はてなキーワード: シンプソンズとは
トランプの反移民デマで一躍有名になったオハイオ州のスプリングフィールド市だけど、このスプリングフィールドという地名、アメリカではメジャーな地名みたいで、アメリカ合衆国だけで67箇所もスプリングフィールドという街が存在しているらしい。
シンプソンズの舞台の街の名前もスプリングフィールドで、選ばれた理由は「どこにでもあるから」だと。
スプリングフィールド (地名) - ウィキペディア
いや……まあ納得感はありますね。
減点部分が多くて加点部分がほとんどないので当然という気も。
とはいえIMDb4.5、平均☆2.2というのはかなりイカれた数値の低さがあり、基本的に「完全に見る価値なし」と同義なので言い過ぎな気もします。
大まかに減点部分を上げていくと
辺りですかね。
加点部分については
・豪華俳優陣がくだらないことしてるだけで面白い人には面白い?
・なんでもいいから色んなモノが馬鹿にされていれば楽しめる人には楽しい?
って所かと。
正直言ってこの映画、本来は加点部分になる所を自分で潰してる感じがするんですよ。
結局この映画でやりたかったのって「超常的な戦いの後始末を必死にやって結局企画倒れみたいに終わり続ける人間の力の小ささ」じゃないですか。
ギリギリまで頑張ってギリギリまで踏ん張ってピンチの連続をやっと人類が切り抜けたと思ったら、結局は超常的な力が全部解決したけどなんだったんだろう……っていうシュールさでしょう。
でも実際にはそこに徹することが出来ていなかったのが敗因だと思うんですよ。
特に不味かったなと思うのが、政治風刺の一環としてお馬鹿な政治家にお馬鹿なことを言わせて自分で自分のギャグに笑わせたりしたことですかね。
これの何が駄目って、「人間は人間なりに頑張ったはずなんだけどな……」っていうのが無くなっちゃう所です。
駄目な政治家がのさばっている駄目な日本っていうのをからかうっていうのは、一見すると一石二鳥で狙えそうなテーマなんですけど、それをやりすぎるとお互いに干渉しあって全部崩れてしまう。
もしも政治家がクソすぎて全部だめだって言うならもっと完全にダメダメな感じ、それこそサウスパークやシンプソンズのようなレベルじゃないと
そのレベルを実写でやってるのだと『26世紀青年(原題:Idiocracy)』の「農作物にゲータレードをかけて何故飢饉が起きるのかを延々と人類は悩んでいる」辺りでしょうか。
別に観客は「今の日本の政治家の駄目っぷりに皆で憤慨しようぜ」ってノリで来ているわけじゃないし、それをしたいなら「上辺だけは立派そうだけど実際には口先だけ」という感じでいかないと風刺にもなってないんじゃないかと。
そもそもそういう方向に舵を取らず、「人間が人間なりに全力を尽くした上で一進一退を続けるが結局上手くいかない」をやるのなら、「ウ◯コ……そうか……水洗便所は臭くない」を真顔で言っていたときのテンションでずっとやるべきでした。
実際、「銀杏の匂い」を本人たちは完全に大真面目にやっていたパートは結構面白かったなと皆感じていると思うんですよ。
こういった失敗は、なまじ有名俳優を使ったせいでテンションが上がってしまい、何となく思いついた「一流の人達に変なこと言わせたら面白くね?」の誘惑に負けた感じがあります。
あとは何度も撮り直せるような「程よい規模の小ささ」も生み出せなかったのかなと。
そもそもの原因としては「監督と脚本が同一人物」という権力の集中ですかね。
この映画の問題は正直、「脚本の出来の悪さ。コンセプトを捉えきれてなさ」に一点集中していると言っていいでしょう。
やりたいことに対して台詞回しが微妙におかしく、「絶妙な空気を作り出すことで内側から笑わせる」というスタンスなのに即物的なおかしさを狙ったせいで自分からその空気を壊しに行っている所が多々あります。
また、スタッフが監督に「これ面白くないよ」と言いにくい空気もあったんじゃないのかなとも感じます。
最後に組み合わせれば面白くなると信じていたが、どう組み替えてもつまらなかったのではという気もしますが。
せめてラストシーンだけでもズッコケ感なり感動感なりを出せればよかったんでしょうが、そこで半端に両方狙いに行ったのは本当まずかったかなと。
最後のシーンをシュールに仕上げるなら「御武運を」のカットは確実に不要ですし、もしも感動に持っていきたいなら政治家達は無言で圧倒される形にした方がよかったでしょう。
ある意味で最初から最後まで駄目な所が一貫していた映画とも言えるんですけどね。
この映画の何が駄目って、空想科学のテンプレートや日本の政治家・中高年をどうやって小馬鹿にしていくかについて、「マジメな顔で馬鹿なことをする」をメインにした上で、「とにかく品を悪くする」をサブで使ったことだと思うんですよ。
結局そのせいで「ハイテンポに挟まるしょぼい下品ジョークのせいで、メインであるはずのシュールさが台無しになっていく」を永遠と観客は見せられることになってしまった。
もしも下品をとことん徹底して全てをひたすらくだらない話として描いていれば、そこに偶然シュールな真面目さが自然と加わったりしていい塩梅だったのかもなと。
映画って結局の所、コンセプトや空気、世界観を観客に食わせるコンテンツなわけで、そこにおいて方向性を誤ったまま最初から最後まで行くと厳しいなとつくづく思わせる作品でした。
本当に「惜しかった」と思いますが、同時に「惜しかったで擁護できるのはポテンシャルだけであって、客に生焼けのモン食わせたら文句言われるのは当たり前だろ」とも感じてしまいます。
まあ……私も☆1か2か入れて終わりにしようかと思います。
迷いますねー。
長くなるかもです。
調べてみたら「アデノイド顔」っていうらしいです。鼻呼吸を勧めたいんだけど、難しそう……
最近の母親は些細なことでキレやすくなったし、とても頑固で人の助言や意見を絶対に聞かなくなってしまいました。
かと思ったら変に上機嫌な猫なで声で話しかけてきます。冷静な、「ふつうの」時間が無いみたいな印象です。
独り言も大きいし、何かに怒っているようです。いつも「バーカ!」とか「あーあ」とか何かに向けて叫んでいます。怖いです。
お父さんは母親に惚れているので母親が人としてありえないことをしても笑って何でも許します。母親もいい気になって楽しそうです。だから、何も直りません。もうここ数年、怒っているのは私だけです。疲れました。
母親は性格が最悪になってしまったので、「老けた」というよりも「醜くなった」という表現の方がとてもしっくりきます。彼女の言動は更年期障害の範疇を超えていると思います。
何かの病気でしょうか?
メンタルヘルス系の病院に一緒に行こう、と誘ってみましたがプライドを傷つけてしまったようです。
何を言っても突然不機嫌になるので、手がつけられません。しかも時間差で不機嫌になります。言葉がその場ですぐ出てこないのかもしれません。
話し合いも母親が感情的になって成り立たないし、いつも同じ過去のエピソードを持ち出して怒ってどこかへ消えてしまいます。
そうならないように、一つ一つの問題を順を追って言語化させ、理由も付けて説得すれば、一応自分の非を認めるのですが、決して反省はしません。
10分後にはなんの関係の無い怒りで全て忘れてしまうようです。この繰り返しです。本当に疲れました。
うまくもマズくもなくて電凸する内容がないと言っては電凸した。
そんな調子なので、飲食店や小売店の電話は、いつも鳴りっぱなし。
どの店も、電凸への応対(電凹)のため、余計に1人店員を用意してる有様だった。
こんな電凸町で、まともな経済・生活が実現するはずもなく、町の財政は破綻寸前、過疎化も進む一方……。
そこに現れたのが、ピンポンのキシノ。
貧困のイイノは、ちょっとした有名人だったが、チューバ奏者になって頭角を現した。
sing a songのCTOは、言った。
君たちには2つ選択肢がある、と。
このまま電凸で一生を終えるのか、シンプソンズのティツィアーノを万雷の拍手で迎え入れるか。
アンジャコングのPPAPの言ってることはよく分からなかったが、一部の町民は彼に心酔した。
そんな中、キングヌーのポプテピピックのことを悪く言う者もいた。
反感を持つ者達は、電凸に励んだ。
さすがのリングディンのディントンも、あまりの電凸のストレスで、ついには亡くなってしまう。
彼の葬式で、町民達はふと思った。
そういえば、最近、こいつ以外に対して電凸してなかったな……。
人が1日に電凸できる量は限られている。
町民達がカンカンガクガクへの電凸に夢中になっている間、他の店舗や会社は電凸を免れていたのだ。
結果としてこの時期、電凸町の経済活動はきわめて円滑に回っていた……。
町民達は、つぶやいた。
Spotifyで2020年に海外で最も再生された日本の楽曲10曲のうち、8曲がアニメのOP
アニメが上位に来るのは外人も「アニメは見てる」ってことを意味してる。
同時に、「ドラマは見てない」ってことだよね。
日本人は洋ドラ見てるけど、外人は日本のドラマは海外ドラマとして全く興味ないってわけ。
そりゃそうだよね。
俳優ネタばっかだし、最近受けてるのは「バブル時代は~」「日本はすごかった~」「最近の若者~」ばっかで日本に住んでなきゃ微塵も面白くない。
そもそも単純な話として日本の実写ってアキラ・クロサワ以外は海外じゃ全く評価されてないから。
オサム・テヅカ、カツヒロ・オオトモ、ハヤオ・ミヤザキとアニメ映画に関しては海外でめっちゃ評価されてる。
でもそりゃそうだよね。
「バブル経済期の日本にいたパワハラ野郎に土下座の強要を倍返ししたらあ」とかそんなん言われて盛り上がるの日本のオッサンだけじゃん。
サウスパークやシンプソンズの日本人が「は?ちょっと今のついてけんかったわ」ってなるシーンだけでドラマの全パート構成した究極の身内ネタよね。
つまる所、日本製の実写は日本人向けの蛸壺の中でしか生きられない訳よ。
そしてその実写文化や日本のテレビ文化に寄生した日本でしか受けない番組群と、アニメ・マンガっていう海外でも生息できるクールジャパン群があるわけ。
その差が如実に出たよね。
別に悪いとは言ってないよ。
実写で海外と真っ向勝負なんてしても、胴長短足の日本人が主役で予算もろくについてないんだから返り討ちにあうだけ。
だから細々と日本人向けの日本でしか受けない作品を作ることで同じ物差しの上に並べられることを回避します。
でもそこに自覚的にはなるべきだと思うわ。