はてなキーワード: 有用とは
ネタじゃなく真面目に困ってるから、有用なアドバイス欲しいんだけど。
美人やかわいい女性とオンラインミーティングしてると顔が近い。
別に好きになっちゃうとかはないが、「顔がいい。笑顔がかわいい。」とは30秒に1回くらい思ってしまう。
仕事なんだから、そんなことを気にしたくないんだけど、脳が勝手にそういう刺激を受け取ってしまう。
これどうしたらいいの。
脳が刺激されて、相手の言っていることに親身に考えたくなったり、好感を持ちやすいように勝手に重み付けを入れてくる。
俺の意志とは別にそういう処理を脳がしてる感じがする。イヤだ。
素敵な笑顔で笑いかけたり、かわいい服を着て仕事されるとつらい~~~いや、かわいいんだけどさ。
今日もめちゃくちゃかわいい人と1on1して「笑顔が眩しいなー。この人のアウトプットの品質もスピードももっと上げてもらうべきだと思うんだけど、どうしたらいいかなー。あ、困った顔もかわいいじゃん……いかんいかんいかん、品質とスピードをあげてもらあっあっ真面目に仕事に向き合ってくれていて素敵かわいいいなー(0.2秒)」ってなってたんだけど。
自分の判断力にデバフかかってないか確認しながら仕事するの負担なんだけど、これどうしたらいいの。
っていうか、みんなどうしてるの!?!?!?!??!?!
とりあえずデータ反映はあいつに投げとけば適切な部署に引き継いでもらえるって存在は割かし有用
現場の人間がこのデータ誰に頼むんだっけって考えてる時間を代替している
このハブがいないと現場がこれ開発やろと思って「このデータうちじゃないです」って差し戻したりっていう
謎の手間が大量に増える
TwitterがXになり「ツイートする」が「エックスセズする」になってもうたわ。
なーにがXや。命名センスから野郎の精子の臭いがプンプンするで。もっと可愛くできひんのか。
これはワイの「インターネットから居場所が消えつつある」という説をかなり補強している。
インターネットに居場所がないと言うと、こんなことを言う人がおる。
しかしワイが言いたいのはそういう話ではないんや。
綺麗な洞窟の中にいる100のモンスターの山に1の魔界アイテムがあるなら「よし、魔界アイテム発掘をしよう」って話になるやろ。
でもな、ダンジョンそのものがクソの臭いでプンプンしていて、そのクソに寄ってきた100000のモンスターの中に、しょうもないアイテムが1つしか埋まってないなんてことになったら、ダンジョン探索なんてしないんやわ。
インターネットというダンジョンが「探索の価値なし」と判定されている理由は非効率性や。ダンジョンの質・モンスターの数・有用なアイテムの数で決まる。
例えば「お、Quoraってのを見つけた。面白そう。やってみよう」ってことになれば、一見するとアイテムを発見できたような気分になってしまうやろ?
しかしQuoraはアナザークソダンジョンや。知ったかぶりの愚者が賢いフリをして大量投稿しているのをみたら、流石にワイのち○ぽも萎えてもうたわ。
最近は「先行者利益」というものが愚者に認知されてもうた。Threadsのユーザーの中に大量の詐欺師が紛れているのを見て、やっぱりち○ぽが萎えてもうた。
もうインターネットは終わりや。
他人の発信したコンテンツにすがったらあかん。自分の頭で考えなあかんということが痛いほどわかったわ。
まあ、頭で考えるときは料理の材料が欲しくなるときがあるかもしれへん。そういうときは古代の石碑に刻まれているコンテンツでも参照したほうがマシやな。
「何かを批判する時はChatGPTを通せ」という意見に対して、以下のような反論が考えられます。
以上の点から、ChatGPTを利用することは有用である一方で、批判や意見の形成には人間の判断力や知識、そして複数の情報源を組み合わせることが重要であると言えます。
大学生が論理的文章を書けずお気持ち構文になってしまう問題、原因は入試・就活にあるのではないか?
一般入試で入学する学生は今の時代、半分程度らしいじゃないか。残り半分の多くは「高校時代何をしたか、その経験で何を感じたか、大学生活で何をしたいか」という、まさに「自分の経験と感情、頑張りたいですというお気持ち」を自己PRして入試を突破してきた。そのフォーマットにあった文章や考え方を鍛えてきたわけだ。
そして大学3年生になれば就活が始まる。ガクチカとかいうやつはまたしても「学生時代に何に力を入れたか、その経験で何を得たか」フォーマットだ。そして「御社では〇〇の経験を活かして活躍したいと思います」と思いを語る。
大学受験や大学生活の方が、小中学校時代に年一回夏休みの宿題で書かされる読書感想文より、よほどお気持ち構文を訓練している。
現状、お気持ち構文は彼らの人生にとって有用なんだから、思考方法がお気持ち構文よりになってしまうのは当然の帰結ではなかろうか。
Twitterでコミュニティーノートという機能が開始され、ぼちぼちあちらこちらのツイートに付くようになった。
これは、機能の参加者の投票で選ばれた情報が、対象ツイートに強制挿入されるというもので、大抵はそのツイートの否定に使用されている。
付けられた方はたまったものではないだろう。消すには自分のツイートごと削除するしかないのだ。
という訳でこの機能の有用性を語っている記事は方々にあるかと思うので、逆に対策法を書こうと思う。
コミュニティーノートという名前で出されてはいるが、実のところそれぞれの情報は始めから終わりまで特定の誰かが書いている。
コミュニティーで議論をして形成した文章という訳ではなく、一字一句に至るまで全て一人で書いたものが投票で選ばれているだけなのだ。
このため、ツイートと同じく投稿した人格が明確に存在し特定できる。
開示請求も「この投稿をした奴を開示して」というツイートの開示と変わらないプロセスで可能だろう。
・一つのツイートに対しては複数のコミュニティーノートが付けられる
選出公開されるのが一つというだけで、機能参加者が見ると投票候補のコミュニティーノートを複数見ることができる。
意図的に攻撃対象になっている場合この公開前のコミュニティーノートが酷いことになっていることも多々あり、対応する場合はこの候補のノート達についての対処も検討するといいだろう。
コミュニティーノートは特定のツイートに場合によっては全否定の立場の情報を強制挿入することができる。また、誰が書いたかは公開されない強力な機能だ。
また、コミュニティーノートを付けられた=そのツイートは全て誤りであるかのように断ずる文化も発生し始めている。
しかしながら現実としては、重要な情報ではない部分を否定してあたかも全体を否定したことにする意図的なミスリードや、それ以前の悪質な捏造等が既に蔓延っている。
ツイート本体に挿入される拡散力、誰が書いたのかも分からない匿名性、付けたら勝ちになってしまっている一方性。この3点を意図的に悪用したとすれば、クソリプとは比にならない悪質性が認められるだろう。
冷静に考えてほしいのだが、
過去に大勢の発達障害者の先人がいて、みな、暗黙の了解が分からなくて困っていたら、
今頃、「発達障害者のための暗黙の了解集」 みたいなまとめが出来ていると思わない?
だけど、そんな有用なまとめが普及していないのは、本質的にまとめが無意味だから。
「行けたら行く」→本当そう言ってる人と、断っている人が半々
「また今度お茶しましょう」→本当にお茶したい人と、断ってる人が半々
ってことなんだよ。
健常者は、Aさんが「行けたら行く」と言ったら、
自分とAさんとの関係性、Aさんの本当のスケジュール、Aさんにとってのそのイベントの参加価値・・・
Aさんは本当に忙しくて、ギリギリ行けるか分からない状況だから「行けたら行く」と言ってるのか、
Aさんは行かないが、角が立たないように配慮して、「行けたら行く」と言ってくれているのか
判断しているわけ。