なぜネギま!の他にUQ HOLDER!が必要だったのだろうかと考える。
ネギま!はUQ HOLDER!15巻で示された通り、ハッピーエンドで終わる物語だ。そもそもそれはネギま!の連載時点でも十二分なほどに分かっていた。ネギま!の世界はハッピーエンド以外で終わるような物語ではない。だからこそ私はネギま!のファンだったし、だからこそネギま!が急展開で話をたたんで連載を終わってしまった時、作者はハッピーエンドが見えている物語に飽きが来てこの先を丁寧に綴るのをやめてしまったのではないかと邪推した。
しかし、ネギま!の続編に当たるUQ HOLDER!が始まった。最初は、なぜネギま!の100年後の続きが必要なのかわからず戸惑った。そして話が進み、UQ HOLDER!の世界はハッピーエンドで終わったネギま!の世界とは別の世界線の物語であることが明かされた。しかしこの物語もまたハッピーエンドを目指している。
では、なぜネギま!のハッピーエンドではダメだったのだろうか?なぜUQ HOLDER!というネギま!の世界がバッドエンドに終わった世界をわざわざ用意して、そこからのハッピーエンドを目指すことが必要だったのだろうか?
理由はさまざまに考えられる。編集者の要請であったり、作者自身の模索であったり、物語上の必然であったり。
前者二つは考えてもわからないので、ここでは物語上の必然としてUQ HOLDER!が必要だった可能性を考えたい。
ネギま!とUQ HOLDER!を通じて感じるのは、この物語の作者はハッピーエンド以外にはあまり興味がないということだ。そもそも登場人物が傷つくことを好まない。細かい根拠を挙げていくとキリがないが、話の全体を通して登場人物は困難に立ち向かうことはあっても、その困難で癒えない傷を背負ったりすることはない。
だから、ネギま!でもUQ HOLDER!でも目指すところはハッピーエンドであるはずだ。そのハッピーエンドのために、UQ HOLDER!がどうしても必要だったのだとしたら?というのが私の考えの行き着く先だ。
つまり、ネギ・スプリングフィールドには救えないけれど、近衛刀太には救える何かがあるのではないか?という疑問である。
その何かがなんなのか?それはヨルダ・バオト以外には考えられない。
ネギま!の世界線におけるヨルダはただ倒されるだけの悪役だった。いや、役というのもないような、物語を収束させるためのシステムでしかないと感じられるほどに人格のない存在であった。そして、UQ HOLDER!の世界線におけるヨルダはまだその全貌を明らかにしていない。つまり、我々読者はヨルダというネギま!及びUQ HOLDER!世界の根幹をなすキャラクターについて、何も知らないに等しい。
このヨルダにも救われるべき何かがあったとしたら。それができるのはネギ・スプリングフィールドではなく近衛刀太なのだとしたら。
それがネギま!の他にUQ HOLDER!という世界が必要だった一番の理由になるのだろう。
あと、個人的には超の存在が気にかかっている。超は元々はネギま!の世界線ともUQ HOLDER!の世界線とも違う世界の出身だと思われる。彼女がUQ HOLDER!に全く関わらないのは考えづらい。
もしかしたら、UQ HOLDER!が必要だった理由は、ヨルダを救うためではなく、本来超が住んでいたという、戦争だらけの火星世界という世界線を救うためなのかもしれない。
とりあえず一つ言えることは、UQ HOLDER!、本筋だけで十分楽しいので無理に女の子を脱がさなくていいです、ということだけである。