はてなキーワード: アスリートとは
なんか当たり前なこと、あまつさえ良いことみたいに言われる風潮あるけど
成長に必要な量なん? そうじゃないよね
運動部で体を酷使してるから食えるみたいな話をよく聞くけど、それだからこそむしろ怖い
アスリートってめっちゃ運動して信じられない量食べるけど、引退後に内臓に爆弾抱えるみたいなのよく聞くよね
栄養を管理する専門家がきちんとついてる場合ですらそうだと言うのに、学校の運動部でそういう状態になるまでやる人が多いってこと? 文化みたいに扱われるほどに?
増田も大変だな。
「アスリートファーストは建前です。祭典で商機が増えるのが最高に気持ちいいんです。そのついでにアスリートもファーストになればいいとは思ってます」
「今みたいに盛り上がらないのは本当につらいです」
て言ってくれた方がよほどすっきりすると思う。
しかし……せっかくの昇進機会逃したのはもったいなかったんじゃないのか?
【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」 | 東スポの体操に関するニュースを掲載 https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/gymnastics/3387282/
1ここんところ常々考えていたこと。
幼少期から手に入れているひとはいたけど少数派だったよね。みんなシンケンジャーとかミニ四駆やポケモンのことを考えて生きていたよね。
自分でやるスポーツは意味はわかる。身体を動かすのは楽しいし。
そういう流れで自分でやるスポーツをもっとうまくやるために鑑賞するというのもわからなくはない。自分ではしないけど。
競技内容からドラマを読み取って感動するとかいってるけどそういうの誰からも教わってこなかったんだよな。
でもある日みんな突然昨日の野球の試合の感想を話し合ったりする。
放置されて育っていたためにテレビのチャンネルは選び放題で映画やバラエティの時間をずらす野球中継は敵だったし。
そういう立場ですらマンガやバラエティに野球選手のネタが入っていたのでまだ少しわかっていたが、今は本当にわからない。
そしていまコロナでオリンピックの開催か中止かで本当に嫌いになっている。
それで自分たちでやっていけることはやるといってる。じゃあオリンピックやスポーツイベントが全部中止になったらなにやるの?ってことだし。
政府のやることにムカついていたけどアスリートやその関係者までも身勝手を感じてイライラしてきている。
とはいえオリンピックははじまるし、こっちがおもしろくなるような突発的なイベントもなく終わり、コロナ収束とともに徐々に元通りになるんだろう。
でも、やっぱりスポーツ鑑賞は嫌いだなと。
腰付近から馬のような尻尾が生え、馬のような耳が頭頂部付近にある。耳と尻尾以外は普通の人間と同様の見た目を有するが、容姿に優れるため、アイドル的な人気を得ている。
全力疾走するウマ娘の走行速度はおよそ時速70キロメートルにも達する。公道ではウマ娘専用の通行帯が敷かれている場所も存在する。その圧倒的な体力を活かしてアスリートとして活動する者が多く、中でもトレセン学園に在籍し、国民的スポーツ・エンターテイメントである「トゥインクル・シリーズ」への参加に向けて特訓に励んでいるウマ娘が多数派を占める。ただし、いずれの種目においても体力の違いから一般アスリートとは別枠となっている。また、スポーツに参加せず、一般人と同じ職業に就いて生活を営んでいるウマ娘も存在する。生物学上の分類や、妊娠・出産・遺伝に関しての詳細な設定は描写されていない。そのためウマ娘という形質がどのように発現するかは不明であるが、結婚相手として人間の男性を選ぶこともあるようである。
たぶん。
とくにメダルを獲得した人は名誉とカネを手に入れるかもしれない。
だが同時に、かなりの数の日本人から「戦犯」として長年にわたって憎まれ続けるかもしれない。
大会の開催に反対して棄権すれば、アスリートとして終わるかもしれない。生涯年収も大幅に減るかもしれない。
大会に参加したいですと発言すれば、国民感情を逆撫でする非国民扱いされ、多くの攻撃にさらされる。当然、大会に向けて調整には集中できない。
だから、期待できる見返りが最も大きい選択肢は、黙って大会に参加することになる。
問題は、そのような生存戦略に付き合わされ、感染爆発の危険にさらされる「その他大勢」の日本人がそれをどう思うかだ。
オリパラ開催中にメダルを獲得した日本人選手がどう報道されるかはだいたい想像がつく。
この苦境のさなかに多くの日本人に夢と希望と勇気を与えた真の日本人、感謝、感動。
大会が終われば彼らはCMやバラエティー番組に出演し、雑誌の巻頭カラーを飾り、紅白歌合戦の審査員になり、あるいはどこかの大学の教員になるかもしれない。政治家にもなるかもしれない。
だが、ふざけるなよ、と彼らのことを思う人々も存在し続けるだろう。
他人の命を危険にさらすイベントに加担しておいて、その結果ひとかどの人物になったつもりかと。
都合の悪いことにはだんまりを決め込んでおいて、競技でうまくいけば国民全員の救世主にでもなったかのような、その火事場泥棒的なやり口はなんなのか。偽善者が、ふざけるなよと。
とくにオリパラの大会が原因で人出が顕著に増えて、自分がコロナウイルスに感染したり、家族を亡くしたり、仕事を失ったりした人は、選手を含めて、大会にかかわる人々を恨み続けるだろう。
どのように転んでも、オリパラ選手が留保なしに祝福される状況はもうあり得ない。
バカやのー
オリンピックじゃなくてもやらなくて安心安全なイベントなんて腐るほどあるけど
オリンピック中止論者が現実にいる以上は、そいつらは参加したアスリートを責めるだろう。
時間が経つにつれて怒りは風化するかもしれないが、消える理由もない。
そういう意味の「一生背負わされていく」だ。
街を出歩く連中の中にも「自分程度の外出のリスクより、オリンピック開催のリスクの方が大きい」と考えてる人はいるだろう。
いいか? 大多数の国民がイベント開催を受け入れてるとかはどうでもいい。
外出者のリスク感覚の正しさも問題じゃない。アスリートを責める連中がいる、っていうのが危険だって話だ。だからアスリートのことを考えるならオリンピックを中止することで彼らを“免責”しろ、って趣旨の文章だ。
お前はオリンピック以前に目の前の文章の意味さえ、理解できてない。「もっと現実を見ろ」などと、哀れすぎて失笑さえ浮かばないよ… バカのキチガイはお前だろ。返信を書く前に、自分自身にブーメランが返ってこないか、ちょっとだけ立ち止まって考えろ。でないと匿名空間に共感性羞恥を提供することになる。
オリンピック中止・延期論への反論として、オリンピックアスリートの気持ちも考えろという議論を見かける。
だがアスリートたちが行った選択の理由を様々な事実から推定してみることはできる。
アスリートは黙っている。なにも意見を表明しないという選択をしている。それが最善の選択肢だと判断している。
JOCや所属団体から緘口令がしかれているとしても、それを守り発言しないのが最適だという選択をしていることになる。
オリンピックに彼らの人生がかかっているかどうかはわからない。だが影響はあるだろう。
メダルを取れば報奨金がもらえる。これまでの例から言えば、オリンピックで注目されたアスリートにはその後も様々な活躍の場が用意される。それに応じた収入も得られる。
うまくいけば、コロナ禍の逆境に負けず国民に勇気を与えた英雄として、象徴的な地位が得られるかもしれない。
そういう意味で、オリンピックに出ることは、アスリートにとって個人的な利益の追求だ。自己利益を追求するのは、まったくアスリート個人の自由だ。
だがそういった個人的利益の追求は、数百万、数千万人の健康と生命を危険にさらしてまでやることなのかという疑問がある。
現状では、オリンピックを開催しないことがもっとも安全安心なのは自明だ。
安全で安心な生活を送りたい人々にとっては、オリンピックを開催しないようにすることが自己利益の追求だ。
オリンピックアスリートと、その他大勢の人々の利益は対立している。オリンピックは社会の分断をもたらしている。
オリンピックに出場して好成績を収めることで、アスリートは国威を発揚し、公共の利益にかなった行動をしている、という見方もできるのかもしれない。
そう考えることでアスリートは自己正当化ができるかもしれないが、実際にそう思っているかどうかはわからない。彼らは発言しないからだ。
発言をしないアスリートは、自身の態度について説明をしなくても、オリンピックに参加するというその行動によって、多くの他人の健康と生命を危険にさらす選択を事実上していることに変わりはない。
オリンピックに出場することは、この選択をした事実を一生背負っていくことを意味する。
「仕方がなかった」「そんなことは思いもよらなかった」「自分は反対だった」と後から言っても何の意味もない。歴史の審判はその頃にもう済んでいるだろうから。
ただスポーツへ真摯に向き合っているだけのアスリートたちにそんな責任や罪業を負わせたり、重い判断をさせるのは不当なのかもしれない。
それなら、アスリートを免責する最良の方法は、オリンピックを延期または中止することだろう。
そんなことをすれば、アスリートのピークは過ぎ去ってしまい、彼らは一生を棒に振ることになるのだろうか。
アスリートはそんな事態を容認できないのなら、自己利益の追求がその他大勢の人々の生存を脅かす事実に向かい合うことになる。
どれほど黙っていても彼らはその行動によって選択をすることになる。
『俺・私はイケてないけど、相手に求める外見の要求値が高すぎるので結婚したい付き合いたいと思える人が少ないんだよね〜』って人を見るんだけど
美の追求者って意外と少ない
そもそも美の追求者は、自分の外見に満足するか・周囲にウケるかは別として、自分自身もそれなりに盛る
単純に、自分の父母・兄弟姉妹・友人・同僚を連想させる、日常感を感じさせる外見の相手がダメなことが多いよ
日常感を感じさせない芸能人・アスリートみたいな完璧な外見の相手でなくても
人種が日本人(モンゴロイド)じゃないだけであっさり解決することも多いよ
アセクシャルは誰であっても生身の相手に性欲を抱かないよ。実際に抱こう・抱かれようって気分には相手が誰であってもならないよ
デミセクシャルは相手が世界一セクシーと言われてる芸能人でも心から相手のことが信用できてないと実際に抱こう・抱かれようって気分にはならないよ
面食いって意外と少ないぞ