はてなキーワード: 比喩的とは
こんにちは。通りすがりの日本語警察です。増田さんじゃなくて済みません。
まず【――めく】は「接尾語」と言って、他の言葉(主に名詞)のあとについて動詞を作る言葉です。意味は「~のような状態になる」。よって
「春めく/夏めく」=春らしい/夏らしい状態になる
という意味です。「きらめく」も、本来「綺羅(きら)」というのは外国から渡ってきたキラキラする布のことですから、
「ときめく」は少し難しく、昔は、対象が「時機を得ている様子(絶頂期にある)」ことを意味する「時めく」だったのですが、時代が下がると「(そういう対象を見る側の気持ちが)どきどきする」ことを意味する言葉になりました。「○○さんはとてもときめいています(いまが絶頂期でとてもきらびやかな様子です)」が、「○○さんはときめきます」になり「○○さんってときめく!(見てるとどきどきする)」になるわけですね。こういう例は古文などを読んでいると時々あります。有名な例で言えば「情けない」など(本来は対象に「人情がない様子」を表す形容詞だったのですが、時代が下がると「(人情のない対象を見る側の気持ちが)つらい」ことを意味する語になりました。)。
ですから、これもまた上と同じく、元々は接尾語「――めく」から生まれた言葉なので、質問のお答えとしては「同じ」でOKです。
ちなみに、これを書くために調べていて、江戸時代には「めく」だけで「いかにもそれっぽく見える」という動詞の用法もあったことを知りました。「あいつは『めかない』なァ(頑張ってもそれっぽくならないなあ)」みたいな使い方だそうです。面白いですね。
めくるめくのってのもめくったような状態になるってことなんだろうか。とおもってぐぐってみたけど目がくらむとか書いてあってなんか俺の知ってるめくるめくとちがってた。めくるめくってなんだよ警察教えてくれ (https://b.hatena.ne.jp/entry/4678900173722597602/comment/watarux)
質問がありましたので追記します。「めくるめく」は「目がくらむ+めく」で生まれた語というのは、歴史的にはほぼ確実です。このため、現在も「目がくらむような」以上の説明をしている辞書はほとんどありません。では、ブクマさんの「俺の知ってるのと違う」という感覚はおかしいのでしょうか? …いえ、そう簡単には解決したくありません。なぜなら、私にもブクマさんと同じ違和感があるからです。現在の「めくるめく」は、本義の「めまいがする」意味で用いられることはほとんどなく、主として転義である肯定的な意味で用いられているように思います。
では、いつごろからこうなったのでしょうか。
参考になるのは、大辞林(1988)の「(転じて)強い刺激を言うこともある」という説明です。その用例をみると、「めくるめくような日々」とあり、どうやら比喩的に用いられることで「強い刺激」の意味が生まれてきたことが推察されます。
では、そのルーツは? 調べてみると、「めくるめく」が比喩的に用いられて今日見られるような意味を持ち始めたのは、現代日本語がその形を成し始めた大正期の詩の世界からのようです。たとえば次の用例に見える「めくるめく」の語の印象は、現代のそれにかなり近いように感じます。
その豊饒な、杯から溢れ出すほどの過剰な美は、ことにその紅色の花にあって彼の心をひきつけた。そのめくるめくばかりの重い香は彼には最初の接吻の甘美を思い起こさせるものであった。(「田園の憂鬱」佐藤春夫、大正7(新字新仮名に改めた))
このように詩の世界で用いられた比喩的用法が、その後徐々に一般化して、今日見られる形に近づいてきたた、ということではないでしょうか。
…と、ここまで書いてまた興味深いのは、「――めく」自体が本来は「~のような」という意味であったという事実です。つまり、今日の「めくるめく」の意味を生んだ「めくるめくばかりの」という用例は「~のようであるような状態」という意味になり、「重複」ですね。語の破格な用法がその意味を拡張することの一例と言えるかもしれません。
Twitterで女オタクさんが「推しの顔が良すぎて死んじゃう」って呟いたら凍結された、みたいなまとめを読んで。
萌えの表現の為に軽率に「死ぬ」とか「殺してくれ」とか生死に関わる言葉を選択することに違和感があるのは少数なのだろうか。
もちろん比喩的表現なのは理解してる、死ぬ気も殺される気もないのも。それほどに対象にときめき、萌えて、いてもたってもいられない気持ちになって、それを表現したくなることもあるよね、わかるよわかる。そして最近のオタクで結構使われてるのも知ってる。
けど、そんなネガティブな表現じゃなくてよくないか?もっと適切な言葉はないのか?と思ってしまう。もっとポジティブで大きくなった気持ちを表現出来る言葉は沢山あると思うし、その方が萌元の物も嬉しいのではと思ってしまう。
あと、それで本当に万が一死んでしまったらどうするの…?とも思う。
自分自身が日常会話の中でそういう言葉を使わないようにしてるというのもあると思うけど、やっぱり違和感。
使っている人を叩くわけでも言葉を取り締まりたい訳でもないんだけど、同じように違和感ある人いるのだろうか?繊細オタクのお気持ち表明になってたらごめん。
→拭いきれぬ違和感
「死ぬほどかっこよかった」
最近自分の首を絞めるのが癖になっている。比喩的な意味ではなく。一度出来心で寝る前に自分の首を両手で絞めてみたらしんどい反面なんだかすごく心臓の音が大きく感じて、たくさん呼吸をして、何故か無性に安心してよく眠れた。
それ以来寝れないなと思うとそっと首を絞めてしまう。秒数を決めているからしんどくても決めた秒数までは絞める。多分まだまだしんどいとか死ぬとかそんなラインには達していない。手を離したらゼーハー息切れするくらい。ただ本当に癖になっている。会社でもエレベーターで1人の時、そっと首に手を持っていってしまう。絞めたいな、安心したいなと思う。やめないといけないのか、なおさないといけないのか。でもやっぱり首に手を添えるとどこか安心する。
今日も受注処理お疲れ様!6年ぐらい受注処理関連の仕事したあと、色々あっていまはECのコンサルをしている増田だよ。
まず、システムまわり
上記導入してるのに、これだけ問題あるとしたら、使いこなせてないか、システムが悪いか、どっちか。シェア的にはネクストエンジン、メールディーラーの組み合わせが王道。
この比率は結構おかしい。比喩的表現かもしれないけど。改善の余地がありすぎ。
住所・郵便番号不備
メール関連
受拒
発送までの日数
配送業者関連
商品の問合せ
中国の方が先行して、チャット問合せが一般化したとき、何時代に逆行してんだろうと思ってたけど、違った。みんな安心したいだけ。これ無くすのは正直難しいと思う。ただ、まじで単純な質問だったら商品ページなおそうね。
最後に
残念ながら、すぐ届く状態をAmazonや楽天、そして日本中相互に1,2日で荷物を送れる配送ネットワークの品質があたりまえにしてしまった。その文脈でコンビニより流通が増えているECのサービスレベルを落とすのであれば、よっぽど別な魅力が必要。(ん年待ちのパン屋とかあるでしょ。個人的にはバカかな?って思うけど)
とはいえシステムを使いこなせば、負担少なく運用することはできる。ただ、システム投資の余力が無いとか、改善の提案が通らないとか、そんなお店なのだとすれば職場を変えちゃうのも手かもね。もしもそういった改善の方向に持っていく発想が増田のなかに無いのだとすれば、正直増田に向いた仕事ではないのかもしれない。毎年数%は成長している市場かつ勝ち負けが分かれてきているので、勝ちの側にいれば業務負荷があがるのは避けられないので改善しながら運用できるスキルが必須。負けの側にいてこれだけ負担がある状況が続いているのだとすれば、その運営も問題。