はてなキーワード: 問答無用とは
ちさたき可愛かったしアクション作画も最後まで崩れないし真島も嫌いじゃないし完成度はものすごく高いアニメだったけど
それはそれとして結局最後まで喉越しの悪さが解決できなくてその理由を考えてた
「女子高生の制服は都会の迷彩服」という根幹のコンセプトが個人的に最後までノイズのままだった
過去のガルパンやスト魔女や最近だとアキバ冥土戦争みたいなのは制服の女の子が戦争めいたことしててもそういう世界観だとちゃんとリアリティラインぶっ下げて見れたから、余計にリコリコだけ没入できなかった原因が自分でも謎
傾いてる電波塔の存在からしてこれは問答無用でフィクションですよ~と親切に描写してくれてるのは分かるんだが
千束があっさり失態犯すことが結構多くて最強リコリスという設定に違和感あった
たきなは分かりやすく不器用で上には行けない説得力あるから違和感はなかった
昼行灯っぽいが実は戦闘能力最強な先輩と無愛想という訳じゃないが仕事以外にあまり興味のない後輩という関係性からしてなんとなく平成っぽい
出てくるだいたいのリコリスがいい性格してるんだが吐く嫌味が結構ハードでメンタルに来た
カフェのお客さんのお悩みを解決する話とかでもないのに謎に客の人数と出番が多い
このモブ群に時間割く分もう少し敵対勢力の解像度上げてほしかった。真島と姫蒲忙しすぎやろ
高校生に高校生殺させようとさせる大人たちやっぱあたまおかしいよ
漫画力の高さで読めてしまうんだけど冷静になるほど不気味さが上書きできなくて脳がバグ起こすバクマンの読後感に一番近いアニメだった
まずヤンキーというと「盗んだバイク」とか「喧嘩最強」とかまず出てくるイメージだけど、そうではなくてヤンキーの真骨頂は「誰とでも仲良くなる」なんよ。
なんでかって、まずヤンキーのなりたい理想の人物像って「好き勝手わがまま言っても許される」っていう自由ができる人のことなんだよ。
例えば「学校でタバコを吸う俺だけど許されちゃう」みたいな。俺の居た高校にもヤンキーが居たけど、そいつら校内でタバコを吸うんだよね。
バレたら怒られるし面倒なことになるから止めときゃいいのに、と思うんだけど、そこはそうではなくて「学校でタバコ吸っても許されちゃってる俺」をやりたいんだよ。
先生に見つかって問答無用で殴られたりするんだけど、なんか上手いこと先生を丸め込んでしまう奴が居て「ほどほどにしとけよ」とか「今回は見なかったことにするからな」とか見逃されたりすることがある。
それで、好き勝手するのに一番良い世間向けの態度が「誰とでも仲良くなる」「みんなと仲良くする」になる。
結果、親しみやすく物腰柔らかで面白い人 っていうヤンキースタイルになる。
もちろん暴力でオラオラって行くやつも居るんだけどうまくいかない。
先輩ヤンキーとかあるいはもっとヤバいやつに「あいつイキってんな」って潰されたりする。
暴走族なんかも「走り回ってるけど許されてる俺」を実感して楽しんでいる。警察も四六時中取り締まれないから放置されてることが多いから「許されてる」感じがあるんだよね。
「暴力的ではうまくいかない」っていうのはヤクザとか反社会勢力でも同じで、ヤクザって日常で会うと、強面だけどひょうきんで良い人が多い。
そういう人はシノギが絡むと豹変するから「怖い人」になるための演出だったりする。
これは、問答無用で嫌われます。だから、直したいのです! だけど、直せません。
以下、私の事例を示します。
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とあるゲームに私はのめり込んでいました。それは、「ランクを上げるモード」と「エンジョイモード」みたいな感じで分かれていました。
そして、私はいわば、「ランク至上主義」の立場をとっていました。エンジョイ勢を馬鹿にしていたのです。
ここから先は、正直私は覚えていないのですが、どうやら私は、「お前もとっととランクを上げろ」「ランク上げてないやつは無能」的なことを言ったみたいです。
友達は私とは遊ばなくなりました。
私は無意識の間に、友達に「ランクを上げる」ことを強制していたようです。
ほかにも、「誰かを推すなら、その人の情報は追うべき」とか、「この漫画は、こう解釈するのが正しい」とか、そういった『自分の価値観』を振りかざしていたのです。
私は、友達を傷つけました。しかも、地雷を踏んだとかそういうものではなく、私が友達を刺したということ。
そして、私は友達を刺したことを一ミリも覚えていませんでした。
私はそれから同じ間違いを繰り返しています。相手の反応が芳しくないとき、やっちゃったかもと毎回思います。だけど、今となってはもう何も思い出せません。
私が「価値観を押し付けやすい」と感じるシチュエーションを分析してみました。その結果、「価値観を押し付けやすい」のは、
だと気づきました。
順番に見ていきます。
そして、「キラー」である私は、相手を弱者とみなします。相手が私に降伏してきた、と考えます。
私は、相手のやり方をぶった斬って、自分のやり方の1から10までを押し付けます。
相手は、「私が相手よりもそれに関する知識がある」と分かっているので、それに従ってくれます。そして、私のやり方でもう一回やった後、私に見せにきます。
私は、それがちゃんと「1から10まで自分のやり方で行われているか」を見ます。そして、違ったら指摘します。
この問題点は、「私が相手よりもそれに関する知識がある」という前提が間違っていることにあると思います。
確かに、相手より知識があるとしても、自分と相手の間にはそこまで能力差はないものです。私が優位に立てるほどではない。
相手は私の所有物ではありません。
相手が興味を持ち始めたものが、私の得意分野と合致していた場合、私は相手に「自分のやり方」を押し付けます。さっき挙げたゲームみたいに。
そして私は、「やり方」を押し付けた後に、相手がそのやり方でやっているかを見張ります。見張って、相手が違うやり方でやっていることに気づいたら、指摘して直させます。
この問題点もまた、前提が違うということ。私は相手の優位に立つべきではない。
以上が私の、「価値観を押し付けてしまう」ことの分析です。たぶん、分析が甘いです。もっと問題点もあると思います。
どうすればいいですか。