はてなキーワード: 給料泥棒とは
自分は今現在無職だからこんな時間にはてな匿名ダイアリーを見ていられる。
好きな時に起きて好きな時に眠り、好きな時に食べて好きな時に出せる。
とても不規則で不健康な生活だとは思うけど、ストレスは殆ど無いと感じている。
数年に一度のペースでこれでは駄目だ、と派遣会社やアルバイトに応募して少し働いてみるけど結局数日で辞めてしまう。
1日7時間程度の労働でこれなのだから、週5で8時間労働に加えて残業や通勤時間も込みで半日以上働いている社会人の体力はとんでもないと思う。
自分には到底同じ事は出来ない。もし何かの間違いで働くようになれたとしても、結局へまばかりで周りに迷惑をかけ給料泥棒と馬鹿にされるだろう。
自分が嫌な思いをしてまで薄給のために働きたい、と思えない。自分に出来る仕事といえば時給900円ほどの簡単な仕事だけで、それも正直難しい。
どうしても働かなければいけない事情や、働きたくて仕方がないというやる気が出てくるまできっと真剣に働こうとは思えないだろう。
ならもう働かなくて良いと割り切った。毎日好きなだけネットを泳ぎテレビを見てゲームを遊ぶ。それでも本当に時間が足りなくて困っている。
学生時代に積んだまま10年以上経っても一度も読んでない本が沢山ある。家の中はゴチャゴチャしているので整理整頓しなくてはいけない。
買ったまま一度も起動していないゲームはいつか最後まで遊びたい。もう本棚に入らない読み終えた本が床に平積みされた書庫に足の踏み場を取り戻したい。
働いていなくても自分にはどうしてもやりたい事が沢山ある。働くのはそれを終えてからでも良いだろう、と最近考えている。欲を言えば不労所得で生きていきたいな。
声を荒げて部下を罵倒したりするパワハラ上司は居なくなり、代わって「テクニカルハラスメント」「ロジカルハラスメント」が主流になりました
上司「増田 お前だけだぞ今月一件も成約してないの わかってんの?」
ぼく「申し訳ございません」
上司「この給料泥棒が てめえのせいで俺の評価まで下がるだろうが」
ぼく「申し訳ございません」
上司「謝ってれば済むと思ってんの? 謝られてもうちにとっては1円の利益にもなんないんだよ 向いてないから早く辞めなよ」
ぼく「申し訳ございません」
ぼく「申し訳ございません まだ手をつけてないです」
ぼく「決してそういうわけではございません 他の仕事があったりしてつい」
上司「私の指示より優先すべきものがたくさんあったってこと? どういう仕事やってたのか具体的に教えて」
ぼく「…申し訳ございません つい後回しにしてしまいました 次からは気を付けます」
上司「優先順位のつけ方がつ間違ってたってことだよね だとしたら同じことがまた起きるかもしれない 君の業務におけるプライオリティの考え方を教えて」
ぼく「…」
机の前に立たせての説教だとパワハラに該当するから上記のようなやり取りをメールで延々としてくる
こんな感じで前よりもメンタルやられる人が増えてるんだけどこれ我が社だけなのかな…
やる気がでない。
もう,半年ほどやる気がでない。
やる気がでないことはときどきある。
だが,こんなに長いのは初めてだ。
メンタルをやられる人が多い仕事であり,自分も社会人1年目が終わるころから病院に通った。
休職したこともあったが,復職したり転職したりで今は働いてる。
これまでは,半年に一度ほどやる気がない波が来ていたが,昨年は年1くらいだった。まだ,自分で持ち直せた。
また,この案件は進められるけど,あの案件は,どうにもやる気がでない,ということもあった。
また,タスクの難易度とやる気は全然比例していない。簡単なのに,全くやる気にならないタスクが山のようにある。
3月くらいまでは,パフォーマンスの低下を自覚しながらも,何とか回していた。
ただ,いつもより期間が長かったので,理由や対処法が分からなかった。
みたいな期待があって,それもあってやる気がでないのかな,と思っていた。
4月に入って緊急事態宣言がでて,仕事(案件)の半分が,棚上げになった。
タスクは減ったが,完全に休みになることはなかった。テレワークは可能になった。
仕事が減ったことはうれしかったが,それによって持ち直すことはなく,ダラダラ月日を重ねた。
最近は,タスクがたまりまくっている,遅くなっている状況に慣れてしまい,当初のような焦燥感がなくなっていた。
仕事が戻ってくる。
いよいよやばいなと思っている。
しかし,未完了,期限遅れのタスクが増えると,タスクリストを見たくなくなり,見なくなる。
初日はよかったが,次の日から,スタートボタンを押さなくなった。
冷静になると現実を直視して死にたくなるが,ツイッターやらソシャゲやらをして
朝,風呂に入っているときや,通勤中は,現実に帰りがちになるので,非常に死にたくなる。
日中は,電話対応したり,パソコンの前で作業をしているふりをしながら,ヤフーニュースやらはてブをみながら時間を潰し,
時間になったら帰る。
どうしても〆切が明確な仕事はやるが,本当にやりたくないので,遅くまで同じようにダラダラして,終電間際に何とか形にして,メールで出す。
ここでいう「死ぬほど」は,まぁ,比喩なので,別に今自殺願望に駆られているわけではないのだが,
「死んだ後の状態」には滅茶苦茶なりたい。
何もしたくない,何も考えたくない。この仕事をしないで済むなら,死んでもいい。みたいな。
まぁ,毎日,何とかいくつかはタスクを消化しているので,その死ぬほどやりたくない仕事も,やってはいる。
やってみると,そんなに大変ではなく,そこそこ簡単に終わるのである。
だが,その,「思ったり大変じゃなかった!」という体験が,成功体験にならない(以前は,多少なっていた。)。
死ぬほどやりたくない仕事を死なずにやって,死ななくて済んだけど,やはり次の仕事も死ぬほどやりたくないのである。
成長が止まっている。
病院には通って,薬の量は減っていたところをまた戻したけど,あまり効果はない。
先生は,お薬の種類と量を決める人と考えているので,そこまで突っ込んだ話はしない。
この間久しぶりにカウンセリングがあったが,でた案(タスクリスト,ポモドーロ)の結果は,上記のとおりである。
カウンセリングの翌日は多少やる気が出たが,翌々日からまたこのとおりである。
もはやどういたらいいのか分からない。
しかし,刻一刻と時は過ぎ,もはや社外も迷惑が掛かる。掛かっている。
福祉っていう側面も確かにあるが、フォードが従業員の工場労働者に高級を与えることで、車を通勤に使える市民を"生産"したように、一方的な慈悲とか救済とかお情けみたいな話ではない。相互依存的だ。
結局のところ、エリートであろうとすればするほど"給料泥棒"の世話をみることで稼ぐしかないのであって、給料泥棒の存在に感謝すらしないといけないのかもしれない。
であれば、ほぼ給料泥棒の力によって社会と会社は回っているということになるな。
その手のエリート主義は十分な数のエリートを雇用できている間は回るが、そんなのずっとは無理なので、規模が大きくなれば最終的に破滅に至る
私は高校を中退した人間だ。その理由というのが、勉強ができなかったからだ。
進学校に進んだものの、レベルがものすごく高くてついていけなくなった。そして鬱になった。
ここまでならよくある話だと思う。
ただ、私の場合はなんだかおかしかった。勉強に集中しようしても、全く記憶力が続かず何も頭に入らないのだ。
一時的なものでいつか治るはずだと思っていたが、高校を辞めてもぜんぜんよくならない。
高校一年の時点の単位はあり、それが使えたので、どうにか高卒認定を取った(進学校に通っていた身からすると、高卒認定のレベルは信じられないくらい低かった)。
将来に対して不安だったし、高校中退というのは学歴として心細すぎる。
ダメ元で私立の三流大学を受けた。国語だけは自信があったが、それ以外は高校受験レベルなので落ちるだろうと思っていたら、なんと受かって驚いてしまった。
もともと文学が好きで、文学について学びたかったので、大学に行けること自体はすごくうれしかった。
どうにか出席するも、ほとんど頭に入らず、その場に座っているだけでもつらい。
苦手な授業を受けたあとは、ふらふらになって保健室に寝に行った。それだけでも相当な気力を要した。
特に外国語がぜんぜんダメで、あまりに頭に入らないので教授に相談に行ったところ、感情が堰を切ってあふれだし、泣き出してしまった。
結果的に泣きつく形になったが、やはりだめなものはだめ。授業には真面目に出たが、この科目は落とした。
授業であまりにも体力を使ってしまうため、バイトなんてできなかった。
両親に対して、私立の、しかも三流の大学に行くことが申し訳なかったし、病院の精神科を受診するためにお金をもらうのも申し訳なかった。
そんなわけで、いつもお金がなかった。
大学生としてありえないくらいダサかった。女子大だったので、なおさら容姿がコンプレックスだった。
ゼミの発表会で一人目の発表を聞いて、あまりに内容がなっていないので、この人大丈夫かな……と思っていたら、次の人もその次の人も、そして最後までみんなそんな調子だったので戸惑った。みんな卒論が苦痛でしょうがないようなのも驚きだった。私は就職活動をほとんどせずに、卒論にばかり時間をかけていた。
大学を卒業したらどうすればいいのか、まったくわからなかった。バイトでさえクタクタになって続かないので、気力体力が持たないのがわかりきっていたからだ。
しかし、親戚の紹介で9時-16時まででいいという職が見つかった。もちろん恐ろしく薄給(手取り月10万くらい)だったが、やってみることにした。
すぐに、この仕事は無理だということがわかった。仕事がまるで覚えられないのである。私はこれまでの経験から、当然のように「仕事はサボるしかないな」と考えた。
これまでも、真面目に授業を受けようとしても苦痛でしょうがなくなくなってしまう時は、寝てしまうようにしていた。とにかくその場にいれば出席数だけは取れるが、退出してはそれさえ取れないからだ。
そんなわけで、いつまで経っても仕事は覚えないままだった。けれど、それが私には当たり前だったのだ。学校ではつらくてその場にいられなくなった時は保健室に行って寝ればよかったが、社会人でそれは許されないことはさすがにわかったので、自分ではそうしないように努めたつもりだった。
完全に給料泥棒だったのだが、当時の私はそんなことはぜんぜん思い当たらなかった。
ひとつには、どうしても家を出たいという目的があったのもある。
両親は私の状態に理解がなかったので、本当につらかった。どうしても家を出たかったのだ。
それには何よりお金が必要だった。会社でどれだけ無能とののしられても、お金をもらうためと思って耐えるしかなかった。
でも、それで完全にさぼり癖がついてしまった。大学ではまだ自分が勉強をしたいという意欲があったけれど、会社では私は何もできなかった。
しかし当然それでは仕事は続かず、半年勤めてその仕事はやめてしまった。その後も職を転々とするが、どこも続かない。最短では一週間で馘首になってしまった。ドラマみたいに、「来週からはもう来なくていいです」と言われたのだ。
それでもどうにかお金を貯めて、一人暮らしを始めることができた。自由は素晴らしかった。しかし、仕事は相変わらず続かない。一人の生活を続けるために、給料泥棒をし続ける日々が続いた。
転機が訪れたのは28歳の時である。友達ができたのだ。読書が縁で知り合った人と、休日に会ってランチしながら話すようになった。
それと前後して、職場で部署が異動になった。あまりにも仕事ができないので、どうしようもなく他の部署に回されたのである。
回された先の部署はたった二人、つまり私と上司しかいなかった。私はこれまでのように仕事から逃げるわけにはいかず、それと向き合うこととなる。
異動してすぐに、仕事があまりに覚えられないつらさから不眠症になってしまった。昼もひたすら眠くてしょうがなく、意識を保っているだけで精一杯である。
特につらかったのは生理の時で、たえず吐き気がするので席に座っていられない。貧血で出社するのもやっとで、正直、よくあの時期会社を辞めなかったなと思う。おそらく、そのころに友人ができていなかったら辞めていただろう。
しかし、上司はそんな私に根気強く指導してくれた。私の体調不良もほうっておいて、やれそうな仕事を振ってくれた。
その上司のおかげで、どうにか仕事は続いた。しかし、仕事ができるようになったかというとまったくそうではない。
今でも私は、自分の仕事をすべて上司に管理してもらっている。彼が急に仕事を休んだら、私は仕事ができないレベルだ。すべての仕事を上司に依存しているのである。
そんな状態は嫌だと思うのだが、しょうがないと思いながら働いている。
いちおう自分のやれることがわかってきたので、やれることは自分からやるように気を付けるようになった。わからないことは何度でも聞き、ノートにまとめた。
とにかく、自分が本当に本当に仕事ができないと認められるまでが長かった。周りに自分ほど何もわかっていない人間がいないので、わからなくてもいつかは周りの人のようにわかるようになるだろうと思ってしまうのだ。
私は今の職種が大嫌いだ。平日、朝目覚めるたびに「こんなことは間違っている」と思う。出社するたびに「どうせなら気を失いたい」と思う。
上司にはものすごく感謝している。しかし、人間的にはあまり好きになれない。
お金の心配がなくなったことは、本当にすばらしい。けれど、今も月15万以下の薄給なので、十分とは言えないのが本音だ。
仕事をサボるしかない、という罪悪感からは逃れられたが、まだまだ私の生活には理想の自立からは遠い。