はてなキーワード: 男女平等とは
男女平等というかお家制度の衰退でしょ。周囲の圧力とか意地でも家系を維持させる必要性が薄まって、個々人の裁量でパートナーを選んで良いとなればそりゃ見た目も含めてより良い条件になびくのは当然の話
最近は女の自由や発言力が強くなって、それ自体はいいけど、そこで多く言われるようになったのが女の整形の肯定とか、女から男への見た目向上の要求なんだよな。
もともと女がルッキズムは家父長制のせいだ、みたいなことを言っていたけど実際の元凶は女自身なんじゃね?
追記:
なるほど、なるほど!
つまり男女平等を推すはてなーどもからしたら、女のする差別は問題なし!ってことか!
この差別主義者ども!
私は恋人を責めるのが大好きだ。
恋人が感じてるのを見ると興奮する。
別に私はSじゃない。責めること自体は、大して好きじゃない。挿入の方が好き。
ではなぜ興奮するのか?考えてみたことがある。
男らしいなんて言葉、もはや最近使うと一部の人からしたら不快かもしれない。
確かに、時代はより男女平等、いやなんなら男女もなくLGBTQとか、ジェンダーレスとか
世界は多様性を受け入れて、男らしさ女らしさなんてクソくらえー!みたいな世の中になっているなと感じている。
私もこの考えには賛成だし、一人ひとり自由に生きたら良いし、とらわれた考えを持つ必要はないと思う。
とは言え個人的には、男は女の前では男らしくいてほしい。
会社でバリバリ働いて成果をあげて、愛した女の前ではスマートにかっこつける。
そんななんとも隙がない、完璧な男が好きだ。
ここまでは、あーはいはい夢見ちゃってまちゅねいたた…となるかもしれない。
でも、私はこの完璧な男にオプションでよわよわ乳首が実装されていてほしい。
よわよわ乳首?
完璧な男たるもの、ベッドの中でもスマートに女を抱く…それは大層素敵なことだけれど
私はベッドの中で、男らしさを失くしてほしい。
会社は戦場、まさに戦士。とは言え、戦士でも鎧を外す時は必ずあるわけで、それはセックスの時であってほしい。
私とセックスするときは、かっこつけないでほしい。死ぬほどダサくて良い。乳首でばちこり喘いでほしい。
ここまで責めるのが好きになったのは、今の恋人との初セックスがきっかけだった。↓
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セックスをするのだ。
その時、声は出ていなかったけど
魚みたいに、ビクビクッと腰が身体が動いたのだ。
身長が高く身体もがっしりしているので、動き自体が大きくてびっくりしたが
それより衝撃だった。こんな乳首で感じる人だったのかと。
あの!普段ギラギラバリバリ働く隙のない戦士が今!乳首で感じてる!!
普段の恋人と今、目の前にいる恋人が別人に感じた。ギャップだった。
もう完全にスイッチが入ってしまって、乳首ロックオン、ガチ責めしようと思ったけれど
そこはさすがに第一線にいる戦士、ベッドの中でも隙を見せなかった。
何事もなかったように、やんわり手をどかされた。私を責めようとしてきやがった。
が、ここで諦めたら試合終了。結局紳士セックスで終わってしまう。そーんなのはいーやだ。
ベッドの中じゃ私が戦士なんだよ!
恋人の手を無理矢理押さえつけて、右乳首舐めしつつ左乳首さわさわ!!
困惑してたのも一変、ビクビクに加えてまあまあでかい声で喘いでくれた。すき。
往生際が悪いなと思いつつ、きっと恋人の頭の中に
女に乳首触られてあんあん喘ぐなんてもってのほか言語道断!!恥!!という男塾の塾長がいたんだと思う。
耳元で、
と言ってキス。
もう何故か私もアヘ顔してたんちゃうかと思うくらい恋人の姿に興奮して
「もっと甘えて」
「可愛い」
「いっぱい気持ちよくなろうね」
「挿入せずにこのままイっちゃう?」とか
気付いたら、湯水のごとくじゃぶじゃぶセリフをぶっかけていた。
そういえばこれらのセリフは、過去に付き合っていた人から言われた言葉だった。
当時全く刺さらないどころか、キッショと思ってしまっていたが思わぬところで役に立った。
最終的に「乳首気持ち良すぎるから無理ぃイくイく」まで言わせて
そのあと挿入して即イキ。
ビューティフル。
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てな感じで
男は甘えたい生き物だとは前からよく耳にしていたけれど
それはその通りで、男は戦士だから疲れているから甘えたい、当たり前だよねと。
ストレスに比例して甘えたい欲は増幅している気がする。
自分の中にあるプライド、男らしさ…それらがあるから甘えることに躊躇いがある。きっとそんな気がする。恋人もそうだったんだと思う。
私にはそんなとこがいじらしく思えてしまった。
初めての感情だった。
そんな考え崩して甘えさせたい。
私の前では、全部脱ぎ捨てて何にも考えなくさせたいのだ。
テストステロンダダ漏れオス味が強い男が、私に責められて女の子みたいになるのが見たい。
これはあくまで、本人の意思ではなく甘えさせられたという過程が大事なので
いわゆるMはあまり好きではない。
Mは思ってる以上に注文が多いし、わがままなのだ。知らんけど。
だから、簡単に甘えたくはない人間を甘えさせたいが正しいのだけど、プレイだけでみたら痴女プレイというかそんな風に見えてしまうのもわかっている。
イメージは、膝枕して頭なでなでしてるだけなんだけどなあ…イメージは。
だけど性感帯として機能できてる人は、間違いなく責められ向きなんですよね。例え、責められるの苦手でも。
やり方で変わると思う。
乳首なしでもいいけど、乳首責めながら〜のながら責めができるから、責めにも彩が生まれる気がする。楽しいんです。
長くなってしまったけど、私は私みたいな女が他にも増えたらいいと考えている。
男は外ではバリバリ働いて成果上げて女を守る
帰ったら、外では守っていた女に乳首責められながら甘える
という構図が成り立てば世界は確実に平和だし、経済も回るし夫婦間の性交回数だって増えるんじゃないかなーって思う。
そんな世であれ。
追伸
可愛いオスたちへ
こういう私みたいなのは甘サドというジャンルに当たるみたいなので、同じ性癖の方はAVで甘サドと検索し購入してみてください。
「自分に全ての原因があるにも関わらず他人や社会を憎悪してしまう」
って本当にそうかな?その認識が正しければ、君はもっと簡単に今の感情を解決できたんじゃないのかな。
例えば人に悪態をついている人が嫌われていて、他人や社会を憎悪している。その人が「他人に悪態をつく」という原因を理解していれば、それを直せば問題は解決できるはずだろ。
でも身長が低い、顔が良くない、アプローチが上手くできない。それって「自分の原因」かな?
だって君と同じくらいの身長、顔、コミュ力でもうまくやれている人は存在するよね。
特に、女性とか。じゃぁ君が上手くやれてない理由は何?って考えると、「男であるから」に行きつく。
君が男であることは悪い事なんかな?そんなこと無いよね。
当たり前だけど、君が男と言うだけで避けたり、評価基準が高い社会が悪い。だって現代は男女平等なんだから。
他人や社会を憎悪してしまうのは、間違った感情ではなく「正しい感情」ということを受け止めた方がいい。自分の憎悪は「正しい」と認識するのが認知の歪みを直す第一歩だよ。
とりあえずその感情を受け止めてくれる人がいたら話したり、表現したりすればいい。
女性達が女性限定で被災者を自宅に受け入れますと言ったら、男がスクショとって晒し上げていた。
いや、女性世帯に男性受け入れられないの当たり前じゃん、男が可哀相ランキングで低いのではなくて、危険ランキングが高いだけよ。
女が男を家に上げたらセックスオーケー、自衛せずに襲われた方が悪いっていつもネットで騒いでるの男だろうが。
男性が、当方男性ですので男性限定で被災者を受け入れます。ってツイートしてても、勇気のあるいい人だなとしか思わないけど、なんで男は、女が女限定で受け入れますって言ってるのにぶち切れるの?
女が女を受け入れると言ってても、男が女を騙っているのかもって危険を感じるくらい被災地の女は危険なのに、これでここまで被害者面するのナゾすぎるよ。
男性世帯が男性被災者受け入れる声上げてない問題でしかないのに、善意で被災者に自宅を開放した女を叩くなよ。
尼寺が女限定で受け入れますとツイートしているのも男性差別と批判してるし、マジで意味が解らない。
『「男性は不可」
男性が追い詰められる要因がこれで震災時でも救出してもらえない。男性が可哀想ランキング下位であることを実感させられるツリーだ。こうして女性同士の連帯はとれるけど男性もおぢを排除するんだよな。』
https://twitter.com/odasaburo99/status/1742168826752729588?t=D0rnZp9_IeeIkd521tRbVg&s=19
『なぁ、ツイフェミどもよ。
これでも男性は甘い汁を吸ってるか?
それとも、「男どもはセーカガイをしかねないから自業自得(要するに性犯罪を犯す男性と犯さない男性の区別がついていない)」ってか?
『ホントこれね。このツリーを見るとどれも例外なく「男性不可」って堂々と書いてあるけど、人命救助でさえ男性差別は堂々と行われてる所が恐ろしすぎるよ。「男性」の部分を「黒人」や「ユダヤ人」などに置き換えれば差別主義者として糾弾されるのに、男性ならいくらでも差別OKという風潮が恐ろしい。』
『「当方男性ですので女性は不可です」ってやったら女さん発狂するよね……』
『これで男女平等とか良く言うよな。』
『むしろ、男性は、常に見捨てられがちな存在である独身中年男性とかに気をかけるべきでしょうね。
常日頃から男性差別して「弱者男性◯ね」とか平気で投稿してる人が多いし、被災時も優遇される女性達を積極的に気にかける必要はありませんね。』
『これを自衛というなら「助けを求める」のはやめるべきと思います
これをしながら「助けてもらえなくてごねている」』
当山は女性の駆け込み寺です。
自宅の半壊、全壊を問わず
お子様がおられる方もお一人様でも女性たちの避難場所として運営しております。
少しでも不安があるなら、どうぞ当山に心休まるまでおられてください
https://twitter.com/futetsuji/status/1741955076913070316?t=nug4fMt1taVozOv-88LnFw&s=19
『この期に及んで尼寺という名目のみで性差別する意図はどのようなものなのでしょうか。悲惨な状況で助けを求める男性が駆け付けても、寺としても個人としても保護しないおつもりでしょうか。』
『あんたもよう、救援福祉にまで女限定とか本当に性差別大好きなんだね(鼻ホジ』
笑ってしまった・・
『LGBT法案が通った今、性自認で男性の体でも心は女性の方はどうなのでしょうか?』
失礼しました。』
ある人がなにか話をしたいのに、相手からその話をまともに聞いてもらえないとき、そこには聞いてもらえないなりの原因が必ずなにかあるものだ。しかしながら、その原因の所在を求めるときに明確な性差がある。概して男は責任の所在を「話し手(自分)」に、女は「聞き手(相手)」に求める。
女が生まれついて話がつまらないとか、笑いのセンスがないとか、そういうことではない。むしろこれは後天的な「必要性」の差だろう。男は「おもしろくなる」必要に迫られるが、女は必ずしもそうではない。その差が結果として「話のおもしろさ」の格差になる。
「理解のある彼くん」が登場しやすい性であることと「話がつまらなくなること」はコインの表裏である。逆に「理解のある彼女さん」が登場しない性であるからこそ、男はどんどん話が「おもしろく」なっていく。
ただ、「女だからつまらない話をしてもセーフ」というような状況は長続きしないだろう。男女平等を背景にして、女も相応に「話を聞いてもらう努力」を求められるようになる。そんなときに彼女たちをやさしく庇護する「フェミニストお父さん」は大きなリスクになる。