はてなキーワード: さぼりとは
入学おめでとう。
本当は新しく大学生になる青年たち全員に向けて書くべきなのだが、とりあえずわたしにできることとして、母校について書く。
君は同志社が第一志望だったのかも知れないし、本当は他の大学に行きたかったのかも知れない。何故かよく分からないままこの大学に辿り着いてしまったのかも知れない。どんな経路でここに入学することになったにせよ、まずは、おめでとう。それはきっと、何かの縁だったのだろう。わたしがこうやってこの文章を書いていることも、君がたまたまこの文章を目にするようになったことも。
君が入学することになったこの大学は、基本的に学生を放置する大学だ。学生は好きなことを好きなだけやれば良し、そういう思想を持っていると思う。パンフレットか何かで既に見たかも知れないが、創立者はこんな言葉を残している。
わが校の門をくぐりたる者は、政治家になるもよし、宗教家になるもよし、実業家になるもよし、教育家になるもよし、文学者になるもよし。かつ少々角あるも可。奇骨あるも可。ただかの優柔不断にして安逸をむさぼり、いやしくも姑息の計をなすがごとき軟骨漢には決してならぬこと。
この大学は奇骨のある青年を求めている。勉強せずに卒業しようと思えば、それも可能だ。授業に一回も出なくても、試験答案さえ良ければいい、という先生も数多くいる。逆に徹底して学問をしたいという人間には、真摯に向き合ってくれる先生もいるだろう。
君は四年間で何をするつもりだろうか。サークル活動だろうか。テニスか、軽音か、環境に興味があるか。ビジネスか。友人と徹夜で騒ぐのもいい。せっかく大学に行っているのだから、本を多く読んでみるのも良いかもしれない。何をするにせよ、しかし、自分の頭で考えて決めることだ。自分に何ができるか、そして、何をすべきか。
それも、走りながら。
京田辺の別館が、ローム館が、そしてキャンパス内にある様々な穴場が。今出川の明徳館が、寒梅館が、そして近くにある天下一品が、君の生活の一部になることに、わたしは興奮している。わたしもまた、あの場所で人生のひとときを過ごした人間だからだ。これから様々な発見があるだろうが、君の世界がこの四年間で大きく広がることを願う。
2009年に放送され、ヒットを記録した「けいおん!(一期)」はまだ記憶に新しいが、その続編である「けいおん!!(二期)」の人気にはいささか翳りが見えてきているようである。
まず、客観的数値として一番わかりやすいそれぞれの初動売上を比較してみよう。
一期1巻:40,452
二期1巻:33,078
数字としては約2割も売上が落ちている。
もちろんキャンペーンの差であるとか、様々な要因が考えられるが人気作の続編としてこの下落率は大失敗と言わざるを得ない。
ここで本題である、「なぜけいおん二期は失敗したか」について考えてみたい。
あまり長いことを書いても読んでもらえないと思うので真っ先に考えられる一番シンプルな理由だけを極々簡単に紹介してみたい。ずばり、二期は全体的にヌルいということである。
一期は言うまでもなく高校入学から軽音楽部入部、そして初めての楽器演奏といった主人公唯の成長譚としても観ることができた。そして1クールという短い回数の中で二年間の成長がうまくまとめられていた。
まじめに練習しているシーンがないと重箱の隅をつつく人もいたようだが、短い尺に納めるため、練習していることは前提としてそれ以外のより重要なシーンを描くことに重きを置いたと解釈するのが自然だと思う。
一方で二期目はどうか。そもそもの話として、二期は一期の成功を確認した上での企画であると思われる。二期を観ていると一期で評価された部分にスタッフが味を占め、そこをあざとく強調しているようにしかみえない。
もちろん一期の短い放送回数では描ききれなかった日常シーンを望む声はあるだろう。けれど、実際に放送された二期をみると制作側からのチャレンジ精神は見えてこず、安易な需要へのフィードバックだった。
つまり、二期は「空気系」および「日常系」といった単語で安全圏に引きこもり、惰性でなんの起伏もないシーンをだらだらと続けているだけである。
過去に大ヒットを記録したアニメは例外なく多くの論争を巻き起こした。某ロボットアニメを例にとるまでもなく、歴史に残るような作品はすべて多大なる長所と短所を包含し、ネット論壇において、放送当時はもとより未だに議論の対象となっている。
ここでけいおん二期に話が戻ると、この作品に至っては「短所」がほとんど存在しない代わりに「長所」も皆無である。一期の成功を前提に無難に無難に作られた作品であるが故に評価すべき点がまったくと言っていいほど見あたらない。
ネットを見渡してもこの作品について精緻な考察を繰り広げているブログも存在しないのではないか。あるのは、キャラに対する表面的な萌えの声や、“あるあるネタ”への共感のみである。
「けいおん!」(一期)は確かにヒットした。時代をうまく汲み取っていたし、批評性があるように思われた。けれどそれに続く二期は、うまみを知って舞い上がった制作陣による、薄く引き延ばした劣化レプリカ、失敗した二次創作、もしくは傲慢な京アニから放たれる醜悪な排泄物にすぎない。
京都アニメーションはこれまで時代性をうまく作品に反映し、優れた技術と相まってその時々を代表する作品を生み出し続けてきた。そういったアグレッシブなメンタリティこそが京アニの真価であり、圧倒的な人気を誇ってきたゆえんでもあろう。
その京アニがけいおん二期という冒険心のない凡作を生み出してしまったという事実は大きい。
一般メディアや中高生向けクラスタへの露出の多さから関連商品は売れ続けるだろうが、その求心力はどんどん衰えていくだろう。
確かに新しいことにチャレンジすることのリスクは大きい。それが京アニという巨大ブランドであればなおさらだ。しかし、当初のコンセプトを失い、目の前にぶら下がった利益だけをむさぼり続けた企業が衰退していくことは歴史が証明している。
京アニには腹の周りについた醜い贅肉をそぎ落とし、いつまでもラディカルな制作集団でいてもらいたい。けいおんはその意味でとてもいいクスリになったはずだ。
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。
おぱんちゅを下ろし可愛い二つの丸みをおびたおしりを露にし、ぼくのお口に腰掛けるあずにゃん
なんて綺麗なんだろう…
小振りだが弛みのないあずにゃんの魅力的なおしりに見とれていると
「ふぅ…」という小さいため息の後に
あずにゃんのもはや「すじ」といっても遜一のない無毛のおまんまんから噴水があがって
ぼくの口の奥に叩き付けられてじょろじょろという音がたつのにゃん
次第にあずにゃんのため息が何かを我慢しているような声になって
その瞬間あずにゃんのおまんまんとは違うもう一つのきゅっと佇む肛門から「プスーッ!」という
にわかには信じがたい音が個室の中に響くのにゃん
ああ、あずにゃんみたいな可愛いおにゃのこでもウンチはするんだな
という興奮のなかとうとうお待ちかねだったあずにゃんの排便タイムをリアルタイム観察するのにゃん!
あずにゃんの喘ぎ声が次第に大きなものになり、双丘の中に息づくすぼまりがゆっくり広がっていくのと同時に
肛門周辺の筋肉が段々と盛り上がっていき、あずにゃんのお父さんやお母さんのものには及ばないけど
火山の噴火口をちょうど逆さまにしたような形にぷっくりと膨らむのにゃん
そしてあずにゃんのおしりの穴が伸びきるとミチミチ肛門と摩擦を起こすような音と同時にあずにゃんの
プリチーで健康的なバナナ型のうんうんがおしりの谷間からコンニチワするのにゃん
ぼくのお口にうんうんを産み落としたあとは、急速にすぼまっていくあずにゃんのおしりの穴
産み落とされた未だに熱を持ってホカホカと湯気をあげるあずにゃんのうんうん
その瞬間だけあずにゃんのおしっことうんうんはぼくだけのもの!
一部始終を見終わった一人きりになったぼくは感極まってあずにゃんのおうちの便器に生まれてきてよかった
できればぼくにあずにゃんのアワビと菊のお世話もさせてほしいのにゃん…
特に菊のほうは丹念にお世話してあげるのにゃん
トイレットペーパーの代わりにあずにゃんの菊のお世話を買って出た以上は手抜きはできないのにゃん!
あずにゃんがウンチする度、ぼくのベロであずにゃんの菊を清めるのにゃん
あずにゃんの中心の穴付近から皺にそって念入りにウンチをなめ取ってあげるのにゃん
口の中に広がるあずにゃんの酸っぱいような、苦いような排泄されたばかりのあずにゃんのウンチを楽しみながら作業するのにゃん
次第にあずにゃんの菊は見た目上は綺麗になるけどこれじゃまだまだなのにゃん
今度はあずにゃんの直腸にまでベロをねじ込んで、未排泄のウンチをかき出してあげるのにゃん
排泄の後の直腸内には排泄されなかったウンチが貯まっている事があるのにゃん
そしてあずにゃんのウンチをぼくが味わうためにもこれは見過ごせないのにゃん
あらかたあずにゃんの腸内に塊が無くなったら、あずにゃんの腸壁までぼくのベロで綺麗にするのにゃん
アナルも異物があると膣と同じように濡れてくるというのはどうやら本当みたいで
まるで砂漠を何時間も歩き回った旅人がわき出てくる泉にむさぼり付くように
しつこくあずにゃんの次々としみ出てくる腸液を喉に流し込むのにゃん
そこであずにゃんに「あの…そろそろ…」ってまさかのストップがかかっちゃうのにゃん
にゃんにゃん…、あずにゃんの菊に一分でも、一秒でも長くぼくのベロで味わってたかったのを見抜かれたのにゃん…
でもこれで終わりじゃないのにゃん
あずにゃんの菊は逃げないのにゃん!
また次あずにゃんがウンチするときまでしばしのお別れなのがちょっと寂しかっただけなのにゃん
「病気という傘に守られて、おまえはいいよな」
と尊敬している上司から言われた。病院、といえばさぼり、起き上がれなくてさぼり、それもこれも、俺の言葉に傷ついて精神を病んでしまったからなんだろう?
お前のせいで、俺は降格したよ。役職を与えられて、でも一銭も給料は上がらない。これはなんでだ?お前のせいだよ。お前の病気の原因が俺にあるからだよ。
でもお前がしてきたことに比べたらぜんぜんだよな。俺のいったことをやらない、俺の指示したことをやらないから、俺はお前を怒鳴ったりしかったり、多少言いすぎなことはあるかもしれないけど、仕事ができてたら、俺のいったとおりにやれてたら、こんなことにはならなかったんだ。自分のことを棚にあげて、上に悪口を言ったんだろう?俺が、非人道的なことを言う、と。
といわれて頭が真っ白になる。その通りなんだ。私が仕事ができないから、自分で精神を病んでいるということになる。上司の給料が上がらないのも私のせいだ。病気を傘にしてるんだろう。
毎日、泣きながら電車に乗り、会社につく、仕事をする。仕事ができないで怒鳴られる、という数ヶ月をすごしてきた。昨月それがふ、ときれたように何もできなくなってしまった。会社に入れなかった。その日、大事なプレゼンがあったのに。経理の人に話を聞いてもらって、その日の夜に社長とその経理の人と会食をした。
そこで私が言ったことは悪口だったのか。
「ひどいことを言われるけど、それは私が仕事ができないからです。
でも先輩は尊敬しているし、がんばりたいとおもっています」
そうか。これは悪口だったのか。
今日も隣の席で仕事をしている。私がミスをすると大げさなため息をつく。
ほかの人との声がワントーン違う。
死んでもらいたい。やめてもらいたい。幾度と無くその言葉を聞いている。
やめると、またその上司は降格になってしまうのではないかと思い、怖くて言い出せない。今の精神状態を落ち着かそうと2~3日休みが欲しい、という要求も、その上司をおいつめることになるだろう。
回りのみんなは、私が病院に通う原因を知っているから。
全部私が悪いんだ。
俺が昔住んでたアパートの隣の住人が頭のおかしい40過ぎのおっさんで、
早朝「アーーーーーーーーーーーー!!!!」とか部屋で叫んだり、
とにかくそのおっさんは変だった。
しまいには夜中俺の部屋の窓をいきなり開けて、
目見開いてニヤ~っと笑みを浮かべながら「フリダシに戻るぅ~~」とか叫びやがった。
俺はめちゃくちゃびびったのと同時に何故かめちゃくちゃ腹立って、
どうにかしてこのおっさんに仕返しがしたくて、
俺も頭おかしいこと言ってビビらせてやろうと思った。
そして俺は「ピーちゃんの星でラーメンむさぼりたいの~~~」みたいなことを言ってやった。
そしたらおっさん急に冷めた顔になって「お前は冬型の気圧配置だから無理」とか言ってスタスタどっかに消えた。
マジで腹立ったあれは。今思い出しても腹立つ。
http://anond.hatelabo.jp/20100624234636
元のhttp://anond.hatelabo.jp/20100624140030です。
母親もわりと学校にいってなかったらしくて「中学とかほんとつまんないよね。いらない授業多すぎるんだよ」とか言って、私を強制的に学校に行かせようとはしなかった。
この強制的に行かせようとしないっていうのがポイントかも。
うちでは、たまたま学校に行かなくなり始めた頃、他県で教員をやっている友人にそれを知られた。
「このままにしておいたら、完全に行けなくなっちゃうよ。無理にでも行かせなきゃダメ」
と叱咤されて焦ったが、無理やりに行かせようとしていいことはなかったな。
どっちにしろ、完全に行けなくなったし。
ほんと、無理に行かせようとしてた日々は親子ともに消耗するだけで徒労だったね。
父親が文系で母親が理系だから、父親に英語と社会を教わって、母親に数学と理科を教わって、それで地元ではそこそこの高校に入った。
だから勉強さえどうにかなればどうにでもなるんじゃないかなーなんて思っちゃう。
いいなあ、両親に分担して教えてもらえたなんて。うちは両方理系だよ。
親よりも塾の先生に教えてもらう方が好きらしいんで、今はそれでぼちぼち。
ちょいちょいさぼりながら通えるような適当な高校に行けたらいいなと思う。
てきとーな両親から生まれたてきとーな小娘の戯言ですけども。参考にならなそ。
いやいや、ご両親、いろいろと工夫して、後押しをしてくれていたんだね。
見習ってゆるゆる行きたいと思うよ。
母親もわりと学校にいってなかったらしくて「中学とかほんとつまんないよね。いらない授業多すぎるんだよ」とか言って、私を強制的に学校に行かせようとはしなかった。
むしろ年のはなれた弟がいるから「面倒みてやってね!」とか言い出すくらい。
でも仕事を夜勤を多めにしてくれて、昼間は勉強みてくれたり、一緒に料理したり。
夜は父親が勉強みてくれた。
父親が文系で母親が理系だから、父親に英語と社会を教わって、母親に数学と理科を教わって、それで地元ではそこそこの高校に入った。
だから勉強さえどうにかなればどうにでもなるんじゃないかなーなんて思っちゃう。
てきとーな両親から生まれたてきとーな小娘の戯言ですけども。参考にならなそ。
>一人暮らしのサラリーマンはやりたくなければ家事をする必要がないじゃんよ。掃除洗濯は週一でお手伝いさん雇って、食事は外で食べるなり弁当食うなりすりゃいいんだから。
そんな金持ちな一人暮らしばかりじゃないだろ。金に余裕がある場合なら主婦だって同じことはできる。金持ちの主婦ならお手伝いさんもいれば、外食も多い。金持ち一人暮らしと一般主婦を比べて何がしたいのやら。
>専業主婦が、それやってたら「さぼりだ」って賢い人でも言うでしょ。
家事の内容なんか赤の他人に知られることは普通ない。外食で髪の毛はいってたとかメニュー間違えたら謝罪で作り直しだが、家事ならそんなこともないくらい気楽にやれる。
主婦は1日4時間家事をやっていて、「「自分が料理をする時間」に対しての「妥当な時給」については、平均「1,139円」と1,000円を超える結果となった。 」ということらしい。
でもさ、自分が料理をする時間って、少なくとも半分は自分の食べるものを作っているだけだろう。金を貰える性質なんてそもそもがない。そこで時給どうこうを考えてしまうのはどうなんだろうか。
お金に換算しないと、価値をはかれないバカが増えてきたから、わかりやすいように数字にしているだけだよ。
一人暮らしのサラリーマンはやりたくなければ家事をする必要がないじゃんよ。掃除洗濯は週一でお手伝いさん雇って、食事は外で食べるなり弁当食うなりすりゃいいんだから。専業主婦が、それやってたら「さぼりだ」って賢い人でも言うでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20100308183630
森毅はほとんど読んでいないが、
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。
ってさ、青少年の頃の自分には、判断力が無かった、ということを告白しているわけだよね。
まあ、若かりし日の自分が判断力に欠けている、というのは当然のことだけれども、
それを誰かの所為にしてしまってもいい気分になれる、というあなたがわたしには信じられらない。
ふつうに自分が18歳のときにどういうものを読んでいたか、といえば、
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
みたいな話もそりゃあ、触れていたけれども、
その逆の、「大学で勉強すると面白いぞ」という話も、同時に読んでいたわけで。結局、諸先輩方が何を言いたいのか、ということは、人それぞれなんだなぁ、ぐらいの感受性はもっていたが。
それを、「森オンリー」「森信者」になれてしまっていた、というのが問題だったんだろうね。あなたの場合。
さらに加えて言えば、「エリートは勝手に育つ」という発言があるのなら、あなたは「勝手に育つエリート」ではなかったんだろうね。
「授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべ」る日常を過ごしているのでも、育つ人だっているだろうに。
まあ、森さんの発言がテキトーだったのかもしれない、とは思うけれども、
自分で理解できないようなのであれば
「だから、あなたはダメなんだ」
としか言いようがない。
あなたの人生でしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20100307133147
匿名なのだから記事が残っていようが本人には何の痛痒もないはずだ。
匿名なのに記事を消すなど不合理だと思う。
よって再掲させてもらう。
---------
料理中にコンロの火が服に燃え移り、腕に火傷の重傷を負ったという。
ざまぁみろ、と思った。気分がすっとした。
このときの感情は、さすがに倫理にもとると感じて封印していた。
ために、ここで打ち明けてみようと思う。
今から20年ほど前、高校生だった私は森毅のエッセイをむさぼるように読んでいた。
進学校に通っていたが、地頭はそれほどよくなかったし、学校の雰囲気や、教育熱心な母の重圧に少々参っていた。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
それまでは頑張ろう。そして、大学では遊ぼう。
そう考えて頑張った結果、大学では、早慶クラスの、名の通った大学に入った。
大学では、遊びほうけていた。
とはいっても、それまで遊んだことのない人間の遊びなんてたかが知れている。
授業をさぼり、漫画喫茶で一日を過ごし、友達とくっちゃべって一日が過ぎていた。
遊ぶ、というより、勉強をしない、といった方がいいかもしれない。
高校までの受験勉強で学んだ知識が、実生活で生きる訳ではない。
若い頃に「勉強して、知識を記憶にたたき込み、それを応用する」という習慣をつけるために、受験勉強というものはあるのだ。
だから、高校まで勉強をつづけた後、大学ではそれ以上に勉強することが必要となる。
本当に自分がやりたいことを模索して、選択して、一心不乱に勉強する……それが大切な時期なのだ。
ただですら、怠惰に流れがちなのだから。
私は、貴重な4年間を、彼の思想の影響を受けたせいで無駄にした。
彼の言葉は福音だと思っていたが、なんのことはない、怠惰な人間に、「それでいいんだよ」と甘い言葉をかけていただけなのだ。
彼に影響を受けた私は、勉強の習慣を失い、未だにダメサラリーマンをつづけ、うだつがあがっていない。
どのような人間を師匠とするかが、いかに大切なことだと、今になってわかる。
彼の言っていることは、元々地頭のいいエリート向けの言葉であって、それ以外の9割の頭の悪い人間にとっては、地獄への一里塚だった。
彼にとってみれば、受験教育のために潰されそうになっている1割の人間を救うために、書いたのだろうし、彼の本を読んで影響を受けた1割はそれで救われたかもしれない。
だが、9割は社会から脱落していったのではなかろうか。
まさに、
私が彼を知った少し前から、彼の著作はブームになっていたので、影響を受けた高校生も多いだろう。
そのほとんどは、進学校に通う、受験生活に疲れた少年だったように思う。
そのほとんどは、その後の人生に失敗をしているように感じる。
だから、失敗者の声は届かない。
だから、彼はこれまで称揚されてきたのだろう。
見かける度に、反吐が出た。
その森が、火傷を負ったときいて、胸がすぅっとした。
だが、青少年に怠惰を吹き込んだ森のような人物は、罰をうけるべきだ。
重傷の火傷は、天罰だったにちがいない。
勝てない、辛い、と思ったら即逃げてしまうようになってしまったのは、
遡れば中1の部活からだったような気がする。
俺が中学生の頃は、バリバリのスラムダンク世代ともいえる時期で、
当時の俺はその例にもれず、その地区でそこそこ強豪といわれてたバスケ部の門をたたいた。
運動は得意でない、でも何とかなると思った。
何ともならなかった。絶望の毎日だった。
そもそもボールを持った時頭が真っ白になり、何もできない。
そのうちなめられて俺にボールがきたら何人も群がられなにもできず被スティール。
そもそもちょっと早いパスになるととれなくなる。指が痛い。
そのうちなめられてボールがこない。くるのはそもそも捕らせる気のない、おふざけの剛速球。
このあたりでレギュラー候補の同級生には軽蔑され、それ以外にはストレスのはけ口にされる生活に。
だんだん嫌になって、同じく何にも出来ない子と部活をさぼるようになった。
そんな生活を半年続け2年に進学する時、俺は両親の転勤の都合で別の中学へ引っ越すことになった。
2年生、今度こそはと入ったハンドボール部。
サボることなく、卒業まで続けることができた。
いや、なんどもサボろうとしたけど仲良くなったキャプテンがそれを許さなかった。
でも、何もできなかったことに変わりはない。
顧問にセンスがないと一言いわれてへこみ、それをバネに努力することもせず、結局スタメンに選ばれるどころか
候補に挙がることすら1度もなかった。
高校はそんな努力をすること自体が苦痛で、でも部活に入るのが決まりだからって卓球部で幽霊部員。
残るものと言えば、同じ時間をなんとなく過ごしてきた部員とのなんとなくの繋がり。
大学でもサークルで学祭の店のリーダーをやるも、計画性の無さと人間関係のトラブルを全て他人におしつけ、さぼり、
連絡に来る携帯のバイブに怯え何がしたかったのかわからないまま終わってしまった。
もう少し、自分に暴力的な、暴走してでもいいからなにかエンジンみたいなものがあれば。
たとえば初めてバスケットボールを顔面に近距離で剛速球で投げられた時、
ただ泣くだけでなく全力でボール投げ返すことができていれば。
なにか変わったのだろうか。
おめーにだけは負けたくない、そう心から思って何かにとりくめる人間は強いと思う。
そりゃ動機は負の感情かもしれない、何かトラブルを起こすかもしれない。
けどそういった人間の爆発力には何か、とても憧れてやまないものが入ってる気がする。
なんでこんな事を書いたかっていうと、社会人1年目の今、同期と差が開いてきた気がして、
しかもそれが俺自身がさぼっている、+客にびびっちゃってるのが原因で、
その原因がわかっていながらもう嫌になっちゃって、また今日もサボるという悪循環を
繰り返してしまったから。
自分なりに何とかしようと、本を読んだり戦略練ったりはするものの、実行に起こせない。
アウトプットできないなら本とか読んでも全く無意味じゃないと、
わかっててもできない。
染みついた負け癖逃げ癖不利になったら放棄する癖が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもとれない。
一回ドロップアウトしてしまったらもう戻れないのかな。
家に帰ってきた今は、こんなにやる気なのに、
寝て目が覚めたらまたいつもの日常になってしまいそうなのが怖い。
彼氏と付き合い始めて時期に二年。知人もちらほらと結婚し始め、自分自身もそのビジョンが見え始めてきた。
そこで目に付くのが一番身近な夫婦である両親。
両親の大きな喧嘩も見たことはなく、我が家は平和だと思っていた。
私自身も中高生にある「パパのパンツを一緒に洗わないで!」的な嫌悪感を抱くことなく過ごしてきた。
まあ、私自身その頃は浮いた話もなく、学校へ行って女友達と過ごし、遊びに出ても遅くても10時には勝手に帰ってくる
生活だったので、別に怒られるようなことも反抗する必要もなかったわけだけど。
父は、まあ、無関心なだけだったんだなぁ。良くも悪くも特に関心引くようなことしてこなかったので気付かなかったが。
今は、彼氏と会うときは終電帰り。(お泊りはしないマイルールなのでw)
母はうるさくお小言言ってくるね。ただ、心配しているのもわかる。
父は無関心。母が私の彼氏の話を向けたときに「まだ付き合ってるのか」と聞いてきたくらいらしい…。
家事はほぼしない。母がさぼり気味で「あー、荒れてきたなぁ」と思った頃にあてつけるように家事・掃除して嫌味を言う。
母の植えた植物を勝手に抜く。ちゃんと並んで植えてるものは雑草かどうかくらい判断つくだろうに。抜く前に聞けよ。
食べ方も汚い。食べ終わったあとはいつもなんか散らかってる。
テレビも占拠。味に文句つける。夕食時はちょっとむかつくことが多い。
その他いろいろ。
「娘は父親似の人を好きになる」とか言うけどありえませんから。
父みたいな人が夫だったらストレスで胃に穴あくわ。
二十歳過ぎたあたりから母が私に父の愚痴を言うようになったからかなー。
同性ゆえか、完全に母派。
中高生の父親嫌いは結婚式の両親への手紙で涙と共に流れ去っていくイメージ。
でも、私の父親嫌いは静かに長くくすぶり続けていく気がしてならない。
昔の彼女との燃え尽きる思い出がリフレインして、びくびくしてしまう。
なあ、増田どうしたらいい?
昔の彼女と出会ったのは会社の有志の勉強会で、仲のよい先輩に呼ばれて加わった。
勉強会といっても、いるのは僕と先輩と彼女だけで、おもにメーリングリストで先輩の出すお題にあれこれ答えて議論するというもの。話題は最近の売れ筋とか、キャンペーンを打つならどうするかとか、実際に役に立つ内容で、話し合っていたこと充実していたように思う。
彼女は論理的な発想よりも、感覚的なセンスが鋭い人でそれを言葉足らずのなんとか書き表そうとする。それを先輩と2人でフォローをしながら聞き出してくと、けっこう面白い方面から物事を見ていたり、繊細な捉え方をしていて感心してしまう。
この人はすごいな、あんまり社内で目立たないのは、うまくその感じを伝えられないだけなんだと、そのときは思っていたし、実際にそうだった。
3人の議論はとても前向きで、着実に成果が出ていたので、楽しんでいた。
先輩の問題設定の仕方がよかったのか、刺激的な、よい勉強会だったと思う。
勉強会は会社のメールアドレスでやりとりしていたのだけど、急用ができて私用のメールアドレスを伝えた。そうしたら彼女から携帯番号を教えて欲しいというメールがすぐさま飛んできて、伝えたらすぐ電話がかかってきた。すがるようだった。
「あの、助けてくれますか?」
返事もあやふやなうちに話を聞くと、その先輩からあらゆる方法で付き合えという圧力がかかってきていて、どうしたらいいのか分からないという内容。聞けば聞くほどこれまでなんかおかしいなと思っていたことが氷解していき、ああ、そういうことだったのかと愕然とする。
結局の所、その先輩は彼女をむりやりにでも自分のものにしたくてあらゆる手を使っていて、この勉強会に僕が呼ばれたのも、彼女とのコミュニケーションがうまくできないので、僕にフォローさせようとしていたのだと分かる。
さすがに憤慨する。
何件かの証拠を集めて、それでメールで先輩を問い詰めはじめる。
ああ、これは確定的だという証拠が出て、絶縁のメールを送る。
いや、たしか先輩が返事を返せなくなって、そのままになったという形だったか。
彼女とはその後付き合うようになったのだけど、まさか社内でそんな犯罪的なパワハラ&セクハラが行われていたとは思ってもいなかったから、しかも自分がそれに利用されていたのだから、もう社内が信じられなくなる。
全社中でそんな犯罪まがいなことが起こっているのではないかと疑心暗鬼になるし、なによりも彼女を守らなければと必死なる。当然僕の周りの人間関係も悪くなる。
会社の中でそういうモラルハザードが発生するとまずいのは社内秩序がずたずたになるところにあると思う。とくにはれたほれたの話はメガトン級のパワーをあらゆるところにばらまいてしまうわけで、しかもそれが連鎖的に発生していくので、とてもまずい。
罪のない上司に噛みつくわ、僕もあんまり冷静ではない時期があった。
まるで社内中がドラゴンの巣窟に見えるナイトのようなもので、そんなモラルハザードはぜったいに許さないという剣幕で社内を仕事で回っていたような気がする。ふたつ上の上司の取り計らいだったのだろうと思うのだけど、結局のところ僕はなにがあったのかを一切語ることもなく、社内でも不問という空気で徐々に沈静化していった。
彼女は、ちいさい頃に片親を亡くした、典型的な幸薄い印象の女の子で、それでしっぽを振るように惚れられた。
白馬の騎士とでも思ったのかとても熱烈で、僕に合わせるのがうまかった。
僕も彼女と付き合うようになって気付いたことがあって、それは、僕は一種の母性本能みたいなものがとてつもなく強いのではないかということだった。
母性本能というと母親が我が子に献身的に尽くしてしまうことを言うと思うのだけど、男の子が困った女の子を見て、突然ドラゴンに立ち向かう気になってしまうという、そういう男の子の本能のひとつが僕はとても強いのだと思う。
生々しい話をされ、どう思うと言われればそれは、おれの女に手を出すな、で当然あるわけで、彼女にとって世界中がそういう危険に満ちているように思えてきて、いてもたってもいられなくなる。
毎日のように電話をして安全を確かめるし、その電話は何時間も何時間も続く長い電話になっていく。彼女もそうやって尽くしてくれる僕に惚れ込んでいくし、僕と話しているときだけが安全で満ち足りた時間だと思うようになっていく。
そうして、彼女との電話を切るとたちまち不安になり、朝早く同じ電車に乗ろうなんて、そんな話なって、朝に会うようになる。彼女が夜遅いとなると、あわてて1時間も向こうの駅まで迎えに行ってしまう(そして彼女の家に泊まってしまう)。
そうやって、べったりと彼女に貼り付くようになり、彼女はなんて優しいんだろうとますます惚れ込んでいく。あっという間にふたりだけの世界へ直行してしまう。
たしかに、その時期はまるでドラマのような熱愛に身を任せていた。
書き始めたら、そんな馬鹿なと笑われるような思い出がいくらでもあったし、それはたしかに楽しいことであったとは思う。その当時はそんな恋愛が終わるだなんてみじんも疑わなかったし、それぐらいに輝いていたとは思う。
「心配している暇なんてない、もっと今の出会いに感動しようよ」
そうやってふたりではしゃぎあって、つきあい始めてからを指折り数えていた。
でも、世の中にいうように、燃えさかる炎は燃え尽きるのも早いもので、結局のところ4年続いた関係も最後はさんざんな結末となった。
ふたりだけの世界というのは、結局どこかで立ちゆかなくなると、いまでは思う。
君と僕だけの世界の終焉は、それに没頭しすぎて、ほかに歪みをもたらしすぎて、終わっていくのだと思う。
転職をして、仕事が忙しくなり始めて、やはりその歪みが出てくる。
彼女も僕もお互いにずぶずぶに甘えあっていて、お互いがなにかをしてくれないと立ちゆかないところまで来てしまっていた。その頃は同棲をしていて、毎日話し合っていたのだけど、どちらかに余裕がなくなってしまうと、昔のような甘い甘い甘い甘いそんな時間が保てなくなる。
この甘さというのは一種のインフレーションをしていくもので、一度ある一定量の甘さを甘受してしまうと、それよりも甘くないことが我慢できなくなる。恋愛感情依存症とでも名付けるべきなのかも知れないけれど、より強い甘さを求めはじめてしまうのだ。
それでやはり不満が出てきてしまう。
あの頃はあんなにしてくれたのに、好きでなくなっちゃったの?
それは仕事で鬱になり始めていたときで、それでも必死になって彼女に尽くしていたように思う。それでも、やはりひとりの人間には限界があって、お互いにお互いの求めることが負荷になっていってしまう。
だったら、これぐらいしてくれよ。
これは燃えさかる恋愛の罠で、繰り返すようだけど恋愛感情依存症の副作用だと思う。
お互いが生活の中で、それまで以上の甘さを提供できなくなり始めると、それがどんどんと物足りなくなっていき、不満としてたまっていってしまう。ある程度までは無限に甘さをむさぼり合えるのだけど、どこかで限界が来て、負荷となってしまう。
そうやって、甘さだけでなんとか回っていた生活が崩れはじめると、崩壊していくのは早い。
そこまで無理に無理を重ねていて、盲目的に恋愛だけを見ていただけに、それを固めるはずのあわゆるものが足りなすぎているのだ。現実的な部分の帳尻はついておらず、新しく持ち込まれる問題を解決する余力はなくなってしまっている。
結局のところ、崩壊の崩壊までいって、彼女は別れを切り出した。
僕は当時しがみついたけれど、今となっては彼女の判断は正しかったと思う。
あのまま行っても駄目だし、いま戻ってもやはり駄目だろうと、そうは思う。
それはおそらく、燃えさかっていたときの思い出が鮮明すぎて、やはり不満に思うことが出てきてしまうだろうと思うからだ。あの頃はなんのためらいもなく、無謀な火遊びに邁進していた。
お互いの余力なんて気にすることなく、お金だっていくらでも使っていた。
でもそれじゃあ、持たないんだよね、ってそう思う。
こんな話をするのは、4年ぶりに彼女ができたから。
仕事を手伝って貰ううちになんとなく惚れあって、もう彼女のことしか考えることができそうにない。
それでも、同じような結末になるのではないかと思うと、彼女になにか言われたらどこまででも尽くしてしまうのではないかと思うと、その結末を知っているだけに怖い。それは優しいのかも知れないけれど、破滅へ向かってしまう優しさで、自分など全部犠牲にしてしまって愛する彼女のために捧げてしまう優しいであることが怖い。
彼女と出会ったとき、もう彼女のことばかり考えてしまう自分がいて、仕事中にあれ彼女は目の前にいないと思ったときがあった。それで首を横に向けてみると、となりで、ふふーんと笑っている。あーそうか、隣にいたんだ、そう思ってちょっとほっとする。
よく、夫婦は向き合うよりも横並びで同じ方向を見る方がいい、という。
そのときの彼女は横並びで、前を向いてわたしはひとりで歩けると言っていた。
夫婦というのは長続きする男女関係の意味だと思うのだけど、最近向き合いはじめて火遊びをはじめてしまいそうで怖い。
一生がいいんだよな。
そこまで、嫌だ、一生じゃなくちゃ嫌だと思っているんだよなと、ずっと側にいるんだと思っているのだよなと思った。一生僕と一緒であって欲しいって。
この罠、どうしたらいいのだろう。
オーゥ。嘘つき呼ばわりですかw
そんなことどっかに書いたかな?
歴史に学ぶ、なんて言ってる奴のいうことのほとんどがこじつけだってことは研究者はよく知ってるはず
そんなことばっか言ってるからそういうのに騙されるんだよ
こじつけじゃないよ。歴史に学ぶことが自分にとって面白く、有用だったと述べる実業家は多い。パッと思いつくだけでも、投資家のジム・ロジャーズ、ホンダの創業者の本田宗一郎などがそう。また、松下幸之助の本にも、ドラッカーの本にも、歴史上の人物が困難にどう対処したのかが具体例としてよく出てくる。和民の社長も青年期に歴史関係の本をむさぼり読んでる。経営者が大好きな小説は決まって司馬遼太郎や塩野七生。
増田のような人にこそ、読解力や、自分の主張にきちんと根拠をつけて述べる、いわゆる論理的な文章作成術を学んで欲しいと思うなー。
当番が回ってくるのは困るというような内容で、自治会入会にためらう人がいる。
なんのかんのと集まり・イベント・清掃など確かにある。
ボランティアで、当番ではないのにかって出てくれる人もいるけど、
できればやりたくないと思っている人が多いことも確かなんだろう。
うちに当番の依頼があったとき、同居人が「仕事をしてるから無理だ」と断ったことがあった。
が、重ねて当番をやってほしいという、かなり強い内容の手紙をもらった。
事情もあり長年当番をしていなかったこともあったし、
こう言われるのは仕方ないと思い、同居人には無断で引き受けた。
手紙の内容の詳細は覚えてないけど、
正直言えば全く反発を感じなかったわけではない。
一方的に逆切れし放題だったのががまんできなかったのだ。
手紙は作法的に誤った方法がとられていて、
正直デリケートなやりとりをしようとしているとは思えなかった。
でも、言われていることは間違っていないし、
作法が誤っていたことは、単に知らないでしたことかもしれない。
もしくは、逆にとても挑戦的な意味合いだったのかもしれない。
どちらにしても、滅多に顔を合わさない相手でも、
これからも住み続けるであろうところで不穏な空気を感じたくなかった。
実際に当番になり、自治会の活動をよく知ってみると、
なんとなくしかわかっていなかった自治会活動の恩恵をいろいろと受けていたことを知った。
皆がいやがって避けている当番を進んでやってくれる、
多くの人がいることを知った。
一番大変なところを進んでやってくれる人たちのおかげで、
結局当番と言っても私なんかただのお手伝いみたいなもんだ。
自治会に入らなければ、当番は回ってこない。
でもうちの地区は、自治会に入らない人も入っている人とほぼ同じような待遇が受けられる。
それをありがたく思っていない人もいるかもしれないが、
なにか納得がいかない。
お金払ってる人は当番をやらなきゃいけないのに、入っていない人もほぼ同じ待遇。
きっと、どこにでもよくある不満だろうけど。
じゃなくて、できれば入会を渋る人が考えを変えてくれたらなー、と思うんだけど、
当番になっても実はさぼりまくれるということを先に伝えてしまうのはなにか違う気がする。