はてなキーワード: 雪合戦とは
紅白歌合戦、誘致合戦、雪合戦……と「○○合戦」は今も普通に使われるけど、同じような意味を持つ「○○くらべ」を見ると、たけくらべ、かけくらべ、せいくらべのように、文学や童謡の中にしか見当たらない。
大人も為す「合戦」に対して「くらべ」はそのほとんどが子供の遊びだったのだろう。その相手は兄弟だったり近所の子供だったりした。けれど「くらべ」遊びは、一度やればその大小関係は代わり映えしないものだ。「くらべ」遊びはそれが楽しかったからというよりも、それくらいしか遊びがなかったのだ。
そこにやって来たのが雑誌文化であり、決定的になったのがテレビという文化なのだと思う。同じ番組を見ている日本中の子供たちとの「くらべ」遊びが始まったのだ。いわんやネット社会においてをや。
「○○くらべ」は廃れたが、誰かと比べて云々という文化は廃れることはないのだ。
ちげーよ馬鹿。
下手だからおもしろくないんじゃねーよ、オマエの友達が少ないからだろ?
FPS廃人で超絶理解不能なプレイするキチガイとかでもな、めっちゃ楽しんでる奴もいれば拷問みたいにプレイするのもいるからな? ww
こういうのはな、口で言っても説明不可能なんだよ。いいから早く誰でもいいから目についたプレイヤーにフレンドコードを送り付けろ。不安だったらその経過を増田に上げて(相手には伝えておけよ?)もブログに書いてもtweetしてもいい。とにかくコミュニケーションをリアルタイムで取りながら遊べ。
いやエスパーしちまって済まんがリア充ならスイッチ持ち寄ってローカルでワイワイやってみてくれ。そして、そこでもイライラして楽しくなくて終わった後もそんな気分が続くなら、やっぱりオマエは友達少ないんじゃねーの? と言わざるを得ない。
フレンドだ、フレンドを増やすんだ。
それはゲーム自体の純粋な楽しみじゃないと思うかもしれないが、そもそもスプラの対戦は相手がいなきゃできないだろ? 仲のいい友達と雪合戦するのと、見知らぬ大人のガチスポーツ雪合戦(実在)に子供が乱入するのって同じ状況だと思うか? 違うだろう?
雪を無邪気に綺麗といえる自由があるのなら、雪を心の底から憎んでいるといえる自由も欲しい。
北海道に生まれていたら、サラサラとしたパウダースノウで暖房が部屋に行き届いていて、全てが豪雪使用になっているのだから、
「そういんもんだ」って覚悟しながら生きてこれたと思うんですよ。
ここまで魂の底から憎まなかったと思う。
日本でも本州屈指の温暖な土地で生まれ育った軟弱な静岡県民に、東京の底冷えのする寒さはキツイ。きっつい。マジきっつい。
大体静岡県の中でも我が家がある地域は、5年にいっぺん雪が降ればいいほう。
ソリをすれば手がかじかんだりするし、お尻冷えるし、スケートすると足がかじかんで足痛くなる。寒すぎて。
小学校2年の時に、人生でありえないほどの大雪が静岡に降って、翌日授業を急遽変更して先生が雪合戦しよう!!と、
クラス全員がきゃっきゃやってる中で、自分は五分とテンションが持たなかった。寒すぎて。
もう残りの時間は死相を宿しながら、石を入れた雪玉をもくもくと孤独に作ってるよーな小学二年生だった。
じゃあジムでも行って運動して新陳代謝あげろとかいうヤツは全員ぶん殴りたい。
なんでクッソ嫌いな雪に対して、こっちが折れて努力せにゃならんのだ。
「雪ってなーんかワクワクするよなあ」とか、
「雪ってずっと見ていたくなるよね〜」とか
無邪気に言ってくるんですけど、
こっちもそれを大人だから波風たたせないでニコニコしながら頷いてんですけど、
東京の雪なんてボタボタしてて道路でぐしゃぐしゃしてて、全然キレイじゃねえし、すぐ交通乱れてイライラするし、
みぞれ混じりの雪など、もはや降ってくる凶器・狂気としか思えん。
販売の仕事やってた時には絶望的に客足が引いてものすごいマイナスだし(こんな日にきてくれる奇特なお客様は本物の神様にしか見えない)
とにかく百害あって一利なしだ。
http://anond.hatelabo.jp/20151108234357
1)ゴール系球技
敵味方に分かれて、方形や円形に仕切られた空間にボールを通すことを目的にする球技。
たまに線上をボール保持した選手が通過しただけで点になるヤツもあるが、あれも元は「通過することでボールを通す権利を得る」ことだった。
ボールを通すことを妨害するために強力なコンタクトが発生するのが特徴で(例外として、相互コンタクトを一切禁止するゴール系球技も存在する。競技名は「玉入れ」という)、その派手さとチーム戦術のダイナミックさゆえに最も人気のある球技。
相手方の対応可能な範囲に、ボールを空中に浮かせて送り込み、それを相互に返し続けることを目的にする球技。
勝敗を絡める場合は、対応可能なボールを送れなかった、対応可能な範囲のボールを処理できなかった、一定の高さを越えられなかった(この定義のためにネットが競技場に存在する場合が多いが、例外として「羽子板」というネットの無いラリー系球技もある)、という失策に対するペナルティを得点として換算するので「相手に打たせない」ことが目的に見えるが、本質的にはラリーが続くことを理想状態とするのが、ゴール系球技との大きな差異である。また、1対1でも試合形式を行うことが可能で趣味として簡便だが、見世物としてはゴール系より若干地味。
ボールに対する操作をルールとして定義し、それを達成することに対して相応のポイントを獲得することを目的にする球技。
時に達成の定義として円形に仕切られた空間にボールを入れることを伴うが、手球へのコンタクトは競技者間で完全に独立してかつ止まった状態からの操作に限定され、ボールを争うことはなく、むしろ精密性が問われる、かなり地味な競技である。その他、ボールを当てる数のみを競うパターン、ボールを特定エリアに置く数を競うパターンなど競技バリエーションは割と多い。対人ルールで行われる際は、精密さと同時に駆け引きが重要となり、チェスに擬せられることもある。
傾向として(ラリー系競技とは逆に)ボールを転がすものが多いが、例えば大玉転がしのように浮かせるプロセスが入ったりゴルフのように長距離の場合はボールを飛翔させることもある。
相手方に対して狙撃としてボールを射出し、殲滅したり敵の数を減らしたところで旗を奪ったりすることを目的にする球技。
遊戯としては戦闘行為としてプリミティブなきらいがあるため、メジャー競技であることは少ないが、単純明快遊戯として子供を中心に楽しまれる。
ドッジボールと雪合戦が代表的だが、ある意味ペイントボール辺りも有資格者ではあるか。
これらの球技はある意味、鬼ごっこという余りボールと関係のない遊戯にラリー系球技の要素を付加したものとは言えよう。
しかし、上にラリー系球技の特徴として「相互に返し続ける」ことを目的にしていると書いたが、これらの競技では投球に対する打撃という形で、非対称な形態を取るので「ラリー」にはならない辺りが、根本的に逆行している。にもかかわらず、ある種の「打ち返せなかったペナルティ」としてのアウトや、「打球を処理できなかったペナルティ」としてのヒットにより試合が進むという点では、ラリー系球技の得点パターンを踏襲している面もあるのだ。
また、例えば校庭で女子中学生が輪を作ってバレーボールのトス上げたり、蹴鞠で貴族がボールを蹴り合ったりするようなものと近い感じで、野球ではキャッチボールなどが「ラリー的なもの」として基礎練習において尊重されるのは、こうしたラリー系の精神を引き継いだものではあるのだろう。
その意味では、広義のラリー系球技に野球は含まれるべきなのだが、一方で完全に「ラリー系球技の鬼子」と言うべき立場であるのが、特異性であるとは言える。
ただ、その特異性ゆえに、多くの球技において禁じ手となっているところの「手でボールを操作する」行為に対して非常に自由度が高いのも特徴であろう。この手のまだるっこしさを排除したスポーツとしてはアメリカンフットボールも相当に自由度が高いが、あれはあれで前パスは各ダウン1回しか出来ないし未登録レシーバーがダウンフィールドでボールを獲れないとか制約はあり、野球の自由度よりは低い。
その「投げる」自由さの代償として、その自由さを定義する中での競技者の関係の特殊性やルールの複雑さが存在する訳だが、ともかくも手という最も人間が頼りにする部位でボールを掴んでプレーしたりそれを相手に走り回ったりすることが、野球の「球技」としてのエッセンスではあろうな、とも。
真面目だけがとりえだった
3歳の時、小児がんにかかった。
よくわからないまま個室に入れられた
手術をしたらしい、それは覚えていない
経過を見るために骨髄注射は何度もした。背中に打つ、とても痛い。まだ覚えている。
打った後は気分も悪くなる。
抗癌剤も打っていた、髪の毛は抜けるし気分は悪くなるしで最悪だった。
目の前に並んでる点を見つめてた記憶がある あの機械はなんだったんだろうか、今思うと不思議な機械だった
家にいる時は卵かけごはんが好きだったが、身体が弱いので生卵は禁止だった
卵かけごはんが食べられないのがとても悲しかったのは覚えている。
最初は個室に入っていた、たぶん菌が少なくなるようにした部屋だったはずだ
でも、ある日突然いなくなった
後から聞いた話だけど、亡くなったらしい 癌なんてそんなもんだ
完治するかどうかなんてわからない。。
再発の危険があるので、数ヶ月に一回検査入院をしなければならなかった
その際抗癌剤の点滴をつけっぱなしにする。数ヶ月に一回病院に行くのが嫌だった
激しい運動は禁止されていた、風邪など引いた場合の抵抗力が弱っていたから
たぶん、クスリの治療をしていたから、白血球の数が少なかったんだと思う
小学校に上がっても通院はしていたが、回数は半年に一回、一年に一回と減っていった
三年生になってやっと病院から開放された、もう何をしてもよいと
泳げるようになったのも三年生になってから
ずっと運動してこなかったからなのか、病気になったからかわからないが
体格も、ちょっと小柄だ
なんのせいかはわからない、病気にならなくても元々そうだったかもしれない
みんなとあまり変わらない
なんか色々と病んでて死にたくなる人もいるみたいだけど
生きてなにか取り組んでみたらいいんじゃないかな、なんとなくふとそう思った
ルイーダの店って知ってるでしょ?
あれをウェブでやってほしいのだよね。
ステップ1
まず、自分の特技を登録しておく。
ギターができるでもいいし、コードが書ける、絵が描ける、フランス語の通訳ができる、人を笑わせられる、フォロワーが多い、カメラを回せる、美人すぎるとか、なんでもいい。
ステップ2
何かやりたい人が募集をかける。
たとえば、バンドがやりたい、ウェブサービスを作りたい、自主制作映画を撮りたい、お祭りがやりたい、雪合戦がやりたい、なんでもいい。
ヴォーカル、女優、監督、カメラ、広報、経理担当、エキストラ、チラシのデザイナー、なんでも集められる。
ステップ3
資金をあつめる。
活動資金の調達というか、マッチング。
レコード会社、映画会社、ゲーム会社、ウェブ制作会社をスポンサーにするとか、
ステップ4
成果を発表する場を提供する。
SNSって疲れたのよ。
上司が出てきて最悪な気分、とか。
もう、人が多すぎて不毛なの。
ブログで人を探すのも難しい。
ブログではギターができてくるりが好きで群馬に住んでる人を探したいと思っても見つけるの大変でしょ。
昔(といっても10数年前)は、インターネットやってる人って、何かやりたいってやつばかりで、自然と仲間が集まったんだけど。
今は、そういう気持ちのない人があまりに多いから、やりたいって人を探すのが大変になった。
で、何かやりたい人限定のSNSをつくればいいんじゃないかね、って思った。
そう、たとえて言うなら、ルイーダの店。
心のなかではきっと彼女欲しいとかセックスしたいとかでも現実の女はクソまじビッチ死ねとか、まあある種こういった人種特有(といっていいのか分かりませんが)の鬱屈とした感情を抱えつつもいろいろ否定して生きてきた。
だからなのか、恋というものが解らなかった。本質として。
いやまあ話の中ではよく見るし切ないって感情も解ってたつもりだったけどね。体験してみると違うもんだ。
キモいけど自分かわいくてしょうがない傷つきたくないATフィールドばりの鉄壁を張り巡らしていた自分だったけど、それをぶちこわす奴がいた。
バイト先の後輩だった。
毎日メールするようになって、一日100通を超えたあたりかなあ。
毎日バイトの送り迎えするようになってからかなあ。
ふたりで雪合戦したときかなあ。
呑み行ったときかなあ。
俺がバイトやめるとき、泣いてくれたときかなあ。
俺にはちょっと分かんないけど、気づいたら好きになってたなあ。
最初はそうでもなかったけど、ほんと可愛く見えてしょうがないよね。話するのとか楽しくてしょうがないし。
いつでも会いたくなるってのもわかる。メールの返信が返ってこないと不安でしょうがない。
夜寝る前に必ず彼女のことを考えてたなあ。夢に出てこられると会うとき恥ずかしいよね。
でも、彼氏いたんだよね。まあ最初からなんだけど。知ってたけど。
彼氏いるっていう前提での友人だったけど、でもおかしいよね。
なんで彼氏いんのに毎日メール送ってくんのかな。おはようからおやすみまで。
なんで送ってけっていつも言うの。好きだといか気楽に言わないでよ。
だいたい夜中に電話って卑怯じゃない?寂しいとか、ただ声が聞きたかったとか。
そんなん、俺のこと好きなんじゃないの。気にかけてくれてるんじゃないの。
だからまあ、望みはあんのかなーって思ってた。
ばかだよね。そんなんあるはずないのに。
・・・友達はやっぱり友達だったみたい。
境界線ってどこにあんのかな。俺分かんないよ。
女友達にこの話したら、「ただ遊ばれてるだけだったんじゃない?キープ的な?」ことを言われた。
まあほんとそのとおりかもね。いや何もしてないけど。
でもその子、間違いなく自覚ないんだよなあ。まあ自覚ないからこそ厄介、って話なんだけど。
あーつらいなあ。しにたいなあ。
まあ前に比べると随分気持ちも落ち着いて楽になったんだけどね。
でもこれだけは言いたいんだけど、「恋」という感情を知れたことにはすごい感謝してる。
少し、人間に近づいた気がした。