はてなキーワード: 地名とは
恥のせいとは少し違うけど、京阪の駅から微妙な改名をした2例(3駅)を
枚方駅→枚方公園駅。枚方東口駅→枚方市駅(市役所は現在の市駅近くにある)
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82%E9%A7%85
香里駅→香里園駅(そもそも地名の文字は香里ですらなかった上に由来的には他所のパクり)
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E9%87%8C%E5%9C%92%E9%A7%85
元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559
地下鉄南北線に志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。
関東大震災後に人口が流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。
後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。
関東大震災後に東京近郊は下町からの移住で人口が増え始め、川口町と合併して川口市になる横曽根も人口が増える前に区画整理をする事になった。
横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなりな小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側の新田は「仁志町」とした。
仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。
だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。
「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである。
余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。
先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。
東上線の中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道の上板橋宿跡である。
大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要な下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車の単線運転だから交換用の駅で距離もその程度が適当だった。
だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当な地名も無い。
だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋と上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。
でも下と上の中間の板橋だから中でしょと「中板橋」駅としてしまった。
すると上板橋が上板橋駅付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。
地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。
元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。
今の西口付近はその名も「上」という小字の場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。
だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。
そもそも下上って何なのか?
葛飾区と足立区の区界を見ると綾瀬駅の付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。
荒川放水路が出来るまでは堀切駅の付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。
一方、江戸時代に水墨画が流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド的価値を持つようになった。
隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府は隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。
するといい景色なので山水画や浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。
その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。
隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。
中仙道の板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋駅から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿(下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。
鉄道道路の時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。
下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。
吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。
十条と呼ばれる地区には北側に上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である。江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。
両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである。
明治になりその十条の西の方に現赤羽線(埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。
次に東北本線(京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。
ところが昭和に住居表示で町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。
それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。
こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。
そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。
ここを東急電鉄の後藤慶太のデベロッパが買い上げ高級住宅地「田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。
「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤が田舎に住んで都会に鉄道で通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドンは児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染、ゴミや糞便に混じって死体も流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイルが流行した。
昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線の調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称。
だがその僅か五年後には荏原郡自体が東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。
初めは東急(の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地だけが田園調布だったが、住居表記施行で町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。
東京都。
東の京都て。
普通そんな地名の名付け方ある?日本の都道府県一覧を見てごらんよ。そんな意識低い地名の付け方してるところ他にはないよ。
一つだけ東の京都って相対的な位置で表されるって恥ずかしくないの?
新しいけど、結局すでにある土地名の威を借りなきゃイキれないスネ夫くん的存在なんだよね。
まあこれらは新しく開発された土地っていう事情があるから情状酌量の余地はある。
東京は?東京はどうなの?なんか元々の地名があったような?なんで捨てちゃったの?なんだっけアレ……?アレだよ。
江戸wwwwwwwwww
えっどwwwwwwwwwwwwwww
なんj民がエッチなグラビアアイドルを見た時に洩らす声みたいですもんね。名乗りたくないのはわかる。んで、最近になってどうにか絞り出したのがこれ。
トキョ。
阿夫利大山にもラーメンAFURIにも縁が無く、今回の騒動で初めて知った者だけど、Webで調べて分かったことをまとめておく。
まず、有限会社遠州屋酒店が2002年7月10日に出願、2003年3月7日に登録されている商標が「阿夫利大山」。
これが阿夫利山に因む商標のうち、日本酒を含む区分33でおそらく初めて登録されたもの。
ただし、この商標には読みやアルファベット表記は含まれておらず、特許庁による呼称として「アブリオーヤマ,アブリダイセン」が付けられている。
ポイントは、この遠州屋酒店が販売している「阿夫利大山」を吉川醸造が製造していたらしいこと。
こちらのブログ記事にラベルの拡大画像があるが、おそらく事実だろう。
http://blog.livedoor.jp/jubilist12/archives/16089142.html
(本件では特に吉川醸造の言い分を支持する側から、地名そのままやアルファベット表記そのままの商標登録を認めるな、という意見も散見されたけど、それを言うとこの「阿夫利大山」がズバリ該当するので、留意しておこう)
その後、吉川醸造が2020年10月にシマダグループ傘下となり、新ブランドを展開するため2021年1月27日に出願、2021年6月30日に登録されたのが「雨降」で、当然ながら区分は日本酒を含む33。
この時点で遠州屋酒店と吉川醸造の関係がどうなっているのかは不明だけど、阿夫利山に因んで命名しつつ、「阿夫利大山」との商標被りを避けたのではないだろうか。
そして、2021年4月にこのブランドを発表した記録があり、記事には「雨降(AFURI)」とある。(有料記事なので詳細はわかりません!)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO71000920U1A410C2L61000/
ただし、吉川醸造はまだこの時点では読みの「AFURI」を含む商標を出願していない。
(続く)
AFURIの件で、「地名を商標として権利取れるのはおかしいだろ」という声をよく見かける。
これはある意味正しい考え方で、商標法の規定としても「その商品の産地、販売地・・又はその役務の提供の場所・・・を
普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」は商標登録を受けることができないとされている。
(これは逆に、その商品の産地と広く認識されていない地名であれば商標登録できる可能性がワンチャンあることを意味する。
ラーメンとしての「阿夫利/AFURI」は、ラーメンの産地として当時広く認識されているわけではなかった事情から権利取得できていると思われる。)
自分が腑に落ちないのは、「ラーメン屋も酒蔵も、地名を押さえるような商標登録やめろ!」ならわかるけど
「ラーメン屋はやめろ!(酒蔵の商標出願はスルー)」な論調なのはなぜか?という部分。
商標のルールでは、「外観(見た目)・称呼(読み)・観念(意味合い)」の3要素で、登録商標と製品の類似関係を判断する。
つまり、酒蔵側の「雨降・あふり」が登録になると、他の酒蔵は「あふり」という読みをする単語を商品に表示することに一定の制約ができてしまう。
これはお前らの言ってる地名を独占することとどう違うの?
その辺を考えずに酒蔵をスルーして、ラーメン屋だけ叩いているブクマカは視野が狭いので、
今からでも両方叩く内容か、どちらも叩かないような内容にブコメ書き換えたほうがいいよ。
Q.ラーメン屋がお門違いの清酒メーカーの差し止めを求めるのは権利濫用なんじゃないの?
A.今後日本でも酒を販売する計画があるとのことだけど、ラーメン屋側は少なくとも海外では実際に酒を販売してる実績はあり
「トロール」と呼ばれる全く分野に関係ない人が権利だけ持ってるのとは事情が違うはずだよ。
Q.酒蔵は地域のことを考えて権利行使しないから権利持っていいんだよ
A.一私企業に過ぎない酒蔵がいつ方針を変えるかなんて誰もわからないよ。
本件でも、酒蔵のオーナーが別の本業を持っている会社にチェンジしたので。
Q.ラーメン屋側も自分が出す商品以外まで権利取る必要はないだろうが!
A.自分の商品だけじゃなく、類似の商品・サービスまで広げて権利を取得するのは普通のことだよ。
全然違う会社に「八海山」ってサイダー出されたり居酒屋出店されたりしたら、絶対に八海山酒造の製品だと誤認する人出るやろ?
Q.予定があるにしても、今出してない製品の商標権を取れるのはおかしいやろ!
A.発表後や発売後に取ろうとすると、悪意を持った第三者に先に商標権を取得される恐れがあるので、
製品発表前に出願して、商標権が取れたことを確認できてから発表や発売をするのは普通のことだよ。
(これは今回の問題で、酒蔵側のコンプライアンスケアが不十分だった部分)
アップルみたいな大企業だって、新製品の名前を発表前にいかにバレずに商標出願するか苦心してるし、
毎年商標バレする東映の新しいライダーやプリキュアも、発表前に商標出願することで第三者の悪意の取得を防ぐ工夫の結果なので。
そもそも、商標権が取れるかどうかわからない段階で製品発売しなきゃいけないルールだったら、誰も独自の名前をつけないようになって産業が阻害されるよ。