はてなキーワード: ネギまとは
赤松健ファンならばエントリタイトルの時点で色々察して貰えるだろうが、赤松健をパンチラ暴力系ヒロインが登場するラブコメ漫画家としか認識してない層へ説明しなくてはなるまい
赤松健は確かにデビュー作で「ひと夏のKIDSゲーム(通称ひと夏)」というラブコメを描いては居るものの、ひと夏は赤松健の作風から言えば異質で「A・Iが止まらない!(通称AI止ま/アイとま)」の連載終了後に描かれた短編ラブコメ「いつだってMyサンタ!(通称Myサンタ)」と共に赤松健をバトル漫画と解するファンの間では別枠扱いされている
赤松健作品が大好きで追いかけ続ける熱意を常に持ち続けている、というわけではない他の作家を追い掛けている漫画好きからすると「そんなバカな!?赤松健はパンチラ暴力系ヒロインが大好きなラブコメ漫画家だろ!!!」と思ってしまうのも無理はない。こういう認識は週刊少年マガジン編集部がそのように広報した結果だからだ
しかし、はじめての週刊連載作である「AIとま」の終盤から赤松健はバトル漫画家である本性を示し始めるのだ
いまさらAI止まのネタバレもクソもないが一応ボカすとAI止まは終盤でバトルすることになる
「人気が落ちてきてテコ入れのバトルだろ?少年漫画なんだし」と思うだろうが、そうではない
では「AIとま」の連載が終了し、短編「Myサンタ」が掲載された後に新たな連載としてはじまった「ラブひな」を見てみよう
この流れの時点でファンはウンウンと頷いてくれていると信じたいが「ラブひな」は終盤バトルする
いや何なら「ラブひな」は以後の赤松健作品へ強く影響を残す剣術「神鳴流」を用いる女性キャラクターが登場したはじめての作品だ
「AIとま」の頃よりもバトル要素が濃くなってる
さて「ラブひな」の連載が終了し、新たにはじまった連載「魔法先生ネギま!(通称ネギま)」を見てみよう
もう完全に我慢できなくなった赤松健は終盤どころか中盤からバトル展開をはじめてしまい、赤松健をパンチラ暴力系ヒロインが登場するラブコメ漫画家であると誤解していた一部の読者が「ネギまはラブコメだったよな?」と困惑させた
何なら当の週刊少年マガジン編集部も困惑していた様子が見て取れ「ネギま」は連載終了してしまうのである
赤松健は週刊少年マガジンへ対して美少女漫画を持ち込んだ功績を評価され、週刊少年マガジン編集部は「赤松健先生にはメッチャ貢献して貰ったし、もう好きにやらせたら良いんじゃね?」と思ったのか「ネギま」の後に続く新連載が赤松健待望のバトル漫画「UQ HOLDER!(通称UQ)」だ
ちなみに原作者としてアニメ「陸上防衛隊まおちゃん(通称陸まお)」もやっているが当然これもバトル
「「表現の自由」の闘い方」で掲載された「ヤマーダクエスト」が赤松健の今までの作風と違うと思ってるなら赤松健作品の読み込みが足りないと正直言わざる得ない
赤松健をパンチラ暴力系ヒロインが登場するラブコメ漫画家ではなく、パンチラ暴力系ヒロインが登場するバトル漫画家だと思って読めば今まで通りの作風だと気付くことが出来る
UQホルダーの終わり方どう思った?
俺は「まあ。出涸らし再利用の割には頑張ったね」ぐらいの気持ちかな。
ぶっちゃけネギまの最終話の頃にはとっくにゲームバランスぶっ壊れて戦闘に緊張感なかったのによくまあ続けたわと感心する。
ラストのカラーページについては……うーん……出馬表明した50代のオッサンが金髪ロリとのキスシーンをハッピーエンドの象徴にしちゃうかぁ……って気持ち。
これと比べると進撃の巨人は凄いよく終わったね。
捨てきれない思春期の衝動、世界を巻き込む少女趣味、そんな子供じみた激動をそれぞれが抱えながらも、誰かのために幸せのために目の前の戦いに挑むのが人生なんだって終わり方は非常に健康的だ。
俺は赤松健が政治家になるのはどうかと思うけど、諫山創だったら応援できた気がするんだよな。
描いてる漫画の感じでさ。
赤松って結局は若くてキレイで死ななくて強いロリとショタが正しいんだって世界じゃん。
でもそれってリアルの汚らしい老人や年相応にバカなだけのガキとちゃんと向き合ってくれなそうだなって印象があるんだよ。
じゃあどういう漫画家が向いてるんだろうって考えちゃったんだけど答えがでねーのよ。
なんかコレはって戯言を喋って見せてくれよ。
100文字ありゃお前らなら十分だろ
コミケではLEVEL-Xの行列に並び、赤松健主催のオフ会(ラブひなまではたまにやってた)に出たり、ネギま!ファンの同士で集まり考察したり、UQ HOLDER!のために別マガを買う程度でしかないファンである。
何故消極的であるかというと、どう考えても漫画を描く暇がないからである。
私は赤松健漫画のファンなので、赤松健の漫画が読めなくなることを歓迎できるはずがない。
ただ、UQ HOLDER!も残り数話で完結するし、ネギま!から続いた世界観も完成を見る。
つまり、区切りを付けるなら今、というタイミングなのは確かなのである。
赤松健は漫画を作る能力が高いが、それとは別にプログラムが好きなのは周知の事実だと思う。
ただ、私が見るにプログラムが好きというよりも「システムを作るのが得意」なんだと思う。
自宅のPC環境や作画スタジオを構築するのがとても楽しそうだったし、マンガ図書館Zといった漫画家全体のシステムも作ってきた。
だから社会のシステムを構築する側に行くのにはわからないではない。
漫画家全体のことを考えて行動しているのはわかるし、今までのロビー活動から考えて出馬することになるのは理解できる。
ファンとしてはその行動を応援したいのだが、やはり漫画を描く暇がなさそうなのだけがネックなのである。
ちなみにはてなー諸氏はUQ HOLDER!を読まずに赤松健のことをアレコレ言っている人が大多数なのであろう。
完結を目前にしてアルファケンタウリを背景に無重力駅弁セックスを描かれているのを知らないんだろう。
本当にただ議員になりたいだけなら、そういったことを描かずにお行儀良いのを描いてれば良いのに、作品から逃げずに必要だと考えればちゃんと描いている。
政治が決めてマスコミが連呼したらそれが常識化するのが日本の民度
今後ラブひなやネギまの歌が素晴らしい素晴らしいとあっちこっちで繰り返し流され専門家が人気の秘密に高尚な理屈を作り劇団員が再度賛美する
https://twitter.com/r_tkt/status/1471447806137466884
r_tkt@r_tkt
https://twitter.com/r_tkt/status/1471483315152916482
r_tkt@r_tkt
いや別に誰が描いてもいいんですよ。上のtweetはあくまでもケツアカマンへの当てこすりだけのために思ってもいないことを書くという怒りの表現なので
https://twitter.com/r_tkt/status/1471442157265616896
高遠るい先生の描いていたCYNTHIA_THE_MISSIONとミカるんXとはぐれアイドル地獄変は
結構楽しんで読んでいたが、あの先生が赤松健にこんな当て擦りしか出来ない漫画家になってる現状が純粋に悲しい
まぁ結構楽しんで読んでたのは赤松健のAI止まやネギまも同じだ…
売上で誇ろうにもVシネの単館上映になった漫画が1つある程度じゃ数千万部売ってる漫画が2つある人には完敗だ
漫画界全体への貢献で見たらマンガ図書館Zで他の漫画家達に還元してる人にただの漫画家じゃ勝てんし
社会的地位も相手は日本漫画家協会の常務理事でどうしようもならん
だから最後に残った己の東大卒という学歴を使ってtwitterで遠吠えするしか無かったんだろうか…それが辛い
別に漫画家がそういうものを競ってもどうにもならないって意見は正論だけど
そういうのは普段からずっと読者に面白いものを提供したいって言ってるだけの漫画家が言える事
高遠先生みたいに政治的な意見をバリバリ言って社会的な影響も意識してる人はそんな意見で収まれない
だからといって学歴で当て擦るだけしか出来ないこの現状は見ててとても悲しい
漫画の中で権力をしょうもなく描く風刺を加える芸風は、それだけじゃ自分は評価出来ない訳だが
高遠先生はそんな展開を描く時は権力を打ち破るキャラクターの肉体を格闘描写をしながらきちんと描いている所が良かった
ロボ系 | 「動いた!」とかパーツに既視感がありすぎ。 やりようは全然あるとは思うんだが今は相当元気がない |
魔法少女系 | パイオニアと言っていいスタジオぴえろの元気がなくなってしまった。 王道はもう擦りすぎて味がしないガム。 亜流はまどマギみたいにジャンル混ぜることでまだ活路ありそう |
鎧モノ | 聖闘士星矢、テッカマンブレード、シュラト、バブルガムクライシス。 わざわざ鎧モノをやる意味がもう無いか? |
ファンタジー | いくらでもやりようはある。自力が求められる。 最近だとこのすばは厳密には異世界転生ものだけど、内容はファンタジーコメディと言ってもいいと思う。 今年の無職転生もなろう異世界転生だけど中身はいい意味でファンタジーしてて掘り出し物だった。 |
セカイ系ヒーロー物 | エヴァに続いた00年代初期あたりの雨後の筍。 これこそ一過性だけど、そのうちどーんと大物が出そうでもある |
ハーレムモノ | 天地無用とかの古き良きものではなく、ネギまとかセングラ、シスプリみたいな爛熟期のやつ。 このジャンルは今は変質してきららにシフトした感あり。 |
ラノベ学園モノ | ハルヒ(セカイ系)もそうだけど、有名ヒット作は複数のヒット要素を内包してると思う。 直近の学園ラノベアニメってなんだっけ…? |
日常系 | 癒やし系に煩悩を加えたもの。純粋な日常系は最近は少ない…? |
美少女動物園 | ここでは「男キャラが特段描写されない、可愛い女の子がキャッキャウフフするだけのアニメ」と定義。 きららがネタ切れ起こした時点で流石にもう下火感あり。 |
趣味萌え系 | 今名付けた。ググってないから、もしかしたらもうなにか名前が付いてるのかも知れない。 可愛い女の子がなにか特定のホビーに興じる作品。 日常系であり美少女動物園だったけいおん!の亜流から派生したと思う。 |
あとなんかあったっけ
なぜネギま!の他にUQ HOLDER!が必要だったのだろうかと考える。
ネギま!はUQ HOLDER!15巻で示された通り、ハッピーエンドで終わる物語だ。そもそもそれはネギま!の連載時点でも十二分なほどに分かっていた。ネギま!の世界はハッピーエンド以外で終わるような物語ではない。だからこそ私はネギま!のファンだったし、だからこそネギま!が急展開で話をたたんで連載を終わってしまった時、作者はハッピーエンドが見えている物語に飽きが来てこの先を丁寧に綴るのをやめてしまったのではないかと邪推した。
しかし、ネギま!の続編に当たるUQ HOLDER!が始まった。最初は、なぜネギま!の100年後の続きが必要なのかわからず戸惑った。そして話が進み、UQ HOLDER!の世界はハッピーエンドで終わったネギま!の世界とは別の世界線の物語であることが明かされた。しかしこの物語もまたハッピーエンドを目指している。
では、なぜネギま!のハッピーエンドではダメだったのだろうか?なぜUQ HOLDER!というネギま!の世界がバッドエンドに終わった世界をわざわざ用意して、そこからのハッピーエンドを目指すことが必要だったのだろうか?
理由はさまざまに考えられる。編集者の要請であったり、作者自身の模索であったり、物語上の必然であったり。
前者二つは考えてもわからないので、ここでは物語上の必然としてUQ HOLDER!が必要だった可能性を考えたい。
ネギま!とUQ HOLDER!を通じて感じるのは、この物語の作者はハッピーエンド以外にはあまり興味がないということだ。そもそも登場人物が傷つくことを好まない。細かい根拠を挙げていくとキリがないが、話の全体を通して登場人物は困難に立ち向かうことはあっても、その困難で癒えない傷を背負ったりすることはない。
だから、ネギま!でもUQ HOLDER!でも目指すところはハッピーエンドであるはずだ。そのハッピーエンドのために、UQ HOLDER!がどうしても必要だったのだとしたら?というのが私の考えの行き着く先だ。
つまり、ネギ・スプリングフィールドには救えないけれど、近衛刀太には救える何かがあるのではないか?という疑問である。
その何かがなんなのか?それはヨルダ・バオト以外には考えられない。
ネギま!の世界線におけるヨルダはただ倒されるだけの悪役だった。いや、役というのもないような、物語を収束させるためのシステムでしかないと感じられるほどに人格のない存在であった。そして、UQ HOLDER!の世界線におけるヨルダはまだその全貌を明らかにしていない。つまり、我々読者はヨルダというネギま!及びUQ HOLDER!世界の根幹をなすキャラクターについて、何も知らないに等しい。
このヨルダにも救われるべき何かがあったとしたら。それができるのはネギ・スプリングフィールドではなく近衛刀太なのだとしたら。
それがネギま!の他にUQ HOLDER!という世界が必要だった一番の理由になるのだろう。
あと、個人的には超の存在が気にかかっている。超は元々はネギま!の世界線ともUQ HOLDER!の世界線とも違う世界の出身だと思われる。彼女がUQ HOLDER!に全く関わらないのは考えづらい。
もしかしたら、UQ HOLDER!が必要だった理由は、ヨルダを救うためではなく、本来超が住んでいたという、戦争だらけの火星世界という世界線を救うためなのかもしれない。
とりあえず一つ言えることは、UQ HOLDER!、本筋だけで十分楽しいので無理に女の子を脱がさなくていいです、ということだけである。