はてなキーワード: 睡魔とは
仕事以外にやる気が起きない40男。
俺は寝ることに対して気を使う。
睡眠不足で仕事してると、特にちょっと暇な時期だと睡魔と戦うのが辛いから。
8時には夕食を終え、11時には風呂に入る。風呂の直前にホットミルクを飲んで体に入眠準備を伝え、
風呂上りに精神系お薬とテアニン(快眠サプリ)を飲んで、ストレッチする。
昨夜もそんな感じで準備していた。日曜の夜は特に気を使う。
一通りの準備を終え、自然な眠気が発生するのを待つ。
じわじわと眠気がやってくる。同時にものすごくリラックスしてくる。
早く布団に入らないと、良からぬことを考えてしまう・・・、と思うも手遅れだった。
「昼間から温泉でも行ってよ、風呂上りにビール飲まない?お前そういうの憧れてたやん」
「てかお前、計画的に有休取ることは苦手だけど、突発的に休むのは得意じゃんw。
明日がその日だ。やっちゃいな!」
休むと決まれば妙に小腹がすいてきた。時刻は夜中2時。
インスタントラーメンを作って平らげて、寝た。
目覚ましが鳴る前の、いつもの時間に目が覚めた。昨日の記憶がよみがえる。
そっかぁ、休むって意気込んでたよな。温泉行ってビール飲むって言ってたなぁ。
けれど当然のことながら今の自分は脳内リラックスモードではないので、温泉気分ではない。
ここ数年、仕事中にまともに起きていられなくなった。
資料を読んでは気づいたら寝てるし、眠気を覚まそうとネットサーフィンで適当な記事を読んでいても寝てる。
分かりやすく頭を机に打ちつけてグーってやつじゃなくて、瞼が重くなって記憶が一瞬飛んでるやつ。
周りは気づいていてそっとしてるのか、気づいていないのかは分からない。怖くて聞けない。
学生時代は眠くてもちゃんと授業を受けられたし、社会人になってからもしばらくはちゃんと仕事ができていたのに。
いろいろ調べてみてナルコレプシーとか過眠症とかを疑ったけど、
もっと調べてみてどうやら単なる睡眠不足じゃないかという結論に至った。
と言っても、毎日2時間しか寝てねー!みたいなやつじゃない。6時間はしっかり眠っている。
だから「睡眠不足なんすよね…」なんて堂々と言えない。6時間寝てる人なんていっぱいいるから。
よくある「タブレットを食べる」「コーヒーを飲む」「席を立って歩く」「トイレで軽く眠る」あたりは全部試したけど効かなかった。
もう、夜中の睡眠時間を増やすしかないんだなって正直薄々気付いてる。
でもさ、20時過ぎに帰宅して夕飯と翌日の弁当の準備をして、風呂に入って洗濯をして、
軽いストレッチなんかをして23時半に寝てる今の生活で、これ以上早く寝るの無理じゃね?
昔、どうしても早く寝たいときは、キッチンで立ったまま納豆ご飯を流し込むっていう夕食にして、
あとは風呂入って洗濯だけしてテレビもスマホもPCも本も見ずに寝るってしたら30分くらい早く寝られたんだよね。
けど、その生活続けてたら「自分の人生なんなんだろ…」って気分が落ち込んだから、
でもそうすると日中こんなに眠くなるんでしょ? 無理すぎ。
土日に寝ればいいじゃんって言われそうだけど、土日でも7時とかにパッチリ起きちゃうんだよね。
昼まで寝た~!とか言いてえ…っていつも思ってる。
しかも休みだと寝るのも遅くなってるから結局睡眠時間は平日とそんな変わらない。
可愛すぎるでしょ!pic.twitter.com/bobgmL1R7N— 動物・癒し動画 (@doubutu_iyashi1) 2019年7月14日
これって、どの犬でもできんの?
睡魔と戦うアヒルさん可愛いすぎる✨pic.twitter.com/hzHG7BJOMi— 動物・癒し動画 (@doubutu_iyashi1) 2019年7月18日
仲良くお昼寝pic.twitter.com/goGbGelqG4— 動物・癒し動画 (@doubutu_iyashi1) 2019年7月18日
動きかわいすぎ😂😍wwwpic.twitter.com/4soF08ms3F— 動物・癒し動画 (@doubutu_iyashi1) 2019年7月14日
さすがにこの動きは人間じゃ出来ない。
来月、彼等は結婚式を挙げる。
都内の豪奢なホテルに500名以上の人を招き、祝宴を開くのだ。私自身も参席が認められている。あの病院長の息子と言うだけあって、祝賀ムードに沸き立っていた。王妃となるそのお方はヒラヒラと美しい白衣を纏ってみせた。此方を振り返る様は少女のようだ。最終フィッティングが終われば二人は閨を共にし明日への準備を行うだけとなる。
その最終日にIは私を呼んだ。
「勿論、お祝いして下さいますね」
頭を下げて肯定すれば彼女は和かな笑顔を見せた。花のようなお方なのだ。
「良く尽くして下さいました。勿論貴方にも感謝を捧げなければ」
「私に感謝など滅相もございません」
「では一つだけ、最後にお願いを」
「何なりと」
返答を聞いた彼女はそっと私の手を取り、白き指で指の節をなぞる。
頭が真っ白になり何も言えず硬直する。いつの間にか肘まであるグローブを身に付け
無垢なその言葉は淡々と、残酷に告げられる。無慈悲な美しき乙女は、鈴の鳴るような声で続ける。
「此方へどうぞ、歩いてらして。」
時期院長、と一言付け加えて。ぎこちなくなった呼吸を整えると深く息を吸う。ほんの僅かな距離に黒髪の乙女は立っていた。美しい。純白の衣装に身を包んだ彼女はマリアとも見まごうような光を発している。ベールを下ろし表情は隠されてしまっているが、その輪郭は華奢そのもの。
コツ、コツと床が音を立てる。期待に満ちた瞳に自分自身が映っていた。
命じられた通りに差し出された白魚のようなか細い手を取り、口付ける。貴方を裏切らないという忠誠の証。見上げれば彼女の笑みが降り注ぐ。
それも全て明日から袂を別つ事を約束している身だった。決意を固めた彼女は、少し寂しそうにも見える。不安も期待も入り混じる表情で立ち上がった私をみつめた。
そして彼女は私の名を口にする。
「怖くはありません。」
「ええ。何の不安が御座いましょう」
彼女は、底知れない物を抱えている。それが何か解き明かしたかったのかもしれない。
果たして全てを払拭して差し上げる事が出来るだろうか。乙女は瞳を閉じて口付けを待つ。顔を近付け、唇が触れる寸前で止める、つもりでいた。
柔らかな唇の感触に思わず言葉が途切れてしまう。それは、私ではなく院長に捧げられる筈の純潔だ。
「言わないでください、何も。震えてしまいそうです」
あつい熱が喉奥から込み上げる。この方は自分の物では無い、筈なのに。何故こう悲しみとも苦しみともつかない感情が押し寄せるのだろう。契約一つで関係性に何か変化が訪れる訳では無い。秩序の保たれた今迄通りの関係が続いていく筈だ。それなのに、何故。肩を知らず抱き締める。
「…離したくありません」
離してしまえば、貴方はきっと遠くへ行ってしまう。私は一人取り残された心地で祝福するのだ、二人を、遠くから幸せそうに。それが出来たらどんなに良いかと思う。二人の幸せな結末に彩りを添えられる存在であれたら、どんなに。唇を噛み締めた。
浅ましい感情を隠していたのに。一度矜持を失えばどれだけ虚しさが胸を占拠するか分からないのに。そんな私の心を察したのか緩く背中を撫で始めた。
「御免なさい、無理強いを致しました。私の過ちです。どうか許して」
一つ口付けを頬に落として白衣を纏いし娘は去って行く。光だと思われたその姿はいつの間にか影で覆われて、此方を振り返りもしない。明日、貴方は私と同じように同じ唇で院長に口付けをするのですか。愛を誓うのでしょうか。女々しい想いに嫌気がさす程。気付けば首元には汗が流れ「どうぞ、逝かないで下さい」と叫ぶように懇願していた。
そこで、私の目は醒めた。はあはあと乱れる吐息。指先は闇の中で情けなく震えている。
それは現実を映した悪夢だった。記憶を辿ってみても愛したその人がどんな結末を迎えたのか思い出せそうに無い。まるで穴が空いたように、一部分だけが脳裏から欠けてしまっているのだ。無理に思い出そうとはしなかった。
私が秘書を務めるあの医師も夢を見るのだろうか。例えば、オペ中に失敗して権威を失う夢など。その喪失感は計り知れないだろうと想像し、また瞳を瞑った。今日のうちは眠ってしまうに越したことはない。先程の夢も、緊張が見せた物に違いない。だが、意識すればするほど睡魔はどこか遠くへ行ってしまい目が冴えるばかりだった。
自分を完結させるために、「体外離脱の中で恋愛のプロセスをもう少し積みたい」と思っていた。
自分の人生でやはりどこか恋愛をもう少ししてみたかった、という思いがあった。
未完結な「くすぶり」みたいなものがどこか自分の中に存在しているのだ。
現実世界では立場上自由に活動することは難しくなったが、自由な世界にいって、それを完結させたい、と思った。
最初は夢だった。
まず、いくつか繰り替えし同じような部屋のシーンがあった。
そこで「誕生日だからプレゼント」という声と共に気づくと女性からフェラをされていた。
何となく「よがらなければ」という演技めいた気持ちもありつつ、快楽に身をゆだねていた。
女性器の独特のにおいに誘発されながら、はやる気持ちを抑えながら自分も舐め始めた。
世界が自分をその世界に没頭させようとすればするほど逆に自分の思考も冷静になった。
はっとして思う「同じ部屋のパターンだ!これは夢ではないか!」
気づくと自分の意識が部屋中を駆け巡り、夢の中のまま目覚める。
自動再生であるかのように引き続き物語を展開しようとする夢が、薄っぺらい張りぼてのように見える。
その展開を無視し、ワクワクした気持ちとともに夢の中で夢に気づいた感覚を味わう。
まず何からしようか。。やっぱり跳躍かな。
何かのまとめでみた「まず簡単な跳躍から初めてみるといい」という前知識がよぎった。
三段飛びのように部屋を飛び跳ねてみる。ぴょーんぴょーーんぴょーーーーーん。
うまく行った。飛行できそうだ。
「本当にリアルなのかな」瓦一つ一つを見てみる。
「本当にリアルだ」
そればかりか、屋根にビルによくありそうな、サーキュレーターみたいなものまである。
街を飛行しながら、「このチャンスに、このまま体外離脱をしたい」と思った。
そこで知り合いの声がして「腕などを重く感じて行って抜けるのはどうか」という提案をしてもらう。
右腕を重く感じていこうとすると、じんじん痛いほどに重くなってくる。しかし中々抜ける事が出来ないしその感覚が分からない。
その重さに引きずられるように地上に降りる。そこはどこかのお店みたいなところで、知り合いらしき人が何人かいる。
僕はもうその時点で何かに引っ張られるように、この世界で例えば睡魔に襲われてまさに段々眠くなるがごとく、エネルギーがなくなっていくのが分かった。
このまま引っ張られれば現世に戻る事が分かっていたので、何とかそれに抗おうとする。
時間がないという焦りと共に「このチャンスに体外離脱しなければ」と思い、「みんなで瞑想をしよう」とする。
これまたネットのまとめでみた瞑想法、「体外離脱先で瞑想してさらにそこで体外離脱する」という方法を取ろうとした。
しかし最近しばらく瞑想していないので足が硬く、また着ているいつもの服も瞑想向きではなく、中々組めない。
「しまった」と思ってるうちに睡魔のようなエネルギーの低下が益々起き、もうここには長くとどまっていられない、と思った。
「そうだ。あと自分はこの世界でナンパをやってみたいのだ」そこで瞑想への取り組みを中断し、外にでて試しにナンパをやってみる。
女性を襲ってみる人もいるようでそれが頭をよぎったが、自分の意図ではないということを思い直して、ナンパしてみる。
雑にやったのもあるが、さっと逃げてしまう。
この世界に出てくる人はすべからく、この現実の人々よりも、若干自動人形のようでもあるが、実感はあった。
大通りに出て軽くやってみてそこで終了。
羞恥心や恐怖心はなく、「声掛けをした」という実感や満足感があったので「体外離脱先でナンパや恋愛経験をして実感はあるのか」という疑問に対しての仮説検証はできた。
目を覚ました後はとてもエネルギーに満ちた感じがした。
2019年6月5日、元号が変わって1ヶ月経ったところで対した代わり映えのある日常に変わったわけでもなく、常にニュースではいつ歩いている道路に突っ込んでくる自動車に対してどう対処しなければならないとか、年金もらえないから2000万円貯めなければならないみたいよとか、沈みゆく日本を眺めるだけ、みたいな話題で持ちきりのなか滅入っている毎日で、今日も眠れず丑三つ時、という状況に飛び込んできたTwitterでの新聞記事のキャプチャ画像。
少し睡魔が近寄ってきてさあ眠ろうか、といった寝ぼけ回路には刺激の強すぎる文字列と、ワンショット×2の何ともミスマッチなコラージュ画像。いや、ミスマッチどころか接点を探すほうが難しいくらい予想の外に飛び出した男女の組み合わせ。そこには「山ちゃん 蒼井優 結婚」と、強い単語が3つ、並んでいた。
「夢なんじゃないだろうか」。とっさにそう思い、眠気もあったことでその場はすぐ床についた。だけど混乱する頭はそうさせてくれなかったのだろう、午前4時半、再び目が覚めてしまった。そしてTwitterを開くと、更に新聞記事を詳しくキャプチャーした画像が多数出回っていて、「あ、やっぱりウソじゃなかったんだ」、そう理解することができた。「しずちゃんが恋のキューピッドなんだ」「そういや山ちゃんアンジュルムに軽ハマりしてたな」「っていうか交際2ヶ月って」みたいな浮ついた感想しか出てこなかったけど、両者のファンである自分には嬉しかった。特に、山ちゃんがこういうふうに幸せを掴むなんて。予想もしなかったし、考えうる未来の中で最上級の結婚相手を見つけたんじゃないだろうか。そんな失礼すぎる思いが頭の中を一杯にしてしまった。山ちゃんが掴んだ現実の話なのに。
そこからは普通の日常、仕事へ向かい、昼食を済ませ、お茶を濁して、帰路へつく。
だけど頭の中は山里亮太&蒼井優カップルのことで一杯で、「スッキリの天の声はさほど多くは語らなかったらしい」「会見が夜にあるらしい」「そういや不毛な議論も今日だ」とか、わずかの情報も入ってくる中、どうにか一日かけて頭の中を整理していった。
そうして帰宅し、AbemaTVでの微笑ましい会見を観て、芸能人の反応をチェックし、ベロンベロンのしずちゃんとそんなつもりで来たわけじゃないaikoがゲストだった不毛な議論を聴き、激動の2019年6月5日が終わった。
そういた一日を終えて、お似合いなふたりに見えてきた夫婦の顔を思い浮かべてこの文章を書いている。
山ちゃんはその日の最後の仕事である自身のラジオ、山里亮太不毛な議論のラストで泣いた。嗚咽混じりでリスナーへの感謝と共に泣いた。
自分は山ちゃんとは同じ中年男性ではあるけれど根本的に異なる存在だ。圧倒的に山ちゃんのほうが出来る存在だし、本来ならばモテて当然の男でもあるし、女優が奥さんでも決して見劣りしない一流の芸能人であり、そもそも残念だと言われたのは顔面と卑屈な性格だけなのだ。
だけど一つだけわかることがある。それは「非モテ」という名の呪いのことだ。
「非モテ」という呪いは恐ろしい。その呪いは自身の幸せを否定してしまうものであり、ひとたび呪われてしまったら自身のアイデンティティとなり、こびりつき、恋愛というものが世界と無縁であるように自然と自分から遠ざけてしまう。
山ちゃんはラジオで言った。「実は僕、結婚はすごく悩んでて、というのもラジオでずっと逆の人生の話をして、妬んできてて、幸せになることがあんまり良くないかなと思って、結婚するのが、怖くて」。
この言葉を聞いて涙が止まらなかった。「非モテ」にとっては「幸せ」になることは自身を否定してしまうことだ。誰かを愛すること、愛されることは、同じ「非モテ」である同士を裏切ることだ。
冷静に考えればそんな事無いし、そんな事思っているのは自分だけなのだろう。だけど「非モテ」という呪いはそんなバカですら分かることすら分からなくさせてしまう呪いなのだ。
かつて山ちゃんは友人であるオードリー若林、西加奈子と出演したボクらの時代でこう話した。「俺の走っている燃料が、妬み嫉み恨み辛み怒りだったら、彼女なり結婚なりというのはそれを消し去るものなんじゃないか」。まさに呪いだ。だけどそんな山里(もしかして若林にも向けているのかも)に西加奈子は言う。「うちらは『いや、みんなで愛し合って慈しみ合ってハッピーで、でもいいものを書ける』ってのを証明しようと思う」「大丈夫、結婚しても幸せになんないから」。
つくづく山ちゃんは幸せな環境に恵まれた人間だと思う。彼の周りには彼を肯定してくれる友人が多く存在する。彼にかけられた呪いを無かったことにしようと動いてくれた人達が存在する。だけどその環境は決して用意されたものでも、偶然現れたものでもなく、彼自身が作り上げたもので、その環境含め「山里亮太」の一部になっている。
もし、コンビ仲が最悪な頃、相方のしずちゃんが出演したフラガールで蒼井優と共演することを阻止してたら、コンビ仲が最悪のまま、南海キャンディーズとして漫才を続けることを拒んでいたら、不毛な議論で自身の幸せを信じるリスナーとの信頼を結べていなかったら、未知の仕事であったテラスハウスの仕事を受けなかったら、きっとこの未来にたどり着かなかっただろう。
しかし、この文章を書いている自分には未だにこびりついている呪いであり、現状、それを打破できる環境は作り上げられていない。
けど、山ちゃんの結婚で「非モテ」なんていう呪いのせいにすることはやめようと思う。そして、そんなきっかけを作ってくれた山里亮太、蒼井優、そして山里亮太を構成する周りの方々に感謝します。
大型連休が終わろうかという頃にはいつも 、なんとも言えない敗北感が胸を掠める。娘が生まれてもうすぐ2年。日頃、仕事や家庭のことに手一杯で、やりたいこと・やるべきことはいつまでも消化されず積み上げられていくばかり。「夏休みこそ」「正月こそ」かすかに抱く希望をよそに、2,3の小さな予定をなんとかこなすだけで、連休は矢のように過ぎていく。紛れもない敗北である。これは個人の問題ではない、家族の問題であり、ひいては社会の問題でもある。多くの日本人は、大型連休に敗北し続けているのではないだろうか。誰のせいでもないし、誰かを犠牲にすべきでもない。計画力と実行力、ちょっとした機知と発想の転換でもってこの戦いに勝機を見出すことはできないものか。
奇しくも今年のGWは10連休。令和という新時代の休み方を模索する絶好の機会ではないのかと思い、筆をとる(話を大きくしていくスタイル)。
2歳前の娘ちゃんは、お熱を出したりご機嫌が悪かったり、当然ながら大人のようにコンディションは安定していない。デリケートである。正月休みまでは、そのあたりを踏まえたスケジューリングができていなかったのではないか。「予定どおりにいかなかった」という事実は、敗北感を増大させる。
大型連休は時間に余裕があるように思えてしまうため、「この機会に」とそれぞれのタスクを真っ当にこなそうとしてしまう。だが、実際にそれをやろうとすると想定以上の時間を要することになる。
また、得てして「時間があったらこれもやろう」というのは、実行に移されない。想定内のはずなのだが、敗因①と同様どうしても「結局できなかった」というネガティブな印象が残る。
大型連休は家族との絶好のコミュニケーションの機会だ。長時間ともに過ごし、いつもとは違う場所で遊び、ふれあうことは、家族の絆を深めることにつながる。しかし、すべてのタスクを家族とともにこなすことはできない。リサーチや意思決定のフェーズにおいては、一人または夫婦だけで集中して取り組む時間が必要になってくる。
(幼い子供との時間は貴重だ。見逃せばあっという間に過ぎていく。だからこそ、必要に応じて意識的に距離を置かなければ踏ん切りがつかない人もいるだろう。)
また、神経のコンディションを早期に整えなければ、日常のダメージを引きずったまま無為に過ごしてしまうことも考えられる。
幸いにも今回は10連休である。バッファの設定は比較的用意なため、休息日とは別に、前半・後半に1日ずつ予備日を設けることとする。休息日を含む8日間で処理しきれない予定やタスクは計画しない。
日常のルーティンは、このGW期間中は簡略化しよう。目につくのはやはり家事だ。まず食事。市販のルーを活用したカレーは、簡単かつうまい。毎日鍋を火にかければ、継ぎ足し・アレンジ・具材の変更も可能で、長く育てていくことができる。合間に会食や出前を挟みながら、カレーを食べ続けることにしたい。ただ、量は少なめを意識。カット野菜のサラダも合わせたい。
次に洗濯。こまめに洗濯機を回すのではなく、数日分をまとめて洗濯しよう。洗濯乾燥機なら、干す場所にも悩まなくて済む。
最後に掃除。ルンバを走らせるために最適な環境を初日に再整備する。また、神経のコンディションを乱さないためにも、余分なものは積極的に捨ててすっきりとした生活環境を心がける。それには一定の時間がかかることを理解し、余裕を見ておくこと。
このGWにやる必要がないタスク、平時の週末に対応できるタスク等は「やらない」と決める。本当に時間と気力が余っていたら、そのときにまた考えればいい。基本的には「やらない」。
意識的にひとり及び夫婦の時間を確保する。まず、「ひとりの時間」については、妻から確保させる。自分が娘ちゃんを遊びに連れて行く日を設定し、妻がフリーの日を1日設ける。一方、こちらも同様にフリーの日を設けてもらう。読書やパソコンでの調べ物などは家に居てもできると思ってしまいがちだが、娘ちゃんのかまって攻撃、妻の行動が気になってしまい集中できないところがある。可能であればカフェなどに行き、用事に集中すべきだ。家族が寝静まってからのひとり時間もリラックスにはよいが、大型連休では夜更かししてしまいがちになる。ほどほどにして翌日に備えたい。
「夫婦の時間」は、娘ちゃんのお昼寝中、就寝後に意識してつくる。だが、お互い疲れているので、睡魔に襲われ、ろくにコミュニケーションできず終わることも少なくない。日常のダメージを早期に抜くためにも、前半に休息日を設けておくべきだ。
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正直、これで勝てるかどうかはわからない。
今朝妻と相談し、お取り寄せグルメイベントを組み込むためモツ鍋を注文した。
イベントが増えていくなか、我々はどこまで戦えるだろうか。
諸兄の助言を求めたい。
会社の宿泊研修により、ホテルで一泊二日することになった。余計な荷物を運びたくなかったので、宿泊の用意としては着替えだけを持っていくことにした。ホテルの部屋には歯ブラシ・石鹸・ひげ剃り・タオルなど、宿泊に必要な物があるだろうと思ったからだ。この時点では、塩が必要になることなど思いもしなかった。
ホテルで用意された夕食の場は、会社の懇親の意味も込められた立食パーティー形式であった。様々な人から注がれ続けたビールをついつい飲みすぎてしまった後は、一人一部屋ずつあてがわれた宿泊部屋で一晩を過ごした。2日目の研修は朝食後に行われるので酔いを残してはいけないと考え、1リットルほど水道水を飲んでから眠りについた。およそ1時間後に小便がしたくなって目が覚め、用を足した後はまた大量に水を飲んでから寝た。
夢の中で私は何度も箸をしゃぶっていた。それも、塩が大量にこびりつき真っ白になった箸だ。しかし、舐めたりない。食卓塩を箸に振りかけて何度も舐めたが、それでも満たされない。募らせる焦燥感が、餓鬼界の夢から人間界の現実へと私を覚醒させた。そして気づいた。しまった、塩分不足に陥ってしまった。
熱けいれんと言われる症状がある。熱中症の一種であり、発汗と水分補給による血中塩分濃度の低下が原因で起こる四肢の筋肉のけいれんである。私は熱けいれんになったことはないが、夏場の肉体労働による発汗と水分補給により、目眩(めまい)のようにふらついてしまったことがある。そしてこの状態に陥った時は、塩分を補給すれば治ることも経験的に知っていた。しかし、まさか桜咲く時期に塩分不足に陥るとは思いもしなかった。
部屋に備え付けの冷蔵庫の中には有料のドリンクがあったが、水・お茶・コーヒー・コーラ・発泡酒しかなかった。畜生、なんでスポーツドリンクが無いんだ、と思い今度はユニットバス周りを調べた。アメニティグッズとして石鹸や歯磨き粉はあったが塩はやはり無かった。そんなもん無くても死なないけど、塩が無ければ死ぬぞ。時刻を見ると深夜2時だった。眠気は覚め酔いも醒め、私の舌は塩のしびれを猛烈に欲していた。その時の欲求を例えるのなら、人間の三大欲求が食欲・睡眠欲・性欲というのは誤りであり、塩・しょう油・ソースの三つが正しいのだ、と言われたら信じてしまうほどであった。
スマホで地図を調べたら、徒歩5分ほどの距離でコンビニがあることが分かった。塩分不足による目眩やイラつきの具合は歩けなくなるほどひどい訳ではなかったので、大丈夫そうだと少し安心した。ひとまず着替えてホテルのロビーへと移動した。時が止まったかのようにしんと静まり返った無人のロビーには自動販売機があったが、「スポーツドリンクよ、あれ」の願いは叶えられなかった。立食パーティー会場に忍び込んで卓上のウスターソースを飲めないかと考えたが、入口は施錠されていた。ホテルのフロントは不在で、「御用のある方はお電話してください」の立て札と固定電話があった。「ウスターソースを飲ませてください」と電話をしようとしたが、熱けいれんではなく別の病気を疑われて大ごとになってもいけないと思い、コンビニへ行くことにした。
コンビニでスポーツドリンクと食卓塩を買い、歩きながらスポーツドリンクを飲んだ。こめかみがぴくぴくと震え、脳への血流を感じると同時に目眩や焦燥感は消えていった。ホテルの宿泊部屋に戻り、食卓塩を混ぜて作った濃いめのスポーツドリンクを飲むと安心感から睡魔に襲われた。その時点で、塩分不足で目が覚めてから1時間近くも経過していた。もし、あらかじめ塩を持っていれば、ほんの1分で塩分補給ができたのになあと思いながら眠りについた。
翌朝はすっきりと目が覚めて、2日目の研修も無事終えることができた。それにしても、深夜のホテルのロビーに人が全くいなくてよかった。もし、自動販売機を見つめて落胆したり、パーティー会場内のウスターソースを見つけてドアをガチャガチャするなど、塩を求めてさまよう奇行をホテルマンや会社の同僚に見られていたら、「妖怪・塩くれ男」などとネタにされただろう。近くにコンビニが無ければ今の人生は無かったのかもしれないので、コンビニに感謝。ちなみに、コンビニ内ではごく冷静にふるまうことができたので大丈夫だ。
最後に。ホテルへ宿泊予定のみんな、塩はちゃんと持ったか。「妖怪・塩くれ男」にならないように用意したほうがいいぞ。ホテルマンへ、各部屋に塩を置いてくれ。上杉謙信のように敵に塩を送れとまでは言わないが、客には塩を送ってくれ。
私は元がジャニオタなので、全公演入ることを未だに全ステと言ってしまう。
知ってる人がみたら誰の何の公演かわかっちゃうかなとは思うけど、
そこが本題じゃないので、何とは書かずに。
私には推しがいて、応援し始めて今でまだ3年とかで私は永遠の新規のつもりなんだけど、
なかなか厳しい世界なので、主演はもしやできないうちに引退しちゃう可能性もあるかなと思ってたから、
めちゃめちゃ祝杯をあげた。
公演は東京と大阪の二ヶ所であって、東京は9日間13公演だった(うち休演日1日)。
以前冗談で「主演するんだったら初主演の記念だし全ステしたいw」とか言ってたけど、
驚いたことに東京は日程的に本当に全ステができそうで、運命かな…!とかさらに笑った。
私の仕事は、毎月絶対に休めない時期が決まっているんだけど、それ以外は
ある程度調整すれば比較的自由で、しかも公演は休みやすい時期。
土曜開始翌週日曜終了のその公演の平日はたったの5日間でしかも1日は休演日で、
いい条件は重なっていて
・休演日は週の真ん中の水曜日(何かあっても週中で仕事の調整がつく)
開演時間は1回公演の日は13時、2回公演の日は14時と18時半。
13時公演の日は普通に昼12時過ぎまで仕事して、職場を出て13時公演を観て17時くらいにまた職場に戻って好きなだけ仕事してから帰宅、
14時と18時半公演の日は昼13時過ぎまでで半日4時間分の仕事をして、2公演観て帰宅、
というスケジュールで、1週間で4回半休を取った。
すごく精神衛生上いいなと思ったのは、職場を出る予定時間までに予定してた仕事が仮に終わらなくても
基本的に毎日出社するからものすごい急ぎの突発案件以外はどうにかなるし、仕事を気にせずに公演を観られる。
仕事のことを気にしながら公演に通い続けるのはしんどいかと思ったので、これは本当によかった。
あとは、チケット。
ジャニオタをやってた頃はチケットがそもそも全然ご用意されないし高額転売に積むのはポリシー的にナシだったので
どんなに時間があってもそもそも全公演入れるだけのチケットがなかなか手に入らなかったんだけど、
ファンクラブで全公演申し込んだら、千秋楽以外はほぼご用意された。すごい。
ちょっと不思議なことにファンクラブに積むっていう概念があるのでファンクラブに多少積んでおけばいいのはすごい。
なんでも金で解決したくなるし、多分ある程度解決できるw(これでどの辺りの界隈なのかわかっちゃうかもw)
千秋楽は、たまたまだけど、カード会社の先行販売枠で押さえられた。他もどうにかなった。
こう考えると本当に全体的に運がよかったからできた全ステだったんだなー…
そんなわけで、全公演のチケットがご用意されて、私は嬉々としながら粛々と公演に通った。
推しは美しく麗しくもう立ってるだけでも十分なのに、動いてる喋ってる歌ってる踊ってる、
しかもステージの真ん中で…!とすべてに感動したりしていた。あー、今思い出しても幸せ…
で、全公演に通っていて思ったことは、
・当たり前だけど観る方にも体力が必要。
やってる方よりは楽だけど、3時間弱座ってるのを繰り返すのもなかなか疲労する
・ぶっちゃけ、飽きてくる(というか新鮮に楽しめなくなる)
「今日のアドリブかわいかったー☆」とか「今日は一段と声が通っててきれいだった」とかの良い比較もあるけど、
「んー、今日は滑舌がイマイチ…」「あー。。疲れてるんだな…」「…今日は鬘がちょっとボサっとしてない…?」
て思う時もあったり、
うっかり睡魔に襲われたりした日には「義務感で観に来てるのかよ」と己の観る側の姿勢を反省したりした。
好きでやってることなのに好きだからじゃなくて義務みたいになっちゃうの本当によくない。
あと、推しのよくないところを積極的には見たくないタイプのモンペオタクなので、
「この前はできてたのに今日はできてない」とか思いたくないし、「今日は調子悪いんだな、今日しか観ないお客さんかわいそう」
とか思いたくない。何様だ。
観すぎると、自分の中でもよくない風に感想が煮詰まることもわかったし、雑念が出る。
観てる途中に仕事のことならともかく「夕飯何食べよっかな」とか全然考える必要ない雑念出るとか集中してなさすぎだろ…
かわいい推しのステージを雑念と一緒に観るのは本当に自分に対してイヤになるというか、
仕事とはいえものすごく誠実に舞台を務めている推しに対して失礼でしかない、と思うのがしんどかった。
私は、「いつみても最高に素敵で最高にかわいく最高に麗しく最高にステージ似合う、最高の推し!」と絶賛したいだけのオタク
なんだなということをしみじみと実感した。
し、「はー、かわいかった♪素敵だった、まだまだ何公演でも観たいなー♪」ていう高揚した自分も好きなんだなということもわかった。
短期間で過剰に公演を詰め込むと、ここが己の中で調整できない。
「もう全ステはしない」(多分)。
現場に通うにも人それぞれで適量があるんだなー、私の適量は結構少ないんじゃないかなーと
思ったという話でした。仮にまた9日間13公演があったとして、5~7公演くらいにするんじゃないかな…
適量がそんなに多くないんだと自分で納得できたので、現場に行かないまたは行けないことについても
それまでよりは焦燥感みたいなのもなくなったし、なんか納得感のある活動ができるようになった気がする。
いい思い出になりました。もうしないけどね!
発達障害を疑ってテスト受けたけど診断名つかなかったやつの経過報告です
かかりつけだった先生の退職を期に新しい先生の所で今までのことを話したら、
ADHDですね手帳とって障害者雇用枠を目指してみてもいいかもしれません。話してみた感じあなたは真面目です。だけどミスや紛失やタスク管理の困難があるのは発達障害の可能性が高いです。と言われて半信半疑でADHD症状を抑える薬をもらったら、夜どれだけ寝ても治らなかった昼間の猛烈な睡魔がなくなった。あと、衝動的に外食することがなくなった。副作用についても話は聞いて身構えていたけど今のところベネフィットしかでてないみたい。
ただ、話では思考がクリアになると聞いていたのに相変わらず脳内で音楽が流れ続けて集中できなかったりする。
ずっとアスペルガーだと思ってたけどADHDだったらしい。もしくはASDとの境界にいるのかも。注意欠陥と衝動性に心当たりはあるけど他動はないから違うと思っていた。
以前の投稿にコメントしてくれた人ありがとう、その通りだったみたいです。そうだったらいいのにと希望でした。言われたように手帳に予定と結果と思ったことできるだけメモするようにしてます。すっぽぬけがましになったと思いたい。
毎日益田を書くことは難しいけど、思ったことを定期的に書こう。
鬱になっていたとき、苦しいことや辛いことを考えないようにするには、心や感情を殺して何も考えないようになっていた。その時、脳みそがどんどん小さくなっていく感覚がしたが、本当にその時脳みその思考能力が不可逆的に低下してしまったようだ。
特に将来のこととか先のこと、自分がどうしていきたいかを考えようとすると、そのあたりの思考を司っている脳みそ部分が死んでいるため、非常に思考速度が低下するようになってしまった。
考えようとすると、急激に睡魔が襲い、また何をするにも体がしびれ、動きがゆっくりになってしまう。同様の症状は、鬱がひどかった2017年9月頃、2018年1月頃のことを思い出そうとしても発生する。
これを回復する、もしくは思考回路のロックを解除するために、以下事をこれから行うようにすると決めた。
この2つは本当に脳みそが楽をするので、どんどん頭が悪くなる。
また、少しでも怠惰な日を過ごした場合、その日の夜に非常に気持ちが落ち込み、再度自分自身に価値がない、糞人間であるといった思考が始まってしまうので、これを避けるために以下のことを習慣として、少しでも有意義な日々を送ることを目標とする。
将来的な自分のステップとして、以下ができるようになりたい。来週にもできるようになるかもしれないし、もう一年かかるかもしれないことを覚悟する。