はてなキーワード: リア友とは
まずボチャはすまん。ミス。
オラオラなところがあるけどでもそこがかっこいいよね!
おとなしいオタクとはぜんぜん違うもんね!
普段は接する層が違うんだもんね!かっこいいなあ。憧れちゃうな!和むとか今っぽーーい!
ほんと真似したくなるよね!
この子はいわゆるセフレだし、・・・すごいね!セフレいるんだ!初めて会ったなー!セフレなんて特別な層にしかいないよね!
普通レベルの子と和んで階段でキスして、「よし、つまんねーから帰るぞ」と意気揚々と誘うと・・・とか、やばいよねー!和んでキスするなんてすごすぎる!!!できないなー!つまんねーだよね!つまんないじゃないよね!さすが悪い!
盛り上がってるところに割り込むと・・・・とかやっぱり悪いよねーー!かっこいい人って悪いとこあるもんね!
ちなみにリア友は明らか水商売のちょいボチャからブロックされてガン切れw・・・・とか、ポチャじゃないよ!ボチャだからね!すごい!!
リア友とか分けてるんだー!ネッ友とかもいるのかな?でも俺と君とはズッ友になれたらいいな!
六本木とか渋谷の路上でテキトーに声かけたほうが有意義だった。・・・・とか、いつもは六本木とか渋谷で声かけてるんだ!若者ーー!!六本木とか屈強な黒人の人ばっかりかと思ったー!すごいねー!
mixiってまだ息してたんだ。
以前原宿でナンパした女の子に誘われてリア友と二人で行ってみた。
この子はいわゆるセフレだし、集客やってるなら協力してあげようって言うくらいの気持ちで。
結果、気持ち悪かった。
狭いバーみたいな箱に50人くらいの男女。男7女3くらい。
「セクハラは退場です!」
とか本気で釘刺してて興ざめ。
とりあえず覚悟してたけど、女の子が可愛くない。男もなんかキモい。なよなよしてる。
盛り上がってるところに割り込むと黙ってそこに居続ける男。
なんなんだよ。
一緒に話すかかどっかいけよ。
「よし、つまんねーから帰るぞ」と意気揚々と誘うと
「ごめーん、あたしスタッフだから朝までいなきゃなんだよねー」ばっか。
いい感じに手を繋ぎ、
「そういやいくつなん?」「16」
ふざけんな!あぶねー笑
総括すると
それで会費4000円
二度と行かないw
ちなみにリア友は明らか水商売のちょいボチャからブロックされてガン切れw
六本木とか渋谷の路上でテキトーに声かけたほうが有意義だった。
あれは、別の世界なんだなあとしみじみ。
以前、下記を書いたものです。
女が男より劣っている理由
http://anond.hatelabo.jp/20131128213405
最近話題のツイキャスを一週間やってみて馬鹿な女が多かったので、ちょっとまとめてみました。
友達がいたんだけど、リア充自慢がうざいので付き合いをやめた。
学生の頃からの遊んでいた友人で、社会人になってからはちょくちょく一緒に合って話す程度の仲だったんだが
それまで仕事以外では家にこもりがちだった俺に、別の友人が出来て、非リアからちょろっとリア充にジョブチェンジしたのがきっかけで豹変しやがった。
もともとリア充な友人で社会人になってからも充実した生活送ってたみたいだが
それまで非リアだと思っていた俺が新しい友人が出来て遊びにいった話をしたら、下克上されたと思ったらしく
やれ引きこもりのくせにだの、コミュ症が無理するなだのとバカにしてくるようになった。
最終的にそいつの彼女の前で、引きこもりが来たみたいな笑いものにされたのでこっちから付き合いをやめてやった。
見ろ見ろうるさかったフェイスブックを見てみたら、俺はこんなにリア充なんですってアピールばっかり。
結局そいつの中での俺の存在はリア充ステータスとして必要な非リア友達の一人で、非リアっぷりを見下ろして安心するための精神安定剤だったわけだ。
一生リア充友達と「誰が一番リア充か競争」でも続けといてくれ。
俺は選手として登録されたくないし、そんな競争に参加したくもないわ。
誰が一番楽しそうかを競う競争なんて絶対楽しくないだろ。
十数年来の友人がいる。正確にはいた。
その友人とは学生の頃からの付き合いで、一時期は頻繁にあってよく遊んでいた。
社会人になり同じ学校に籍を置く身でなくなってからは多少疎遠にはなったものの、それでもたまに会って飲んだり何かあると電話をして近況を伝えたりそれなりの交友は続いていた。
僕は、まあ学生の頃も今で言うリア充なんかとは程遠いような生活だったけれど、社会人となってからはその頃にも増してどこかに出掛けたり、誰かと遊んだりということは少なくなり
たまに知り合いに誘われればどこかに出かけるという程度の非リアな生活っぷりなのだが、上記の友人は社会人となってからもそれなりに遊んでいるようで、よくそういう話を聞かされた。
出不精ば僕としてはどこどこへ遊びに行ってこんな事がありました、という話は別に不快ではなくむしろうらやましいなーくらいに思っており
友人の、おまえも引きこもってばかりいないでどこかへ遊びに行けよーの言にも、はいはいと答えていた。
ある時、僕にふとしたきっかけで近い職場にプライベートでも遊ぶ知り合いができた。
趣味が同じだったことや、気が合ったこと、彼がどちらかというとアウトドア好きだったので、仕事終わりや休日に彼や他の複数人とも遊ぶことが多くなった。
そうして、問題の友人にその事を話したのだが、これがきっかけで友人との関係が大きく変わった。というか僕の友人への見方が変わったのかもしれない。
休日遊びに出かけたことを友人に言うと、友人は誰とどこへ行って何をしたのか、その誰かとはなぜ知り合ったのかを根掘り葉掘り聞いてきた。
その知り合いとはどれくらい仲がいいのか、一緒にいた奴は誰の知り合いなのか、誰が誘ったのか、どんな頻度で遊ぶのか、また行くのかといった感じである。彼女かおまえは。
僕だって、友人の友人がどんな人なのかと興味を持つことはあるし、それを質問としてぶつけることもある。しかし度合いというものがあるだろう。
更に聞き方がいやらしい、引きこもりのおまえにどうしてそんな友人ができたんだだの、おまえはインドアだからホントは外で遊ぶのは嫌なんだろうだの、こんな調子だ。
最初は笑いながら答えていたが、だんだんうざくなってきて、次第になぜこいつはこんなにことを聞くんだろう、もしかして僕に新しい友人ができたことに嫉妬してるのかと考えたりもした。
まあホントに嫉妬してくれているのなら可愛いものなのだが、その後の会話や以前からの友人の考え方を踏まえて、これは嫉妬ではなくもっと違う感情なのだという結論に至った。
要は、その友人は僕のことを下に見ていたのだ。
友人は常々、僕の前でも、職場の非リアな人間を何が楽しくて生きているのか分からない人間だとバカにしていたし
この友人の中には人の価値とは如何に遊び、如何に楽しむかである。のような価値基準があるのだろう。
その価値基準において遥か下方に位置すると思っていた人間、つまり僕という彼にとっての友人が、そのランクを上げる行動にでてきたので
それが自分の地位を脅かすほどのものなのか推し量る意味で、探りをいれてやり、ついでに牽制もしておこうというのが上記の質問攻めの真意であったわけだ。
それからというもの友人は合うたび、話すたびに、俺は先日どこどこへ遊びに行ったのだがお前は例の知り合いとどこかへ行ったのか、というような質問をするようになり。
話の合間合間に、僕はやっていないと言っているのに、俺のFacebookを見ろ、俺のFacebookに写真がある、俺のFacebookに遊びに言った時の面白い動画がある、と
おまえはFacebookの業者がと言いたくなるくらいにFacebookをすすめてくるようにもなった。
加えて、言葉のふしぶしで、引きこもりのおまえがとか、おまえはコミュ症体質なのにとか、もはや悪口としかとれないことを挟んでくる始末であった。
正直もはや嫌気が差していたが、ある日新しく出来た彼女を紹介されることになり、友人と彼女とその知り合いの女性の4人で会ったのだが
その折、基本家に引きこもっていて外に出て遊ぶのが嫌いな奴だけど今回は俺に彼女が出来たってことで来てくれました、というような紹介のされ方をしたのが極めつけであった。
その日、もう友人とは付き合いをやめることを決心した。
振り返って見ると、昔から友人は僕のことを格下に見ているきらいがあり
僕の見方が変わってしまったからではないかとも思うが、当時はネタとして流していた引きこもりだのの言動を思い出すだけでムカムカする。
彼と僕との友人関係は学生の頃のように互いの交友範囲がほぼ被っていればこそ良好に保てたもので、今のように多少疎遠になってしまえば今回の事がなくてもいずれ崩れていたのだと思う。
彼が変わったのか、僕に知り合いができたことで変なプライドが生まれ、僕のほうが変わってしまったのかは分からないが楽しいと感じなくなった時点で互いに終わりだ。
後日、彼のFacebookを見てみたが、とても楽しそうな記事で溢れていた。端的いえばこういう人をリア充と言うんだろうなと思った。(結論に続く)
元増田は、批評を叩かれることに関しては批判は批判として受け止めてるんだよね?
上の内容を確認の上で、リア友に批判されることが嫌なんだよな。
その気持ちなら凄い分かるよ。その上で物申すわ。
サークルで内輪向けに発表した内容を叩かれるわけでもなく、
Webに公開して炎上した匿名のはてなゾンビに叩かれるわけでもなく、
1.Webって公の場で発表したことが回り回ってリア友に伝わり、
なおかつ2.イイねって言わないことに落胆してんだよな。
この二点を踏まえると、元増田の次善策はアカウント変えろとしか
言えない。
1.
観測範囲に入らないということで好き勝手言えるけど、
なんつーか、やっぱ今のアカウントを捨てて
2.
リア友の分、どうでもいい内容でも上か下か
判断してくれるのでチャンスと思え。
そう考えると、今は雌伏の時じゃないのかな、やっぱ。
匿名でもある程度名をあげるか固定ファンをつけて、
言われないよう頑張るしかないんじゃないのかな。
俺は音楽聴いたり本を読んだりするのが好きで、ツイッターやフェイスブックで感想や自分なりに思ったその作品の位置付けなんかを書いたりしてた。リア友にもフォローされてるアカウントで。
そうしたら、複数のリア友から「偉そうなこと言ってるね(笑)」とかいうリプライが来るようになった。
べつに啓蒙してやろうとかそんなつもりは全くないんだけどな…。
友達も俺の趣味は知ってるし、それが縁で仲良くなった人もいる。一緒に音楽を聴いてあーだこーだと楽しんだこともある。本の貸し借りをして「あそこすげー面白かったね」とか「俺には合わなかったな」とか感想を言い合ったこともある。
だけど、やっぱりまとまって文字になっちゃうと、「なに言ってるの?(笑)」みたいになっちゃうのな。
もちろん俺のキャラに依るところもあるんだろうけど。
もうあのアカウントでは無難なことしか書かないで、好きなこと書く用に複アカでも作るしかないのか...。暴言や悪口を書くわけじゃないのに、好きな趣味の話を書きたいだけなのに、それが茶化されるって結構悔しい。
表題の人物がネットから消えた。 恐らくSkypeやLINEといったコミュツールは残しているが、Twitterなどの表舞台からは完全に消えてしまった。
原因は間違いなく“意中の女性を落とせないどころか、別の男とのいちゃらぶを見せつけられるから”なのだが、そんな内輪な話はどうでもいい。 どうでもいいというかm9(^Д^)プギャー!プギャー!m9(^Д^ )m9(^Д^)9m( ^Д^)9mプギャー!プップギャーッ!!m9゚。(^Д^゚≡。゚^Д^)m9゚。プップギャ-ッ!!m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \なのだが、そこはまあおいておくとして。 私が今日言いたいのは、ネット全体に対する苦言だ。
「ばいばい」というtweetと同時に退会(ちなみに退会したらtweetも消えるので、彼の遺言を目に出来たものは数人だろう)した彼だが、それに対するネット上のリアクションがまったくと言っていいほどないのだ。 彼にはTwitter上の仲間がいて、日々、和気藹々と会話を楽しんでいた。 凹んだtweetをする度に「大丈夫?私で良かったら話聞くよ?」なんて優しい言葉をかけていた女子(恐らくハメタロウに喰われたハメられ系女子)もいた。 だが、彼が消滅した今、Twitter上で話題に触れた者は見る限り誰もいない。 消えたことが当たり前のように、タイムラインは粛々と流れている。
もしかしたら他のコミュニケーションツールで直接やり取りをし、事情を理解した上で静観しているのかもしれない。 しかし、表面上は誰も、毎日のように会話していた人すら、触れようともしない。 事情さえわかればどうでもいいのか? 消えた人間はタブー扱いとでも言うのか? 私はこの状況に、一抹の不安と恐怖を覚えた。
だってそうだろう? リアル社会で言えば、学校に登校したらいつも中心で騒いでいる元気な生徒がいない。 朝のホームルームで彼が自主退学したことが告げられても、誰も声に出して彼の話をする者はいないのだ。 と思えば、何人かは机の下で携帯をカタカタ動かし、各々が直接本人と連絡を取って事情を知る。 ホッとしたり、悲しんだり、怒ったりといったリアクションを各々が内々に処理し、あとは授業が始まろうと、昼休みになろうと、放課後が訪れようと、彼の話題が持ち上がることは永遠にないのだ。 各々が直接本人に連絡、とはいっても、クラス全員がそんな行動を取るとは思えないし、何人かは直接連絡を取る事すらせず、消えた現実を黙して受け入れるのだ。 これを異常と評せずして何が異常か?
実は私も以前、Twitterを退会した経緯がある。 50人近くのフォロワーさんがいたが、僕の退会後、直接連絡を取ってきたのはリア友を含めて3人。 だが、Twitter上でその話題が上がることは一度も無かった。 当時は仲の良いメンバーと毎日のように交流を深めていたにも関わらず、誰もその違和感に触れることなく、や、違和感を感じることすらなく、みんないつもの生活をいつも通りに送っていたのだ。(退会後に各々のTLをチェックしてるとか気持ち悪いんですけどね^^)
ネット上の交流においては、後ろ暗いことは発言しない、といった暗黙のルールがあるように思える。 みんなの気分を害してはいけない、なんて気遣いと、文字という事実だけがログとして残り続ける懸念からだろうか。 いつも楽しい話題ばかりしてるのに、裏では号泣Skypeを毎日誰かに放ってる、なんてのも珍しい例じゃない。 これも上記の学校の例に照らし合わせれば、気持ち悪いことこの上ない。
もしかしたら、戻って来ようと思った時、戻って来やすいように、なんて気配りがあるのかもしれない。 だが、退会歴のある筆者から言わせてもらえば、これは退会したことのない人間の妄言と言わざるを得ない。 自分が消えたのに誰一人話題にすら出さなかった“自分に対して無関心な世界”に、誰がどうして戻ろうなどと思うのだろうか。 仮に戻って「おかえりw」なんて言われようものなら、薄ら寒いものを背中に感じてしまうだろう。 実際にその言葉は“薄ら寒い”。
私は退会したからこそ、消えてしまったからこそ、話題に上げていくべきだと思う。 表題の人物、ハメタロウは退会した。 だが彼は死んでいない。 仮に故人であっても、我々は彼を忘れるべきではない。 女との性行為しか頭になかった彼でも、私たちに笑顔と元気を与えてくれたことに変わりは無い。 Twitter上から彼の名前が消えても、彼の存在までかき消してはいけないのだ。
・・・あー、もう。 ほんっとくだらない。 Twitterってのはつぶやきだろ? 思ったことを思ったように言えばいいんだから、消えたと思った時点で「あれ、ハメタロウいなくね?」って言えばいいんだ。 ちなみに私はつぶやいた。 全力でつぶやいた。 なのに、ハメタロウを知ってる人は大勢いるはずなのに、反応したのは鍵付き副垢の友人だけ。 タブーとか気遣いとか、おっかしくね? だからリアルとネットは違うとか言われちゃうんだよ。 同じ中の人が同じように生きてるんだから、変な線引きしてるんじゃねえ! 意味の無いことこそ、大声で叫べ! それでこそのトモダチだろうに! おまえらみんなおっかしいら!
さぁ、叫ぼう! ハメタロウという人が消えたのはただの横恋慕だと。
忘れちゃいけないことがある。 流しちゃいけないことがある。 私と同じ犠牲者をこれ以上出してはいけない。 彼を本当に想うなら、毎日のように話題に出せ! そんなことも出来ない浅い付き合いしかしてねえから、ハメタロウはいなくなっちゃったんだよ! 横恋慕! 横恋慕! 横恋慕! 狙ってた女に飽きられた哀れな男を、これ以上ディスったらいかんに! おこだお!(`へ´)ノ
他のSNSもそうだけど、ある程度ドライになりきれないならもうリア友同士でTwitterやるのやめなよ。
正直、自分の陰口なんて、どっかで誰かが言ってるわけで、自分がすべての人に好まれてるなんてことはあり得ない。
せっかくTwitter、というかWebそのものが、「見たいものだけ見る」ということができるメディアなわけで、
わざわざ自分のこと嫌いな人を覗きに行って不愉快な思いをする必要はないはずなんだ。
でも、相手が友人だったり(それも中途半端に仲のいい)すると、気になるのかわざわざ悪口を覗きに行って、
自分で気分を害する。
またそうやって「あなたのTweetが不快でした」って言われたほうもこっそりブロックでもしとけばいいのに、
また、自分の交友関係に喧嘩の愚痴をさらしたりして話をややこしくする。
厭なら見るな。
リアルで親子関係がギクシャクしていて、リア友もいないわけではないけれど、それでもネット上での知り合いのほうが親しく感じています。
実際今日もすごく親身になって相談に乗ってくれましたし、すごく為になったと思います。
信頼も何もないというのは少し誇張しすぎましたが、増田さんが仰った通りやっぱりどこか薄いと言うか曖昧な関係というイメージです。
こういう見ず知らずの友人を持つことを周囲の年配の人(親も含め)は批判的に受け止めているようなので、
別にリアルではぼっちでもネットで話せる相手がいるならよくない?
と思って先の記事を上げた次第であります。
ただリアルを捨てちゃうのはやめようと思いました。
TwitterやmixiなどのSNSで、“リア友”とつながる友人が私の周りで増えている。
そうした友人のなかには、ネガティブツイートや鬱日記を書く友人が多い。
読み手からしたら、「嗚呼、かまってちゃんよ…」とため息の出る思いである。
しかし、問題はそこではない。
かまってちゃんアピールは、いい気はしないものの、そこまで気にはならない。
その回りくどさに問題がある。
抽象的な表現を用いて、読み手の不安を煽るような発言が、私はいかがなものかと思うのだ。
例
どんな事象にも当てはまるので、あらゆる読み手を不安にさせるネガティブ発言
特定の人物を連想させるが、ありきたりな人物像なのであらゆる茶髪の読み手を不安にさせるネガティブ発言
などなど。
鬱発言には、コメントもつきにくい。
それは書き手も承知だと思う。
もしも、彼らが思う「嫌な対象」に気づかれたとしたら、どうするつもりなのだろうか。
彼らはなにを思い、こういった抽象的な発言を行うのだろうか。
少しだけ、晴れやかな気分である。
二年近くやっていたTwitterを辞めた。
原因は色々あるが、いちばん大きいのはとあるフォロワーの存在だった。その人は一回り以上違う中年男性だったが何故か私をとても好いているらしく、普段からとにかくリプライの頻度が半端なかった。もともと彼や彼の周りは毎日ほぼ決まった時間に「起きた、おはよう」「出社なう」「帰宅なう」と呟き「おはよう」「おつかれ」「おかえり」というリプライを貰い、そしてそれに対して「おはあり」「おつあり」「おかあり」を返すような社会人クラスタ。私は学生だし、朝も夜もないような生活をしている。Twitterで挨拶は殆どしないし、非公式RTで繰り広げられるそういう会話を寧ろ目障りにも思っていたので、同じノリでリプライを飛ばされることに違和感を覚えていた。
ただそれは私の志向というか、Twitterに於けるテンションが彼らと違うというだけだ。非難するつもりも否定するつもりもさらさらない。不快だったのは、彼のリプライにはそのテンションの違いに気づかず自分たちのそれを押し付けてくる感じがあったからだ。自意識過剰と言われればそれまでだが、私がリア友フォロワー(彼はその子にフォローされていない)に送ったほぼ内輪ネタのリプライがふぁぼられていたりするのもなんとなく良い気持ちはしなかった。
そう、リプライの多さもさることながら、ほとんどすべてのツイートが彼にふぁぼられていたりすることが、はっきり言って気持ち悪かった。ふぁぼられることは嬉しい。ただ(傲慢な言い分だと自覚の上で言うが)明らかに意味がわかってないだろうと思われる内容のツイートもふぁぼってきていてなんで?と思うことも多かった。例えば、私が好きなとあるジャンルの音楽の話をする。何回か連続でツイートしたその呟き群を彼はことごとくふぁぼる。しかし、後日自分のツイートで、そのジャンルの音楽なんて馬鹿にしていて聴いたことがないみたいなことを平気で言うのだ。そんな人にふぁぼりを貰ったって嬉しい訳がない。ふぁぼられをチェックしても彼のアイコンばかり目についてイライラしてしまうので煩わしさを避けてついには鍵をかけた。
そもそも私のツイートをちゃんと読んでいるかも怪しかった。(本人は全部読んでいるし読むのが楽しみだと言っていたが) 送られてくる挨拶以外のリプライは大体いつも的が外れていて、いや今言ったのはそういう意味じゃない…と困惑することがしばしば。そもそも私が知らない・興味のない作家や作品の話を引用してリプライを飛ばされても反応しようがない。しかも私が知らないということを承知のうえで振ってくるのだ。他の人とのリプライに割り込んできたり、Tumblerや読書メーターやブログに現れことごとく足跡をつけていったり、とにかくもう、うんざりだった。ブロックしてもよかったが、共通のフォロワーがいる以上それも憚られ、私にできることはリプライに気づかない振りをして無視することぐらいだった。
それでもしばらくは彼の存在を含めてTwitterを楽しんでいたが、最近彼だけに限らず、TL上で「この人たちなんか気持ち悪い」と思うことがちょくちょくでてきて、もういいや、と思った。馴れ合いという妥協はSNSを使うにあたって避けては通れない。相互フォロワーと仲が良い人にフォローされると、ちょっと合わないかな?と思いながらもフォローを返す。でもやはりあまり合わなくて、彼らのツイートをノイズのように感じるようになってくる。でもでも相互フォロワーの手前リムーブはできない…というジレンマに悩まされることになり、それに気づいた時ああ完全に使い方を誤ってきてるな、と感じた。
この典型的なTwitter疲れが治るまでしばらくアカウント放置、というのも考えたが、呟いていないと件のおっさんフォロワーから「お元気ですかーどうしてますかー」的なリプライが定期的に送られてきてウザいこと極まりないので辞めることにした。抵抗はなかった。Twitterと連動させていたほとんどのSNSアカウントも削除した。勿論Twitterを辞めることで失いたくないつながりをも失ってしまったが、ネット上の関係なんて所詮そんなものだと割り切っている。何年も通いつめていたサイトが閉鎖され、作者の動向が知れなくなることなど日常茶飯事だ。
いつかまたTwitterを再開することがあったとしても、今まで交流のあった人たちをフォローすることはないと思う。フォロワーとの交流を始めてしばらくの頃はとても楽しかったのに、どうしてこうなってしまったんだろう。自分のコミュ力のなさと、対人関係の築けなさが悲しい。