はてなキーワード: 尊厳死とは
なにかあれば自己責任
成功しますよ。招致した段階で成功まで確定です。テロが起きれば話は別ですが。
もともと上げるとしていたものを先延ばしにしてあげているだけですね。政府の皆さんには、夏休みの宿題を先延ばしにしてもいいことなんて何一つないと進言したい。
あなたが貰えることはないと思いますよ。あと30年ぐらいはあるかも知れませんが、国民に少子化を解決する意志が見られないので、細々と運用するぐらいならスッパリと辞めてしまえばいいでしょう。
尊厳死は議論に値しますが。いつでも誰でも楽に死ねるという権利はないでしょうね。
更に子供がいたら昨今の学校での問題(教育方法の是非、組体操、エアコン、警察の不介入、PTA等々)もあるし、明らかに不幸でしょ。
とりあえずはてな的には子持ちの家庭は千葉市にだけは住まないということでコンセンサスが得られたようですよ。
子供の命に予算を割けられない弱小自治体は市場原理に従って粛々と淘汰されるといいですね。
老後まで生きるメリットってある?
そりゃ、結婚して家庭をもって子供がいる場合は、子供の成長を見届けたいってのはわかるよ。
でも自分のようなキモくて金のないおっさんって老後まで生きるメリットってほんとになるのかなって思った。
「もう死にたいな」って思う時がめちゃくちゃある。
でも、実際には死なない。なぜなら両親と兄弟が存命だから。自殺をしたら多分自分が済んでるワンルームは事故物件になり血縁の人に迷惑が掛かる。だったら自殺なんかできない。
なのでいま生きている意味はほとんど血縁に迷惑をかけたくないという一心。
将来に向けて貯蓄をって言うじゃん。
でも、将来ってなに?結婚に向けて?結婚できるかもわかんないのに?
老後に向けて?老後にもらえる年金なんて少ないのに、今、心と身体を削って働いた金を、明るいかどうかもわからない老後のために貯めるぐらいならせめて今の自分に使って楽したいよ。
もし、安楽死や尊厳死っていう制度があるなら多分俺は利用している。いや、わからないが。死ぬ恐怖を「親がいるから、兄がいるから」でごまかしているだけに過ぎないのかもしれない。
6,000 万人。
日本円を使う人がいるから、日本円の価値が信用されているからです。
通貨を使用するものが減少した結果、国債を発行する能力を失い、
生産人口が極端に減り、高齢者を支え切ることができなくなったと判断された時、
そう遠くない将来、30 ~ 40 代は尊厳死が現実の選択肢となると見ています。
ただ、移民を入れれば解決するのかと言えば解決しないと思います。
我々には誰かを助ける余裕はありません。
社会保障が切られることは避けられなくても
衰退の速度を緩めるには
国債を発行できなくなる状況を迎える前に
それはお金の面でも、仕事のポジションの面でも(経験的な意味で)。
立てなければならないのは、年長者ではありません。
後進を立てなければならないのです。
自分が正しいと信じていることを実現するために、
「私」を敬えという
でも、それはお前に対してじゃないというわけです。
そういう増田は何歳なのか、ちょっと興味あるな。老人と多く接するような生活をされているのだと想像する。
確かに私は80歳ではないし寝たきりでもないが、寝たきりの80代老人を家族に抱えているし、やはり機会があって色々な老人と接しもした。
前頭葉が委縮して若い時より理性が低下したら、もうその人の考えることには意味がないのか?
実際の老いも将来の自分の状態も体験しないままに考えた20代の時の意見の方が、現実に80歳となった当事者の考えより大切なのか?
死にたくないというのが刷り込みならば、さっさと死ぬのが美しいというのもまた刷り込みなのでは?
私も一時期は増田のように考えたが、その後、それは(自分の)理性に重きを置きすぎた傲慢な考え方だと思うようになった。
増田本人が、あるいは私が、そのように考えて尊厳死を選ぶことには何の問題もないだろう。
自分が正しいと思うことを他人に説くのも許容範囲だと考える(だから元増田の記事自体は悪いと思っていない)。
だが、自分と違う考えは誤りだとまで言い出したらそれは傲慢だと思うし、社会全体が自分と同じ考えになるべきまで行ったら危険な領域だと思う。
増田の問題意識は分かるつもりだ。もう少し尊厳死を選ぶことに対してハードルが低く、気楽であればいいとは思う。
死を必要以上に避けたり恐れたりせずにすむような、宗教などのバックボーンがもっと充実してほしいとも思う。
安楽死は今のところできないが、尊厳死は選ぼうと思えば選ぶことはできるはず。
尊厳死を選ぼぶための背景が未成熟だし場合によっては希望しても叶えられないという意味なら、それは間違っていないと思うので、異論ない。
尊厳死を希望する人には、他者の意志による妨害など無く、ちゃんと尊厳死が与えられるべきだと思う。
ただ、「しんどい」と口にしたり薬を飲んでいたりしたら、それはもう生きる価値のない人生だというのは短絡的であるようにも思う。
80歳を越えていようが、体にガタが来ていようが、本人がよくよく考えた上でまだ死にたくないという結論に達する余地は十分あるだろう。
増田に便乗するけど
俺の今まで出会った80歳以上は現役率0%でみんな持病抱えるから毎日薬うちこんで走るポンコツか
自分で歩けないし自分のことさえ忘れた寝たきり痴呆症ばっかだぞ
彼らの見せる笑顔は、乾いた笑いと諦めに満ちている
だが彼らは老人の中でも「選ばれた人」だ
今エリートでない君が、老人になってエリートになれる確証はどこにある?
孤独死は君にとって無関係ではなく、君の未来の予測範囲内にある
何が悲しいって、彼らは「長生き=幸せ、正しい」と洗脳されきっているので、
死の準備もできないし、綺麗に逝くことも、自分から選択できない
今、若い君たちは全く実感がないと思うが長生きすれば老いという問題と100%向き合う必要がでてくる
それよりもジャンボ宝くじを当てることに集中してくれ
死を受け入れられない、受け入れる準備ができない洗脳は本人も不幸だし、周りも不幸になる
尊厳死が未だに認められない
現時点で超少子高齢化社会になるのが確定している日本だが未だに尊厳死が取り入れられる気配がない
癌になっても不治の病になっても寝たきりになっても認知症になっても
本人自ら死を選択できない、したいと思わせない世の中になっている
また、それを支持することも許されない社会になっている
これは全て医療関係者が作り出した社会であり日本の超高齢化社会は日本医療が作り出した社会といっても過言ではない
もはや組織的な点から日本医療と日本政府の健全化を求めていくのは難しい
ごく当たり前の希望だ
正しい希望でもある
これを捻じ曲げてきたのが長生きこそが唯一の正解であるという洗脳教育だ
それは死を受け入れさせないようにするためにある
これから我々がしなければいけないのは信仰に頼らずいかにして死の準備をするか