オリンピック中止・延期論への反論として、オリンピックアスリートの気持ちも考えろという議論を見かける。
だがアスリートたちが行った選択の理由を様々な事実から推定してみることはできる。
アスリートは黙っている。なにも意見を表明しないという選択をしている。それが最善の選択肢だと判断している。
JOCや所属団体から緘口令がしかれているとしても、それを守り発言しないのが最適だという選択をしていることになる。
オリンピックに彼らの人生がかかっているかどうかはわからない。だが影響はあるだろう。
メダルを取れば報奨金がもらえる。これまでの例から言えば、オリンピックで注目されたアスリートにはその後も様々な活躍の場が用意される。それに応じた収入も得られる。
うまくいけば、コロナ禍の逆境に負けず国民に勇気を与えた英雄として、象徴的な地位が得られるかもしれない。
そういう意味で、オリンピックに出ることは、アスリートにとって個人的な利益の追求だ。自己利益を追求するのは、まったくアスリート個人の自由だ。
だがそういった個人的利益の追求は、数百万、数千万人の健康と生命を危険にさらしてまでやることなのかという疑問がある。
現状では、オリンピックを開催しないことがもっとも安全安心なのは自明だ。
安全で安心な生活を送りたい人々にとっては、オリンピックを開催しないようにすることが自己利益の追求だ。
オリンピックアスリートと、その他大勢の人々の利益は対立している。オリンピックは社会の分断をもたらしている。
オリンピックに出場して好成績を収めることで、アスリートは国威を発揚し、公共の利益にかなった行動をしている、という見方もできるのかもしれない。
そう考えることでアスリートは自己正当化ができるかもしれないが、実際にそう思っているかどうかはわからない。彼らは発言しないからだ。
発言をしないアスリートは、自身の態度について説明をしなくても、オリンピックに参加するというその行動によって、多くの他人の健康と生命を危険にさらす選択を事実上していることに変わりはない。
オリンピックに出場することは、この選択をした事実を一生背負っていくことを意味する。
「仕方がなかった」「そんなことは思いもよらなかった」「自分は反対だった」と後から言っても何の意味もない。歴史の審判はその頃にもう済んでいるだろうから。
ただスポーツへ真摯に向き合っているだけのアスリートたちにそんな責任や罪業を負わせたり、重い判断をさせるのは不当なのかもしれない。
それなら、アスリートを免責する最良の方法は、オリンピックを延期または中止することだろう。
そんなことをすれば、アスリートのピークは過ぎ去ってしまい、彼らは一生を棒に振ることになるのだろうか。
アスリートはそんな事態を容認できないのなら、自己利益の追求がその他大勢の人々の生存を脅かす事実に向かい合うことになる。
どれほど黙っていても彼らはその行動によって選択をすることになる。
バカやのー オリンピックじゃなくてもやらなくて安心安全なイベントなんて腐るほどあるけど 国民はイベント開催を受け入れてるんだよ お前はパヨク系政治キチガイだからオリンピ...
バカやのー オリンピックじゃなくてもやらなくて安心安全なイベントなんて腐るほどあるけど 国民はイベント開催を受け入れてるんだよ お前はパヨク系政治キチガイだからオリンピ...
フランスのサッカー選手は、かなりの人が不参加を決めたんだよね。 開催日直前か、もしくは、開催中にも不参加を宣言する選手がでてくる気がする。
フランスはもともとクラブリーグ優先したい選手の方が多いってだけだろ
自分は努力したから国民の犠牲の上に立つ権利がある 国民どもは悔しいなら努力すればよかったんだ 普通の日本人がそうなんだから五輪選手も日本人である以上そうだろ
だがそういった個人的利益の追求は、数百万、数千万人の健康と生命を危険にさらしてまでやることなのかという疑問がある。 いいけど、これを突き通すと、生活インフラ以外のあり...
捨てとこ anond:20210703173822