「ソーカル事件」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ソーカル事件とは

2024-09-10

デタラメ論文が野放しになっている件

サビーネが警告してた

https://www.youtube.com/watch?v=Yk_NjIPaZk4

 

これじゃあソーカル事件嘲笑っていた理系も窮地に立たされているな

2024-06-23

成田悠輔のプレゼンを初めて見たけど、こんな歩くソーカル事件みたいな人物が持て囃されてたとはさすがに思ってなくて唖然としてしまった


現状否定材料を色々持ちだしてきて、自分が絡んでるプロダクトを褒めて見せて、それと比べた比較対象が如何に劣悪で魯鈍かを蔑んで見せて、実現できそうもなく成功する根拠もない改善策を提案したあと締めが「諦めろ」」「サンタに壁を壊してほしい」(プレゼンクリスマス前後だったんだろう)

こんなクソの役にも立たない悲観的夢想論のパフォーマンスプレゼンルックスのよさとレトリックの巧さだけで成立させるスキルは確かにすごい

でもこれに頭下げて金払うのはさすがに虚無すぎるだろ

そんなにこれを呼んでくると客が集まるの?

精巧食材サンプルをあまりに美味しそうだからってそのまま食ってるようなもんだろコレ

世も末すぎる

2024-05-22

はてなぁはソーカル事件とか好きそうだけど

匿名自称専門家を疑いもせず鵜呑みにしてるから騙されるガワの人間よな

2024-05-09

anond:20240509055026

ソーカル事件の要約も雑だし、上から目線でよくこんな頓珍漢なことを書けるなぁと感心してしまった

説教願望が限界突破しちゃったんだろうな

語るに落ちている

ネットで人気の「賢い話」って、丸っきりソーカル論文な件

ソーカル事件は流石にお前ら常識だよな?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 ソーカル事件問題点を要約すると、「自分を賢いと思ってる/賢いふりをしたい馬鹿は、シンプル普通にわかる話よりも、複雑でわかりにくい話をわかったように振舞うのを好む」という話。

 つまり、お前らだ。

 イスラエルガザ無差別虐殺をしていることを理解するのに「ユダヤ2000年歴史」を得々と語る必要はないし、Apple動画炎上に「文化が違う」なんて説明をする必要もない。

 イスラエルは単純に政治的野心がある西欧最後植民国家だし、Apple動画カートゥーン的な表現リアルにしたものに過ぎない。

 でもお前らはそういうシンプル合理的な答えを好まない。ものごとの裏には何かもっと面白い話」があってくれと願っている。

 だから常にSNS増田では「面白い話」が伸びる。そしてそれを「面白い話」としてだけ受容してるならともかく、もちろんそうやって拡散されてしまった話は普通に信じられて常識みたいになっていく。

 そうやって出来上がっていくお前らの世界こそがネット右翼やQアノンデマ妄想歴史捏造の温床なのだと何故気づけない?

 ソーカル事件も知らないのか?

 …とこんな風な話をすると、お前らはたいていこう返してくる「ソーカル事件くらい知ってらい」いや、知ってるなら余計に問題なのだという話をしている。

 ソーカル事件ソーカル事件という「面白い物語」のひとつとして覚えてるだけだからお前らは駄目なんだ。

 ソーカル事件という教訓からシンプルレトリックの少ない話を尊ぶ」という学びを得てないから駄目なんだ。

 

 本当に論理的で嘘のない文章は、面白くない。これは断言できるが、お前らが「面白い」と判断するようなものには絶対にならない。それが面白いという場合は、数学物理教科書を読むように、一行一行一言一言のつまらなそうな単語の裏にどれだけ綿密なロジックの準備があるかを紐解いて初めて面白いと感じるときのみである。そんな読み取るのに時間のかかるものネットでバズらないし、それをバズるような価値観の変化を望むのは流石に不可能である

 だから、お前らが誠実で「賢い」人間でありたいなら、できるのは「バズるような物には中身がない」と自分客観視することだけだ。

 中身のないものをバズらせるのは良い。バズったもの面白いと感じるのも良い。しかし、バズったものは、自分面白いと感じたことには、面白いだけで中身がないと自覚だけはするべきだ。面白いから知的価値もあるはずだというのは認知バイアスしかない。本当に賢くなりたいなら認知バイアス自覚しろ

 自分は賢い話も理解できるが、中身のない話も面白がるしバズったら読んだりしちゃうという程度の人間だと客観視できるのが、本当に賢い人間だ。

 

 ソーカル事件のような例がどんなに歴史に積み重なっても、それを教訓でなく只の面白い話としてしか消費しないオタクのような受容では、賢い人間歴史から学んだ教訓というようなものには決してならない。人類は成長しないままだ。

 

2024-04-23

anond:20240423122710

○○学を勝手にブチ挙げてジャンル既得権を得てやろう、というムーブ

正義執行による社会的承認第一義であり、事実を突き止めることは目的でない、というムーブ

源流が理系科学不審を隠さなフェミニズムジェンダーであるため、客観性よりも主観第一とし、ソーカル事件反省とかは全く考えないムーブ

全てを兼ね備えた男性学は、基本的にクソである

 

そして、たぶん一番重要なことは、こんなクソな男性学を専門にしよう思うなんて奴は、アカデミズム世界の中でも基本的無能寄りだよ。

言ってることを真に受けない方がよい。

2024-03-12

anond:20240311211752

そう思うんだな。お前の感想が聞けて嬉しいよ。で、俺がそう見えるのを気にしてるなんて言ったのか???

お前、俺に「逆立ちしたムジナに見えるぞ」って言われて何を思う?理由が知りたいよな?それの何が悪いのか知りたいよな?

例えば、ソーカル事件解釈の仕方が間違ってるならどう間違っているか、適切な資料引用して説明しなきゃ伝わらないけど、それ分かってる?

とにかく、具体的に説明してくれよ。匿名である以上、あんたの感想はそこまで価値がない。悪いんだけどちゃん説明して。

だいたい哲学の話ってモノのたとえで出しただけの話で、そんなに間違うほど言及してないけど。

しか大本増田なんか前提となる論の根拠が薄弱だし、論理の組み立てもクソもないし、いくらでも揚げ足とれるよ。

コツは「である」みたいな断定の前後ガバがあるってところ。分かった??????やってみ楽勝だから。できないんだろ???

すまんwwwwwwまた俺の勝ちwwwwwwwwww敗北の味が分からんのだがwwwwwwwwなぁ食わせてくれやwwwwwwww

2024-03-11

anond:20240311202850

ソーカル事件のせいで哲学無意味な乱文を書いているだけの可能性が出てきたからね

anond:20240311202446

というか、マジで哲学を専攻する人のソーカル事件への態度って知りたいんだよね。生の声で。

あー哲学も聖域じゃなくてキチンと査読しないとねーって思っているのか、過去の積み上げが違うし伝統ある信頼関係の上に立っているので大丈夫って感じなのか

anond:20240311191806

言い訳じゃないよ。コミュニケーションエラーを訂正したかっただけ。多分俺を哲学者が全員バカだと思ってるやつだと決めつけてるからそう感じるんだろ?

例えば論理哲学論考とかは(前後文脈を読み込んできちんと理解できてるとは決していえないが)すごそうと思ってるよ。

ソーカル事件について理解してないってのは、wikipediaからの雑な引用になってしまうが、下記の点からバカ哲学者揶揄には使えないって話?

ポストモダン哲学」において使われる比喩アナロジー執拗嘲笑しているだけで、思想のもの検討批評はまったく行っていないため、ソーカル行為は「単なる揚げ足取りにすぎない」「本そのものを読んでいない」として事件当初から厳しく批判されてきた[9]。

実際に、その後もデリダを中心とする「ポストモダン哲学」の学術重要性が減じることはなく、現在にいたるまで彼らの思想重要研究対象でありつづけているのは、ソーカルによる批判本質的ものではなかったためだとも指摘される[3]。

anond:20240311172724

「アホの哲学者」の「アホ」は哲学者すべてにかかるのではなく「哲学者集合の中のアホ部分集合」を意図していて、そいつらは存在する

まともな哲学者専門用語を使って紙面を圧縮するのは、そりゃ仲間内で見せ合うんだからそうなるだろうなと思うよ

今更ソーカル事件の話なんて聞き飽きただろうけど一応貼っておく(日本語版wikipediaだけど)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ちなみに大本増田の中身については、マジで大した意味いから読解しなくていい

2023-11-14

anond:20231114080104

マジレスすると、ある。

社会学の始祖とされるコントそしてデュルケームは、社会統計を用いた研究手法を導入したことで「社会学」を作り出し定着させた存在からな。

 

ところがまあ、統計使っては研究ないことが社会にはなんぼでもあるんだ。 

なにしろ社会って1個しかなくてマウスかいいから、あんまり実験とかできないんだよね。

そこで仮設立ててそこで終わりみたいな理論にも、そうするしかないならという前提で、一定価値生まれる。

 

で、それが研究者の頭を往々におかしくして、最終的に煮詰まりすぎてソーカル事件みたいなことになるわけだ。

2023-09-20

anond:20230920222652

横やが、君の言っているnっていうのがどれぐらいの多くの人が言っているかを表すnであるのが問題なんや

ソーカル事件の話につなげるなら、ポストモダニズムコミュニティの中で「これだけ多くの人たちがこの論文になっとくしてくれた。n=沢山や。だからワイは正しい」ってのがそもそも無理があるんや

anond:20230920220753

まず、なぜ社会構築主義害悪なのか、ソーカル事件でも学んでくれ

特定の論の主張者の数だけ増やしても無意味ということがわかる

2023-09-07

anond:20230907122402

ソーカル事件を思い出せよ

物事をわかりやすく明確に述べないで相対主義に陥るだけならああいう間違いを犯すんだよ

相対主義者が「物事相対的から、それなら国益のためになるようなことを言ったほうがいい」と言い始めたら、例えば善悪を追求することが終了するだろ

2023-08-06

ソーカル事件で「無理解からくる相対主義社会構築主義」が批判に晒されたわけだが、それは分野に限らず言えることで、特に危険な分野は経済だとワイは睨んどる

2022-12-22

anond:20221222170209

査読通った時点でトンデモ論文扱いしてるのは頭ごなしに否定する一派だけでは?

ソーカル事件が起こったのも査読制度が無かったから。

2022-07-18

東浩紀さんが批判されてるけどさ・・・

東さんってデリダ好きだったよね、たしか

それでこれ思い出したわ。

でも,あれは本当のところ一種哲学貧民窟だね.ラッセルウィトゲンシュタインフレーゲ時代あんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学はいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.

このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.

https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931

以下が背景ね。

ジャック・デリダによるサールへの最初攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為自然な発展的研究主題として志向性研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後であるデリダは、アメリカディコンストラクション派の無名雑誌ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体たかのような長大文章掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University

” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実構成』に一部含まれポストモダニスト批判を展開した。1990年代社会生物学論争と「マーガレットミードサモア」による文化相対主義批判勝利さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論アメリカフレンチセオリー別称されるようになる。

https://freespeechact.wordpress.com/about/analyticphilosophy/searle/%E9%80%86%E3%81%95%E3%81%BE%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%A8%80%E8%91%89/

2022-05-11

偽装アカウント話題の青識亜論だが

擁護論法として

「青識はソーカル事件をなぞる形で偽アカウント・偽ツィートを利用したに過ぎない。 これは運動内部での熟議が行われず、愚劣な発言でもフェミ側の発言であるなら批判しないフェミニズム運動偽善性を鋭く指摘するアカデミックな働きである

みたいな話が「理系を自認するアカウントから出てきそうな気がする。

 

「青識がダメならソーカルのしたこともダメだということになる」

 

みたいな。

2022-01-08

経済学人文科学なみに胡散臭いと思ってる

人文科学界隈はソーカル事件で死んだけど、経済学もそれを笑えないと思ってる。

デフレの真っ只中に行われる増税は景気に良いかいか

日本国債は現在の水準の海外保有比率でもデフォルトに陥りうるかどうか」


こんな

「これに科学的な答え出せないならもう学問看板おろせよ」

って程度の議題ですら一流学者同士が真っ向から意見対立させて喧喧囂囂やり合っている。

こんなのまともな学問じゃねえよ。

同僚や上司無能社員に「お前マジでなんならできるんだよ……」と呆れ果ててるときの感じに近い。


経済学さあ、お前マジでどんな問に対してなら自信もって正解出せるんだよ。


「モケーレムベンベが実在するかどうか」

生物学者意見対立して激しく論争するのはまさに学問だと思うけど、経済学に関しては酷すぎる。

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