2013-08-04

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130803/p1

※欄が書けないみたいなのでこちらに。

主題が健康問題だとするなら、依存対象をネットに限定したり、話を日中時間の使い方まで広げると、話が込み合うのでは。

SNSでこじれた遺棄事件やネット選挙への反動なんかが合わさって、以前からある健康問題に関する主張と利害が一致した結果だろう、と本音で思っちゃったりしてるが)

当方ガラケー派で、モバイルでのネット契約すらしてない。

スマホ利用者が外出先で柔軟に情報を扱えるのは純粋技術進歩として享受すべきだと思う。

少しの調べものPCの前まで行くのはかなり不便で、逆に一旦場所まで行くと、不要なことまであれこれ調べたりしがちだ。

これはタブレットを導入して少し緩和され、ネットに触れる総時間は減少した。

結局コンピュータネットは人にとって何なのか、に対する今の自分の答えは、「加速装置」だ。

人が本来持っている思考方法、趣向、技能などを、正にも負にも強烈に加速する。

いくら車が便利だからといって免許子供に取らせないのと似ていて、一定の基準は必要、という話は理解できる。

ただ、車には徒歩や自転車など代替交通手段はあるが、ネット的な通信手段は実質ネットしかない。

上手く自分の特性を認識できないまま使うのは危険だが、隔離してしまえば今度は「加速」した他者から隔絶されることになる。

結論として、例えば大人が「同乗」して指導するように、基準を示すことは重要だ。

だがそれはあくまで基準や方向性を示すことであり、禁止や規制であってはならないと思う。

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