいろいろすっ飛ばす感じがする。
でも依存してるわけじゃないし、ちょこっと暇つぶしする程度だったら現状でも十分。
次が出るまであと2年・・・ipod touchはもう出さないのかなあ。
けど、四月に承諾書出して以来、一切連絡がない。
内定式とか絶対やらなそうだけど、内定取り消しとかしだすほどヤバくはないだろうし
といいつつこんなとこに書くくらいだから実際あんまりコンタクト取る気はない。
お互いいい加減だと思う。
人生の自分の大業を定めていないから、生き方にも生活にも芯がない。
それだからだらけるに任せ当たり前の良くない怠惰にも気がつかず、腐りゆく自分に任せるまま。
小器用に考える浅知恵だけは身についているから自分自身すら騙せてしまう。
大人になったから大丈夫、今日は疲れた、それが大きな油断に繋がる。
多趣味で感性豊かなのを気取っていたが、その実、現代社会の便利さに生かされているだけだったりする。
物資豊かでツールに溢れた世の中で自分を見失うというのは、如何にも世代間対立において若者側を誹るのに使われるが、自分自身がそうであった。ゆとりを笑えない。
物事に越えるべき山、見るべきもの、自分の大業の道を意識する。
感性豊かな振りをしない。消費物がそういうものに似ているだけ。
ちゃんと捨てて、脱皮する。
そうしないと心にも埃が積もってゆく。
今の目標は、お嫁さんをもらえるしっかりした男になって、少しでも世のためになる子供を残したい。
できれば家も欲しいけど。来た人が癒されたり心豊かになる家。
自分に報いれるのは、社会に繋がることである仕事、自分の仕事だけ。
大人になればなるほどちょっと崩れると崩れが大きい。
★某塾のテストで、
「スーパーマーケットの店舗レイアウトで、肉や魚は店のどこに陳列されているでしょう?」
「そして、それは何故でしょう?」という問題がでたらしい。
(正解は、「店の一番奥まった部分」。顧客の回遊動線を考えると、結局共通の店舗レイアウトに収れんしていく)
★でも「ドンキホーテ」って、塾や社会科教科書に反した店舗レイアウトだな
その問題解いた小学生で、「ウチの近くのドンキは、こんな教科書通りのレイアウトしてません」と反論したら、どうなんだろう?
成城石井や紀伊國屋スーパーのような、真っ当なスーパーを使わなきゃ、受験で落ちろぞ」と教師に叱られる?
★なぜ成城石井や紀伊國屋が「中学受験に効く」のか、わかるかな?
これらスーパーでは、ちゃんと「旬のモノ」を正しく売ってるからだね。
中学受験では、理科や社会の問題で食品や動植物の旬を出題するから、旬を守ってるスーパーで買い物するように、お母さんにお願いしようね。
★でも、植物工場が急速に普及して、野菜の旬が無意味になった将来の、中学受験の内容が気になる。
子供が「ウチは植物工場の野菜食べてますから、年中●●が食べれます」となったら、教師はどう反論する?
ちょっと前の教科書なら、「レタスは主に長野県とか群馬県の高原地帯で採れます」と書いていたが、
あと5年もしたら、この記載は無効になるだろうな。
「工場の遊休スペースで、全国で広く栽培されてます」と記載が変わるのか?
★そもそもレタスという野菜自体が日本に定着したのが最近(70年代以降)だからな。
生サラダの食習慣とか、サンドイッチに挟む、という食習慣、つまりパン食の普及とセット。
ちなみにすかいらーくの元役員が著書で「レタスを日本に定着させたのはすかいらーく」と豪語してた。
生サラダの食習慣が定着した、というのは、裏を返せば「堆肥農業から化学肥料農業に転換し、寄生虫の心配がなくなったから」なんだよな。
ぜひ、中学受験では「なぜレタスが日本に定着したのか?」というテーマで、寄生虫の問題とか化学肥料の発明とかまで「発展学習」して欲しい。
★冗談抜きで、そろそろ「植物工場」は、小学4年の社会科教科書なんかで掲載を開始してもいいレベルだと思う。
あと、「どの農作物が、どの地方で、どの季節で採れますか?」を教育するより、
「どの農作物は、気温何度で生育しますか?水量はいくらいりますか?背丈は?生育期間は?投入エネルギー量は?」を教育した方が、植物工場時代には有用。
なぜなら、将来は植物工場時代で、産地の知識より生育条件知識のほうが、はるかに役立つ
でも、「農水省さん、植物工場を社会科教科書に載せましょう」という文部科学省の提案は、
「あれは邪道な農業。相談するなら経産省にしてよ」という農水省のツレナイ反応で、ボツになったのだった(※想像)
★自分が子供の頃(70年代)の社会科教科書では、「デパート」「商店街」は登場しても、スーパーマーケットは登場してなかった記憶がある。
既にダイエーが三越を抜いて、日本一の小売事業者になった時点(70年代)の社会科教科書でも、そんなもの。
では70年代の時点で、社会科の教科書は「スーパーマーケット」を大々的に取り上げるべきだったか?
たぶんそのころだと、このように教科書に書かれただろう。
「スーパーマーケットは、駅前の立地で、広い売り場スペースを確保して、何でも買えるようにしています。」
で、「70年代的スーパーマーケット」を多数抱えていたダイエーは潰れたのは周知のとおり。
生き残ったのは、郊外に巨大駐車場を用意し、専門店も誘致したモール型のイオン
★30年前、カイワレダイコンの工場生産がブームになり、各社一斉に生産を拡大して、カイワレダイコンが大暴落して、多くの業者が倒産した。
現代の「植物工場レタスブーム」、カイワレダイコンの二の舞にならないか?少し心配。
★カイワレダイコンが工場生産で価格下落し、植物工場レタスも後を追う展開。
工場生産による価格破壊の「元祖」が鶏卵であることは、意外と知られていない。
戦前は鶏卵は貴重品だったんだよな。1960年代に鶏卵の「生産革命(=工場生産)が起き、価格破壊が起き、食文化が変わった
★食材価格ランキングって、生産体制や物流で全然変わるからなあ。
その背景には「エネルギー革命で木炭がダブつき、木炭原料を使った椎茸が価格破壊された」一方で「森林管理がなされなくなり松茸高騰」という実態がある。
★おそらく、植物工場革命で、食材価格ランキングがガラッと入れ替わる。
植物工場で生産最適化される食材価格は暴落し、植物工場じゃ生産できない食材は高騰する
逆にいえば、従来型農業しかできない農家、植物工場を作る資本力がない農家は、
「絶対に植物工場化されない食材」に特化するのが勝利の方程式。
生産に時間が掛かるミカンとか柿とかが、植物工場化される心配もなくて安全じゃないかな?
ほんと増田に書く目的があることがオナ禁のかなり大きな動機付けになってる。
基本的に自堕落な人間だから、誰も見てないと思ったらいくらでもラクな方に行ってしまうから。
ともかく5日目。
朝起きるのきつかった。
夕方あたりからすごく心身的にだるくなって仕事にまったく集中できなくなった。
早退しようかと思ったくらい。
一応定時まで頑張って帰り着いたらそこまでだるくなかったから、単に仕事に疲れただけだと思う。
エロイ画像も、意識しないとまったく目にはいらなくなるもんなんだな。
これまでが無意識にそういう方向に行き過ぎてたんだろう。
絶対一日の中のどっかで目にしちゃうからってのは言い訳にならない。
問題は土日だなあ。
やったらやったでやりきった充実感と疲労感があるから、何もしてないのに何かやった気になるのもよくないんだよな。
期間を我慢するんじゃなくて頻度を減らすのがよいのではないの
不公平な競争の中で富める者はより富めるようになり貧しい者はより貧しくなる。その構造にある程度気づいてはいるが何もしないのは「俺はいつか富める側に行くからこの不公平はむしろ歓迎すべきだ」という根拠の無い自信である。実際はそんなことはない。
自殺したいと考えて、仕事も辞めて貯金の分だけ生きようと、いろいろ断捨離をした。
もう死ぬ人間だから、電話番号も捨てて、TwitterもLineもfacebookも全部アカウント消した。
社会的なつながりを捨てると周りから見ればその人は死んだみたいなもんだ。
そう考えると、自分は自殺できたんだと思うようになって気持ちが楽になった。
いままでの自分の歴史を捨てると自分を殺して別人になった感じだ。
なんだか生命上の死は考えなくなった。
けど、お金なくなくなったら働かなきゃいけないのか。
そうしたら履歴書書かなきゃいけないし、また捨てた自分を着て生きなきゃいけないのか。
自分が価値があると認めている人間以外から必要とされてもウザいだけだね。
ある病院のお手伝いみたいなことをボランティアでしているんだけど
精神を病んでいる人の病院なので当然患者さんは精神的にアレな人が多い。
先月新しく入ってきた患者さんで、無口で心をふさぎ込んだ感じの人(しかも不細工)がいたので
可愛そうだなと思って、こちらから話しかけたりして色々かまってあげていた。
私に犬みたいにまとわりついてきてウザくて仕方がない。
こりゃいじめられて当然だなと。
まぁ当然口には出せないので、ここで吐き出してみました。
今まで短い間でしたがいろいろとお世話になりました。
これまでの生活からは想像も出来ないような体験や感動も一緒に分かち合えることが出来、とても感謝しています。
でもいつからでしょうか。
いつの間にかお互いがお互いといるとしんどい気持ちを抱くようになったと思います。
まさかこんな日が訪れるとは思ってもいなかったのですが…
会長のいいところは素直なところです。信念があり、心が透明です。上から目線ですみません。
少しでも自分のためではなく相手のことを考えたことありますか?
本当は今の環境を変えたくありません。でも変えないと気づいてくれないてしょう?
微力ながら自分自身でも努力したつもりですが、そろそろ限界です。
きっと貴方はいつものように自分の周りから離れていったこれまでの人のように恨みを持つのでしょうね。
でもいつか、この気持ちを少しでも理解してくれるようになったら嬉しいです。
★農水省の友人が語るところでは、国内の肉類消費量は、「鶏肉」や「豚肉」は比較的安定してるのに対し、
★私見だが、20年程前は、「贅沢飲食のアイコン」としての牛肉消費があったと思う。
逆に言えば、「あいつに何かおごってやらなきゃ」と言うシーンにおいて、「7割の確率で喜んでもらえそう」だから、
人々は「儀礼的意味合い」も込めて、鶏肉でも豚肉でも魚でもなく、牛肉を消費してたんだと思う。
首都圏で贈答品に三越が、大阪で阪急百が選ばれるのと同じ理屈で、牛肉がご馳走飲食に選ばれた
その結果として「ご馳走飲食プレミアム」のかさ上げ部分が剥げ落ちたのが真因じゃないか?
「冷静に考えたら、おごってやるのに、牛肉じゃなくても、いいよね。魚でも豚肉でもいいよね」
と人々が「目を覚ました」?
★あと、変な話だが、「牛丼デフレ競争」と「100円マック」が「牛肉」の「贅沢アイコン」を徹底的に毀損した影響も大きいと思う。
今の若い人(20代)だと、既に中学生の頃から、牛肉は「安物」だった訳だ。
★そういえば、20年前は焼き肉チェーンとかステーキチェーンが人気だったが、
今は「世界の山ちゃん」とか「鳥貴族」のような焼き鳥チェーンの方が、元気がいいなあ
ブロイラーという「鶏肉の準工場生産化」に成功した鶏肉は、食品内で相対的に安くなっている筈。
何だかんだで畜産技術も進化しているから、牛肉も戦前比較では安くなっていると思う。
技術が進化しにくい魚類が、恐らく食品内で相対的に高くなってる
★日本には、まだまだ戦前の感覚が残っていて、「魚は安い、肉は高い」というイメージが残存してる。牛肉のご馳走消費はその名残。
アメリカでは、肉は庶民が食べるもので、魚は健康志向が食べる高級品扱いされてるらしい
何があかんのか箇条書きにしてみる。
・自分で考えずに盲信すること
・補給が続かない戦いを強いること
・地位の差を使って無理をさせること
・対価を支払わないこと
A列、B列、C列にそれぞれ何千という文字列があり、そのうち、A100までのセルの文字列と一致するものをB列以降に色を付けるというようなもので苦しんでいる。
できれば条件付き書式でやりたいんだが、いい考えはある?
A1セルと一致するものを塗る、A2セルと一致するものを塗る、を100回繰り返せばなんとかなるんだが、スマートな解法が絶対ありそうな気がして悔しいんだ。
まぁあんなのに転がされて調子に乗らせた彼の罪は重い、とも言える