はてなキーワード: ネット選挙とは
内容紹介
要約:
政治マニアで軍事オタクでロリコン。彼らが創り出すのがネット世論。ネット選挙が盛り上がらなかった理由はここにある。
そしてネットは政治家も有権者も「幼児化」させる。ネトウヨも放射脳も幼児化の徒花だ。
ネット選挙の解禁により、真面目な議員は疲弊し、誤報や一方的な思いこみを繰り返すものが政治家になった。
まえがき
幼児化とはなにか/子どもは純粋な悪/橋下徹という症例/政治家に作家性を求める愚/政治家のツイッターやブログが炎上する3の理由/『食べログ』になる政治
保育園児の多数決/池田信夫が信奉する床屋政談の危うさ/主婦の娯楽が民主主義を変えた/ネットで民意を汲み上げる愚か/極論化の徒花がネトウヨ/
第3章:悪意を増殖するネット
デマの拡散は防げない/桐島ローランドが『逮捕』された理由/新たなる国民負担「ネットリテラシー万能論」/マスコミのネットリテラシーは中二レベル/ウェブ有識者の非常識な常識 ほか
グーグルに支配される民主主義/美人に左右される検索結果/惨めな失敗を晒したグーグル/米国にアウトソーシングするなりすまし対策/主導権を握り損ねた日本政府 ほか
時代の流れには逆らえない/フェイスブックをめぐる誤解/アラブの春の本当の主役/菅直人をゾンビにしたネット力/人間性が発掘されるネット〜柿沢未途氏〜/山本太郎の当選に見つける政治の食べログ化
ネット選挙カーみたいな人たちが煽ったり脅したり懇願したりと活躍し始めてるけど、その多くが「とにかく投票しろ」としか言ってない。そんなんで投票率上がるわけないだろ。
「とにかく早寝早起きを心がけて栄養バランスのとれた食事をし6時間は睡眠をとれ、でないと死ぬ」みたいに脅されただけでそのとおりに行動するやつがどれだけ居ると思ってるんだ。
自分の選挙区の立候補者を調べて、主張を調べて、吟味するっていうプロセスをすっ飛ばして
投票自体に意義があるみたいなこと言われても、それでこないだみたいに民主党が勝ったら「民主党に入れたやつは反省しろ」みたいにぐちぐち言われるし、
EU離脱に入れたらエリート気取りにひたすら馬鹿にされるし、多くの人が深く考えてなければうっかり国家社会主義ドイツ労働者党が勝つだろ。
北朝鮮みたいに投票率100%になればそれで満足なのか? 違うだろ。ネット選挙カーにはネット選挙カーなりの目論見があるだろ。
まずはそれを提示しろよ。単なる選挙行けbotはブロック or ミュート or 無視されて無音になるだけだってくらい想像つくだろ。
「投票に行きましょう。行ってどうするかはおまかせします」みたいな投げっぱなしの掛け声に誰が共鳴するんだよ。
「投票に行きましょう。私はXXを願って某党(某人)に投票します」くらい言えよ。
そりゃまあ変なのが集まってきて炎上体験することになるかもしれんが、「拡散希望」くらいに無意味なことを言い続けるよりは効果あるだろ。
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
Twitterで政治家になりすました人がフィッシングサイトを作って、そこに人々を誘導したら、誰かが引っかかりそうなもんだけど。
それ以前にネット選挙が解禁になってしまうとネットができないご老人たちから情報格差とかのバッシングが来そうだからまだまだ採用されないと思うけど。あと20年ぐらいしたら変わってくるんじゃないかな。
俺ならそんなサイトが出来たら即座に攻撃してサイト改ざんなりして、みんなの個人情報を抜き取るな。
そして、事態を重く見た政府によって出来たかと思えたネット選挙は即座に廃止、また紙の投票に戻る。
老人はあらゆることで有利なんだよ。老人の誰かにお金つまれたハッカーがやったら日本のセキュリティなんてちょちょいのちょいじゃねえか。
上みたいな反論が既に昔から何度も上がっているから未だに採用されないんだろ。
若者の考えとしては、1 賛成→選挙にいく 2 反対→選挙にいく 3 興味ない→選挙にいかない ってかんじ
それだけ大阪の未来なんてどうでもいいと思っている若者が多いってことさ。
なんせ、選挙にいくなんてダサいからな。自分の身の回りに「日曜どこいってた?」って聞かれて「選挙w」なんて言ったら「は?おっさんやんwだっさw」とか言われる。
宮脇睦のメルマガに「転載ご自由に」と書かれているので転載します。
編集後記
かり活用していました。
を認めなければ、モータリゼーションの到来に気がつきませんし、
スマホの普及を知らなければ、「パズドラ」の売上高を信じること
はできません。
の解禁です。実際の所、いままでも「政治活動」として選挙活動は
黙認されていました。
会議員のポスターには「区政報告会」と告知がありますが、みな選
挙後の日程が刻まれ、その日時に実際に開催されるかは誰も知りま
せん。
想信条の自由から取り締まることが困難という理屈が、ポスターへ
と繋がります。
動画配信とやりたい放題。さらには「ニコ動」のイベントというリ
アルにまで党として進出しているのは各党同じ。
非難することの愚かさを知ります。昭和時代の学生が抜き打ち検査
で、校則で禁止されたグッズが摘発され、それを非難するような幼
稚さです。
き始めたようですが、不発を叫ぶのは、マスコミの不勉強に過ぎま
せん。
もうひとつの理由は、日本のネット有識者、Web業界人の傲慢さに
あります。
と政治ブログを立ち上げました。以前はこの人、「ゼゼヒヒ」なる
彼岸は「非自民政権」。彼の御尊父は社会党の偉いさんの秘書だっ
たようです。
もマイクロな。
ことはないでしょう。本家の朝日新聞の信用失墜は、致命傷になっ
たかもしれません。
ネットの専門家、オーソリティーで、仮に民主党を支持するなら、
党の内部に入り、宣伝文句を量産し、サイト運営のノウハウがある
ならこれを提供し、技術があるなら・・・あるならばですが・・・
自らソースコードをかくこと。すなわち
「自ら銃を手に取り戦う」
ことをどうしてしなのでしょうか。
「観客席からのヤジ」
党と支持する理由を表明ぐらいはしなければ。政治について何も語
らないのならそれもありですが、支持政党無しとは、言質を取られ
せんが。
より私の文章にかかる「バイアス」を読者は知ることができるから
です。
暇を取りボランティアとして陣営に参画します。銃のかわりに、マッ
クブックを片手に戦います。
あれば、すぐにサイト作り替え、時に新設します。著名人なら積極
的に賛意と支持を量産します。ファンの離反を招くとしても、リス
クを取らずに手に入れる果実がないことを、アメリカ人は知ってい
ます。
ネット選挙を語らせているので、「定着」しないと嘆いているだけ。
したより良い方向で。
(おわり)
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65845539.html
中身はゴシップ系の週刊誌からの引用メインにちょこっと文章付け足した程度。
だが、その付け足しが…
ネット選挙(そもそも「選挙」ではなく「選挙運動」です)はある意味空中分解してます。活用するべき候補者の先生たちの大多数がネット自体を使えてないので…。
既得権益以前に、センセイ方にリテラシー植えつけるだけでも、大型事業になりそうな感じだと思うんですが…。
ISPは「インターネットサービスプロバイダ」のこと。つまり、インターネットイニシアティブは、プロバイダの元締めということか。
あ~、この人何も勉強せずに思いつきで、火をつけまわってるんだ(苦笑)
新聞・テレビにない情報って煽って小銭稼いでる割に、ネタはマスコミのネット記事9割にプラスαの想像(妄想)ってのが笑える。
この人の妄想を信じる人が出ないことを祈りましょう。
※欄が書けないみたいなのでこちらに。
主題が健康問題だとするなら、依存対象をネットに限定したり、話を日中の時間の使い方まで広げると、話が込み合うのでは。
(SNSでこじれた遺棄事件やネット選挙への反動なんかが合わさって、以前からある健康問題に関する主張と利害が一致した結果だろう、と本音で思っちゃったりしてるが)
スマホ利用者が外出先で柔軟に情報を扱えるのは純粋に技術の進歩として享受すべきだと思う。
少しの調べものにPCの前まで行くのはかなり不便で、逆に一旦場所まで行くと、不要なことまであれこれ調べたりしがちだ。
これはタブレットを導入して少し緩和され、ネットに触れる総時間は減少した。
結局コンピュータやネットは人にとって何なのか、に対する今の自分の答えは、「加速装置」だ。
人が本来持っている思考方法、趣向、技能などを、正にも負にも強烈に加速する。
いくら車が便利だからといって免許を子供に取らせないのと似ていて、一定の基準は必要、という話は理解できる。
ただ、車には徒歩や自転車など代替交通手段はあるが、ネット的な通信手段は実質ネットしかない。
上手く自分の特性を認識できないまま使うのは危険だが、隔離してしまえば今度は「加速」した他者から隔絶されることになる。
波乱の選挙が終わりましたね。
この際に、以前の選挙の応援に駆り出されたときの記憶を、箇条書きで書き残してみる。
主に自分の記録だけど、面白く読んでくれる人もいるかもしれないし。
身バレしないように書くつもりだけど、念のため特定の人を非難するようなことは書かないでおく。
まぁ、漏らしたらこまるような情報なんて知らないけどね。選挙実施前ならともかく、今となっては。
あと、ネット選挙解禁前の話なので、今の状況とは若干ずれがあるかも(とはいえ、基本は変わらないと思う)。
・両手で手を包み込むように握手してくる人とか、ハグしてくる人とか選挙事務所にたくさんいて、気持ち悪かった。選挙事務所の周辺だけ、一般社会とはマナーが違っている感じ。ヤクザな世界だと思いました。
・選挙の達人らしきおじーちゃんがいたんだけど、「バブルのときたくさんお金使ったから今度は増税しなくちゃね」とかいってて、頭抱えた。経済学の知識あっても、当選するには役立たないしね~
・選挙のあいだ、事務所では政策に関して本気の話なんて一度も聞かなかった。どう演説で話すか、という話は聞いたけど。
・選挙って候補者はむちゃくちゃ忙しいです。寝る時間ない。千本ノックみたいな感覚で、演説できるところ片っ端から回り続けるんですわ。
・違う事務所のスタッフから協力してもらったり、今回はお世話になりますと挨拶にいったり、「身内」ではない人との付き合いも多いんだけど、表面は頭をさげるけど裏ではお互いによく思っていない、みたいな関係性ばかりで、心やすまらない。印象重視の世界で、表面だけは愛想よくお世辞もやたらいう人が多くて、疑心暗鬼になる感じ。
・公明党って組織化された強固な支持基盤があるので、この地区の信者は貸し出すよ、みたいな感じで、いろんな党に票を融通してるんだなぁ、みたいな風のうわさを聞きました。そりゃ敵に回しにくいですよね。
・選挙の手伝いするの好きな人ってけっこういるのね。お祭り男、みたいな感じで、いろんな党を渡り歩く人もいる。文化祭前日みたいな雰囲気、楽しいらしい。
・選挙カーの名前の連呼、うざいけど、公職選挙法を遵守した上で津々浦々にアピールするためには仕方ないのかな、と思う。すごくいい演説したとしても、結局名前がわからないと無意味なので。
・選挙にかかわってから、選挙活動に興味がわいてきて、各党の演説を注意して聞いてみたんだけど、維新の候補の残念感すごい。演説のうまさと政策の実現力は必ずしも一致しないと思うけど、駅とかでしゃべっているの聞いても、名前と「よろしくお願いします」とかしか言えてないのをみると、せめて就職面接ぐらいには演説の練習してこいよと思う。
・よくウグイス嬢が選挙カーに乗ってるのみるけど、あれって効果薄いと思う。あぁいう綺麗な声って、自動的に聞き流しちゃうんだよね。自動音声みたいな感じで。選挙カーも高いんだし、もうちょっと考えたほうがいいと思う。
・公職選挙法は、文字通りに解釈して安全ラインで活動してたら落ちます。OKとNGのびみょーな線引きがあって、そのあたりは選挙に詳しい人に聞いて把握します。たとえば、夜八時以降は活動しちゃいけないけど、旗とか事務所にゆっくりと持ち帰りつつ、家路につく人に「挨拶」したりするわけですよ。名前を口に出さず、票を入れてくださいともいわず、「こんばんわ」とかいってるだけならそれは挨拶なわけです。挨拶を禁ずる法はないですよね。お知り合いの支援をするときは、くれぐれもしっかりとそのあたりのことを調べて臨んでください。
・テレビでよく名を聞く人で、こいつ何してんだかさっぱりわかんね~と思っていた人が、実は日本中飛び回ってたんだ~ということがわかった。主に派閥ゲームの関係であり、政策を実行に移す、またはそのための組織作りという意味ではやっぱり何もしていないんだけど、体力だけは感心します。
・内訳を調べると、投票所単位でぜんぜんどの候補に入れているか違うので面白い。選挙カーでよく回ったところはやっぱりうちの候補の支持率も高くなっていて、効果あるのなーと思う。
・自分が選挙にかかわると、選挙特報むちゃくちゃ面白いし、何が選挙の結果を決めているのか、かなり理解できるようになる。選挙特番をより楽しむために投票にいく、という考え方もあるかも。
・何か具体的に政策として実現してほしいことがあったら、票を投ずること、政治家に直接働きかけることが一番だと思う。
抗議活動は、有権者には働きかけることができるけど、政治家に聞かせても行動を変えるのは難しいとおもうよ。なんというか、罵声にいちいち耳傾けてたら政治活動は辛くて仕方ないものになるからさ。こちらから何かしたところで、彼らが票入れてくれるわけでもなさそうだしさ~
「あなたはこんな悪いことをしてます!だからあなたはこの行いを正すのが当然です!」っていう相手に、耳を傾ける気になるかい?という話で。政治家は有権者に耳を傾ける義務があるとは思うけど、本気でその思いを届けたいんなら、届け方を工夫するべきだと思う。相手の義務にあぐらをかいちゃイケナイ、と思うな。誰もが票のことしか考えていないというわけではないと思うけど、自分に敵意をもっている、自分に何の影響も及ぼさない(抗議活動してくる人間は自分に投票しないし)人間の利益になるように行動してくれる奇特な人間ってそういないよ。
あ、でもね、デモじゃなくって、苦情を直接事務所に入れるのは一つのやり方だと思うよ。デモはお耳シャットすればいいけど、苦情電話は事務所のオペレーションを妨げるから、あれは実際困るんだよね。電話かかってきたら応対しなきゃいけないから、形だけであれ相手の言い分細かく聞くことにもなるし。
うさ晴らしや何かした感でなく、本当に政治に影響を与えたいなら、自分の怒りを未調理のままぶつけるんじゃなくって、どうやったら政治家が行動に移してくれるか、相手の身になって考えることが大事。
あとさ、投票もせず電凸もせず、政治家が糞だから投票しないのさと高らかに宣言する人へ。何をしゃべるのも別に自由だけど、投票しないことで、あなたは政治の糞化に確実に加担してますよ。自分の票に影響しない人間のいうことなんて、政治家は聞かないから。
有権者の1/2が投票に行かなかったということになりますね。100人の組織だったら、48人は投票に行っていない。それってどうなんでしょう。
当然投票率は世代差、地域差というのはあるものと思う。特段の事情があり、投票所に行けないというケースもあるかもしれない。上京した学生が住民票を実家に残したままで投票できないことがあるかもしれない。
しかしながら、二人に一人が投票しない状況というのはいかがなものでしょう。いくらなんでも変じゃないですか?道行く人10人とすれ違ったらそのうち5人は投票していない。
世の中に対する関心が極端に欠如しているのか。特定の候補者を擁立しているような組織に所属していないので投票先が決められないのか。それとも選挙という制度を理解していないのか。
いずれにしても初等教育の段階で、現代の普通選挙は権利であると散々刷り込まれてきたことだろうに、どうして投票しないのでしょう。
共感できる政策がないのだったら一番ましなところに投票すればいいじゃない。共感できない人が当選しないように違う人に投票して抗うのもいいじゃない。
今回の選挙は特に気になる候補者がいて、動向を見ていたのですが、結局知名度が勝る候補者に敗れてしまった。
結局のところ全体の利益というものを理解できない人が多い(利益は人それぞれでしょうけど)。投票しないのは論外として泡沫候補に面白半分で入れたり、知名度で選んでどうするの?そういう無思考状態の輩が跋扈する状況ってどうなんでしょう。
想像以上に何も考えずに生きている層がいるんだなと感じた。もう制限選挙にしてもいいよ。
職業、居住地、学歴などのセグメント情報と投票状況を紐づけたらおもしろい結果が出そうで気になる。結局政治にしろ、経済にしろ大部分はフリーライダーなんでしょうね。
勝てなくはない。投票に対する意識も、家族の誰かが投票に行くときに一緒について行く程度で問題ない。ただし、ここで仮想した若葉の党ように若者が集中して投票する受け皿が必要だろう。受け皿となる政党は、20代だけあるいは30代だけの票では勝てないので、これらの世代全体に共通して必要な政策に絞った提案で支持を広げることが重要だ。
結局それが難しいというのが二つ前の東京都知事選だった気が。
ワタミの社長は今じゃブラックの烙印押されて若者に嫌われているが、
2011年の東京都知事選では相手がお爺ちゃんだったので若者受けしていた気が。
■ 【都知事選】石原氏、組織票で引き離す 無党派層は東国原氏と僅差 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/110410/elc11041021360027-n1.htm
そして何よりその程度の勝率の見積もりで立候補して選挙活動する山本太郎みたいに熱い人物が6人いるのかって話だね。